国民の「幸福」は小国にしかやってこない、     ある貧しい小自治体の的確な把握と素早い決断


木枯らし吹く焼け跡で二人は空想の交響曲に聴き入る
 ニュージーランドは人口500万人に満たない。コスタリカとほぼ同規模の小国である。
 最新の国連「世界幸福レポート」によれば、国民の幸福度が高い国は、2年連続1位のフィンランド(532万人)、2位デンマーク(570万人)、3位にノルウェー(532万人)と人口500万人台の小国が上位を独占している。従属して大国意識を募らせる日本は、去年最低の58位。25位の台湾、34位のシンガポール、54位の韓国にかなわない。
 ニュージーランドは8位。コスタリカは13位(途上国内ではダントツの一位)。この調査は「人口1人当たりの国内総生産」「平均健康寿命」「国民の寛容さ」「人生の選択肢」「汚職の認知度」「社会的支援」の6つの指標を総合して判定される

 ニュージーランドのアーダーン首相は3月18日、50人の命を奪った銃乱射事件を受けて、「今回の恐ろしいテロから10日以内に、この国をより安全にする改革を発表します」と、記者会見。注目すべきは、躊躇のない素早い対応である。
 この素早い対応を、小国故の美徳として誇るべきだと思う。

 コスタリカの常備軍廃止を「小国ゆえ」と言えば、ムキになる人々は多い。軍備の廃絶や植民地の放棄が、大国に可能だろうか。イギリスがインドの独立を認めたのは、米国にその地位を譲ってからである。大国意識に決別すると同時に「揺りかごから墓場まで」の壮大な実験に成功したのである。
 大国に出来るのは、原爆を落とし責任を回避、他国に軍事基地を置き腹立ち紛れに小国を爆撃しても賠償せず、そのコストは自国の弱者と従属国に負担させることである。大国には取り巻く小国の「忖度」の眼差しに応じて、尊大に残酷になる構造がある。だから、弱小国の矜持を理解できない。
 

 日本が大国意識を剥き出しにして碌なことは何一つなかった、天皇家や財閥を除けば。戦場では餓死、銃後では家族が窮乏化しながら、アジアの数千万民衆を虐殺し続けさせたのは、幻の大国意識であった。
 敗戦で自らの貧しさと小ささを自認した数年間、我々はひもじく憐れだったが幸福であった。
 黒澤明の『素晴らしき日曜日』(1947年)は、朝鮮戦争前の東京に生きる手持金僅か35円の貧しい恋人たちの日曜日を描いている。中に都心の交差点で野球に興じるランニングシャツ姿の少年たちの側を、馬の曳く荷車が横切るシーンがある。

 鹿児島の祖母たちは庭で遊ぶ僕らを見ながら、「もう、この子たちは戦争にとられないで済むんだねー」と何度語ったことだろうか。その幸福そうな顔を見て育った僕らも、愛情だけはふんだんで幸福だった。
 しかし朝鮮戦争特需は、人々の小国的幸福観をいとも簡単にぐらつかせ始めた。
 東京に転校して二年目、1960年のある朝、担任が教室に興奮して駆け込んみ「東京が世界一の大都会になった」と叫んだ。それを聞いた小学6年生は「バンザイ、バンザイ」と浮かれた。この時東京の人口は1000万人に迫りつつあった。東京の人口が膨張したのは、窮苦の果てに故郷を捨てた農民が大量に流れ込んだからである。

 
 1957年頃故郷の鹿児島県志布志では弁当が持参出来ず、昼休みに校庭の隅にうずくまる子たちが急激に増えた。山間では、集落そのものがなくなってしまった。高度成長前の農村窮乏化が始まったのだ、これは政府の方針であった。

 こういうことに人一倍敏感な大叔母は、弁当のない子たちの有様を聞いて「ぐらしかー(鹿児島弁で、かわいそう)、いくら作ってん碌な値段にならんとじゃ」と言うなり学校や役場に走った。幸いなことに町議会議長は僕にとっては伯父であり、父の弟たちも町役場に勤めていた。数日のうちに、担任が揃いの弁当箱数個を抱えて現れ、教室中に笑顔が溢れた。半年もせず給食が始まった。小さく貧しい自治体の的確な把握と素早い決断であった。東京四谷の教室にも、
九州の寒村から流れ着いた転校生が3人いた。
 

 状況に無知な「バンザイ、バンザイ」は残酷である。事ごとに世界一を目指したがる大国主義遺伝子を、この国は戦前から受け継いだのではないか。この時既に、歴史修正主義は芽をふいていた。
 自国が得意なオリンピック種目だけを、くどいほど中継するTVと新聞。日本人選手の活躍場面だけを編集して流す番組に食い入る大衆。メダルの数を人口で割れば日本はせいぜい「並」程度に過ぎないのに、メディアはいつも総数だけを流して酔い痴れる。日本の政権が、米政権に恥ずかしいほどへつらうのは、この身の程知らずで歪んだ大国意識の裏返しに過ぎない。今年の天皇交代から来年の五輪にかけて、聞くに堪えない「バンザイ、バンザイ」が繰り返されるだろう。僕は暫くこの声の届かないところに逃げるつもりだ。
 

 この国はいかなる意味でも大国ではない。自国に121箇所の米軍基地を置き、軍事・外交政策から金利政策まで自主性を持てない国の何処が、大国なのか。コスタリカやフィンランドなど小国に学び手を携える外交的叡智が必要なんだ。だが絶望したくなるほどに我々は、世界についてそして自分自身について無知で高慢である。自己の無知を知らないほど恥ずかしいことはない。
  だが沖縄には、小国として独立するという希望がある。軍事基地がもたらす経済効果は、歪な幻に過ぎない。実態は植民地支配による窮乏化にすぎない。同じ仕組みに繰り返し騙されるのは堪らない。

記 最新国連「世界幸福レポート」で日本が辛うじて58位に止まったのは、政府の施策のお陰ではない、国民自らの節制のたまもの「平均健康寿命」に依る。その他の指標、特に「国民の寛容さ」では非道く劣っている。イージスアショアに2兆円ステルス戦闘機に3兆円も費やして「幸福度」を下げ続ける国で、長寿であるとは地獄の責め苦が長くなったと言うことだ。メダル騒ぎに目を奪われている間に大切なものを失うのは、パチンコに気を盗られている間に車に残した赤児を死なせる夫婦者と変わらない。
  経済協力開発機構によれば、民間部門一人あたり賃金を2017年から1997年の20年間で比較すると、主要国で減少したのは日本だけ(9%下落)。他の諸国はいずれも上昇している、英国87%上昇、米国76%上昇、フランス66%上昇、ドイツ55%上昇。韓国は2.5倍倍に増えている。災害には同情を示すが、国民の貧しさには関心のない天皇一家にいつまで、「バンザイ」を叫ぶのだ。

もし、君の庭が貴金属だらけになったら

   夢のような幸運、たった一掴みでどんな贅沢も思いのままだ。ひとかけらの土も糞や汚物もない。大リーグ「大谷」の幸運は、さしずめプラチナか巨大なルビー相当だろうか。プロゴルフも競艇も競馬も囲碁将棋gamerもオリンピックplayerもその稼ぎ高が、画面や紙面を賑わす。それにつられ...