日本では人を「仕事」や「貢献」で評価しない傾向がある。人物の地位や血筋が人物の評価を大いに歪める。だから無能な首相の支持率が怪しくなる。日本で天皇への支持を単純に問えば、驚くべき支持率となるに違いない。そもそも多くの日本人は、そんな問い自体が不謹慎と考えている。批判を許さない「聖域」なのだ。
この国では「聖地」や「聖域」の類がやたらに増える。人気漫画の舞台になっただけで、聖地巡りが流行る安易な精神風土。同時に聖を際立たせる装置としての「穢れ」意識が根強い。自分を常に「聖」の側に置くから既存の「聖」に甘く、他者の「穢れ」に敏感になる。
かつては徳川家が、そして各地の「藩主」が批判の対象外であった。彼が「地位」に相応しいかどうかさえ問うことが憚られてきた。まして彼らが強い権限を持っていればなおさらのこと「畏れ多く」なる始末。
どんなに無能であっても、その地位が評価の対象となってきた。地位が仕事のために設けられた仕掛けに過ぎないことを、日本では了解していない。
従って具体的「仕事」に絞って評価すれば、結果は違ってくる。
米独のPR戦略会社「ケクストCNC」が去年7月に、日本、米国、英国、ドイツ、スウェーデン、フランスで新型コロナウイルスに関する国際世論調査をした。自国のリーダーがコロナ危機へ適切に対応できているかを聞いたところ、.安倍晋三首相への国民からの評価が6カ国で最も低かった。
コロナ対策で無能をさらけ出しても、支持率が下がらなかった秘密がここにある。
先ず、皇族の尊称を廃止。~子さまなどと普通ではない呼び方を止める必要がある。一方で尊称を使えば他方で蔑称を使う相手を人間は見つけたくなる。
僕はこのことと 、15歳~39歳の若い世代の死因の第1位が「自殺」であることは大いに関係していると思う。この状況は国際的にも深刻で、15~34歳の若い世代で死因の第1位が自殺となっているのは先進国では日本のみ。自殺の死亡率は、ドイツで7.7、米国で13.3、英国で6.6などだが、日本は17.8と高い。
日本の若者たちはその存在自体が尊重される度合いが極めて低い。在籍校の偏差値や部活内序列が優先される。仕事は、いつも地位や血筋が横取りするのだ。仕事そのものがやってこない、やってきても成果だけ奪われてしまう。生きる張り合いが出てこない社会なのだ。