二中の冬は、霜柱が立つ日も校庭での朝礼があった。いくら寒くても朝礼無しにならない。僕はその極寒の朝礼の中身をほとんど覚えていないのだが、自慰は体にも頭にもよくないという説教と、寒くてもポケットに手を突っ込むなという指示は覚えている。
「おい、"たわし"あれを見ろよ」と後ろからささやく声がする。視線をたどると斜め後方の教師が、ポケットに手を突っ込んでいる。ぐるっと見回すと、何人もの教師が同じ姿勢で佇んでいた。
「きたねえな」「何で生徒はイケなくて、先生はいいんだ」教室に戻りながら、口々に言う。
「"たわし"、聞いて来いよ」
こういうのはいつも僕の役目だった。昇降口の傍に立ってポケットに手を突っ込んでいた教師に、仲間数人で詰め寄った。
「どうして、生徒はポケットに手を突っ込んじゃいけないのに、先生はいいんですか」と問うと、それまでニコニコしていたのが、真顔に戻った。
「立場が違うんだ、生徒と教師は」
級友が吐き捨てるようにたたみ掛ける。
「そういうの、特別権力関係論って言うんだ」
「ごちゃごちゃ言わずに、教室に戻れ」と追っ払われた。
「なんだ、今の特別何とかというのは」
「俺も詳しいことは知らないけど、裁判で会社が働く人を煙に巻きたいときに使うらしいんだ」
彼は、かなり有名な弁護士の息子。さっそく級友連れだって聞きに行った。門のある家で、出窓が印象的だった。
応接間におしかけその場ではわかったが、ドイツでナチスが使った論理だということだけが記憶に残った。
管理主義が高校で荒れ狂った1970年代後半、僕はこの言葉を再び耳にすることになる。