小学生も憲法違反の訴訟を起こせるコスタリカ

コスタリカでは議会議事堂も質素
 「小学2年生の少年が放課後、サッカーに興じていた。ボールが校庭そばの川によく落ちた。柵がないからだ。夢中になればボールは川に落ちる。これは遊ぶという自分の権利が守られていないと、訴訟し子どもが勝った。国は柵を後日つくることになった」これは、物語の一節ではない。コスタリカの日常である。

 コスタリカでは小学入学時に、徹底して基本的人権を教える。子どもたちに理解しやすく、「人は誰でも愛される権利がある」というふうに。少年たちは、サッカーに興じる環境が十分でない現実を、自分は愛されていないと受け止めたわけである。

 最高裁の、違憲訴訟の窓口「憲法小法廷」は1日24時間、1年365日、休みなく開いている。年間1万5千件を超える違憲訴訟が行われている。自分の自由が侵されたとか束縛されたと思うなら、だれでも違憲訴訟できる。
  本人でなくてももいい。弁護士も、訴訟費用もいらない。訴えの内容を書けばいい。決まった書き方などなく、「新聞紙の端切れ」でもいい。パンを包んだ紙に書いた人もいた。ビール瓶のラベルの裏に書いた人もいた。わざわざ窓口に来なくても、ファクスで送ってもいい。最近は紙に書かなくてもよく、携帯のメールでも受け付けるという。訴えるのは外国人でもいい。小学生も憲法違反で訴えるのだ。こんな制度を作る議会を持つ国民は、幸福である。この国は、軍隊が無いだけではない。軍隊を廃止した思想と文化が根付いている。

 ある小学校に隣接する施設で、ゴミ大量投棄で汚染が広がった。臭いがひどく、落ち着いて勉強もできないし校庭で楽しく遊ぶこともできない。そう思った生徒が「私たちの学ぶ権利が侵された」と違憲訴訟に訴えた。
 最高裁はこれを妥当な訴えだと取り上げ、子どもの環境に対する権利を認め、投棄したゴミを回収し、以後の不法投棄をやめるよう判決を下した。

 別の小学校では、校長先生が校庭に車を停めたために遊ぶ範囲が狭くなったと子どもたちが訴えた。最高裁の判決は、校庭は子どもたちが好きなだけ遊ぶ場所だと定義し、校長の行為は子どもたちの権利を侵害したとして、校長に車をどかすよう命じた。
 「ささいな」ことのように思えることでも、権利の侵害はいささかでも放置しないという意識が根底にある。

 もちろん重大な違憲判断も行う。国会で審議中の税制改革の法案が取り上げられ、正当な審議プロセスを経ていなかったとして違憲の判断が下ったこともある。
 2003年に米国がイラク戦争を始めたとき、当時のコスタリカの大統領は米国の戦争を支持すると発言した。このため米ホワイトハウスのホームページにある米国の有志連合のリストにコスタリカが載った。これを見て大統領を憲法違反で訴えたのが当時、コスタリカ大学3年生ロベルト・サモラ君。「平和憲法を持つ国の大統領が他国の戦争を支持するのは憲法違反だ」と訴えた。
 1年半後、彼は全面勝訴。判決は「大統領の発言はわが国の憲法や永世中立宣言、世界人権宣言などに違反しており違憲である。大統領による米国支持の発言はなかったものとする。大統領はただちに米国に連絡しホワイトハウスのホームページからわが国の名を削除させよ」というものだ。大統領は素直に判決に従った。
  大統領を訴えたロベルト・サモラ君はコスタリカの韓国大使になった。facebook人権教室
          
 中央区議会議員 志村たかよし氏(共産党)やフリー・ジャーナリスト伊藤千尋氏のblogを参照した。

追記 大阪の不味い給食、死者や怪我人の出る体育や運動会、車で危険な通学路、遊び場のない保育園などは、コスタリカの常識では子ども自身が違憲訴訟を起こすべき事例である。幼稚園や保育園に入れない子ども、子どもの貧困、受験地獄、高い制服、茶髪禁止による被害・・・すべて、今までとは異なった観点からの闘いが期待できる。

内閣には憲法の批判権がない

 1956年3月16日、岸信介ら60名が国会に提出した「憲法調査会法案」の公聴会が衆議院内閣委員会で開かれた。
 以下は戒能通孝公述人の発言からの抜き書きである。
 「憲法の改正は、ご承知のとおり内閣の提案すべき事項ではございません。内閣は憲法の忠実な執行者であり、また憲法のもとにおいて法規をまじめに実行するところの行政機関であります。したがって、内閣が各種の法律を審査いたしまして、憲法に違反するかどうかを調査することは十分できます。しかし憲法を批判し、憲法を検討して、そして憲法を変えるような提案をすることは、内閣にはなんらの権限がないのであります。この点は、内閣法の第5条におきましても、明確に認めているところでございます。・・・内閣法のこの条文は、事の自然の結果でありまして、内閣には、憲法の批判権がないということを明らかに意味しているものだと思います。
 ・・・内閣に憲法改正案の提出権がないということは、内閣が憲法を忠実に実行すべき機関である、憲法を否定したり、あるいはまた批判したりすべき機関ではないという趣旨をあらわしているのだと思うのであります。
 憲法の改正を論議するのは、本来国民であります。内閣が国民を指導して憲法改正を企図するということは、むしろ憲法が禁じているところであるというふうに私は感じております。・・・
 元来内閣に憲法の批判権がないということは、憲法そのものの立場から申しまして当然でございます。内閣は、けっして国権の最高機関ではございません。したがって国権の最高機関でないものが、自分のよって立っておるところの憲法を批判したり否定したりするということは、矛盾でございます。
 こうした憲法擁護の義務を負っているものが憲法を非難する、あるいは批判するということは、論理から申しましてもむしろ矛盾であると言っていいと思います。」1956(昭和31)年3月16日 第24回国会 衆議院内閣委員会公聴会
  全文は  http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/024/0634/02403160634001a.html

   幼稚な者ほど無邪気な「全能」感に浸ることができる。でたらめの呪文で、蟻や鶏を意のままにできると思い込む。根拠などない。二学期も終わろうとする頃、野球部の三年生が
 「先生、オレ東大に決めたよ」と唐突に言う。
  「そうか、勉強する気になったか」
  「そうじゃないんだ、六大学の試合に出るのが夢なんだけど、東大以外の野球部のレベルは高すぎてとても試合には出られないでしょ。東大野球部だったら、死に物狂いで練習すればなんとかなると思うんだ。どうです、いいアイディアだと思いませんか。浪人はできないし」真剣な顔でいう。
 「受験勉強はどうするんだ、東大の入試問題を解いてみたか」彼が見せてくれたのは、高校入試向けの漢字の書き取り練習帳。
 「入試問題は見てないけど、余裕ですよ」と自信満々である。僕は言葉を失ってしまった。
 行政のTopから議員、自治体首長に至るまで、根拠のない「全能」感に浸っているとしか思えない。すがりついている唯一の藁は、当選したということだけである。当選とは全権委任だと思い込んで、反論しよう者なら「じゃ、落選させたらいい」という。
 幼稚でなければ持てない政治的な全能感を戒能通孝は、徹底的に戒めている。しかし議員が幼稚で、戒能通孝のいうことを理解できていない。子どもの幼稚さと違って、権力を持った者の幼稚さは始末が悪い。
  学校が校則を作るときも、これに類似した「全能」感に犯されている。政府や教委への抵抗が不能であるほど、生徒に向けた言動は、愚かな自信に満ちるのである。


日馬富士事件の何が問題か

   会社の上司に「たばこ買ってきてくれ」と頼まれ、クラブの「先輩」に「これ洗っといて」と言われても、断ることができる。断ることができるとは、断ったせいで何の不都合もおきないということである。上司が部下に指示できるのは、労働契約に明記された業務についてだけである。軍隊の上官が部下に命令できるのは、兵営内または戦場の軍務に関することだけである。しかもその命令が正当性を欠いている場合は、拒否しなければならない。クラス担任や部活顧問が「あいつは鬱陶しいから、無視しろ」と生徒に言ったら、勿論従う必要はない。
 しかし、日本の職場では宴会でもわざわざ「今日は無礼講」と断わらねばならぬほど、封建的人間関係が至る所至る事柄に無原則に拡大している。
パンダに虚構はない
 横綱の権威もあくまで土俵上のこと、外へ出て酒を飲むのなら、一介の個人友人として接しなければならない。横綱は人格的にも優れていなければならないというのは、表看板に過ぎない。もし「人格云々」を本気にするのなら、今横綱は一人もいない。人格者力士が出るまで10年でも50年でも待たねばならない。営業上の理由で安易に横綱に祭り上げて「人格者」のはずともて囃すから、尊大になる。説教しなければならないという気になる。部活で中学生がたった一才や二才の違いで「先輩」と奉る悪習は直ちに止めて、名前で呼ばねばならないのである。
 「憲法を守る覚悟」とはこういうことである。将軍と兵卒が同級生なら、兵営を一歩出れば平等な友達であり、敬語なしで語り合える。だからこそ我々は、多様な世界観を共有でき、学びあい互いに「真実の発見」に向けて対話できるのである。立場は忘れねばならないのである。

   銀座の外れに、不思議な飲み屋がある。企業のtopを勤め上げた人間が一人で飲む店である。社長・会長と持て囃された男が引退間際になって気がつくことがある。それは、自分自身のきらびやかな日常が、地位を取ってしまったら何も残らないのではないかという恐怖である。いい例が身近にたくさんある。例えば、先代社長だ。引退とともに年賀状も進物も激減、来客も絶える。だから企業は、社長の上に会長さらに顧問と頂上を限りなく高くした。しかし中身のない張りぼてがふやけて膨らんでいるだけである。
 彼らは「人生をやり直すとしたら、何になるか」との質問には、口を揃えたように「売れない詩人」とこたえる。売れないと限定がつくのは、虚飾が一切ないからである。
 団塊の世代以降に面白い一群がある。将来を嘱望されながらも、目立たない地方公務員となり決して昇進試験は受けない、残業もしない。休みは年休も含めて目一杯取る。そして儲からない、人の注目しない研究や趣味に打ち込むのである。学会ぐらいは参加するかもしれないが、物静かである。

  後漢書『逸民伝』の厳光を想う。彼は若き日の光武帝と共に遊学した仲であったが、光武帝の即位を耳にすると、名前まで変えて世間から隠れてしまう。光武帝は、厳光の偉さを思い捜しだすが、厳光は度重なる招きにも皇帝直々の訪問による誘いも「私には志がある、無理を言うな」とけんもほろろに断ってしまう。皇帝が「朕は昔よりよいか」と聞けば、「少しはまし」と答える始末。それでも皇帝は彼を高官に任ずるが、厳光は山に籠もり百姓をして一生を終えてしまう。『逸民伝』にはこうした人物が大勢出てくる。逸脱した人間の中からしか、ラジカルな変革は始まらない。

  横綱という虚構の地位、オリンピックやノーベル賞のメダル数、業界一位という自惚れ、偏差値、大会優勝実績、・・・こうしたものが我々の日常を席巻して、人と組織を傲慢にしている。日馬富士問題の間違いは、相撲をスポーツと同列に商業化しながら、部屋制度や横綱という虚構に寄りかかったことにある。虚構を虚飾で誤魔化そうとするから、実態がベールの覆われ相撲協会の問題になる。まともなら、本人同士で決着をつけて警察に任せる単純な問題である。加計学園問題を押しつぶして報道する事柄ではない。 
  僕は、健康からほど遠い体型になった人間の組み合いや競争に熱狂するファンを残酷な人々だと想う。

頑固に茶髪禁止と闘うために

 赤ひげ診療譚』の新出去定や眠狂四郎の赤毛はどうなるのか。大阪府立懐風館高等学校では、図書館からこれらの登場人物のあるページを墨塗するのだろうか。
赤だろうが黒だろうが禿げていようが、問題はその中身と心。
 酷い学校があるものだ。3年生の女子生徒が、生来茶色い頭髪であるにもかかわらず、学校は黒く染めるよう強要、精神的苦痛を受けたとして損害賠償を府に求める訴えを大阪地裁に起こしている。入学時は1,2週間ごとに黒染めを「指導」し、2年の2学期からは4日ごとに「指導」。度重なる染色「指導」で生徒の頭皮はかぶれ、髪はぼろぼろになった。何が「指導」のつもりなのか。ナチスも虚構の金髪碧眼に拘ったが、染めろとまでは言っていない。
   学校は、原告代理人弁護士に「茶髪の生徒がいると学校の評判が下がるから」だと説明、さらに「たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒染めさせることになる」とまで言っている。今年度の生徒名簿に女子生徒の名前を載せておらず、教室には席もない。
 参加させない修学旅行のキャンセル料金まで請求する神経は、ナチスが抵抗者たちを銃殺しておいて、死刑執行の費用を家族に請求した血も涙もない仕打ちを想い起こさせる。  

  「評判が下がる」とは、茶髪禁止を求める声が寄せられているということだろうか。大抵は経験の浅い教師の勝手な思い込みに過ぎない。
 一学年が10学級もある高校で担任をしていた時のことである。学区域が非常に広いため、学級PTAをいくつかの地域に分けて行ったことがある。平日の夕方から、公民館だから、仕事のあるお母さんも参加した。校長も面白がって加わった。司会は学級PTAの世話役にお願いをした。僕はこんな時、学校からの連絡などは一切しない。
  いきなりだったと思う。あるお母さんが
 「制服をきちんと着せてくれませんか、校則通りに」と言う。毎朝親子の言い争いがあって閉口しているらしい。親が嫌なものは、教師も嫌なものだ。朝から生徒も教師も不快になる。
  「僕は、憲法や子どもの権利条約を教えています。人権の概念は特に丁寧にやります。服装は表現の自由の範疇に含まれます。たとえ国家権力であっても奪えないのが人権だと教えていながら、服装や頭髪を制限する行為をやっていいものだろうか。僕はいつも悩みます。自分で教えたことを自ら裏切る。それは教師として絶対にやってはいけないことだと思っています。皆さんのご意見をいただきたい」お母さんたちにとっては、意外な展開だったらしく、しばらく戸惑いがあった。
  「先生が、隣に校長先生がいらっしゃるのに、言い辛いことを言ってくださったので私も正直なところを言います。私は、娘にもっとかわいくなって欲しいと思って、いつもシャツの襟に刺繍のあるものを薦めています。いつか担任の先生から叱られると心配していましたが、今の話でホットしました」この発言を切っ掛けに座が和やかになったので、司会と相談してしばらく自由に歓談してお茶を飲むことにした。いくつかのグループになっているところを僕も校長も聞いて回った。最初のお母さんは、いろいろな意見があることに安心して、「今度は、カリカリせずにこれも似合うわよと言おうと思います」と言っていた。話が弾んだので最後まで中断しないことにした。
  「都立高校で一番偉いのは、誰だという話を授業でします。ここにいる校長ではありません。校長を選ぶ教育委員会でも都知事でもありません、都知事を選んでいる皆さんです。校則も教員が一方的に作るのではなく、生徒や一番偉い父母の意見を反映させなければなりません」とまとめた。

  服装や頭髪への親からの要望の本音を聞く必要がある。評判はいわば「現象」に過ぎない。その裏には生徒と親の実態がある。少なくともそこにまで掘り下げる努力を惜しんではならない。
  事前によく調べて、学校を選ぶべきだと言う。しかし選択するとはどういうことだろか。現にこの高校も、裁判に訴えた生徒に「黒く染めるか、学校をやめるか」と選択を迫ったのである。この国に自由な選択は存在しない。

 生徒や父母か望んでいるのは、学校の評判ではない。 生きた高校生の溌剌とした姿と穏やかな家庭の日常である。それを破壊することを、学校も教師もしてはならない。僕はそれを、平凡な人権と呼びたい。
   新出去定や眠狂四郎が、何も言われないのは強いからである。「子どもの権利条約」や憲法の授業は、君たち高校生を強い意志を持った主権者にするためにある。

違式註違(いしきかいい)条例

違式も註違も罰金を指している
  薩長による維新政権は、文明開化を焦って文明のかたちに煩かった。1872年東京府知事は「違式註違(いしきかいい)条例」を発令。刺青、男女混浴、春画、裸体、女相撲、街角の肥桶などから、肩脱ぎ、股をあらわにすること、塀から顔を出して笑うこと等76箇条を「文明国」に有るまじと決めつけ、軽犯罪としている。
 「裸や肌脱ぎがいけないというなら、いつも肌脱ぎしているお釈迦様はどうなんだ」と噛み付いた新聞(「新聞雑誌」第50号)もあったが、武力と不平等条約に屈した支配層は青い眼の、日本のあれが文明的でない、これが野蛮であるとの視線に神経質になった。 江戸でも女性が路地で行水を使っていた。それほど治安が良かったのであり、裸は風雅なものでもあった。それはむしろ誇るべきことである。しかし女性の行水に英米婦人が野蛮・淫猥と眉をしかめれば、たちまち裸禁止令を出した。盆踊りや裸足が槍玉に挙がった所さえある。欧米の眼差しや思惑を過剰に忖度して、恥ずべきでないことを恥じる。その卑屈さは、「文明国」にあるべからざる事物への侮蔑的な眼差しを生んだ。
 通りすがりの光景に眼尻を立てる「文明人」の一瞬の嫌悪感は、深い考察を伴うわけではない。肥桶が臭いと言えば、それは安全で良質な肥料であり、数百年わたって百万都市の衛生を担って成功していたことを自認して誇り、他方で衛生思想も学ぶ。裸や混浴が淫猥で不道徳と言うものがあれば、裸と性行為を結びつける者こそ淫乱と論議して、道徳習慣についての相互の寛容性を惹起する。それが教養であり、矜持である。
  現に学校教育においては、教育令で「凡そ学校に於いては、生徒に体罰を加うべからず」と規定。世界で最も早く体罰を法によって禁じたとされるフランスに先んじること8年の1879年であった。教室に鞭を常備し続けた英国の外交官オールコックは幕末の日本に体罰のないことに感銘を受け、欧州の子どもへの体罰を「非人道的にして恥ずべき」と書いている。ここでは日本の独自性と矜持は賢明にも維持されたのである。
 だが、裏声で攘夷を絶叫していた薩長が長英・薩英戦争で敗北、その英国の後押しで政権にありつくや、一転して英国人にとっての「不快」な存在そのものを禁止・排除・抹殺して迎合しご機嫌伺いするのをくい止められはしなかった。敗北してなお保つ小国らしい矜持はここにはない。 註 既に、植民地的従属性に彩られた全体主義的絶滅思想の腐臭がある。
 こうして叩かれた一つが、ハンセン病浮浪患者だった。彼らの実態は貧困にある。急激な膨張で悪化する「帝都」の衛生状態を放置し、チフス・コレラ・赤痢など伝染病死者が万を越える。それでもお上は貧民・患者救済には目もくれず、慣れない洋装で鹿鳴館通いの乱痴気騒ぎに興じて、御殿造営、軍備増強、爵位・勲章の乱発には抜かりなく、それを文明開化と呼ばせた。
 日本贔屓のお雇い外国人医師ベルツも、この騒ぎには眉をしかめている。
  今の日本人は自分自身の過去については、もう何も知りたくないのです。それどころか、教養ある人たちはそれを恥じてさえいます。「いや、なにもかもすっかり野蛮なものでした」・・・「われわれには歴史はありません。われわれの歴史は今やっと始まるのです」と断言しました。・・・わたしが本心から(日本のの伝統に)興味を持っていることに気がついて、ようやく態度を改めるものもありました。      
 千年の都の鎮守の森や仏閣も崩れるに任せ、写楽や歌麿を塵芥に仏像は煮炊きに使う始末。それが益々外国の敬意を遠ざけることをベルツは指摘している。
 後藤昌文らの漢方医学には誇るべきものがあったが、政策的に一掃され、 註 大きな禍根を残すことになる。
 片足を「文明」の側に置いたつもりの日本は、「文明化」のためには「旧弊墨守」の隣国侵略さえ厭わなくなる。その日清戦争の結果に虚構の「一等国」意識が沸きたつ中、居留地制度廃止(1899年)。外国人が日本中を自由に往来居住して、浮浪患者も頻繁に「文明人」の目にふれる。更に日露戦争「勝利」に酔い痴れて、一等国に有ってはならない恥ずべき」という言葉がハンセン病に付いて回るようになる。 註
 後に、「救癩」の看護婦三上千代は「文明国民」の心得を説いている。
 美はしき日本の土よ、桜咲く国よ、富士の霊峰に、大和魂に誇の多き我国、殊には、畏れ多くも、万世一系の皇統を頂く、世界に比類なき、神々しき我国に、生を受けた我々は、如何ばかりに恵まれた国民でありませう。然し乍ら、茲に我らに、唯一の恥辱がのこされてあります。それは「癩病の一等国」といふ、有難くない名称でよばれて、列国から侮辱されてをる事であります。・・・・・・・これが未開の野蛮国なら、さまで目障りにならぬでありませうが、如何にせん、文明国といふ正装の手前、実に嘆かわしい面汚しではありませんか。    

 「文明国といふ正装」という普段着を忘れた言い回しが、救癩は隠癩に過ぎないことを自白している。病気は不運なものであっても恥ずべきものではない。
 1905年の帝国議会で、ハンセン病をペスト並みと決めつけ隔離を要求する議員に、内務省衛生局長は、「(伝染病予防法は)急劇ナル伝染病ニ対スル処置デアリマスカラ、或ハ隔離ト云ヒ、交通遮断ノ如キ、其他此多クノ処置ハ、癩病ニ対シテ、直チニ適用ハ出来難イ」と隔離を退けている。
 この年だけで9万6000を超える死者を出した結核の心配をしなければならないことは明白であった。赤痢・チフス死者も万を越し、コレラや痘瘡も定期的に猛威を振るっていた。他方ハンセン病死者(その殆どは併発した病気で死亡)は既に減少傾向にありこの年、2千余。結核死亡者は増加を続け1943年には17万を超してしまうのである。
                       拙著 『患者教師と子どもたちと絶滅隔離』地歴社                                                                                       
追記 日本は第二次大戦に敗北するまで、負けたことがないわけではない。 1863年 薩英戦争と1864年馬関戦争で負けている。その薩長が明治政府を構成したのだから、明治維新は敗戦から出発している。戦争前は蛇蝎の如く嫌っていた相手を、敗北するや、武力と不平等条約に屈し、過剰に忖度する性癖は、昔も今もこの国に満ち満ちて実に鬱陶しい。 その典型が不平等条約や「違式註違(いしきかいい)条例」と鹿鳴館である。今それは、日米安保条約と地位協定である。異なるのは明治政府が、不平等条約の解消に力を注いだのに対して、現政権は「日米安保条約と地位協定」に依存していることである。

フランス刑法では「デモを妨げる行為は、禁固刑と罰金」

 フランス刑法431条1項 「表現、就業、結社、集会、もしくはデモを妨げる行為は、共謀及び脅しを用いた場合は1年の禁固刑及び1万5千ユーロ(約208万円)の罰金、暴力及び損壊行為によるによる妨害の場合は3年の禁固刑及び4万5千ユーロ(約625万円)の罰金に処す」
 学校や企業が校則などでこれらを禁じたり、差別することを、政府が監視・規制するのである。
 公道で実施されるデモや集会については、15日から少なくとも3日前までに都道府県の警察に届ける義務が伴う。警察当局がデモを公の秩序を乱す性格のものであると判断した場合には、これを禁止することができる。しかしデモの禁止は「重大な問題が起きる実際上の危険性が認められ」かつ「デモの禁止以外に公の秩序を維持する有効な代替手段が無い」場合だけ。同時に警察労組が、効果的なデモなどについての助言もする。
 フランスではデモや集会などは、すべての市民の権利としての位置づけが確立している。

 かつてフランス東芝労働者が、職場の実態を共産党機関誌「ユマニテ」に証言したことがある。東芝は激怒して「東芝には東芝の掟がある」と当該労働者を解雇した。仏政府も裁判所も世論も労働者を擁護した。 

 高校生の政治的行動を、校則で禁止することを政府が認めることが、国際的にはいかに狂気の沙汰であることか。政治活動の自由は、憲法第21条が表現の自由として保障している基本的人権。基本的人権は、高校生であろうが成人であろうが、たとえ小学生であっても保障される。ただし「子供の権利条約」では、子どもの権利を制限するのではなく、年齢にふさわしい援助を大人がすることを義務づけている。
  高校生のデモや集会などの政治活動について文科省は、学校現場向けの「Q&A集」を作成。例えば、休日に校外の政治活動に参加する場合、学校への届け出を校則で義務づけることを容認、高校生の政治的諸権利を侵害する腹である。
 60年安保では、小学生の隊列があったことを忘れてはならない。当blog「反安保のデモ隊列に小学生がいた頃」

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...