無編集の国会中継は最良の政治教育

  衆議院も参議院も中継のweb-site を持っている。視るだけで 首相や大臣の言語能力が如何に貧困か、官僚がどこまで国民を舐めているか良くわかる。新聞やテレビで編集される前と後はどう違うかも一目瞭然。

 昼休みも放課後も見せよう。与党議員がどんなに浅ましい迎合発言をして時間を潰すか。情報公開法に基づいて国会に提出される文書が黒塗りだらけであることも、スマホで暇つぶしする議員がいることも知ることができる。


 ここまで酷い閣僚や官僚の発言を目の当たりにすれば、昔はどうだったのか、外国の国会はどうなっているのか知りたくてウズウズする。まともな議員や政治家はいたのか。

亀次郎の演説にはいつも数万の島民が押し寄せた

 彼らはどんなことをし、どんな目にあったのか。

 公僕と呼ばれる官僚は何に忠誠を尽すべきなのか。

 選挙制度はどのように変化してきたのか。

 授業で展開すればいい。

 石橋湛山や中野重治・羽仁五郎そして山本宣治がいかに権力に抗したか、思い起こす必要がある。瀬長 亀次郎に関心を寄せる者も少なくないはず。沖縄と憲法の関係も分かり易くなる。


 日本と同じ議院内閣制のドイツの国会には、大きなテーマを扱う「大質問」、毎週政府が議員の質問に答える「質問時間」や「時事討論」などがある。ここ10年ほどをとると、問件数で野党が占める割合は大質問で98.4%、質問時間で80.7%、時事討論で99.1%。ほとんどすべてを野党が占めている。ドイツでは国会の主な役割を「立法と政府統制」と位置づけ政府への厳しい質問は不可欠。野党を重視するのが、国際的な常識となっている。  どの国も野党に対し、質問の時間や件数を議席の比率よりも多く配分している。議会には政府をチェックする役割を担うからである。

「掟」は若者にではなく、権力者に例外なしの罰則付きで

 Vigorous writing is concise. A sentence should contain no unnecessary words, a paragraph no unnecessary sentences, for the same reason that a drawing should have no unnecessary lines and a machine no unnecessary parts. This requires not that the writer make all his sentences short, or that he avoid all detail and treat his subjects only in outline, but that every word tell.

   これは百年前の英作文の名著The Elements of StylekのOmit needless words.からとった。

  説得力ある文章は簡潔である。文章に不必要な言葉を加えてはならないし、段落に不必要な文を加えてはならない。絵に不必要な線があってはならず、機械に不必要な部品があってはならないのと同様に。

  これは文はすべて短く書かなければならないとか、細部は省き概要のみにせよと論じているのではない。それぞれの言葉に語らせよと主張しているのだ。


  例えば漱石の『草枕』の冒頭や藤村の『夜明け前』書き出しに、新たな言葉を付け加えても省いてもその見事な描写は崩る。
   北斎の『赤富士』や写楽の「三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」に余分な線はひとつもない。


 学校が自由で民主的であろうとするなら、些末な校則は何一つあってはならない。自主性や批判精神が育たないからである。都立高の4割が「地毛証明」を求めている。

   エキセントリックな服装、髪型、言葉遣いを規制すれば、秩序は回復するとみている。そうではない。僕らは、エキセントリックな行為を通して、屈しない自尊心の成長過程をみることが出来る。

 当blog『「突っ張るのって疲れるのよ」 何もしないという作為』 ←クリック  を再引用する。


    二人は二学期になるや、準備室にやってきた。

 「ねえ、褒めてやってよ」といきなり言う。

 「今日の○○、かわいいでしょ」 

 「いつもかわいいじゃないか」と言うと○○さんが照れている。

 「そういえばいつもと違ってる」

 「でしょ、スカートも短くなったし、化粧もしてないでしょ」

 「うーん、美人になったし賢く見える。」

 「・・・一年生の時は私たち別々のクラスで浮いてた。友達は出来ない、つまんないことで担任にガミガミ叱られてばっかり。でも負けたくないから突っ張るしかないじゃない」

 「二年になって同じクラスになって、似たもの同士ですぐ友だちになった」

 「それで、このクラス何となく居心地がいいのよ、先生もぼーっとしてるし、気が付いたら突っ張る必要がない、突っ張るって疲れるのよ、だからやめちゃった。そしたら親も急に優しくなるし、・・・」

 「だからさ、褒めてやってよ、えらいでしょ」 

 「えらいよ、二人とも。突っ張るのは疲れると気付いたのも、その友だちの変化に気付いて「えらい」と言ったのも」

 「私も突っ張るのやめるよ、ほんとだよ」


   この少女は、数学では天才的能力を持っていた。数学の授業は熟睡していても試験は満点。 試しに最も難度の高い大学入試問題を与えると、暫く考えて易々と解く。しかも模範解答より美しく短い。字の配列もバランスがとれて美しい。明晰という言葉が浮かんだ。だが数学の教員は、やれば出来るのに寝てばかりいるとおかんむりで、いい成績はつかなかった。僕はその分野に進学させなければならない、と考えいろいろ試みたが、彼女はすっかり臍が曲がってしまっていた。

 学校は、生徒の才能を探り当て伸ばすことはなかなか出来ないが、漸く芽生え大きく成長し始めた才能を打ち砕くことだけは確実にやり遂げるのである。これがプラス・マイナスゼロならまだ救いはある、どう見ても大きな欠損である。

追記 彼女は高校卒業後、いくつかの職場をアルバイトで転々した。数年してある外資系金融機関に応募したが、面接でけんもほろろに扱われた挙げ句不採用。憤慨して同じ会社に再挑戦、別の管理職が面接して採用された。数字が様々な風貌を見せて飛び交う職場である、彼女は暇に任せて、店内に散らばる数字・データーを整理して忽ち業務上の問題点を発見、改善案も加えて本社に提出した。一年も経たぬうちに支店長に指名され、大卒の社員を使うことになった。彼女の話を聞いているうちに、彼女の頭脳には三次元のEXCEL構造がつくられ、縦横に複雑な演算をこなしているようで感心させられたものだ。北欧なら彼女はこれからでも大学に進み、めざましい業績を挙げるだろう。

  異質な教科の点数を単純合計したものを統計処理すれば、なにか崇高なものが現れると思っているのか。膨大な手間暇かけて莫大な利権を生む仕掛けとしての偏差値。青少年を萎縮させ、詰まらぬ傲慢をまき散らしても来た。彼女のような若者を一体どれほど送り出しているいることか。


  罰則付きの強い規制をかけて言動を監視しなければなららないのは、大人の権力者であって学ぶ最中の若者ではない。「金は返しました」「謝りました」「記憶にありません」で地位に留まり特権を享受し続けるのなら、高校生に罰を加える所以はない。

  

靨の中へ身を投げばや

 靨(えくぼ)の中へ身を投げばやと 思へど底の邪が怖い



 閑吟集』は室町時代の末、16世紀始めに成立。

 

 「富士の遠望をたよりに庵をむすびて十余」年の世捨て人が編んだ歌謡集。

   邪は蛇にかけてある。


 江戸時代の超現実主義としては、落語の『あたまやま』がよく知られている。しかしこれは更に古い。

 冬の深川沖埋立地の波間に浮かぶ棺桶を、上空から狙う鷲、更に上空には漆黒の宇宙空間。

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...