Vigorous writing is concise. A sentence should contain no unnecessary words, a paragraph no unnecessary sentences, for the same reason that a drawing should have no unnecessary lines and a machine no unnecessary parts. This requires not that the writer make all his sentences short, or that he avoid all detail and treat his subjects only in outline, but that every word tell.
これは百年前の英作文の名著The Elements of StylekのOmit needless words.からとった。
説得力ある文章は簡潔である。文章に不必要な言葉を加えてはならないし、段落に不必要な文を加えてはならない。絵に不必要な線があってはならず、機械に不必要な部品があってはならないのと同様に。
これは文はすべて短く書かなければならないとか、細部は省き概要のみにせよと論じているのではない。それぞれの言葉に語らせよと主張しているのだ。
例えば漱石の『草枕』の冒頭や藤村の『夜明け前』書き出しに、新たな言葉を付け加えても省いてもその見事な描写は崩る。 北斎の『赤富士』や写楽の「三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」に余分な線はひとつもない。
学校が自由で民主的であろうとするなら、些末な校則は何一つあってはならない。自主性や批判精神が育たないからである。都立高の4割が「地毛証明」を求めている。
エキセントリックな服装、髪型、言葉遣いを規制すれば、秩序は回復するとみている。そうではない。僕らは、エキセントリックな行為を通して、屈しない自尊心の成長過程をみることが出来る。
当blog『「突っ張るのって疲れるのよ」 何もしないという作為』 ←クリック を再引用する。
二人は二学期になるや、準備室にやってきた。
「ねえ、褒めてやってよ」といきなり言う。
「今日の○○、かわいいでしょ」
「いつもかわいいじゃないか」と言うと○○さんが照れている。
「そういえばいつもと違ってる」
「でしょ、スカートも短くなったし、化粧もしてないでしょ」
「うーん、美人になったし賢く見える。」
「・・・一年生の時は私たち別々のクラスで浮いてた。友達は出来ない、つまんないことで担任にガミガミ叱られてばっかり。でも負けたくないから突っ張るしかないじゃない」
「二年になって同じクラスになって、似たもの同士ですぐ友だちになった」
「それで、このクラス何となく居心地がいいのよ、先生もぼーっとしてるし、気が付いたら突っ張る必要がない、突っ張るって疲れるのよ、だからやめちゃった。そしたら親も急に優しくなるし、・・・」
「だからさ、褒めてやってよ、えらいでしょ」
「えらいよ、二人とも。突っ張るのは疲れると気付いたのも、その友だちの変化に気付いて「えらい」と言ったのも」
「私も突っ張るのやめるよ、ほんとだよ」
この少女は、数学では天才的能力を持っていた。数学の授業は熟睡していても試験は満点。 試しに最も難度の高い大学入試問題を与えると、暫く考えて易々と解く。しかも模範解答より美しく短い。字の配列もバランスがとれて美しい。明晰という言葉が浮かんだ。だが数学の教員は、やれば出来るのに寝てばかりいるとおかんむりで、いい成績はつかなかった。僕はその分野に進学させなければならない、と考えいろいろ試みたが、彼女はすっかり臍が曲がってしまっていた。
学校は、生徒の才能を探り当て伸ばすことはなかなか出来ないが、漸く芽生え大きく成長し始めた才能を打ち砕くことだけは確実にやり遂げるのである。これがプラス・マイナスゼロならまだ救いはある、どう見ても大きな欠損である。
追記 彼女は高校卒業後、いくつかの職場をアルバイトで転々した。数年してある外資系金融機関に応募したが、面接でけんもほろろに扱われた挙げ句不採用。憤慨して同じ会社に再挑戦、別の管理職が面接して採用された。数字が様々な風貌を見せて飛び交う職場である、彼女は暇に任せて、店内に散らばる数字・データーを整理して忽ち業務上の問題点を発見、改善案も加えて本社に提出した。一年も経たぬうちに支店長に指名され、大卒の社員を使うことになった。彼女の話を聞いているうちに、彼女の頭脳には三次元のEXCEL構造がつくられ、縦横に複雑な演算をこなしているようで感心させられたものだ。北欧なら彼女はこれからでも大学に進み、めざましい業績を挙げるだろう。
異質な教科の点数を単純合計したものを統計処理すれば、なにか崇高なものが現れると思っているのか。膨大な手間暇かけて莫大な利権を生む仕掛けとしての偏差値。青少年を萎縮させ、詰まらぬ傲慢をまき散らしても来た。彼女のような若者を一体どれほど送り出しているいることか。
罰則付きの強い規制をかけて言動を監視しなければなららないのは、大人の権力者であって学ぶ最中の若者ではない。「金は返しました」「謝りました」「記憶にありません」で地位に留まり特権を享受し続けるのなら、高校生に罰を加える所以はない。