「高度成長期にあった一九六七年の新聞のテレビ欄を見る。今と大違いなのは子ども向けアニメ番組の数である▼「魔法使いサリー」 「リボンの騎士」 「悟空の大冒険」…。午後六時、七時台を中心に一週間に十を超える作品がひしめく。子どもがたくさんいた時代らしい▼創成期のアニメ業界は子どものためによく働いてくれたものだと今さらながら感心する。」 2023/07/23 東京新聞「洗筆」
高度成長期は子どもが大勢いたから、子ども向けアニメ番組が増えたのか。そうではないだろう。時代が大人が政治が子どもを大事にしていた。僕は団塊の世代だが、祖父母や両親、大叔父、大叔母そして近隣の大人達が「もう、この子たちは戦争に行かなくても済むんだね」と、ことあるごとに庭や路地で遊ぶ僕らを眺めながら語っていたのを思い出す。彼らにとって、「戦争放棄」は掛け替えのない喜びであった。
今憲法そのものを槍玉に挙げる風潮の中で、大人たちは子どもの何に喜びを見いだしているのか。子どもをどこに向けようとしているのか。行政もメディアも子どもを「ゲーム」漬けにするのに躍起だ。全生徒に配布されるパソコン端末は「ゲーム」し放題。TVは公営ギャンブル中継の類いが花盛り。これは子どもを将来の「カジノ」予備軍と見て、期待しほくそ笑んでいるからに他ならない。子どもの尊厳はどこに行った。生きた存在そのものが大切ではないか。不確か極まる「稼ぎ」とは無関係でなければ尊厳は無い。善意のつもりの親や教師や行政が「稼ぎ」高に目を奪われた途端、大人から「子どもの尊厳」は消える。行政も教師もmediaも、愚かな「博奕」打ちになろうとしている。
ソニー生命「将来なりたい職業」調査によれば、一位・youtuber 二位・プロe-sportplayer 三位・起業経営者 そして五位にはゲーム実況者 六位プロsportplayer が2021年男子中学生に選ばれている。手っ取り早く稼げることへの圧力が高いことが読み取れる。
こうした少年たちが大人になれば、稼ぎの少ない親や学校、資産の無い親や老人を蔑むに違いない。資産額や地位だけに目が向き、人間の尊厳への関心は絶滅する。既に政治はその方向に突っ走っている。出来れば資産や地位だけを残して消えて欲しいと言わんばかりに。大谷人気さえ所詮は資産価値にすぎない。球団にとっては観客動員収入、fanにとってはマニアグッズの値上がり。囲碁将棋人気も所詮は資産価値。
この異常な狂気は「フランス人のペタンク好きや嵐寛寿郎の掃除好き」と比べるとよく分かる。このことについては、当blog「平凡な自由」は青い鳥ではない に書いた。https://zheibon.blogspot.com/2019/12/blog-post_23.html
われわれは、仕事やスポーツを人生の楽しみとして捉えることが出来ない。いつも勝ち負けや成果、そして興行資本の日程に縛られている。これはとてつもない不幸だ。