偏差値と勤評 Ⅲ 何故教育現場は「平穏に」後退し続けるのか

 ・・・教師と学生は、教育が危機に瀕しており、この危機の責任は相手にだけあると決まり文句のようにくりかえしている。しかし、彼らは自分たちが抱いている不安の原因を全く理解していない。
我々の教育システムに対する最もありふれた診断は、それにあるスローガンを与えて、その機能不全を耐えられるものにしようという一種の正当化にほかならない。もし教育的行為の多くがその目的を達成しておらず、しかもその当事者たちが反乱を起こすこともないというのが本当なら、〔大学教育に対する不満から生ずる〕呪いによってしか、また〔ある特定の〕イデオロギーによってしか告発されない理解不全の社会的、心理的機能を問い直してみるのも意味のないことではあるまい。
 今日のフランスの大学の機能を圧迫している多くの物質的困難が、その教育的関係の悪化に、決定的とも言える大きな影響を与えていることは疑いない。だが、教育的関係が一つのシステムであるということを認識しょうとしないなら、現実の状態を変えることは不可能であろう。つまり、その担い手たち〔学生と教師〕の態度が機能的に相互に結合されている限りにおいて、また彼らの〔主体的〕態度が教育の物質的、制度的な条件との相互に因果的な関係を維持する限りにおいて、それはシステムとして (よきにつけ悪しきにつけ)機能し続けるのだ。高等教育がかくも強固に革新に抵抗するのはなぜかと言えば、それは目に見える緊張と対立を越えて、おそらく高等教育がもたらす実際の安全と、この高等教育が生み出すフラストレーションとの均衡を保つように、高等教育が一つのシステムとして機能しているからである。要するに、教師と学生間の言語的理解不全の原因の研究は、高等教育がこのシステムの永続化に寄与している諸機能の研究と切り離しがたいのである。より一般的に言えば、システムにたいする〔主体的〕態度の変更を伴わないようなシステムの改革を目指すいかなるこころみも(また逆に、システムの改革を伴わない態度変更も)失敗に終わらざるを得ないということである。
                  ブルデュー『教師と学生のコミュニケーション』藤原書店


 これは、ブルデューが『教師と学生のコミュニケーション』藤原書店 でフランスの高等教育に現れる困難について調査分析した論考である。これを日本の教育全般に読み替えてみる。
 読み替えてみると、日本の教育危機のただならぬ広汎な広がりに驚く。例えば
  「教師と学生は、教育が危機に瀕しており、この危機の責任は相手にだけあると決まり文句のようにくりかえしている」。 
 ブルデューは、「彼らは自分たちが抱いている不安の原因を全く理解していない」と苛立ちを隠していない。だが僕は「危機の責任は相手だけにある」と言い合う関係が成立するフランスの大学をうらやましく思う。なぜなら「不安の原因を全く理解していない」が「不安が、そこにあることは、共通の認識になっている」からである。
 我が国では、例えば、偏差値による選別体制が成立して半世紀が流れたが、それが実に頭の痛い問題であることの共通理解はない。むしろ相互依存・共犯関係にある。子どもや親にとって「偏差値による選別」は不利な選択をしないためにメリットがあり、学校にとっては「劣った少年」を排除するメリットがある。少なくともそう考えて、まるで金縛りに遭ったように思考を停止している。思考停止のうちに現状を維持出来るリットは、偏差値体制の上位者と上位校ほど大きい。偏差値体制を廃棄するのではなく、偏差値だけを効率的に上げることを目指してしまう。授業内実や体制を充実させてそれをやり遂げるには時間も費用も要する。親や少年にとっても、興味あることに熱中することは危険が伴う。名門校の入試に失敗するかもしれないからだ。アインシュタインは日本には生まれないし、南方熊楠は英国に旅立たねばならなかった。

 地道な努力より、目立つことが効果を生む社会である。例えば国会議員であれば、中野重治的調査演説活動に精魂費やすよりTVタレント化して風狂な言動に徹する方が票になるのだ。

 計量化された票とは彼らにとってまさに「偏差値」なのだ。(このことを象徴する事件がおこった許りだ、 2019年2月国会の野党議員による統計不正を追及に、首相は「選挙5回勝ってる」と逆ギレヤジを飛ばしている。)数値だけが事柄を判断する材料とななってしまった。国民生活の実態や真実にこだわった話が理解されるには長い時間と辛抱がいるが、風狂な言動は即座にはじけて軽薄な効果を見せる。まさに悪貨は倦まず弛まず良貨を駆逐する。日本のトップ大学が、基礎研究に興味を失い枕を並べて国際的な評価を急激に下げていることでもそれは分かる。
 偏差値体制を憎むべき立場にある親や少年たちは、自分や子どもの困難が何処に由来するか、それすら見いだせないでいる。丁度帝政ロシアの農奴が圧政の根源がツアーの独裁体制にあることを「血の日曜日」まで見いだせなかったように。
 困難を抱えた少年たちを目の前に悩む「善意」の教師たちすら、問題の根源を見失っている。補習で偏差値を上げさえすれば問題は解決すると本気で考えているのだ。

  「今日のフランスの大学の機能を圧迫している多くの物質的困難が、その教育的関係の悪化に、決定的とも言える大きな影響を与えていることは疑いない
  

 この文章の「フランスの大学」を「日本の学校」に置き換えてみよう。「「日本の学校」の機能を圧迫している多くの物質的困難が、その教育的関係の悪化に、決定的とも言える大きな影響を与えていることは疑いない」学級規模や学校規模は、日本の学校の質を下げ荒廃させるのに貢献してきた。低く保たれた質は、物質的困難が解消されるに伴い向上する筈だったが、少しも向上していない。管理主義的生活指導は、生徒の従順化を奇貨としてむしろ強化され、脱社会化と非政治化はその極みに達している。何故なのか。高校学園紛争を経験した教師たちは、「あんなことはまっぴらだ。二度と経験したくない」と顔を曇らせ、生徒たちは学校の偏差値が上がることで推薦入学が有利に運ぶことを希望した。見かけの秩序に依存する点で、教師と生徒は同盟関係にあったし、今もある。教育の内実の充実を伴わない偏差値だけの上昇は、学校に対する勤務評定として双方に支えられつつ機能してきたのである。
 ブルデューは続ける。「その担い手たち〔学生と教師〕の態度が機能的に相互に結合されている限りにおいて、また彼らの〔主体的〕態度が教育の物質的、制度的な条件との相互に因果的な関係を維持する限りにおいて、それはシステムとして(よきにつけ悪しきにつけ)機能し続けるのだ


 ただ(よきにつけ悪しきにつけ)機能し続けるのではなく、悪化し続けるのだ。秩序は拡大し職員会議の自由な討論と採決は、教委と管理職の秩序に飲み込まれ、学校儀式は日の丸・君が代を通して国家秩序にまで拡大してしまった。
  自衛隊の軍隊化が完成すれば、この秩序は一気に米国の世界秩序に飲み込まれることになる。
 あたかも教育が、時代を押しとどめ逆行させる重しとして、機能しているかのようである。

 「教育がかくも強固に革新に抵抗するのはなぜかと言えば、それは目に見える緊張と対立を越えて、おそらく高等教育がもたらす実際の安全と、この高等教育が生み出すフラストレーションとの均衡を保つように、高等教育が一つのシステムとして機能しているからである。・・・より一般的に言えば、システムにたいする態度の変更を伴わないようなシステムの改革を目指すいかなるこころみも失敗に終わらざるを得ないということである

 1968大学闘争時のことだ。「機動隊が来たら、『ピンク大のやつらを前に行かせろ、ピンク大は前へ』なんて叫んでいましたね」と言う不愉快な証言がある。blog『極鬼舎 2019/02/23』  ピンクとは桃山学院大学。
同志社大全共闘元闘志の語るところによれば、関西の場合、作戦立案は京大学生、現場指揮は同志社大、前線の逮捕の恐れのある危険な場所には桃山学院大やそのほかの学生が割り当てられたという。東京にも似た構造があった。大学解体を絶叫しながら、選別の構造と論理は温存した。ナロードニキ真逆の構造が、大学紛争の中に構築されたのだ。それが権力の階層構造と瓜二つであったことに無神経な者たちがシステムの破壊を担えるわけはなかった。

 戦後社会を規定し続ける偏差値による選抜と人事評価=勤務評定に基づく全システムの廃止を伴わないいかなる試みも失敗に終わる。

ある台湾人日本軍兵士が見た南京大虐殺 

 日本の植民地だった台湾に兵役法が適用されたのは1943年、徴兵検査実施は1945年から。だから敗戦の年まで台湾に徴兵は存在しなかった。にもかかわらず
 ・・・それがネ、いきなりヨ。突然警察から呼び出しが来た。「何月何日、印鑑持参で警察に出頭せよ」 こういう呼び出し状が来た。警察いえば、普通の人はやっぱり怖いヨ。・・・
 行ったらすぐに身体検査証渡されるんだ。これにサインしなさい、と。まだこの時も何があるのかわかってないのヨ。ワケわかんないから、みんな戸惑っている。それでボク訊いたんだ。
 「何でサインするんですか?」 そしたら、こう答えた。
 「郡役所行けばわかる」
 郡役所、日本で言えば県庁みたいなものネ。当時としては、ボクたちとまったく縁のないところヨ。ずっと上みたいなところ。しょうがないからサインして、判押した。行ってた連中みんな押してたな。・・・その日、夜になって特別車でそのまま台南連れていかれた。
 台南の連隊入れられたのヨ。呼び出されたその日にヨ。ウチに何の連絡もなくヨ。家じゃもう行方不明ヨ。これにはビックリした。まったくコッチには教えてくれない。どこに行ってどうするのか。で、台南の連隊で初めて身体検査ダ。そこでボク甲種合格。・・・翌日は早速湖口訓練所に送られて、基礎訓練みっちりやらされた。この台南出る時にウチに連絡できたの。手紙出した。これが着いてウチの人安心したらしいけど、それまで随分心配したそうヨ。
 訓練所での訓練が三ケ月続いた。これが昭和十二年の……十月から十二月。ボク、まだ十九歳だった。

 翌年の一月、湖口出て、上海から上陸して、南京に向かった。前の年の十二月に南京攻略されて、その頃は大虐殺の最中ヨ。道でも川の土手でも死体がゴロゴロしてた。山になって積んであるのヨ。
 正直言うとネ、そういった風景見て、ボクがっかりきたんだ。台湾の教育いうと「日本は神の国」教える。それはシッカリ叩き込まれるのヨ。さらに、この戦争は「聖戦だ」と。警察に呼ばれるまで、そのことは強く信じていたヨ。イヤ、信じていたというより「そういうもんなんだな」って思ってた。台湾での生活の中でもいっぱいイヤなことあったし、ヒドイ目にも遣わせられたヨ。でも、どっかでそのこと信じていたのも事実ネ。結局、軍隊にほうり込まれてもまだ「そうかもしれない」って思ってた。
 その実態がアレよ。人間のやることじゃない、本当に見てられないのヨ。今までほんの少しでも信じてたことが、完全に崩れ落ちたネ。全くの嘘だということがハッキリわかった。
      林歳徳(
「ある台湾人兵士の密航」『戦争拒否 11人の日本人』晶文社


 これは警察を使った強制連行である、それを日本は志願兵であると強弁した。わけも分からず判子を押してはいけない、絶対に。
 台湾生まれの林歳徳さんは、学校で「日本は神の国」と叩き込まれ、この戦争は「聖戦だ」と強く信じていた。
 問題は「日本は神の国」と教えた同じ日本人が、平気で強制連行する神経である。根っからの嘘つきなのか、「人間のやることじゃない」ことをするために、「神の国」という言葉を発して自らに呪いをかけたのか。だとすればなんと安普請の精神であることか。

 それ故、マッカーサーに「感謝状」を送り、沖縄を米軍基地として占領する「天皇メッセージ」を許してしまうのだ。平気で他民族を見下げ騙す国民は、見苦しいまでに支配民族に 迎合し進んで騙されるのである。

    林歳徳さんが、日本軍による兵役を逃れて日本にたどり着いて驚いたことの一つに、砂糖の値段がある。安いのだ。生産地台湾の1/3。日本の砂糖が安かったわけではない。それにはからくりがある。

 台湾では米が年二回とれる。が、その米は台湾人の口には入らない。主食はサツマイモを千切りにして干した「バンショウケン」だった。お椀の中はいつも真っ黒である。彼らにとっての食事とは、その真っ黒なお椀を意味していたという。
 リンさんの家はそれほど大きくないが地主だった。父親は広いサトウキビ畑を持ち、精糖工場を経営していた。かなり手広くやっていたのだが、リンさんが物心つくかつかないうちに、日本の財閥に取られてしまう。
 ある日突然だった。朝、父親がいつものように自分の畑に仕事をLに行くと、そこには日本の財閥の名が大書された三寸角の柱が立てられていた。「ここは今日より○○の土地である」と。
そんなものに従うことはできない。看板を引き抜き、仕事を始めた。と、すぐに警察がやって来て、父親は連行される。何日にもわたって拷問が繰り返された。
 警官は命令口調でこういったという。とにかく一言告げるだけでいいのだ。あの土地は自分のものではない、と。しかし父親は頭として受けつけなかった。最後に警察は彼の妻と息子であるリンさんを連れてきて、その目の前で父親の拷問を行なった。父は気絶してしまう。その間に母が書類にサインをし、父の指をもち、栂印を押させた。
 その日から父は一労働者としてサトウキビ畑で働かされることになった。
 サトウキビ畑での労働は、肥料はすべて借り受ける形になっていた。その値段も政府が勝手に決める。穫れたサトウキビの値段も勝手に決められる。さらにサトウキビの計量にも立ち会えない。
 台湾入は労働力のみを提供し、彼らが得る報酬もすべて日本側の事情によって決められた。
 また、自分の畑でサトウキビを食べても罰金を払わせられた。リンさんはその罰金が十円だったと記憶している。一日働いて得る報酬が三十銭ほどであった当時である。少ない収入とそれに見合うだけの食物しかない毎日が続いていた。しかしリンさんたちはサトウキビ畑に入り、サトウキビをしゃぶることはしなかった。いや、できなかった。たとえ自分のところの畑であろうと、たとえそれが子供であろうと、サトウキビをとることは罰金十円の犯罪となったからだ。
 リンさんが日本の小学校にあたる公学校三年の時だった。ずっと自転車が欲しいと思っていた。
父親にねだっても「まだ小さいから」という理由で買ってもらえなかった。実際は「小さいから」という理由よりも、当時百円という高額が問題だったのだろう。が、三年になった時に父親は買ってくれると言う。リンさんは嬉しくて嬉しくてたまらなかった。父親にしてみれば、その年のサトウキビは豊作で、十トン貨車三十台分が収穫できた。肥料代を差し引いても四百円は下らないだろうと予想していたのだ。
 リンさんは父親の帰りを待つのももどかしく、一緒に精糖工場まで出かけていった。そして精糖工場の会計課が、父親の収穫したサトウキビを計り、それに値をつけるのを二人でジッと待っていた。期待に胸ふくらませる子供の思いは、いつの時代でも、どんな土地でも一緒だ。リン少年もワクワクする気持ちを抑えるのに必死だった。
 父親が会計課に呼ばれた。ややこしい計算がなされた紙切れの末尾に、金額が書きこまれていた、五十円。
 自転車どころの話ではない。これだけの収入では家族の生活さえ危ぶまれる。父親はしつこく食い下がったが、相手にされなかった。
         
「ある台湾人兵士の密航」『戦争拒否 11人の日本人』晶文社  

 台湾人は日本の植民地支配に感謝しているという風説が繰り返し流される。無知は恐ろしい。戦中の台湾製糖や台湾銀行最大の株主は天皇だった。植民地支配と戦争から最も利益を得て、身内から一人として戦死者を出していない天皇一家である。土下座で済むレベルではない。

 共産党穀田国対委員長が20日の記者会見で、政府主催の天皇在位30年記念式典に党として出席しないことを明らかにしたと言う。遅すぎる決断であるが、僅かに片頬が緩む。  

日本にナロードニキはいなかったのだろうか

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 大学生や貴族が、過酷な犠牲を伴うナロードニキ運動に身を投じざるをえなかったのは何故か。社会の最底辺にあって困窮の極みにあった農奴たちが解放が進まない理由を、ツァーの暴政に見出すことが出来なかったからである。「愛する父なるツァー」の善政を妨げるのは、官僚や貴族たちの私利私欲であるとの正教的世界観に浸りきっていた。無知蒙昧を宗教が組織していたのである。
 ロシアの農民たちが、ツアーの暴虐極まりない実像を知るのは、この30年もあと1905 年「血の日曜日」であった。保守的青年僧侶に率いられ「神よ、ツアーを恵み給え」と平和裏に請願行進する群衆に、ツァー政府による無警告一斉射撃が浴びせられ死者500名負傷者3000名を数えた。これがロシア革命の烽火となる。
  今、生活苦に喘ぐ老若男女も、政権中枢の首相らの頑張りを信じて疑わない。ステルス戦闘機100機を米国に注文するに及んでも、改革が進まないのは抵抗する官僚たちのせいだと信じている。

  何時の何処の困民に比べても、現在の日本の非正規労働者や外国人労働者が幸福であるとは思えない。過酷な労働から逃れるには、過労死しかない有様に打つ手もない。いつまで生きるつもりかと閣僚に恫喝され、孤独死を遂げる老人。どこが恵まれているか。現代の日本的ナロードニキの出現があって当たり前の状況である。それを妨げる巨大な社会的ダムがある。古くて更新を続ける3Sである。スポーツ・セックス・スクリーンは、学校もマスメディアも政策も覆い尽くしている。日本の青年が1870年代のロシア青年に比べて、倫理性や論理性において著しく劣っているとは思えない。
 違うのは、時代を注視して深く思考し仲間と討論交流する時間と精神である。それが組織的に奪われ粉砕されている。

 昔も今も運動に身を投じるのは困難の極みである。困難の最たるものは、自身の貧困である。ロシアの農奴も日本の小作農も、立ち上がる前に疲弊し切ってしまっていた。空腹の余り、子どもは熟していない梅の実を口にして死んでしまう。そんな中で、ものを考え本を読むことが出来るのは、地主や小地主の子弟たちであった。農民運動家の山口武秀さんは、17歳で中学を出ると、孤立無援のまま五里霧中で、農民運動に身を投じた。

 「農民が地主に土地を取り上げられる。すると、わたしが周りにいる青年を引きつれ、地主のところに談判にいく。大衆団交をやりに行くんだ。談判のすえ、取り上げられていた土地をこちらの手に押さえ、その農家に返してやる。そういうことをやっていた」           山村基毅『戦争拒否 11人の日本人』晶文社

  組織はないが言うことはしっかりしている。地主たちの目は光り始め、検挙も重なりそのたびに半年近く留置された。1937年には思想犯として逮捕され懲役三年の刑を食らう。赤紙も来る。しかし彼は徹底的に不服従を貫き。敗戦を迎え戦後も農民運動を続けた。

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...