北杜夫 ・・・ぼくは、玉砕するつもりで、死にたくてうずうずしていた。本土上陸が始まったら、おれ、ほんとに蛸壷に爆裂弾抱いて入るつもりでいたんだよ。ただ、教練下手だったろ。それに、敵と刺し交えに死ぬという衝動的精神には溢れていたんだけれども、反面おっかないんだ、軍隊が。 だから、前の高等商業に駐屯していた将校が、寮生が変な寮歌やら流行歌やらをがなっていると、うるさい、いま何時だと思ってんだァ、なんて怒鳴って、そうするとみんなが、バッキヤローつて言った。あんなときはおれ、ああ捕快だ、とは思ったたけれどね。でも、戦争批判なんてたまたま耳にすると、ぶったまげたな。なんたる非国民かと思ったな。・・・
辻邦生 あのころは、高校入っていた人と、中学生、それから小学生だったという人とは、相当に違う反応だよ。だいたい十七ぐらいから下の子は、やはり尽忠報国だったと思う。それは、当然だったと思う。
北杜夫 真相は知らされないし、理解能力もないしね。
辻邦生 ぼくは、終戦の年は、二十だった。そのときにはもう、いろいろのことがわかっている。からくりみたいなものがあって、そういうもので得しているやつがいたり、損しているやつがいたり、ということも知っていた。それから、当時の校長が、- これは尽忠報国だが、他の教師と違って一種の一徹な気品みたいなものをもっている。そんなことも、他方では感じていた。というようなわけで、いろいろなことの全体が見えていると、自分では信じていたんだ。 もっとも、それでいて何もできなかったんだから、結局は何もわかっていなかったんだな。青春の自惚れだったと思う。 北杜夫・辻邦生対談『若き日と文学と』
東京大空襲で住処を失った北杜夫は、焼け跡がまだ燻っている東京を後に旧制松本高校学生寮に入る。敗戦直前である。辻邦生は落第して寮に残っていた。対談はそこから始まる。
辻邦生が 「あのころは、高校入っていた人と、中学生、それから小学生だったという人とは、相当に違う反応だよ。だいたい十七ぐらいから下の子は、やはり尽忠報国だったと思う」と回想していることに注目したい。旧制高校生と「17ぐらいから下の子は、やはり尽忠報国だったと思う」数年の違いが、少年たちの人生観・世界観を一変させている。
現在の状況に置き換えてみる。学校で、君が代の強制が狂気を帯びて2003年には卒業式で「日の丸」を掲げ壇上を向かなければならないと指示する東京都教育委員会通達が出されている。2013年には、君が代を歌っているかどうかを口の動きで点検する校長が現れ、大阪市長が「服務規律を徹底するマネジメントの一例」と絶賛している。
北杜夫が「真相は知らされないし、理解能力もないしね」と回想した時期にあたるのを、2003年から以降と考えて見ると、その頃小学校に入学した子どもは、今既に15年を経て22歳になっている。日教組が主任制反対闘争から降りたのが1995年だから、現場の重苦しい空気は更に10年を遡らせて見る必要がある。そうすればその頃の小一は32歳を越している。「真相は知らされないし、理解能力もないしね」の度合いは、北杜夫の頃とは違うが、マスコミの右傾化も既にすすんでいたことを考えると、若者が「蛸壷に爆裂弾抱いて入るつもりで・・・敵と刺し交えに死ぬという衝動的精神に」馴染んでいるのではないかと憶測することは、荒唐無稽ではない。
当blog「10代 稲嶺37% 渡具知63%、の憂鬱」←クリック に示したデーターはそれを示している。
もう一つ心しなければならないのは、北杜夫よりは少し大人だった筈の辻邦生の「いろいろなことの全体が見えていると、自分では信じていたんだ。・・・それでいて何もできなかったんだから、結局は何もわかっていなかった」の部分である。
追記 日本の学校教育と国旗・国歌の関係がいかに歪んでいるか、先進国の状況を概観してみよう。
イギリス: 普通の歴史と音楽の授業で取扱い、学校行事では掲揚せず歌わない。
オランダ: 特に教育する事はない。学校行事で掲揚や歌唱という事も特にない。
ベルギー: 国旗掲揚の義務はなく慣例もまちまち。国歌は教育されていない。
スペイン: 学校での規定はない。
デンマーク: 特別の教育はしない。普通の授業で言及。国歌は行事で殆ど歌わない。
ノールウエー:特別な教育はしていない。両親が教えて子供はすでに歌っている。
スウエーデン:教科書に無い。国旗は教師に一任。国歌は学校で特別に教えない。
カナダ: 国旗も国歌も学校と特定の関係が見られ無い。
アメリカ:国旗が掲揚されるが儀式強制はない。国歌は学校と特定の関係は無い。
1942年連邦最高裁は(バーネット事件判決)で、国旗敬礼の強要は信教・言論の自由を保障した憲法に違反し、知性と精神の領域を侵している」と判断を下している。