早く走ったり重いものを持ったり投げて人の役に立てば、その得意技が賞賛されることがある。例えば沖で溺れる人を救助したり、重い瓦礫に埋まった人を助けたり・・・。ただ早い、重いものを持ち上げるだけは、確かに「専門」力量ではあるが、個人の特徴に過ぎない。頭の回転が良かったり、目が大きかったり、体型のバランスが良かったりも、個人の特性。それをスチュワーデス採用の条件にすれば差別。更にその差別によって収入が左右されれば、収入如何で職業を選ぶ風潮を煽り、差別に貴賤の感情を固定してしまう。結果、職業選択の自由が歪んでしまう。
入学前の偏差値や類似数値を用いての「恣意的」選抜も、僕は差別だと思う。「偏差値や類似数値」を基準にするのは「青い目や金髪」を手掛かりに人間をふるいにかけたナチの「優性思想」と変わらない。差別に基づいて合否を決めるのは、国際人権規約への冒涜と知る必要がある。人権規約は努力目標ではない。
こうした差別を前提にしての、学校別「校則」に普遍的効果はない。底辺校になるにしたがって急激に校則が懲罰的になる状況を前に、教師たちが「僕のところは幸い底辺じゃないから・・・」と知らんぷりを決め込むのは犯罪に加担するも同然。アウシェビッツの絶滅処理を「知らなかった」とナチ支配下の公職者が言ったに等しい。
DVが家庭ごとに異なる基準に照らされてはならないように、校則はあらゆる学校の全生徒学生の権利を守るものでなければならない。それを教師はサボってきた。時には管理主義的勢力と一体になって推進さえした。
だから職場・職種・雇用形態ごとに労働条件が異なり、労働者の統一と団結が何時までも放置されたままなのだ。賃金も労働条件も格差は開く状況に成すすべなく立ち尽くすばかり。多感な少年期を理不尽な校則に縛られたままで過ごせば、正義や公正の概念は絵にかいた餅にもならない。偏見と貧困の連鎖に公教育が貢献しているわけだ。
毒ガス兵器もV2ロケットも核爆弾も「優秀」な第一級の科学者=専門家が賞賛の嵐の中で生み出している。優性思想も先進的医学者なしには考えられない。しかも彼らは、この兵器で「戦争は終わる」と揃ってうそぶいたのだ。例えば毒ガス開発者フリッツ・ハーバー博士は「毒ガス兵器で戦争を早く終わらせられれば、無数の人命を救うことができる」。この言葉て周りを大量殺戮に巻き込んだ。彼は盲目的愛国心の持ち主であり、異常なのめり込み方で化学兵器開発の先頭に立
った。(ハーバーの妻クララは女性としてはドイツ初の博士であったが、毒ガス研究にのめり込む夫を諫め、ピストル自殺した)。「無数の人命を救うことができる」は原爆を投下した者たちが初めて使った台詞ではない。専門家が納税者に良識が芽生える前に、あらゆる場面で使われた事が分かる。ベトナム戦争やアルジェリア独立戦争では「良識」そのものを爆撃した。正木ひろし弁護士をおもう。特高支配下にあった 1944年、警察による暴行致死疑惑(首なし事件)があった。彼は取調べ中に死亡した被疑者の遺体を掘り首を返し持ち帰り鑑定、特別公務員暴行陵虐致死罪で警察官を告発する。公然の秘密化していた官憲の拷問に敢然と立ち向かった。件の警察官は1955年に有罪が確定した。
彼を支えたのは「専門」知識ではない、「良識」である。彼は旧制高校を出ると、旧制中学の教師を続けながら帝大に席をを置いていた。blog「椋鳩十が、快惚として聞き入った正木先生の授業」←クリック
彼の豊かな「良識」はこうして育っている。
彼自身思想的には「反共」であったにも拘らず、反天皇制主義の姿勢を明確にし、プラカード事件の弁護では先鋭な言論を展開、三鷹事件や菅生事件では被告人となった共産党員を弁護、反権力派弁護士として幅広い活動を続ける事が出来た。
教師は授業や研究の専門家だろうか。生徒や保護者には様々な立場の人がいる。第一生徒自身、立場は様々である。彼らは全て国際人権規約のもとにある。そこで有効なのは「専門」ではない。良識である。
教師はメダルに群れる「専門家」を育てるのではなく、常に権力と対峙する良識を彼らの中に育てねばならない。これを権力は「政治的偏向」と指弾するに違いない。その限りにおいて、教師は政治的たらざるを得ない。「中立」のいかがわしさに教師はいつも翻弄されるのだ。
「より高く、より早く」はどんなに優れた専門特技であっても、良識にはなりえない。
志賀直哉は良識の人であった。
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政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の如き「専門」家たちに僕は初めから信頼を置いていない。予め保健所を閉鎖しながらpcr検査を制限する手法を執った「専門」家に、国民の健康や生命に対する「良識」は感じられない。彼らは最初から五輪の「安全・安心」を根拠なしに到達目標に掲げていた。それは毒ガス開発者フリッツ・ハーバーが「毒ガス兵器で戦争を早く終わらせられれば、無数の人命を救うことができる」との言葉て周りを大量殺戮に巻き込んだことに相当する。