四谷二中 6 洟を垂らした普賢菩薩

  「俺もたまには満点の答案を母ちゃんに見せたいよ。いいじゃないか」と言ってクラスぐるみの「カンニング」に引き摺り込んだのも
  「見えない何にも見えない 意地悪だよ、たわし、少しは見えるようにしてくれよ」とみんなを笑わせたのも、Z君である。A君に数学を教えている時、彼も寄ってきて「俺にも教えてくれよ」と仲間に加わり、「分かったよ、たわしありがとう」と、青洟を垂らしそうにしてやはり笑うのだった。だがテストになると、零点。僕に向かって零点のついた答案を見せて、ニコニコする。忘れやすい奴だと思っていた。しかし退職して、気が付くのたが、彼は点数を取ることに興味がなかったのではないか。分かる過程は楽しむが、点数を競って我を張ること(頑張る)はしない、そういう世界観を持っていたのではないだろうかと思う。受験地獄に堕ちそうな僕に警告していたような気さえする。
  学期末、Z君は自分の通信簿を持ってきて
 「たわし、お前の通信簿見せてくれよ」といいながら広げる。
 「・・・お前の成績と俺の成績は丁度反対だね」明るく言う。
  「たわしの成績と俺の成績を足して二で割ると真ん中の三になる。・・・なぁ、おれの成績があるからお前の成績があるんだよ。お前がいるから俺がいるんだ。俺がいなければ、たわしお前はないんだ。だから俺たち親友だ」と顔を覗き込むようにして言う。

 卒業間際、べそをかきそうな顔して
 「俺たちと二中のこと、忘れないでくれよな。・・・でもきっとお前、俺たちのこと忘れるだろうな・・・」と言った。それがZ君に会った最後である。僕は卒業式をサボった。

 軒下の高い窓を拭くのも、コークスを運ぶのも喜んでやった。骨惜しみしない根っからの善人だった。忘れがたい思い出の数々に彼がいる。住んでいたのは、新宿天竜寺の裏、旭町の木賃宿。着ている制服も粗末だったが、それらが彼の快活さを妨げることはなかった。そのZ君と拾得が二重写しになる。

 芥川龍之介にごく短い小説『東洋の秋』がある。
 主人公は「云ひやうのない疲労と倦怠・・・を感じてゐた。寸刻も休みない」ある日、公園でふたりの男にあう。「竹箒を動かしながら、路上に明るく散り乱れた篠懸の落葉を掃いてゐる。・・・破れ衣と云ひ・・・公園の掃除をする人夫の類とは思はれない」。突然鴉が二三羽「黙然と箒を使つてゐる二人の肩や頭の上へ、先を争つて舞ひ下さがつた。が、二人は依然として、砂上に秋を撒散らした篠懸の落葉を掃いてゐる」。主人公のこころには「疲労と倦怠の代りに、何時しか静な悦びがしつとりと薄明るく溢れてゐた。」そして「寒山拾得は生きてゐる。永劫の流転を閲しながらも、今日猶この公園の篠懸の落葉を掻いてゐる」と思うのである。
 
  寒山は唐代の隠者、詩人である。拾得は実在とも、寒山の説話に付け加えられた架空の人物とも。寒山拾得は、文殊菩薩、普賢菩薩であるとの言い伝えが古くからある。それを芥川は「東洋の夢」という。菩薩は人の姿になってこの世に遊びに来ていると。

   寒山、拾得が文殊、普賢なら、Z君もそうではないかと思うことがある。新宿天竜寺は曹洞宗、開祖の道元は宗派を否定した。普賢菩薩が遊ぶにはいい場所である。信心があって思うのではない。Z君のような実在が、人々に「東洋の夢」を描かせるのである。 僕は教員になって、幾人かの寒山や拾得に会った。

  高速増殖炉に「もんじゅ」、新型転換炉には「ふげん」と、名付けた学歴と身分を誇る者たちの浅はかさをおもう。
 永平寺の西田正法事務局長は
菩薩の知恵を借りて無事故を願ったのなら浅はかな考えだった。仏教者として世間にざんげすることから始めたい(2011年10月26日 読売新聞)と振り返っている

  普賢とは、文字通り普遍の賢者を意味する。内村鑑三は「智き愚人」という言葉を使っている。彼は『後世への最大遺物 デンマルク国の話』を
 「外に拡がらんとするよりは内を開発すべきであります。・・・国に・・・「愚かなる智者」のみありて、ダルガスのごとき「智き愚人」がおりませんならば、不幸一歩を誤りて戦敗の非運に遭いまするならば、その国はそのときたちまちにして亡びてしまうのであります。・・・軽佻浮薄の経世家を警むべきであります」と結んでいる。
  国を学校に置き換えてみる。
 国家が外に向かって領土を拡げようとするように、学校は外に向かって設備や偏差値と進学実績を誇って競争する。 競争して非規格生徒を他校に押し付けて、勝者たらんとする。そんな醜悪で消耗過多なことより、学校と地域の平凡な日常を充実しなければならない。ダルガスは不毛の荒野に黙々と、木を植え気候を変え豊かな国土を出現させ、Z君の如き「智き愚人」が何人もいて、受験競争と非教育反教育的環境の闇に飲み込まれて愚連そうな僕らを、瀬戸際で守ったような気がする。

  『ライ麦畑でつかまえて』で、サリンジャーが不良高校生ホールデンにこう言わせている。
  「・・・だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。・・・それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。・・・ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ
 学校が社会であろうとするならば、不良も「智き愚人」も 拾得も優等生と共に不可欠である。四谷二中にはそれが揃っていた。

主権者は票を入れるだけかい

  「○○党は国民年金保険料を○×円以下に下げます」と街宣車が回っている。確かに下げねばならない。しかし、こう言うべきである。「・・・という経緯で年金保険料は、低所得者に対して不当に高い水準を維持してきました、外国では・・・。保険料を引き下げさせる潮流を作りましょう。・・・」
  「我が党は・・・します」は主権の有りどころを心得ているとは言えない。

 1968年の大学闘争の中で、学生たちに悲しい傾向が現れたことがある。闘争代行主義である。その期待は授業と試験がつぶれることにあったから、ストや封鎖は過激で長いにこしたことはない。セクトの中にも、それにのって支持を集めようとする傾向が現れた。それが政府や大学当局に読まれない筈はない。何しろスト突入と共に、大学から学生が減ったからである。旅行やデートが悪いわけはない。問題は旅行のためにストを待望する、ストや行動そのものはセクトに丸投げすることである。

  あの頃福祉国家への拒否感が社会にあって、社会福祉に消極的な風潮があった。修正資本主義は帝国主義・新植民地主義の隠れ蓑というわけだ。アダムのイチジクの葉という言い方もあった。

  国民年金保険料が月額16490円の定額制なのは、官僚の利権確保にかかわっている。
例えば、日本と同じ構造の年金制度(二階建て)を持つ、英国では所得に応じた保険料を徴収するシステム。最低は日本の十分の一、日本でも自営業者の所得を捕捉している国税庁が保険料を徴収すれば可能だが、やらなかったのは社会保険庁が徴収権を奪われたくないからに他ならない。
 次のような怪しからん遣り取りが社会保険庁内にあった。
 低所得者の国民年金保険料を外国並みに低く抑えずに、一律に高い保険料を徴収すれば膨大な余剰が発生する。引き下げるべきだという意見を抑えたのは、幹部の企みであった。
 「この膨大な積立金で・・・財団とかいうものを作って、・・・そうすると厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない。何千人だって大丈夫だと。・・・年金を払うのは先のことだから、今のうち、どんどん使ってしまっても構わない。・・・将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課式(税金方式)にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ・・・」 1988年「厚生年金保険制度回顧録」
  発言者は戦前の厚生官僚 花澤武夫。彼が、厚生年金保険制度を考えたのは国民福祉の向上ためではない。膨大な資金を戦費として流用するためであり、これはナチの政策と軌を一にしていた。
  この本を巡る遣り取りが、第159回国会の予算委員会(2004.3.3)で行われている。  http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001815920040303018.htm#p_honbun
   (問題となる部分は、海江田万里議員の質問に対する回答にある。ずっと下のほうにスクロールする必要がある)

 民主党の求めに応じて社会保険庁がまとめた資料で、厚生年金と国民年金の保険料のうち年金給付以外に使われた「流用額」の詳細が明らかになった。1952~2007年度の累計で6兆7878億円に上り、グリーンピアなどの建設に年間1000億円以上を投入した時期もある。
 これは国民に対する背任、則ち犯罪である。関係者は少なくとも終身刑、財産は遡って没収されるのがまともな国である。対立する立場に有り辛酸を嘗めた者が、新たな政策責任者になるのが立憲国家である。我々は、政府による国民への背任を自ら裁いた経験はない。国民を過剰に敵視する法は量産するが、国民を陥れる政府を罰する法も独立機関も持たない。こういう国では、デモやストライキ、集会や出版は、他国に増して重要である。

  政治的信念ではなく議席だけを求めて離合集散を繰り返し、公約違反を平然と行う諸政党。主権者は、その口車にのせられて投票だけすればいいのかい。

「真実の発見」からの逃走としての両論併記

  政治的中立と両論併記。流行りの二つが社会科(公民と地歴)教師を萎縮させ、教委や文科官僚が傲慢さを増す。新聞社も、主権者教育の出前授業に入れ込んで、自己宣伝に余念がない。
 ある高校で、生徒が消費増税と救急車有料化を巡って二つのグループに分かれて議論、投票の大切さを学ぶ様子が佐賀新聞にあった。消費増税と現状維持が一体何の両論なのか。税制についてなら、消費税廃止、所得税増税、企業減税廃止などが省かれるのは何故か。直近の税の局所現象に拘泥させて、実態報道しようともしない。本質を問うことなど想いもよらない。議論の最右翼部分の僅かな違いを取り上げて、両論という。子ども向けの低級な騙しだ。そしてそれが、投票の問題として語られる。主権者の意思表示を投票だけに限定するのだ。街頭行動やストライキ、集会・言論による主権行使を高校生には制限して、他方では広告代理店やマスメディアによる虚偽の与論操作はやり放題。主権とは何かについての両論は問題にすらならない。主権とは有権者になり投票所の前で突然発生するものではない。こどもであっても主権者なのである。政治的権利について年齢で制限されているのは、投票だけであることを忘れてはいけない。

  芥川賞作家がその傾向に強い懸念を表明している。
 「友人が第二次大戦の日本を美化する発言をし、僕が、当時の軍と財閥の癒着、その利権がアメリカの利権とぶつかった結果の戦争であり、戦争の裏には必ず利権がある、みたいに言い、議論になった。その最後、彼が僕を心底嫌そうに見ながら「お前は人権の臭いがする」と言ったのだった。 「人権の臭いがする」。言葉として奇妙だが、それより、人権が大事なのは当然と思っていた僕は驚くことになる。問うと彼は「俺は国がやることに反対したりしない。だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴(やつ)らの人権をなぜ国が守らなければならない?」と言ったのだ。 当時の僕は、こんな人もいるのだな、と思った程度だった。その言葉の恐ろしさをはっきり自覚したのはもっと後のことになる。・・・
 
昨年急に目立つようになったのはメディアでの「両論併記」というものだ。政府のやることに厳しい目を向けるのがマスコミとして当然なのに、「多様な意見を紹介しろ」という「善的」な理由で「政府への批判」が巧妙に弱められる仕組み。
 否定意見に肯定意見を加えれば、政府への批判は「印象として」プラマイゼロとなり、批判がムーブメントを起こすほどの過熱に結びつかなくなる。実に上手(うま)い戦略である。それに甘んじているマスコミの態度は驚愕(きょうがく)に値する


・・・ ネットも今の流れを後押ししていた。人は自分の顔が隠れる時、躊躇(ちゅうちょ)なく内面の攻撃性を解放する。だが、自分の正体を隠し人を攻撃する癖をつけるのは、その本人にとってよくない。攻撃される相手が可哀想とかいう善悪の問題というより、これは正体を隠す側のプライドの問題だ。僕の人格は酷(ひど)く褒められたものじゃないが、せめてそんな格好悪いことだけはしないようにしている。今すぐやめた方が、無理なら徐々にやめた方が本人にとっていい。人間の攻撃性は違う良いエネルギーに転化することもできるから、他のことにその力を注いだ方がきっと楽しい。  「大きな出来事が起きた時、その表面だけを見て感情的になるのではなく、あらゆる方向からその事柄を見つめ、裏には何があり、誰が得をするかまで見極める必要がある。歴史の流れは全て自然発生的に動くのではなく、意図的に誘導されることが多々ある。いずれにしろ、今年は決定的な一年になるだろう」  中村文則「不惑を前に僕たちは」2017.1.8朝日新聞


 作家は、両論併記で「政府への批判は「印象として」プラマイゼロとなり」と書くが、政府にとって大きなプラスになるのではないか。様々な見解・意見が二つに絞り込まれる過程で、政府見解から遠いものほど落とされるからである。
 ヨーロッパや南米の政治で大きな役割を演じている高校生は、日本では政治活動から大きく除外されいてる。教員が政治的中立を名目に、生徒に真実を語ることを既に躊躇している。
 もう一度、子どもの権利条約を読もう。そしてこの条約が作られた経緯を知らねばならない。

  両論併記も政治的中立も、「真実の発見」からの逃走であってはならない。

「はき違え」た自由と自由権

  近頃の高校生は、立ち番教師の側に来て、片足を門外に出してからかう。だが校門から出ようとはしない。生徒は、規律正しくなったなどと喜んでいる場合ではない。生徒の自主規制が無意識の領域に沈み込み、意識も組織体制も「従属」化しているのだから。
 それを促進歓迎する教師には、教員の政治的自由や思想・表現の自由への自主規制と「従属」化が迫っているのだから。      

  1970~1980年代、下町の高校生たちは、果敢に立ち番教師に挑んだ。立ち番とは、昼休みに交代で校門に立って生徒を見張る詰まらない仕事である。兵営の習慣を安易に取り入れている。折角軍隊をなくしたのに簡単に復活してしまうのは、こうした習慣を断ち切ることが出来ないからである。
 ある年の生徒会長選挙で、会長候補が校門開放要求を掲げた。当選と同時に管理職や生徒部長に直接談判した。埒があかないとみて、彼は自分自身が立ち番教師に食って掛かっている隙に、大勢の仲間を脇から外に出した。それが駄目になると、わざわざ校門立ち番教師に見えるところから塀を越えて逃げてみせる。怒った立ち番が追っかけてくるのを確認しながら走る。その隙に生徒たちはぞろぞろと出る。高校生たちの作戦は、神経的持久戦でもあった。教師たちは疲れ始める。無断外出は訓戒の対象だからである。訓戒は生徒を追いつめるのではない、教師を疲弊させるものなのだ。なぜなら教育的訓戒は、生徒の権利であるからである。
 「正門周辺は学校内と解釈しよう」「パンだけじゃ高校生は腹が減るよ。食堂の設置を検討しよう」との意見が教員側にも出て来る。
 遂に生徒の要求を聞くことになる。食堂設置も検討した。大阪府は奨励していたが、東京都はいい顔しない。しかし都立高校で食堂のあるところもある。調べてみるとなるほどめんどくさい、時間もかかる。でも生徒は行って調べてくる。結局、とりあえずいくつかの弁当業者に打診をして、定時制の食堂を借りて売って貰うことにした。

 この顛末に納得しない者たちもあった。、外出は理由がなければいけないのかと問うのである。弁当販売で誤魔化されないぞ、というわけだ。
  学校側は必要のない外出を咎め、生徒は理由のない閉鎖拘束を問題にする。生徒の自由概念が、教師のそれを質的に凌駕している。
  高校生の行動は、先ず「我が儘・勝手」な自由として現れる。処罰を覚悟して、自由を味わう。それを「自由のはき違え」と自由嫌いは言う。「はき違え」なら「はき替え」を促さなければならない。しかし「自由のはき違え」を言う者は、自由を諦めさせるのが狙いである。外に出てぶらぶらしたければ、放課後にしろと言う。しかしそれをごり押しするのは、教委や管理職が我々に「政治的自由」を言うなら教員を辞めればいいというのと変わらない。
 僕は、目的なしにぶらぶらすることも大切だと思う。そうして発見し学ぶことは、教室で学ぶことの欠陥や狭さを補う。出席が足りなくなることを引き受けて、映画館や美術館に行くことはもっといい。
 住友3Mには「十一時間ルール」という制度があって、一週間に11時間までをペナルティなしで自由に使える。遅刻しても、昼休みを延長して博物館を楽しんでもいい。この制度を使って昼休みに美術館に入り、美術に関する英国政府短期留学生募集のポスターを見た短大出のOLが、応募して勉学を重ねるうちに、英国の大学院に進み英国の研究者となった話を僕は3Mの重役から聞いたことがある。こうして得られる個人の豊かさが、仕事の質にも反映すると彼は説明した。 好奇心は、何時どこでどのように刺激され、どこまでどのように成長するか分からない。学校もこうした事実に畏敬の念を持ち、この制度に学びたいものである。

 処分覚悟の「我が儘・勝手」の自由を、高校生たちが「自由権」として学校に認めさせる運動を組織し行動するのを見守りたい。「自由権」則ち「権利としての自由」とは、それを行使したことを理由に不利益を被らないということである。公民科は高校生が自らの手で「自由権」を獲得する根拠を与える、それがこの教科に与えられた歴史的任務である。
 勿論、積極的に教員側が権利としての自由を認めて、丁寧に説明することも重要である。その過程で教員も「自由のはき違え」を言う自分の認識の浅さについて知ることが出来る。学校全体が、社会全体が豊かさを増すのである。自由をはき違えているのは、大人たちである。


追記 学校には非常勤を含めれば100人が働く。にもかかわらず食堂はない、休憩室もない、更衣室さえない。原則として昼休みも 構内に止まる職場、例えば銀行支店などは小さくとも食堂があって複数のおばさんが賄いをする。
 出前やコンビニの弁当を、埃の舞い立つ職員室で仕事をしながら食べる。そんな貧困極まる食生活の教師に「食育」を押しつけるのだから呆れる。生徒の昼食を権利の問題として考えれば、自分たちの労働環境の劣悪さにも気付くことになる。
  曾ては冷房さえなかった。人が大勢いる場所で冷房がなかったのは学校と刑務所である。

四谷二中 5 クラス挙げてのの「カンニング」

  二年の二学期だったと思う、都立高校入試に的を絞った模擬試験が行われ、結果が廊下の天井下蟻壁に張り出された。  順位・合計点・学級・名前が毛筆で書かれていた。 珍しいものを見上げて互いの名前を確認しているところへ、三年生が走ってきていきなり飛び上がり破いた。「ぼさぼさ見てるんじゃないよ、お前たちも破け」とけしかけ、すっかり取り去ってしまった。あっけにとられて、先生たちは怒るだろうなと思ったが、何もなかった。試験結果は印刷されたものが、ひとり一人に渡されただけである。
 模擬試験にも、掲示にも教師たちの意見は割れたのだと思う。卒業するまで掲示は二度となかった。おかげで、どの学級の誰が成績がいいのか悪いのかは知ることはなかった。この数年後の生徒作文を読むと、模擬試験結果の結果掲示を、中学校らしい風景と、一年生が書いている。

  三年では、毎日六時間目終了後に漢字と英単語の小テストを実施するようになった。担任は来ず、学級委員が職員室にドリルを取りに行き、配り回収する段取りだった。用紙はわら半紙1/4サイズに十問。教科書に準拠していた。
  用紙を配ろうとすると、
 「たわし、答えを教えてくれよ」と懇願する声が聞こえた。
 「俺もたまには満点の答案を母ちゃんに見せたいよ。いいじゃないか、頼むよ」の要求にはみんな大笑いした。僕はもっともだと思った、このまま配って回収しても、高校受験しない連中には、ただ時間の浪費に過ぎない。受験する連中に引き摺られ、迷惑千万だろう。逆もなければバランスはとれない。しばらく考えて、
 「やっぱりカンニングはいけないよ、絶対にね。少し予習の時間取ろう。今日は漢字だよ。範囲は教科書の○ページと×ページ。僕は黒板でやるから見るなよ」そう言って正解を大きく書いて軽く消した。
 「見えないだろう、一番後ろ見えないだろう」
 「全然見えないよ」
 「見えない何にも見えない 意地悪だよ、たわし、少しは見えるようにしてくれよ」また、みんなが大笑いした。
 「いつも零点取ってる奴が突然満点じゃすぐバレるから、いいか、はじめは2点か3点ぐらいにしろ。大事なのは点を取ることじゃない、字を覚えることだ」
 答えを書き終え、隣と答案を交換して、青鉛筆で回答覧の横に正解を書き込む。 一致しているものに丸をつけて、間違えたら赤で正解を書き入れる。練習を入れて少なくとも三回は、同じ字を書くことになる。僕も気をつけて間違えるようにした。
 このクラスぐるみの「カンニング」はバレなかった、冬近いある日までは。いつもの調子でドリルを受け取りに行くと、担任が
 「今日から俺が行くよ」と立ち上がった。ばれたかと観念した、しかし怒られはしなかった。知っていたのだと思う。頭をかきながら担任と教室に入つた。
 「アーァ」というため息が一斉に漏れた。しばらくは告げ口したのは誰か、詮索がやまなかった。真面目な越境生の母親たちには、このカンニングは許せなかったのだろう。

  十年後の土曜日昼下がり、僕は定時制高校での授業のために、西武新宿駅に急いでいた。途中、新宿三丁目で同級のH君と出会った。遠くから、善良な笑顔で手を振って立っている。極上縦縞ダブルのスーツにコンビの革靴。
  「久しぶりだね。こちら奥さんかい」僕が笑って頷くと
 「Hです。樋渡君には、二中で大変お世話になりました・・・」彼の経営する商業雑居ビルの前で、堂々たる話しぶりである。聞きたいこと話したいことが互いに山ほどあった。特にA君とZ君の消息はゆっくり確かめたかったが、授業を優先してしまった。
 西武線車内で妻が、
 「お世話って一体何のこと」と聞いた。僕の頭に沢山の思い出が駆け巡ったが、先ずこの「カンニング」の件を話した。

追記 「夏休みの宿題も、普段の宿題も、担任は採点しないし見もしないよ」と教えてくれたのは、小学校で僕の隣にいた妻である。彼女は担任のお気に入りで、全員の教科別成績一覧表も、職員室で見せて貰っていた。だから宿題がうずたかく積まれては焼却炉に消えるのを知っていた。希に返却される時も、日付入りの判子が一律に押されるだけ。だから二中の小テストの狙いは点数ではなく、練習だろうと考えたのである。

高校生は限度を知らないか

   「教職の学生が「本当は体育の免許が取りたかった。高校は陸上スカウト。監督に殴られて育った。限度を知らない高校生に校則を押しつけるのは必要です」と書いてきました」。大学で社会科教育法を教える渥美先生からのメールである。
 法的な「限度」を超え、教育的「限度」を知らない監督に、殴られて育った学生が、限度を知らずに育ったのである。特殊自分の体験を直ちに一般化している。彼女が限度を知らないことを、高校生一般が限度を知らないに広げてはいけない。それこそ、限度を心得ない無知と言える。
 狭く皮相な経験主義。読んで背筋が凍る。光のない闇・・・ではなく、光を吸収破壊するブラックホールとしてのファシズムの気配がある。立憲主義を理解しない政権と同質の無知と傲慢が、教師を目指す学生の中にまである。その最大の温床は部活であることをこの学生が示唆している。
 こんな学生たちに効くのは何だろうか、mailをくれた友人の苦悩を察する。ただ、彼女たちは余りにも経験に欠けている。経験と時が解決することもある。(本ブログ、「体罰を止めさせるために」の、下町のリベラルな工高に、以下の段落を参照願う)
                                                                                                     
  高校生には体罰で思い知らせねばならぬとしたら、一体いつから体罰は必要でなくなるのか。高校卒業と共にか。気に入らなければ、工場の職制やコンビニの店長も部下を罵り殴る。国家の暴力装置ないでは悲惨なリンチさえ加えられる。
 限度を知らねばならないのは、力を有する者たち。体罰をふるう側であり、君が代を強いる者たちである。政府閣僚でありながら、改憲を画策するものたちである。
 個人の生活に於いて「限度」は「たとえ一人であっても、私は~しない」という孤独な内面の決意に裏付けられなねばらない。たとえ上官の命令であっても略奪強姦はしない、国家の命令であっても人殺しはしない。それが「私にとっての」限度ではないか。道徳はひとり一人の内面にあってこそ輝きを見せるのである。
 不正や法令違反を暴かれて、知事や閣僚が「問題ない」を平然と連呼する。そういう輩が国民に外的枠を罰則付きではめるのだ。彼らこそ「限度」を知らない。
 
  S高の準備室で熱心な部活顧問に電話があって、電話の向こう側ではどうやら彼が指導するクラブの卒業生が泣いている。
 「・・・分かって呉れたか、おまえだったら何時か分かってくれると思っていたよ・・・」 殴られて反発していたが数年を経て、顧問の気持ちがやっと分かったというやりとりのようであった。日曜も夏休みも正月もない「毅然」とした厳しい軍隊調の指導をウリにしていた。僕はやや皮肉を込めて「いい話だね」と言ったのだが通じたのか、顔が引きつった。
 ある三年生女子が授業中突然、彼に
 「先生、私たちのこと嫌いでしょう。だって授業が面白くない」と批判したのはその頃のことである。彼は授業にも自信を持っていた。が、別のクラスでも似たことを優等生から言われる。

 教師にとっての「限度」。部活が「限度」を見えなくしている。際限のない練習と罵声、際限のない勤務時間。限度を超えることを、教育愛と言ってしまう雰囲気がある。しかし「授業」そのものに際限のなさが現れることはない。部活・研修・出張・報告・その他の雑務は必死にこなして、授業か教師の命が削られるのである。
 このクラブの生徒は、雨が降っても、顧問が休んでも激しい練習を欠かすことはなかった。顧問がいない日ぐらいはさぼって、お茶を飲んだらどうだと唆しても、笑うだけで練習が中断することすらなかった。
 それほどにまで打ち込んだ部活であるのに、打ち込んだスポーツにしても楽器にしても、卒業後も続ける者は希である。僕の甥が高校生で、日曜も正月もなく部活で野球していた。夏休みのある日、座敷で所在なくごろごろして、退屈て゛たまらないという。
 「野球が好きで高校を選んだんだろう。友達と野球したらどうだ」と言うと、
 「いやだよ、休みぐらいはやりたくない」どうして普段は熱中できるのかと問えば、
 「部活だから」という。好きではないらしい。好きではないのに、限度のない部活に引きずり込まれる。
 それをどうしてクラブというのか、クラブは倶楽部と書くのである。ともに楽しむ・・・。部活には不思議な集団中毒性がある、ハードな運動は脳内麻薬を分泌させもする。集団を離れれば冷めるのも早い。だが職場に部活を持ち越す者や、新たな部活的労働環境に取り込まれる者たちは悲惨である。過労死が待っている。
 歯を食いしばって続けることを賛美するのはやめて、継続は力などというまじないも捨てて、あっけらかんと休んだりやめたりする風潮を作りたい。南米を一年巡って来た池川君が、部活中毒から脱したのは大学を卒業してからのことだ。彼はその夏初めて、夏がさわやかな季節であることに気付いたという。中学高校の6 年間、彼らが最も輝いていた時期、何のための四季かと思う。

・・・見てくれの主体性が奴隷根性
  自ら主体的に抑圧構造へ従属化する、こうした現象を「主体化=隷属化(サブジェクション)」と呼ぶ。

いじめをなくすために 1 自力で解決する帰国生

  H高校には、中国帰国者の為の特別枠がある。通常の授業は普通の学級に属して受けるが、国語や社会科などは、「取り出し」授業といって、帰国生だけの小クラスを編成する。
 例えば、「けんり」と日本語で発音すると、帰国生は、「権力」「権利」の両方を思い浮かべてしまう。両方共に中国語では「ケンリー」と発音するからである。同じ文字を使うからこそ、注意を要することがある。
 彼らは、中国では日本人として少なからず辛い思いもし、父や母を引き取り育ててくれた中国人祖父母への深い敬愛と恩義もある。日本では、中国人と呼ばれまた辛い思いに沈む。
 僕は彼らと初めて出会ったとき、先ず出身地と中国名を聞いた。気を遣って日本語風に発音してくれるのだが、それを僕は中国語で発音してみた。忽ち彼らの表情が緩んで「先生、中国語出来るの」といいながら立ち上がって教卓を囲んだ。嬉しそうな表情の中に、孤立した寂しさを引き摺って暮らしてきたのだ。
 中国全土の地図を壁に貼り、印を付けながらひとり一人話を聞いた。教員の中には、一日も早く日本に同化させるべきだとする傾向が強かった。何故なら、日本のほうが優れているという。
 しかし日本人になろうと、中国人であろうと、混血の華僑であろうと、それは彼らが生活の中で主体的に選び取ることである。いずれであっても尊重して援助しなければならない。
 ある日、帰国生女子がいじめを訴えてきた。こんな時、教員には個室が必要だとつくづく思う。大職員室では、相談出来ないことはあまりにも多い。
 「毎朝、昇降口で男子が数人で待ちかまえて、お前発音変だぞ。中国に帰れよ。なんて言うの。いじめでしょ」
  「いじめだね。他にもあるかい」
  「ある。団地の広場で友達と話していると、必ずお巡りさんがやってきて、帰りなさいと言うのよ。必ずよ。見張られているようで気持ち悪い」
 「両方とも、何とかしよう」
 「待って、先生、話せてスッキリした。自分でやってみる。駄目だったら、助けて」そういって帰った。
 二日後
 「うまくいったよ。昨日はね、私が先に行って待ってて、言ってやったのよ。「おはよう」って」
 「ほう、それは面白い」
  「でね、「私、○年○組の△山××」 あなた名前はって聞いたの」
  「いい度胸だね、君らしい。それで名乗ったのかい」
  「名乗った。だから私言ったの「□◇君、あんた男でしょ、男なら、私に文句あるんだったら一人で言いなさい。それから挨拶もしましょ」 今朝、□◇君が一人で待ってて、おはようって。なんだか照れてたよ」
  「素晴らしい、君らしいね。中国ではいじめは、大人や教師抜きで解決するのかい」
  「うん、大人や先生に言う前に何とかすることが多いよ」
  「喧嘩にならないかい」
  「小さな子なら喧嘩しちゃうこともあるけど、いつの間にか仲良くなっちゃう」
 
 彼女の日本人男子に対する姿勢は、剣道の正眼の構えのようで格好いいと思う。日本の教師が外国で教えることになると、殆ど例外なく「起立・礼」を教えて得意がる、世界に誇る日本の習慣だと。
 中国でも「起立・礼」はない。帰国生が正眼に構えたような挨拶をして、それに対して武士道の国の日本人生徒が、毎日毎時間号令と共に挨拶を繰り返しているのに、このざまだ。挨拶は号令でするものではない。必要に応じて人間関係を作るために、個人の判断と決意で行うものなのである。号令でやれば、判断も決意も育たない。つまり、挨拶がひとり一人の中で概念化されないのである。

 僕は中国で幼稚園を通りがかりによく覗く。面白いから、長く見ていることもある。
 保母さんが複数で子どもの遊びを見ているのだが、大抵お喋りしながらだ。子どもだから、すぐもめ事が始まる。喧嘩にもなる。泣くこともある。だが保母さんが手を出すのを見たことはない。揉めていると、先ず他の子がやって来ていろいろなことをする。それが面白い。時には数人が入れ替わり立ち替わりやって来ることもある。なだめたり、モノを持ってきてあげたり、頭や背中をなでたりしている。止めに入った同士が喧嘩したりもする。珍し気に見ながら通り過ぎる子もいる。繰り返し来る子もいる。泣かされた子を連れて行く子もいる。そしていつの間にかまた遊び始める。その間、保母さんたちの目は子どもから離れないが、体は動かない。外から見ている僕らは、とても長閑な気持ちになるのだ。
  日本の保育園や公園で遊ぶ幼児を見ていると、間髪を入れず介入する大人の動きを見ることになって、つまらない。

 H高校の帰国生が僕のところにやって来たのは、何とかしてもらうためではない。自分の判断が日本の社会でも通用するか確かめるためである。
 卒業後の進路についても、帰国生たちが学校の進路指導部に依存する傾向は、きわめて低かった。自分の判断・決意の範囲が日本の生徒よりはるかに広い。だから問題が大きくならないうちに問題を意識、自分で何とかすることが出来るのだと思う。


追記 いじめについては、本ブログ「和解する教室   1-6でおこったこと」のP君 の件を御覧頂きたい。「正眼の構え」については、「体罰を止めさせるために」を参照頂ければ幸いです。

もし、君の庭が貴金属だらけになったら

   夢のような幸運、たった一掴みでどんな贅沢も思いのままだ。ひとかけらの土も糞や汚物もない。大リーグ「大谷」の幸運は、さしずめプラチナか巨大なルビー相当だろうか。プロゴルフも競艇も競馬も囲碁将棋gamerもオリンピックplayerもその稼ぎ高が、画面や紙面を賑わす。それにつられ...