二年の二学期だったと思う、都立高校入試に的を絞った模擬試験が行われ、結果が廊下の天井下蟻壁に張り出された。 順位・合計点・学級・名前が毛筆で書かれていた。 珍しいものを見上げて互いの名前を確認しているところへ、三年生が走ってきていきなり飛び上がり破いた。「ぼさぼさ見てるんじゃないよ、お前たちも破け」とけしかけ、すっかり取り去ってしまった。あっけにとられて、先生たちは怒るだろうなと思ったが、何もなかった。試験結果は印刷されたものが、ひとり一人に渡されただけである。
模擬試験にも、掲示にも教師たちの意見は割れたのだと思う。卒業するまで掲示は二度となかった。おかげで、どの学級の誰が成績がいいのか悪いのかは知ることはなかった。この数年後の生徒作文を読むと、模擬試験結果の結果掲示を、中学校らしい風景と、一年生が書いている。
三年では、毎日六時間目終了後に漢字と英単語の小テストを実施するようになった。担任は来ず、学級委員が職員室にドリルを取りに行き、配り回収する段取りだった。用紙はわら半紙1/4サイズに十問。教科書に準拠していた。
用紙を配ろうとすると、
「たわし、答えを教えてくれよ」と懇願する声が聞こえた。
「俺もたまには満点の答案を母ちゃんに見せたいよ。いいじゃないか、頼むよ」の要求にはみんな大笑いした。僕はもっともだと思った、このまま配って回収しても、高校受験しない連中には、ただ時間の浪費に過ぎない。受験する連中に引き摺られ、迷惑千万だろう。逆もなければバランスはとれない。しばらく考えて、
「やっぱりカンニングはいけないよ、絶対にね。少し予習の時間取ろう。今日は漢字だよ。範囲は教科書の○ページと×ページ。僕は黒板でやるから見るなよ」そう言って正解を大きく書いて軽く消した。
「見えないだろう、一番後ろ見えないだろう」
「全然見えないよ」
「見えない何にも見えない 意地悪だよ、たわし、少しは見えるようにしてくれよ」また、みんなが大笑いした。
「いつも零点取ってる奴が突然満点じゃすぐバレるから、いいか、はじめは2点か3点ぐらいにしろ。大事なのは点を取ることじゃない、字を覚えることだ」
答えを書き終え、隣と答案を交換して、青鉛筆で回答覧の横に正解を書き込む。 一致しているものに丸をつけて、間違えたら赤で正解を書き入れる。練習を入れて少なくとも三回は、同じ字を書くことになる。僕も気をつけて間違えるようにした。
このクラスぐるみの「カンニング」はバレなかった、冬近いある日までは。いつもの調子でドリルを受け取りに行くと、担任が
「今日から俺が行くよ」と立ち上がった。ばれたかと観念した、しかし怒られはしなかった。知っていたのだと思う。頭をかきながら担任と教室に入つた。
「アーァ」というため息が一斉に漏れた。しばらくは告げ口したのは誰か、詮索がやまなかった。真面目な越境生の母親たちには、このカンニングは許せなかったのだろう。
十年後の土曜日昼下がり、僕は定時制高校での授業のために、西武新宿駅に急いでいた。途中、新宿三丁目で同級のH君と出会った。遠くから、善良な笑顔で手を振って立っている。極上縦縞ダブルのスーツにコンビの革靴。
「久しぶりだね。こちら奥さんかい」僕が笑って頷くと
「Hです。樋渡君には、二中で大変お世話になりました・・・」彼の経営する商業雑居ビルの前で、堂々たる話しぶりである。聞きたいこと話したいことが互いに山ほどあった。特にA君とZ君の消息はゆっくり確かめたかったが、授業を優先してしまった。
西武線車内で妻が、
「お世話って一体何のこと」と聞いた。僕の頭に沢山の思い出が駆け巡ったが、先ずこの「カンニング」の件を話した。
追記 「夏休みの宿題も、普段の宿題も、担任は採点しないし見もしないよ」と教えてくれたのは、小学校で僕の隣にいた妻である。彼女は担任のお気に入りで、全員の教科別成績一覧表も、職員室で見せて貰っていた。だから宿題がうずたかく積まれては焼却炉に消えるのを知っていた。希に返却される時も、日付入りの判子が一律に押されるだけ。だから二中の小テストの狙いは点数ではなく、練習だろうと考えたのである。
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