お恵みを受け取るより飢え死にした方がまだましだ

 「1945年、日本軍国主義者とフランス軍によって私の故郷ハドン村でも、大半の人が飢えていました。ある日、フランス人と結婚した村の女性がハノイから里帰りしてきました。大変な金持で、ピカピカの車と絹の服といった華麗な装いだった。彼女は故郷の人びとが飢えていることを知って心を痛めて、少しでもたしになるように、といって山ほどの米を村のお寺の境内に置きました。『どうぞ、自由に持って行ってください』と人びとに呼びかけ貼り紙もしました。でも、みな骨と皮ばかりに痩せこけていたのに、誰一人として彼女の米をとりに行かなかったのです。
 数日後、彼女や親類の人たちがその米を炊いてお弁当を作りました。『みなさん、これを食べてください』‥…・と。 けれど、やっぱり誰もとりに行かなかったのです。
村人たちは口々に、『フランス人と結婚した女のお恵みなんか決してもらいたくない。飢え死にした方がまだましだ』といいました。たった一人の子供も老人も、彼女の親切を受けとろうとしなかったのです。フランスに対する憎しみが、いかに強いものだったかわかるでしょう」ホーチミンと共に闘った老兵士の話である。
                                                            大石芳野『闘った人々』講談社文庫

 ベトナムで汽車が初めて開通したのは1912年、ハノイとハイフォンの間だった。
「けれど、庶民は乗ろうとしなかった。仏軍の造った汽車に乗って目的地に早く着くよりも、時間をかけて自分の足で歩いた万がずっと気持ちがいい。フランスの世話などになりたくはないさ」 といっていたという。
 何しろベトナム人は、気が強い。その強さが、時には反発を招くことがある。たとえ四十度近い高熱に冒されても「いいえ大したことありません」といって、平然とした顔つきを保つことができるのかベトナム人だともいわれる。
                                                                
  コロンブスが最初に見つけた島(エスパニョーラ島)には先住民タイノ族がいた。コロンブス一行は、そこを楽園エデンだと思った。
 タノイ族は物をあまり所有しない、自然が豊かでいつでも採れるからだ。様々な作物を一緒に植えて、管理手入れを必要としない非常に優れた農法を持っていた。だから一週間のうち数時間の労働で足りる。魚が欲しければ海に入ればすぐ獲れる。
 豊かな時間を使って、先ず歌ったり、踊ったりする。楽器で音楽をつくる。又語り部が物語し、みんなで聞く。飾りを作る時間も。彼らは器用で、髪飾やネックレスとかイヤリングなどを作る。あとは、愛情表現。恋人がー緒になって、隠してもいない。その時間が多い。
 もしコロンブス一行が神を信じていれば、この世の楽園エデンに、神を恐れて何も手を加えなかったに違いない。スペイン人たちの行為は、彼らが些かも神を信じていなかったことを白状している。しかし彼らは、神を利用はした。

 コロンブスは出資者イサベラ女王に土産を贈った。タノイ族から貰った金や銀や飾り、タイノ族二人が土産である。「新世界には、金も銀もある。奴隷もいる」と報告する。侵略に火がつく。
 スペイン人は、奴隷使いとしてその傲慢さと残酷さが向いていたから、銃で奴隷制を作ることができた。しかし、どんな民族も、奴隷に向いている筈がない。ましてタノイ族は、エデンの民である。座り込んで死を待つ、鬱病で命を落とす、子供は作らない、奴隷にする為に子供をつくる者はない。タイノ族は百年で全滅した。スペイン人とポルトガル人は、新大陸の全域で略奪と殺戮を繰り返した。

  僕は、ベトナム民族やタノイ族の気高さを羨む。
  我々の政府は、原爆を落とした指令官に最高の勲章を贈り、占領軍上陸前に米兵向けの「特殊慰安施設」を用意し、天皇は沖縄を県民ごと「献上」した。子どもは米兵の後を追い、チョコレートをねだって愛想を振りまいた。
   「「特殊慰安施設」で僕らの姉ちゃんに襲いかかる奴らのチョコレートや缶詰なんて死んでもいらねえや」とやせ我慢をする少年は零ではなかったと聞くが、かっての「小国民」としては情けない光景ではなかったのか。←クリック
 弱い国や民族には居丈高で残虐であるのに、強く上位の相手には自尊心まで平気で捨てる。そのくせして、愛国心を強制する。
   遮二無二勉学に励み、念願叶って憧れの会社に入り過労死する事件が後を絶たない。散々会社を儲けさせて死んぬ。華族はやり切れない。タノイ族のように、座り込んで死ぬまで抵抗する、ベトナム民族のように「飢え死にした方がましだ」とそっぽを向くことを、我々は何故しないのだろうか。それは幸福が今現在にはなく、別の場所で他人から与えられるという生活や人生観に囚われているからではないか。
 卒業までは、資格試験合格までは、GNPが伸びるまでは、賞が取れるまでは、○○に勝つまでは・・・と我々は現在を犠牲にするのが美しいと思わされてきた。タノイ族にとって、人生最高の瞬間は常に現在であった。それが失われるなら、死を持って抵抗する。
 日本の我々にとっては、人生最高の時は常に先にしかない。今抵抗して死ねば、それまでの我慢努力は無駄になり、幸福は全て消えてしまう。だから、個人の運命を左右する組織や個人に盲目的に隷属する。隷属して、在りもしない未来の幸福を夢見るのだ。ベトナム民族のように、未来のために現在を頑固に作り替えようと闘うことはない。
 そのの日本人が「明治時代のころ」までは、ベトナム人と比較される心性を持っていたと書かれることがある。そうだろうか。僅かに田中正造や山本宣治を思う。

武器を捨てれば「自由」になれる。自由を守ることで、敵をつくらない。『針谷夕雲』

  針谷夕雲は、数ある江戸時代の剣客の中で、武蔵や柳生十兵衛などを抑えて、最も強いと言われてきた。しかし、謎の多い人で、弟子の小田切一雲がまとめた『天真独露』以外にあまり手掛かりがない。僕はよく授業で取り上げた。「強い」ことの本質を、よく捉えていると思うからだ。
 彼は、剣を捨てた。だが最も強いのである。だから、様々な作家が取り上げている。ここに引用するのは、有馬頼義 日本剣客伝『針谷夕雲』である。
 故あって、彫り物師となった夕雲と、弟子・小田切一雲の極意「相ぬけ」に関する遣り取りである。主に夕雲の言葉を示したが、必要に応じて一雲の応答も入れた。


夕雲「今までの剣術は、強い者が勝ち、弱い者が死ぬ。同じ腕なら相撃ちになって両方死ぬ。これが畜生心だ」
夕雲「おれは、自分の父親を殺してからは、たたかわずして勝つことを、子供の時から考えていた。しかし、たたかわずして勝つためには、禅しかない。これは教えだ。剣術ではないだろう」
夕雲「しかし、たたかわずして勝つことよりも、もっと前の段階で、たたかう相手をつくらぬことを、考えたらどうか」
夕雲「それには、他人を相手にしてはだめだ。自分を相手にすることだ」
夕雲「人は、相手に立ち向う前に、必らず己れ自身に問いかけるものだ。やるべきか、勝てるだろうか、相手が強かったらやられる・・・」
夕雲「いつか、おれが女を抱いているとき、お前はおれに仕かけようとして、おれを見失ったと云ったな」「あれよ」
夕雲「おれは、最初は、お前を意識していた。しかし、そのときは、おれの心は女を抱くことだけに集中していた。女も、そうであった。つまり、おれも、女も、そこにはいなかったのだ。これが相ぬけの半分の理屈だ」
一雲「あとの半分は?」
夕雲「つまり、もう一人のおれを、つくることだ」
一雲「は? そうすると、先生の流儀から云うと、相手も夕雲流でなければならないことになります」
夕雲「出来れば、な。しかし、実際は、一人対無数だ。だから理想的に云えば、人間のすべてに、この理屈をのみこませたいが、そうは行かぬ。しかし、おれ自身が、たたかいの場から消えることは出来るだろう。武器を持たず、たたかう意志もなく、ただそこにいること、それを相手に斬り合いが出来るか」
一雲「そうすると、形の上では、武器を捨てることが第一になりますが・・・」
夕雲「そうよ。しかし、一生それで通せるものでもあるまい。試合をしなければならないときもあるだろう。剣術の型として、武器を持つことを禁ずるわけにはゆかない。しかし、その武器は、相手を倒すための武器でも、自分を守るための武器でもないとしたら、それは型としてはあってもたたかうための武器ではない」
一雲「先生に伺いますが、先年来お話しております、私を敵としてねらう者が現れたとき、私はただ立っていればよいのですか」
夕雲「その通りだ」
一雲「斬られますよ。相手は先生のように悟ってはいない、畜生心です」
夕雲「かまわん」
一雲「先生は、かまわんでしょうが、私には、まだよくわかりません」
夕雲「お前は、竹光をおれに注文したではないか」
一雲「その理由は、お話しました。しかしそれは、相手が、私よりもまさっているとは思えぬからです」
夕雲「それが畜生心だ」
一雲「しかし、そんなものと、たたかいたくないからです」
夕雲「たたかいたくない、というのは、たたかうという意志の裏返しだ。おれの云うのは、もっと深いぞ」
夕雲「お前は、相手の敵から身をかくすために、非人小屋におるのではないだろう」
一雲「その方が、自由だからです」
夕雲「それだよ。自分自身が、自由であることが大切なのだ。自由を守ることで、敵をつくらない。女が、月のものがあがってから、愉悦することが多くなった、ときいて、おれは自信を持った。あれが、畜生心からの解放だ」
一雲「ははあ、そういう意味でしたか」
夕雲「隙、ということをよく云う。剣術での隙は、意識の上で、守りをかためることだ。おれは、人間が、自由で、好きなことに熱中している状態が、隙のないすがただと思う。たたかう意識そのものが、隙を生む」



 有馬頼義が、夕雲に語らせている言葉が秀逸。「それだよ。自分自身が、自由であることが大切なのだ。自由を守ることで、敵をつくらない。女が、月のものがあがってから、愉悦することが多くなった、ときいて、おれは自信を持った。あれが、畜生心からの解放だ」
 「人間が、自由で、好きなことに熱中している状態が、隙のないすがただと思う。たたかう意識そのものが、隙を生む」
 常備軍を廃止して、コスタリカは自由になり、教育に予算を回した。
 有馬頼義は映画『兵隊やくざ』←クリック の原作『貴三郎一代』を書いている。権力による暴力を心底憎んだ作家である。素手のヤクザ大宮とインテリ有田上等兵が、兵営の理不尽極まる暴力支配に徹底的に反抗する。名家出の有田上等兵には、有馬頼義自身が投影されている。

追記 「たたかう意識そのものが、隙を生む」は、我々に向けられている。受験戦争や部活の勝敗に少年たちの意識を組織して「自由で、好きなことに熱中」することを妨げている。
 部活は、「好きなこと」と反論があるかもしれないが、有馬は自由で、好きなこと」と、自由を強調している。部活や受験地獄に、自由はない。それを生きがいにする教員にも、自由のあろう筈はない。「たたかう意識そのもの」によって教育そのものに「隙を生」じせしめているからである。

“We Have Just Had Enough” 米国ウェストバージニア州教師の山猫スト 8日目に突入

 ウェストバージニア州全州に広がった学校の閉鎖は5日で、8日目。2万人以上の教師と1万3千人以上の職員が5%の賃上げと高騰し続ける医療保険料抑制を求めてストライキ中。ストは2月22日から始まり、州内公立学校は閉鎖。この教員ストの熱気は、他の州にも広がり始めている。支援の輪は影響力の強い鉱山労組など他産業にも、世界各地にも及んでいる。
 ウェストバージニア州は貧困率の高い地域で、小中学生の多くが朝食も学校で取る有様だ。その世話も教師がになっていた。
 the world socialist web siteは、

 The West Virginia teachers strike and the rebellion against the trade unions.

と報じている。まさに堪りかねての反乱山猫ストである。
組合活動家のJAY O’NEAL氏は、動画でこう発言している。  We’ve been on strike for eight days. This goes back years. Starting salaries for teachers here with a bachelor’s is about $33,000. And the biggest root issue of everything is our insurance. The acronym is PEIA. It stands for Public Employees Insurance Agency. And basically, our state government has not been funding it adequately for years. And so, every year there are new cuts. There’s public hearings every November, and they basically tell you how much worse the insurance is going to get. This year they proposed moving to something called Total Family Income, and so basing our premiums on the income of everyone in our family. So, for instance, my spouse has another job and works, and so they would base not just on my income, but on her income, as well, which meant my premium was going to double. And there’s a lot of teachers who both of them, you know, work in the school system, and they were going to see their premiums double, too. And I think people have just had enough, and they’ve decided they’re not listening to us when we try to lobby, when we try to call, and so we’ve got to do something big. We’ve got to walk out to get them to listen. 
 記者の質問。 Now, Jay O’Neal, this is a wildcat strike. Could you talk about the laws in terms of striking in West Virginia and the role of the union leaders, because, as I understand it, there are two teachers’ unions that represent different portions of the workforce in West Virginia?
JAY O’NEAL  Sure. We don’t have collective bargaining here for teachers, and so teachers don’t have to join a union. We have two unions: the West Virginia Education Association and the American Federation of Teachers in West Virginia. But at any given school, you might have teachers who are a member of one or the other or neither. And so, without having collective bargaining, we actually don’t have the right to strike as public employees. But people just felt like they didn’t have any other option. In West Virginia right now, we have over 700 unfilled vacancies, as far as teaching positions. And so, I think we thought, “I mean, really, who are they going to replace us with?” At this point, we don’t feel like we have a lot of other options.
 掲げているプラカードに「I need living wage」の文字が読み取れる。2001年春、ハーバード大学から全国の大学に広がった言葉である。日本のメディアは、全く報道しようとしない。  Democracy Now!のリンク  ←クリック                 


  教育関係をもう一つ、
 英国で大学ストライキが3週目に突入 年金カットと高等教育の「市場化」に抵抗←クリック
                      
 英国で、数万人にのぼる講師や図書館司書、研究者、その他の大学の労働者らが、年金への攻撃や学生の学費上昇に抗議してストライキに入っている。ケンブリッジ大学英文学科のPRIYA GOPAL先生はこう言う 。
   First of all, I’d like to send solidarity on behalf of the university teachers in Britain who are striking to our colleagues and co-workers in West Virginia.
We’ve been on strike, as well, since the 22nd of this month. Academics in Britain are not hugely well paid, but what we have been able to expect in recent decades is a modest guaranteed pension. In recent years, this has been subjected to erosion. But the newest proposal, which has come to us from the employers’ body Universities UK, or UUK, actually offer a very damaging scenario in which many of us stand to lose as much as half of our expected pensions. In other words, we would be facing quite serious poverty in our old age.
Just to give you a sense of the numbers, a young lecturer starting out now, who would retire, say, 35 years from now, could have expected to get about $30,000 equivalent in pensions after paying into her or his pensions for a lifetime. If the new proposals go through, they would earn as little as $14,000 to $15,000 a year, and this would be after paying into a pensions fund 35 years into service. And this is, of course, not—in many cases, would be well below a living wage.

  日本の教師は、米英の教師に比べて少しも恵まれてはいない。飛び抜けて長い勤務時間、信じられないほどの不払い労働、増え続ける過労死と病気退職。削減される年金、強化される教師への言論統制、奪われたままの労働基本権・・・。
 日本の教師こそ“We Have Just Had Enough”と叫ぶ時が既に来ている。必ずや、世界の支援が集まる。

追記 あらゆるmediaに弱点・盲点がある。democracy now は、米国の帝国主義的振る舞いについて、眼を閉ざす傾向がある。日本の多くの「良心的」媒体にもある。複数のmedia を常時併用したい。

続 誰に許されて教壇に立っているのか

承前←クリック
 「ある生徒が、「あ、社会科か、スリーピングタイムだ」と聞こえるように言ったので、かなりこたえています」若い同僚の嘆きである。
 僕らはそんな生徒を学習に誘うに相応しい学校をつくっているだろうか。相応しい教師であるだろうか。彼ら生徒は何のための学校に来るのかを疑っている、疑わねばならない。疲れては寝るを繰り返すのは、彼らにとって授業が監禁拷問になっているからではないか。僕が今その現場にいるならどうするだろうか。考えているだけで、鬱になりそうだ。休むことを考えてしまう。 
 教師に成り立ての頃、「若さは教育力」と方々で言われた。授業の場面から若さを次々剥ぎ取って残るのは何か。 山形県の基督教独立学園の百歳の先生を思い出した。「老いの教育力」という言葉がたちまち浮かんだ。70年代だったと思う、書道のおばあちゃん先生を生徒が職員室に迎えに行く。老いを学ぶかのように高校生が手を引いてゆっくり歩く。僕たちは老いた教師の姿を生徒たちに見せることが出来ない。
 「老いた労働者」は授業の重要な主題でなければならない。「生涯現役」が語られる時、そこに現れるのは単純労働力としての年寄りである。だから、定年は延長してやるから賃金は割り引くのである。
 学校内では若い教師にも仕事盛りの教師にも老いゆく教師にも一律の振る舞いを、無言のうちに強制して「平等公平」と言っている。画一・均一を平等と言ってしまう知性の軽薄さが、教師に目立ち始めた。田代三良が言った「教師の力量の低下」はここにも現れていた。

 80年代迄、若い教師、壮年の教師、老いゆく教師、それぞれのリズムがあった。50歳にもなればクラブの顧問からはずれるのは当然であり、若ければ複数のクラブを引き受けた。年寄りが「まだやれるよ」と言っても、教室と職員室の往復にも休みを必要としていたのだ。職員会議で一律に割り当てられた仕事(例えば空き時間に廊下やトイレを巡回して吸い殻などを回収する)、は「僕たちがやります、先生はここで休んでいてください」と準備室に招き入れた。
 若きも老いも、三年間の担任を終われば、しばらく校務分掌なしで授業と研究に専念した。豊かな老いは、自覚的に蓄えねばならない。放置すれば、劣化するだけである。
 生涯学習、生涯現役とは老いゆく肉体の酷使にすぎない。 高校生が好奇心豊かに大胆に失敗するのに、老教師は体験に満ちた知的豊かさを指導に生かす場がない。画一性が、それぞれの年齢に相応しい振る舞いを封じている。

 70年代、若い僕らは、空き時間、放課後、勤務時間外、老いた教師に学んだ。老教師たちは僕たちの失敗や質問を待ちかまえるようにして、語った。居酒屋にも誘った。大学の教職科目や実習などの遙かに及ばない生きた教育学であった。謂わば即席の擬OJTであった。OJTと違うのは命じられた職務ではない事だ。それ故若い僕らには、自主性自発性が培われた。どの学校にどんな先生かいて、どんな経験を蓄えているのか、案内書があるわけではない。自ら探るしかない。時には、年配の教師や校長が自宅に誘って丸一日語ってくれることもあった。読書会や校内教研はその中から生まれた。機械的画一的役割分担は、豊かな経験を用済みのゴミのように捨て、若い好奇心と向学心までも潰してしまった。

 教材研究を、無能な教師のすることと思っている教師がいるという話も聞いたことがある。自らの内なる体験を演繹する事も、職場の経験を帰納することもないのか、気が滅入る。世代の文化を伝承する学校の機能が、肝心の足下で失われていく。教育労働はもはやないのか。直ちに派遣労働に切り替えられてしまう。この状況は、遅れた底辺の出来事ではない。崩壊する教育文化の、最先端なのである。階層性を失った社会はフラグメント化する、その先端なのである。もはや、東大や早稲田にセツルメントが復活することもないだろう。青年学生共闘という言葉も遠い死語となった。

 他方では、「遅れた知的難民」の問題は、工夫次第でなくなると謂わんばかりに、行政は教育産業への予算措置に夢中で、現場の実態には目もくれない。

記  70年代のことだ。僕は教員組合青年部合宿で
 「もう、賃金要求は少なくとも僕には十分だ。制度要求にも力を入れて欲しい。例えば、ドイツでは勤続年数に応じて長期研修がとれる。一年通して取ることも可能だ。無給なら更に延長できる。そのほか、我々自身が学べる体制を要求する」
  と発言して、猛烈な反発を浴びたことがある。「まだまだ、賃金は低い・・・日和見だ・・・」
 今、過労死を招いている長時間勤務を我々が阻止できなかったのは、賃金要求一辺倒だったからではないかと悔やんでいる。通勤時間を片道20以内に、倶楽部活動は地域に、入学式や卒業式は廃止も含めてそのほかの行事共々見直す、生徒の学校運営参加、定期試験廃止、入試廃止・・・たくさんの要求があったはずだ。量を問題にするのではなく、構造を問題にすべきだったんだ。
 全てを量だけで捉えていた。我々には「ずらす」して見るという教養を持てなかった。


もし、君の庭が貴金属だらけになったら

   夢のような幸運、たった一掴みでどんな贅沢も思いのままだ。ひとかけらの土も糞や汚物もない。大リーグ「大谷」の幸運は、さしずめプラチナか巨大なルビー相当だろうか。プロゴルフも競艇も競馬も囲碁将棋gamerもオリンピックplayerもその稼ぎ高が、画面や紙面を賑わす。それにつられ...