常に両側に立って考える公平性

イラク戦争報告に英国は260万字、日本はA44枚
 小型船の片側に乗客が集中すれば、少しの揺れが転覆を引き起こす。そんな危険に直面したとき、我々がなすべきことは、「皆さん、このままでは転覆します。真ん中に重心を移しましょう」などと悠長に語ることではない。先ず自身が咄嗟に反対側へ走ることである。珍しい現象や鯨に見とれている間に、反対側の人が消えたことに気付いて危険を察知・行動するのが「常に両側に立って考えてみる」ことである。

  「片側にだけ立って考えるのではなく、常に両側に立って考えてみる公平さ」寺山修司の視点から言えば、ディベートは現象の両面に広がる実態を見ずに断定する訓練であり、世界を対立と憎悪そして破壊に導く企てである。別の側に立って考えてみることこそ「教養」。
 反知性主義の本場アメリカでディベートが盛んであることは、殺戮が彼等の日常であることに結晶している。ディベートはゲームであるとの言い逃れがあるが、まさしくアメリカ海兵隊にとって殺人はゲームであり、他国の経済的破綻は国際金融独占=ファンドにとってゲームにすぎない。彼等は決して辺野古からものを考えることはない。 
 
 「手紙かメールか」を巡って小学生がディベートをした。ある少女が手紙側に割り振られた。「手紙は切手も封筒も便箋も無駄です」というメール側に反論して「あなたは、人から貰った手紙は捨てるのですか、私は大切にとっておきます」と反論した。そこで担任が思わず「鋭い」と呟いたという。この話は少女の祖母が可愛い孫娘の挿話として投書したもの。mailをとっておく人もあれば、手紙を捨てる人もある。手紙とmail は使い分ければよいものであって、対立するものではない。それをわざわざ言い争いの種にする浅はかさに呆れる。 

 「生徒に人権など認めていたら秩序が無くなる」と学生までが言う。彼らが教員になれば、職員室で生徒をバカにすることになる。尊厳を生徒に認めないばかりか、自分の尊厳にすら気付かない。
 若者が置かれた状況に怒り悲しみを覚えるのでは無く、いち早く管理する側と一体化し「尊厳などと甘ったれたこと」を言う者を見下すことで、ある種の優位を尊厳の代替にしているのではないだろうか。そんな不遜な教師が良き同僚と優しき生徒に恵まれて、生徒の尊厳に目覚めるのを僕はいくらかf

見てきた。しかし今の職場状況では、逆はあり得るが、尊厳に目覚めることは期待できない気がしている。
 慶応の医学部では、患者の尊厳を認めるのに些かでも躊躇いのある学生が専門課程に進学しないよう高い敷居を設けていると聞いた。

   自由の森学園の新任教師採用方法も、教職に適していない者を発見する優れた方法だと思う。採用の最終段階を、授業を受けた生徒に委ねる。ある教科新任募集ではなかなか生徒の信任が得られず、数年間定員が満たせなかったという。教職に適していない者に、転職を促すことは双方の尊厳を守る。教育実習の重要な機能でもある、たった二週間では無理、お互いにお客気分のまま終わる。

 人権を否定する権力者を仮想の相手に、または教師が敢えて人権を否定する側を演じ、生徒は全て尊厳を要求し守る立場に立たせる演習を考えるべきだと思う。皆が教師を説得し、やっつけるのだ。全ての生徒の人権意識を逞しく育てる、憲法はそれを教師に要請している。立憲主義下の公的機関は、憲法の理念を実現することを期待されているのであって、平均としての中立を要請されているわけではない。
 だが現実のディベートでは、生徒を二つに分かって対立を演じさせ、教師は全能の神のように評価だけをになう。生徒は、例えば人権について肯定する側と否定する側が無条件に並列するのが「無色中立」であると捉えることになる。
立憲主義を奉じる教師が、ディベートの見かけの公平中立性に幻惑されて、それを嬉々としてやるから混乱する。

 人権を嫌う政権与党議員が、ディベート的訓練に参加して辺野古側や反原発側から立論する。検察官や警察官が代用監獄制度反対や自白無効の立場に立ち、講評は冤罪被害者が厳しく行い不合格者を任官させない。学校管理職が管理主義反対の立場から討論に参加する。大企業幹部がスト権肯定の立論を試みる。立場上片側からの視点からしかものを見ない職業に就く者たちに、こうした訓練を施す制度が日本には不可欠だと思う。


 イラク戦争開戦から14年、イギリスの参戦経緯と戦後処理を検証した独立調査委員会が発表した報告書(2016)は、ブレア元首相の判断を誤りと断罪している。
 
調査委員会は約2年にわたり約150人の関係者を喚問、260万字にわたる報告書をまとめている。報告書は正確な証拠と緻密な論証で、ブレア政権の大量破壊兵器をめぐるリポートは根拠がなかったと断定。イラクで死亡したイギリス人約200人にも言及。更に、戦争とその後の混乱で死亡した15万人(英国の「Iraq Body Count」によれば、約26万8000人)のイラク人についても21世紀の外交政策の悲劇として記憶されるだろうと述べている。
 報告書は、最重要機密文書の多くも機密解除している。ブレアからブッシュに送られた30通のメモ、覚書、そしてe-mail が公になった。

 対して日本の外務省は、A4用紙4枚のreportを公開しただけである、雲泥の差とはこのことだ。我々日本国民の船としての政府は、片側に重心を置きすぎるばかりか、そもそも現象すら見ていない。

武器を買ったから敵を探そう、いなければ作ろう

 左の写真は、若松機関区で写生をする小学生。女子二人は早速腰を下ろして筆を動かしている。二人の男子は機関車に圧倒されっ放しで落ち着かない。右端の子はスケッチに来たことすら忘れて、画板を頭に乗せてしまっている。
 写生を終えて教室に戻ったとき、女子は完成した作品を出すだろう。男子は長い観察の挙げ句、例えば連結器をようやくかたどっただけかもしれない。ひょっとすると描きたい物が絞れずに白紙だったかもしれない。担任は雷を落とす。


 だがゴッホが、変化して止まない色と光に圧倒されなければ、「星月夜」は生まれない。ゴッホ自体が生まれない。写生とは対象をありのままに写し取ることだ。大きな貨物船や列車の行き交う工業都市若松の子どもであっても、目まぐるしく動く機関区には圧倒される。長距離の牽引から帰ったばかりの機関誌も、火を入れて出発の準備を始めた機関車も、火を落として釜を掃除中の機関車も、給水中の機関車も、機関誌と機関助手や整備士とともに様々に行き交っている。全体を把握するには半日では足りない。興奮状態は夜になっても続き、早起きして早朝の機関区を見に行ってしまう。お陰で遅刻して居眠りして又叱られる。 
 学校は教師の意図を越える動きを喜ばない。指示通りに動くことを求める。

 ある年、二年生が文化祭である企画をした。既存の商品を組み合わせ加工して販売した。1日目の午前中に売り切れてしまった。評判を聞きつけてやってきた小学生が、がっかりして帰って行くのをみて直ちに追加することを生徒たちは決定。担任は怪我で入院中だった。独断で仕入れて加工して再び販売し始めた。又なくなりそうになってきたが、文化祭本部が「企画書にないことをやつてはいけない」と官僚的に即時中止通告、文化祭担当教師も怒った。
 「どれだけの量を準備すれば良いか、計画出来なかったのがいけない」というわけだ。デパートでも自動車会社でも「想定外」は常にあって追加生産・販売する。計画経済が破綻したわけである。

 政府も「想定外」を乱発して追加予算を決めてしまう。経験の乏しい生徒たちだけに、企画書どおりの計画経済が強制される。逆転している。

 昭和天皇は、出来たばかりの日本国憲法99条にあからさまに違反して国事行為を断行。「天皇メッセージ」をマッカーサーに送り自分の地位と沖縄の基地化の交換を懇願した。にもかかわらず天皇制と基地は続いている。
 原発の重大極まる地球規模の「想定外」事故はいとも簡単に許され、被災者の苦難は「自己責任」と言わんばかりに放置される。
 高校生が文化祭で、僅かばかりの見込み違いをすれば居丈高に「中止」が通告されるのだ。

 教師や大人の浅薄な意図を越えるから、少年は成長する。大人の意図通りの青少年だらけにになった社会は
衰退し破滅する。

 「肖像画にまちがって髭をかいたので、ほんとに髭をはやすことにした。門番を雇ってしまったので、あとから門をつくることにした。
 本質が存在に先行しているのが「学校」の実体です。「本質」にあわせて、無定型の若者たちを、型に押し込めようとしているのです
」              寺山修司


 武器を買ったから敵を探そう、いなければ作ろう。まさに日本はその最中。駅で手荷物検査する構想が始まった。テロを未然に防ぐとの触れ込みだが、テロを誘発するものでしかないことに気付く必要がある。それが片側にだけ立って考えるのではなく、常に両側に立って考えてみる公平さ」である。政治・経済や現代社会の教材にいい。

 
 

不定期、日程時程なし、総括なし / 予定表からの解放 / 同人誌『山脈』の世界

集会は会議室でなくてもやれる、いつでもどこでも
   日本各地に散らばる教師が、不定期刊行に徹した同人誌『山脈』に集ったことがある。主催したのは白鳥邦夫。旨いものが採れる季節になれば、酒持参しての集会を呼びかけた。

 多様で厄介な生徒たちを相手に、七転八倒しながら授業した記録(どんなに短くてもいい)を、持参することを条件にする研究会をやりたい。研究者編集者の類いが参加を希望すれば、彼らにも
にも七転八倒の実践報告を求める。
 田舎屋敷の一室に車座になり、司会も置かず人が集まれば自然に始まる。時程や日程がなければ不安という脅迫観念から先ず自由になる必要がある。参加者が多くなったら、庭や浜に分散して話を続ける。時間無制限。
 宿の手配も、床を延べるのも、食事の支度も自分でやる。掃除も片付けも。
  議論を滑らかにするために酒はいい、手作りの菓子や茶受けも歓迎する。酔っ払ったら迷惑、自ら退場する。分散会の交流は昼休みや、夕食後に自然に開かれるだろう。討論が終わらないところもあるだろう。近所の農夫や子どもが覗き込むようになればしめたもの。
 まとめや総括の類いはない、終わった途端の総括に碌なものはない。ひとり一人が話し合いの中身を咀嚼し、胸に刻むことが重要なのだ。数ヶ月して自分なりの総括が出来たら、不定期刊行の雑誌に送る。そうすることで、自他の違いが際立つだろう。それが、又あの人たちと語り合いたいという気持ちに繋がる。
 こうした会は、絶対不定期でなければ成立しない。最初の言い出しっぺは必要だが、次からは誰かが言い出すのを待つ。自然消滅も悪くない、継続は力などという呪文に縛られていては、国家の消滅も展望できない。組織は発展継続するだけではない、生成と消滅を繰り返すことも多い。生成と消滅の間には発展も停滞もある。停滞は腐敗さえなければ安定でもある。

 表現企画したいという少年たちの意欲を、一斉の日程に合わせることなどそもそも無理な話ではないか。文化祭や体育祭は、少年たちの表現を組織するのではなく、組織のスケジュール表に少年たちの成長を閉じ込める。

 戦前戦中の体験に懲りて、青少年の成長を組織の都合や利益に合わせるのはいい加減にしたのではなかったか。
 先ず教員自身が、スケジュールから自由に行動する必要がある。その自由を模索する少数の教師が、七転八倒している筈である。それが見えてこない、余程少数なのか。


   であれば、学校の日程や教師の管理から自由になることを青少年が恐れず実行することが先だ。自由は君の目の前にある、それを君が掴めないのは管理が厳しいからではない。君が臆病だからだ。教師は君より臆病なのだ、君たちが彼らを解放するのだ。

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...