アレントの「活動」と部活の「活動」

  ハンナ・アレントは人間の働きを少なくとも3つに分けて考察している。労働(labor)、仕事(work)、活動(action)。
 そして、活動による真の政治参加を呼びかけた。この政治参加は投票に行くということではない。サルトルが重視したアンガージュマンでもない。"公共の生活"の新たな再生である。
  シモーヌ・ブェィユも「本当の人生は、感覚ではなく、活動-考え、行動するという意味での活動です」という文脈で「活動」を使っている。

  フランスの彼女たちが使う「活動」に対して、日本のクラブ活動や就活などの「活動」は、「火山活動」「活動写真」の単語が示すように、現象として活発に動いていることに過ぎない。つまり主体抜きの「活発」さだけが「活動」の要である。
 だから学校でこれら「活動」が禁じられることはない。むしろ奨励され、義務づけられ、強制される。学級活動、清掃活動・・・。
  就活にも、生きる主体としての若者の姿は見えない。どこまでも、雇って「もらう」ための迎合する眼差しに満ちた手続きに過ぎない。
 例えば、若者が職場を訪問して、この職場で「私にどんな仕事をさせたいのか」、「私はこんな能力を持っている、それをここは生かせるか」。「どんな待遇で雇うのか、差別はあるのか」。「組合は、私の当面の要求は・・・」などという交渉をすることが出来るだろうか。高校入試の面接でさえ、中学生が「体罰した教師の罰則はありますか」とか「セクハラはありますか」「私は、いじめから守られますか」などと聞く場面は想像できない。促しても、ありませんと呟くだけであった。「部活」から「終活」までおぞましい限りである。
 Actionとは、先ずは主張し行動して、相手に能動的に働きかけることである。そのことを通して「公」を形成する主権者となる筈であった。
 我々の言葉が、歴史的に洗練されていない。常に強者の成り行き、流行り任せである。

Tinker事件判決 1969年


喪章をつけて13歳のMary Beth Tinkerさんが登校したのは1965年
彼女のその後については、英文中にある。素晴らしい生き方だ。
ベトナム戦争反対の意思表明をするために喪章を着けて登校したことを理由に、13歳の公立中学生が停学処分を受けたことを巡るアメリカの裁判。意思表明のために腕章を着けることが、憲法問題になり得るかについて、このような非言語的行為による意思の表明は、「純然たる言論」に極めて近いものと判断し、憲法修正第1条の「言論および出版」の自由(表現の自由)の問題となることを認めている。
 学校で生徒の人権保障がどのように扱われるかについて、この判決の次の箇所が繰り返し引用される。
 「われわれの制度では、州の運営する学校は全体主義の飛び地であってはならない。学校職員は生徒に対して絶対的な権限を有するものではない。生徒は学校内においても,学校外におけると同様に,わが連邦憲法の下での『人(persons)』である」「修正第1条の諸権利は、学校という環境の特質に照らして適用されるにしても、教師および生徒に対して認められている。生徒あるいは教師が,言論ないし表現の自由に対する各自の憲法上の諸権利を校門の所で捨て去るのだとは,とうてい主張できない」
と宣言し、自明のこととした。それ故、憲法上の正当な理由がない限り、生徒の言論を規制することはできないとした。

  Mary Beth Tinker was a 13-year-old junior high school student in December 1965 when she and a group of students decided to wear black armbands to school to protest the war in Vietnam. The school board got wind of the protest and passed a preemptive ban. When Mary Beth arrived at school on December 16, she was asked to remove the armband. When she refused, she was sent home.

Four other students were suspended, including her brother John Tinker and Chris Eckhardt. The students were told they could not return to school until they agreed to remove their armbands. The students returned to school after the Christmas break without armbands, but in protest wore black clothing for the remainder of the school year.

Represented by the ACLU, the students and their families embarked on a four-year court battle that culminated in the landmark Supreme Court decision: Tinker v. Des Moines. On February 24, 1969 the Court ruled 7-2 that students do not "shed their constitutional rights to freedom of speech or expression at the schoolhouse gate."

The Court ruled that the First Amendment applied to public schools, and school officials could not censor student speech unless it disrupted the educational process. Because wearing a black armband was not disruptive, the Court held that the First Amendment protected the right of students to wear one.

その後

Tinker remains a frequently-cited Court precedent. In Morse v. Frederick, the Supreme Court will decide whether Tinker remains good law, and whether the First Amendment continues to protect the right of students to express controversial views that are not disruptive but may disagree with official school policy. 

On Morse v. Frederick:

"With that slogan, he's proven once and for all that teens, with their creativity, curiosity and (to some), outrageous sense of humor, are naturals when it comes to holding the First Amendment to the test of time, even in these times." - Mary Beth Tinker

Mary Beth Tinker continues to educate young people about their rights, speaking frequently to student groups across the country. She is also active in directing the Marshall-Brennan Constitutional Literacy Project at American University, which mobilizes law students to teach courses on constitutional law and juvenile justice at public schools. Tinker is a registered nurse, an active leader in her union, and holds masters degrees in public health and nursing. In 2006, as a tribute to Tinker's devotion to the rights of young people, the ACLU National Board of Directors' Youth Affairs Committee renamed its annual youth affairs award, the "Mary Beth Tinker Youth Involvement Award."

写真および英文記事は、アメリカ自由人権協会HPから


嘘に塗れた戦争 2

  承前
 米国の元外交官ダン・シムプソンは次のように談話している。
Pittsburgh Post-Gazette 電子版
  「米国が、武器取引を続け、戦争を引き起こしている間は、地上に平和は訪れない・・・2015年末の段階で、米国について述べるならば、次のような結論に達する。 
 それは『我々は、まるで殺人民族だ。自分達の家の中でも。外国でも人を殺している』というものだ。・・・ 国内で、米政府は、規制することもなく武器を売らせ、その事は、教会や学校も含め、あらゆる場所での殺人行為を引き起こしている。一方国外で、米国人は、殺し屋とみなされている。 他の国々は、米国が自分達に己の意思を押し付けないよう、自分の神、あるいは神々に祈るしかない。彼らは、米国が、己の目から見て相応しい統治形態を、自分達の元で確立しようとしないよう、また爆弾を投下したり、指導者を殺害するために無人機を飛ばしたりするための口実として何らかの自分達の違反行為を利用したりしないよう、ただ祈るしかない。 
 イラクやアフガニスタンから、リビアまで米国により破壊され、イエメンは、米国の援助のもとサウジアラビアが破壊している。 外国人の大部分は、米国は、世界共同体に脅威をもたらす狂人のように思っている。 米国の所謂『同盟国』のいくつかは、殺人をよしとする我々の傾向をいくらか抑えようとするだけだ。例えば、英国がそうだ。 米国が、自分達の武器の巨大市場にしたいと欲しているインドが、米国とでなくロシアと関係を持つことをよしとするのも偶然ではない。 米国は、自分達の軍部隊を祖国に戻さなくてはならない。我々が、それをしないうちは、この地上に平和はない。 さあ米国よ、人殺しを止めようではないか!」    独 Pittsburgh Post-Gazette
追記 1894年2月、甲午農民戦争(東学党の乱)が起こると、朝鮮王朝政府は清に出兵を要請した。日本も天津条約を口実に出兵。朝鮮政府は農民軍といったん講和。農民戦争の講和で日清双方の出兵理由がなくなり、6月に同時に撤兵することで合意した。しかし開戦の機会をさぐる陸奥宗光外相はこれを破棄し、代わって両国で朝鮮の改革に当たることを提案した。理由のないこの提案を清側が拒否すると、陸奥は大鳥圭介公使に対し「いかなる手段を取ってでも開戦の口実を作るべし」と指令したのは、よく知られた事実である。

嘘に塗れた戦争 1

 イラクのフセイン大統領はアルカイダ嫌いだった。大量破壊兵器を持っていないことを証明するため、国連査察団に調査もさせ、結果は“シロ”。にもかかわらずアメリカは「48時間以内に大量破壊兵器を出さなければ攻める」と最後通牒を突きつけ、攻撃を開始。後から「中東を民主化しなければ」という理由を出したが、親米政権の独裁国家、サウジアラビアやクウェート、アラブ首長国連邦の民主性については触れないまま。イラクそしてアフガン攻撃の発端となった9.11事件も、アメリカの自作自演である可能性が高く、それを告発するサイトは既に山ほどある。戦争のための“嘘”は、アメリカの“お家芸”である。

・1898年、キューバに派遣された米戦艦メイン号は、ハバナ湾で突然爆発して沈没。250人の米国人乗組員が死亡。米国政府は、それをスペイン軍砲撃のせいにして、スペインとの戦争に突入。その結果、米国はキューバ、プエルトリコ、フィリピンを手にいれている。
 最近の海底調査で、メイン号はボイラー事故か火薬庫の暴発で内側から爆発したことが判明。スペイン軍の攻撃ではなかったことが、科学的に証明されている。

・1915年、第一次世界大戦中の1915年5月7日、アイルランド沖を航行していたイギリス船籍客船ルシタニア号がドイツのUボートから放たれた魚雷によって沈没。アメリカ人128人含む1198人が犠牲となった。この、ドイツの“野蛮な”攻撃に対してアメリカの世論は沸騰。それまで中立であった米国議会でも反ドイツの雰囲気が強まっていき、第一次世界大戦に参戦。10万人以上の米兵を戦死させた。
 ところが、積み荷の保険金請求裁判の目録には船倉に173トンの弾薬があることが記入されており、当時の国際法に照らし合わせるとルシタニア号は攻撃を受けても致しかたなかったことになる。しかしウィルソン大統領は弾薬の積載を認めず、目録を「大統領以外は開封禁止」という命令書を添えて財務省の倉庫に保管させていた。
また、最近の海底調査で沈没したルシタニア号が発見され、その船内には違法の武器と火薬が積載されていたことが判明。やはりルシタニア号は当時の国際法に違反していたことが証明されたのである。

・1964年、北ベトナム沿岸をパトロール中の米駆逐艦に北ベトナム哨戒艇が攻撃を加えたと言い募り、ジョンソンは、“報復”と称して米軍機による北ベトナムへの爆撃を断行。米議会は、大統領の求めに応じて、事実上、大統領に戦争拡大の白紙委任を与える“トンキン湾決議”を採択。ベトナム戦争は以後一気に拡大。 
 1971年、ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者が“ペンタゴン・ペーパーズ”と呼ばれる機密文書を入手。トンキン湾事件はアメリカが仕組んだことを暴露した。後に、当時の国防長官ロバート・マクナマラも、に『回顧録』(1995年)で「北ベトナム軍による8月4日の攻撃はなかった。トンキン湾決議によって与えられた権限を大統領は極端に濫用した」と告白した。


 「われわれヨーロッパ人にとって、人種差別的ヒューマニズム以上に筋道の通った話はない。なぜならヨーロッパ人は、奴隷と怪物を拵えあげることによってしか、自己を人間とすることができなかったからだ」
     ファノン『地に呪われたる者』サルトル序文

平和憲法は日本だけではない

  我々は、平和憲法は日本の専売特許と思っているところがある。そんなことはない。少しだけ挙げる。
       コスタリカ 
 「コスタリカの常備軍すなわちかつての国民解放
首都サンホセで国連旗や各国の国旗を持ち行進する子どもたち
軍はこの要塞の鍵を学校に手渡す。今日から ここは文化の中心だ。第二共和国統治評議会はここに国軍を解散する。」、ホセ・フィゲーレスが
演説したのは1948年12月1日 
 常備軍の廃止は、コスタリカ共和国憲法第12条に規定されている。以来政情不安定な中米で70年も平和を維持してきた。中米の紛争を解決に導いた功績で、1987年には当時のオスカル・アリアス大統領がノーベル平和賞を受賞している。 ホセ・フィゲーレスは「兵士の数ほど教師を」をスローガンに突如軍隊を撤廃。驚くべき文化的革命である。この歴史的出来事を経て、コスタリカは軍事予算を撤廃。教育費に国家予算の3割を費やし無償化。医療費も無料とした。国民の幸福度の最大化を目指す福祉国家へと向かったのだ。教育への熱心さは憲法にも現れており、憲法でGDPの8%を教育費に使うと明記している。                                                    

                                       憲法第12条 
 恒久的制度としての軍隊は廃止する。 公共秩序の監視と維持のために必要な警察力は保持する。
 大陸間協定により若しくは国防のためにのみ、軍隊を組織することができる。
 いずれの場合も文民権力にいつも従属し、単独若しくは共同して、審議することも、声明・宣言を出すこともできない。
                                                ボリビア  
2009年1月、新平和憲法を制定。その平和憲法により、国家間の違いと紛争を解決するための手段として、戦争による攻撃が拒否され、世界平和と、ボリビアと他国間の協力が促進される。
                        憲法10条
1 ボリビアは平和を愛する国であり、各国々に対して尊敬の念を抱き、共通の理解、公正な発展、そして異文化間交流の促進に貢献するために、ボリビアと他国間の協力はもちろんのこと、平和と平和にたいする権利を、ボリビアは促進する。
2 ボリビアは国家間の違いと紛争を納めるための方法として、戦争による攻撃を拒否する。そして、ボリビアの独立を侵すような攻撃を他の国から受けた場合、ボリビアの独立と安全を保証するために、自衛の権利を保持する。
3 ボリビアの領地に、外国の軍事基地を置くことは禁止される。
                                                エクアドル  
2007年4月、新憲法制定、憲法ではエクアドルが平和国家であると規定、他の国がエクアドルに軍隊を置くことを禁止している。軍隊の役割は、自衛だけのものに限られる。 
                憲法5条
 エクアドルは平和国家であり、軍事目的のために諸外国がエクアドルに軍事施設を置くことは許されない。 
 諸外国の軍隊に、エクアドルの軍事基地を受け渡すことも許されない。 
 国際平和と軍備縮小を目指し、私達は大量破壊兵器の開発と所有に強く反対し、軍事目的の為にある国が、他の国の領地に軍事施設を置くことにも反対する。
                 
   日本がこれらの国との緩やかな国際機関を立ち上げて、沖縄に拠点を置いて活動できる日が来るだろうか。勿論そのときには、米軍基地も核兵器も、違憲宣言して全面撤去。あらゆる国と平和条約を結ばなければならない。

ダブル・スタンダードと人権 2

  承前
 
英ロンドン中心部で、
学校への公平な助成を求めるデモに参加した子どもたち
人権とは何か、権利とどう違うのか、また何が権利で何が人権か、考えてみたことがありますか。先生や親に聞いたことがありますか。きっと、「校則も守れないやつに、そんなことを聞く資格はない」とか「そんなこと考えないで、勉強しなさい」と言われてしまいます。

 人権について無知なのか、自分の立場を守るために知らぬふりをしているのか、考えてみようともしないのか、いずれにしろ人権についての認識があいまいであることが、学校の内外での人権の無視・軽視を放置させているのです。さらに、生徒が学校でも社会でも弱者であることが、いっそう生徒の人権を尊重しない風潮をあおっています。ダブル・スタンダードで行動する者は、強い者に弱く、弱い者に強いのが常だからです。

 覚えておいてほしいことの第一は、人権はそれを主張するにあたって、何の根拠も前程も必要としないということでず。たとえば、公道上で自動車を運転するためには運転免許証が必要で、これは退路交通法に基づいています。つまり、事を運転する権利は、道路交通法による免許の所有が前提となっているわけです。したがって、国家は法を変えることによって、車を運転する権利を制限したり拡大したり、場合によっては停止したりすることができるのです。しかし、人が公道を歩くのに、まともな国では免許や許可証を必要としません。 これを、「往来の自由」と言います。歩くのに許可書を必要とする社会は、ナチ支配下のヨーロッパなど人権の停止された社会です。
 中学生や高校生が頭髪や服装の自由を要求すると、学校や親は生徒に自由にしたい理山、自由にすることの利点…などを挙げるように求めます。もし、学校が頭髪や服装の自由を認めない理由づくりのために、それをしているとしたら、それは学校が人権とは何であるかについて、無知だということを示しています。
 頭髪の自由は、後述するとおり人権です。それだけで十分です。人権の一つである生命の自由を主張するのに、根拠や前提を求める人は、誰もいないのと同じです。
 第二は、人権は誰も奪えない奮ってはならない個人の権利であるという点です。たとえ国家であっても、人権を奪うことは許されないのです。権利は法律によって奪ったリ、与えたりできます。しかし、人権は国家ですら奪えないのですから、たかが校則で人権を奪うことなど当然できないのです。もし、生徒の人権を無視する校則があれば、校則が聞違っているのです。もちろん、人権を奪う法律も聞違っているのです。たとえば、公立学校の教師は労働組合をつくる権利も、労働条件をめぐって交渉する権利も、ストライキをする権利も、地方公務員法によって奪われています。しかし、先生の多くは、組合を結成して加入するばかりでなく、ときにはストライキも行ないます。
 団結権もスト権も労働基本権であり、人権です。法律が間違っているのです。だから、先生たちは堂々と労働組合をつくり、ストライキを行います。
 法にそむいてまでも、労働者としての自分たちの人権を守ろうとする教師たちは、生徒の人権についても、同じ姿勢を示す必要があります。
 民主社会において法秩序が形成されるのは、法や規則などが人権を侵さないという前提があってのことです。国でも学校でも、秩序を保つためには、「きまりがある以上、守らねばならない」という態度をとるのではなく、人権を奪い不当に制限する間違ったきまりそのものを、なくす必要があるのです。
 「子どもの権利条約」では、子どもの人権とともに、子どもの権利についても言及しています。それは、子どもが大人と異なり弱い存在であり、大人とは別に子ども独白の権利が必要だからです。 

  子どもの権利を豊かにすることも大事なのですが、今、日本では子どもの人権すら侵害されています。
    樋渡直哉『子どもの権利条約とコルチャック先生』ほるぷ出版から

ダブル・スタンダードと人権 1

渡辺崋山 寺子屋図「一掃百態」
ここにダブルスタンダードのない教室の
原型がある。
 北九州市の中学生の匿名投書が、新聞に載りました。

 「私たち中学生は、毎年十二月近くなると、人権週間にちなんで作文や詩を書かされます。また授業では、人権は守らなければならないと教えられますが、先生方の言うことは建前でしかないという気がしてなりません。差別されている人々の人権を守るように教わっても、私たち生徒の人権は尊重されていないように思われるからです」
(1989.10.10 朝日新聞「子どもテーマ相談室」)
と、学校の授業内容について根本的な疑問を提示しています。その中学生は、人権が尊重されない具体的な事例として、持ち物の検査を挙げ、
 「例えば、生徒のカバンを断りもなく開けて見るのです。雑誌、漫画、お菓子などが出て来たら即没収です。それも、生徒の留守にやるのです。物を没収されなくても、他人に自分のカバンを勝手にあきられるのは、気持ちのいいものではありません。これはもうプライバシーの侵害ではないでしょうか」と、抗議しています。 
また、「ブス」「ブタ」などと生徒に暴言をはいたり、体罰に肯定的な教師が少なくない現状について、その変革は絶望的だとさえ感じています。その結論として、
 「人間のプライバシーを侵害し、言葉の暴力で人間の尊厳を侮辱している人間が、別の場では 『人権うんぬん』などと、もっともらしいことを教えているのです。私はすべてとは言わないけれど、先生を信頼できなくなりました」
と結んでいます。

 ダブル・スタンダードという言葉があります。人間や団体は、善悪・好き嫌いなどについて、多かれ少なかれ何らかの基準をもって、判断、行動をします。まともな人間や社会は、その基準が誰にもいつでも一致しているものです。少なくとも、一致させようと努めます。

 1991年冬、アメリカ合衆国を中心とする多国籍軍は、イラクが国連決議を守らないことを理由に、イラクに軍事的制裁を加えました。この紛争で、日本は国連中心主義を掲げて、海上自衛隊の掃海艇をベルシア湾に派遣しました。だが、同じょうにイスラエルが数十年間にもわたって、パレスチナ・ヨルダン川西岸・ゴラン高原などを不法に占拠し、度重なる国連決議を無視し続けても、アメリカはイスラエルに軍事制裁を加えようとはしません。また、南アフリカ共和国が国連による再三のアパルトヘイト撤廃決議を無視したときも、アメリカは軍事制裁を加えようとはしませんでした。多くの国が南アフリカ共和国への経済制裁に踏み切ったときも、アメリカと日本は、最後まで貿易を続けようとしました。イラクに侵略されたクウェート人の人権は、イスラエルに占領されたパレスチナ人や、アパルトヘイト政策に苦しめられた黒人の人権より重いのでしょうか。アメリカ政府も日本政府も、人権尊重と国連中心主義を口にしながら、相手が変わると態度を変えてしまいます。
 基準が一致していません。まるで、別の基準を適用しているようです。これを、ダブル・スタンダードと言います。こんな国が、国際社会で信用されるわけがないのです。
 そして残念なことに、学校社会もまたダブル・スタンダードの世界です。投書した北九州の中学生の指摘するように、「人権を守れ」と言った先生が暴力を振るうのです。ナチスによるユダヤ人虐殺を、黒板の前で勇ましく糾弾し、人権の不可侵性を主張した先年が、校門の前で頭髪の検査をし、服装違反の生徒を帰宅させてしまうのです。学校から遠い世界、たとえば南アフリカ共和国の黒人の人権にはいくらでも敏感になるのに、学校内の身近な人権については、急ににぶくなるのです。自分の言葉を自分の行動が裏切っていては、生徒の信頼を得ることはできません。信頼が無くては、授業も成立するはずかありません。成立するはずのない授業を無理強いすることで現れるのが、管理と暴力、しらけといじめです。学校がもっとも大切にすべき学ぶ喜びや人格の形成といった要素が、ここにはありません。
                                          (人権は誰も奪えない)
 生徒たちは当たり前の人権か無視される学校の状態について、〝対抗する手段〟をもっていないのでしょうか。対抗し、子どもの人権を守ろうとする生徒の手肋けとなるものはないのでしょうか。
 それを一緒に考えるのか、この本(拙著『子どもの権利条約とコルチャック先生』)の目的です。               
                                                                              つづく

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...