旧制中学が新制高校に切り替わるときに中等教育を受けた作家の証言 1

  作家の山中恒は、旧制中学が新制高校に切り替わるときに中等教育を受けている。
 「・・・授業の面でも面白いことがあった。英語の教師が足らず、社会科の若い教師が英作、英文法を教えることになり、「はっきり言っとくが、俺は専門家じゃないから、なにを教えるかわからない。お前たちが責任をもって監視してくれないと間違ったことを教えるかもしれない。おかしいと思ったら、どんどん異議を唱えろ」と物騒な発言をし、私たちも「まかせてくれ」というわけで、教師と生徒が一体となった研究会のような授業になった。みんなでひとつの例題に悩み、にっちもさっちもいかなくなった。「しょうがない、専門家に聞いてこよう」などと彼が教室をとびだし、先輩の英語教師に質問に行ったりした。そして戻って来ると「こんなことがわからないのかとばかにされたぞ。お前ら、俺に恥をかかせないように知恵を絞って勉強してきてくれよなあ」と大まじめにいって私たちを爆笑させたりした。いま、高校でこんな教師がいたら大問題にされるだろう。しかし、いま考えてみるとこの授業がー番張りがあり、実力がついたような気がする。いまは県立高校の校長をしている彼が「あのときほど楽しいことはなかった。あれは青春だったなあ」と語ってくれたことがある。 そのころレッド・バージの旋風が吹き起こり始めていたが、私たちが格別、政党色を出さなかったことや、戦時下の中学教育を一年以上受けた最後の学年ということもあって、学校は私たちに当らずさわらずであった。あとで聞くと「どうせあいつらは、あと半年で学校へ来なくなり、卒業して行くのだから、少しの辛棒だ」とおさえていたということである。 事実、私たちが卒業したあとの学校側のしめつけは厳しく、後に後輩たちから、先輩たちのやり過ぎのつけを廻わされてえらく迷惑したといわれてしまった。そのつけは私個人にも廻わってきた。教師たちが連名で、内定していた私の就職先へ投書を送り、そのために私の就職は取りけされてしまった・・・
 『戦後日本教育史料集成 第二巻 新学制の発足・月報 2』    「そのときエア・ポケットのように輝くばかりの自由があった」     

   山中恒たちは、素人から教育を受けるという滅多にない幸福に恵まれたのである。お陰で、「この授業がー番張りがあり、実力がついた」。教師らしい説明を一切省いて、自ら学ぶ経験をすることが出来た。ジョゼフ・ジャコトが体験したことがここでも確かめられる。
                                                                                                             つづく

賢くなった野郎ども。・・・質朴な生徒・・・それがよくなってきた。4

                                                                                             承前
  7月1日
  疲れ切って机に突っ伏している生徒が重たそうに顔を上げるから「寝てていいよ」と言うと、「起きます、大丈夫です」と顔を上げてペンを握る。授業が終る頃にはすっかり元気になって、話をしに寄って来る。
  昼休み、生徒の質問「パレスチナ問題におけるイギリスの役割」に答えていると、一人、三人と寄って来てずーっと聞いている。まるで、聞かずにいるのは損だと言わんばかりに。

  「授業が始まる前に、茶髪やピアスを注意されたら、授業は半分ぐらいしか入っていかないかい」
  「うぅん、全然、聞かないで寝ちゃう」
  「化粧がどぎつくなる時の君は、必死で自分の存在を守ろうとしているのかい」と聞くと、長く考えて少し微笑む。友達も聞いている。
 「自分の立っている場所がどんどん無くなって行く、狭くなって行く不安をどうにも出来ないように感じる」隣の生徒が、「そういうことだよ」と呟く。
 
 7月3日
 11時20分からテストの続きを行う。80人の生徒のうちおよそ60人が残った。その殆どは2枚以上の答案に仕上げた。最も多い者は今の所6枚。今までの生徒達より、構成が自由であり、色とりどりである。答案も又表現である。表現は自由な空気の中で行われなければならない。
 最後の3人は5時過ぎに帰った。放っておけば暗くなっても居たに違いない。
7月5日
  今日も20人位が残って答案を仕上げる。ぎりぎりまで粘る生徒には、対話する家庭という共通点が有りそうだ。表現のための文化的背景と自由。
  「夏休みに補講すれば参加するかい」と聞くと、嬉しそうに「やる」という。やはりここは教科指導重点校であるべき。生徒の学力の構造と、教員の授業法・授業形態・生徒観のミスマッチが9年間続いていたと考えた方がよい。
7月8日
  答案に印象に残った授業についての評論を書いてもらったのだが、同じ授業を取り上げたものが殆ど無い。
7月10日
  答案のできは予想を超えている。天才的なフレーズ、新鮮な視点、・・・・・。3-4も例外ではない。聞けばこうしたテストは12年間の学校生活で初めてだそうだ。もし自由記述式のテストがもっと早くから彼らに行われていれば、彼らの才能は正当に評価されていたに違いない。
 「先生がもっとこの学校に早く来なかったのがいけない」教科指導こそが彼らの根底的権利。

  答案の中にいくつか授業に触れたコメント。
  「先生のいつも話しをする時は、イヤでも耳が傾いてしまうくらい好きです。聞いていてすごく勉強になります。特に好きなのは、クラスの人がうるさい時の遠回しにするはなし、今、私たちにとってとても大切な話しをしていることが良いことだと思います。でも一つだけ、筆圧が高いのでこの紙どこかに穴があいてしまいます」
 「先生の言葉全部いい」
 「先生の授業を初めて受けた時〃これこそ私が探していた授業〃って思いました。教科書をほとんど使わないで、先生が出したテーマについて先生と生徒で意見を言い合う。私は教科書通りに授業をする先生達の授業にあきていたので、2日に一度の現社の授業をすごく新鮮に感じています」
 「先生のような授業は大歓迎だ。教科書を使わずに、自分の知っていることをうまくつなげて、一つのことがらを説明する。というのはなかなか出来ないし、いっけん雑談のようにすら聞こえてくる。こんな授業は、いままでに受けたことがなかった僕には、とても斬新な授業です。なぜなら、僕は自分でも認めるほど『集中力』がない。だから先生のように次々と話しが出てくる授業では、次々と興味が出てくるため、集中がとぎれることがなくとても楽しいです。」

  「~の授業で先生がちょっとだけ言った・・・に頭が一杯になって、調べてみると・・・」ほんの小さな授業のエピソードに興味を持ち、自分で調べてみる生徒が少なくないことが答案から読みとれる。
 貧困や戦争の問題では、心臓が止まりそうになったりするほど、気持ち悪くなるほど、怒りでむかむかするほど、世界と切り結んでいる様子も答案に見えてくる。ただ、「先生の言葉全部いい」は気になる。批判や乗り越えが出てくるだろうか、周りが手助けするかもしれない。

追記 「授業は平凡でなければならない」と大学生には講義してきた。平凡であることは多様で困難、ということだ。KH校の生徒達も「先生の授業は初めてのことばかりだった」そう言い残して卒業していった。答案の出来は研究会の教師たちを驚かせた。僕は生徒全員の答案を持ち込んだのだが「出来の悪い答案もみたい」との声があったので、これが全部だと答えると、驚いていた。                                       つづく

教育破壊する首長に、市民が声援を贈るのはなぜか

 維新の会や自民党の教育破壊に、市民が声援を贈るのはなぜか。橋下や石原らが市民を主権者扱いしているわけではない。むしろ自らを領主とみなす横柄な言葉使いとともに、市民を奉ろうべき領民視している。その横柄な言葉で教員を罵る様子に溜飲を下げるのだ。
 それは恐ろしく長いあいだ、教育委員の公選制廃止以来、住民父母生徒の声が学校行政に届かなかったからである。橋下や石原らが教員や教組を批判しながら、学校の差別選別化と教育内容の反民主化を推し進め、それに教員・教組は反対してきた。それが、住民の声を聞かない変わらない学校を、橋下や石原らがようやく変えようとしているのに、教員・教組がまたもや既得権を守って妨害しているように見える。折角やってきた改革の機会を潰している左翼教員という図式だ。見えることの奥にある実態を見ない、見えない、見させない。住民父母生徒の声を、学校行政に届かないようにしたのは、行政であったことを知ろうとはしない。知りたくない。なんとかして教師が悪いと言いたくて堪らない。何しろ学校も担任も、昔生徒であった住民市民有権者の声を押しつぶしてきたのではないか。
 我々に必要なのは、間違っているのは橋下や石原らであり我々は一貫して正しいと言い募ることではない。我々が悪者に見えることへの真剣な反省である。そののちにようやく今起きていることの実態を告発し本質を語ることができる。
  もう一つの問題が隠れている。事業がうまくゆかない時、上からは時代に合わせろと責め立てられる。そこに生まれる軋轢は自殺者をうむほどである。そういう環境に押しつぶされそうになりながら努力してもうまくゆかないとき、やっぱり体制が古いからだ。良い方向に変わらないのは役所がそれを阻んでいるからだ。今のままでは駄目なのはハッキリしていると言いながら、方向を見もせずに変化に期待を寄せる。賃金労働条件の引き下げさえ変化の一つとして受け入れる向きもある。
 そのままで報われることを権利という。それを知らない、知っていても見通しを持てない。そのままで尊重されるという経験をしていない。まず少なくとも学校では変わることを強制するのはやめようではないか。そのままで尊重しなければならない。

   例えば茶髪の生徒に対して我々は何をしたか。校門の前で茶髪の生徒を追い返す、天然茶髪生徒は黒く染めるよう強制する、校舎外の水飲み場で染髪剤を強制的に落とす乱暴を毅然として行った。「私はあれには賛成しなかったのだ、間違った一部の暴走だったのだ」と今更言ってみたところで何になるだろうか。
 「茶髪を理由に授業を受ける権利を奪ってはならない」と発言し行動しなければならなかったのだ。島のTさんのように。Tさんは、茶髪の生徒を生徒部が「茶髪は授業を受けさせない」と追い返している最中の校門に出向き「茶髪でも僕の授業は受けられます」と言い切って自分の授業の生徒を連れて校門を入った。
 「一部の独走であれば、お得意の多数決でなぜ止めなかったのか。実は多数の暴走だったのではないか」と若者は反論するだろう。僕が高校生であるならば「全体主義はあなた方の日常的願望である」と喰ってかかるだろう。生徒会が茶髪の生徒を守ってピケを貼ろうとしなかったことも無念極まりない。茶髪ごときで極悪人並みの扱いを受け仲間からも見捨てられた若者たちの悔しさを思い知らねばならない。
  学習意欲が高まる訳がない。Kさんは、浜に降りて生徒と一緒に石を海に向かって投げた。「そんな頭で授業に身が入るか」と苛つきながら怒鳴り体罰を振るう声と顔が、生徒たちを更に苛つかせることに気付かない。それでも生徒が登校しているのに、追い返そうとする。生徒たちは教師の身勝手さを読み取り反感を募らせる。反感は、石原・橋下・田母神に輝きを与える。「教師の多数派」への反感の基底にある若者の正当な怒りを真正面から捉えねばならない。
 生徒学生若者の権利のために、犠牲を承知で闘わねばならない。授業を受ける権利は人権であり、多数派が奪うことのできるものではないことは行動で示さねばならない。おしゃれをする権利もその延長上にある。
 我々は狭い職場の「多数派」派になるために右顧左眄するが深く考えはしない。職場の雰囲気で右にも左にも寛容にも過激にもなるのだ。情けない小心者に過ぎない。アーレントの「凡庸な悪」「悪の陳腐さ」がここにもあり、「実に多くの人が彼に似てい・・・」る。「命令(多数決)に従っただけだ」と繰り返す八方美人の教師たち。「凡庸な悪」をひきよせ思考停止を産むのは、「多数派」派であり続けることの居心地の良さ。個人の平凡な理性を保ち悪と対決させるのは「疑い続ける精神」である。考えること、思考を止めないことは憲法に忠誠を誓った者の義務である。多数決に引きずられそうになったとき、思い出さねばならぬ。教員になる辞令を受け取る時に、憲法に忠誠を誓う書類に、我々は残らず署名している。
 大西巨人は「文学とは反逆精神にほかならず」と書き「作家は、それを書くことによって痛手を負わねばならぬ」とも書いている。僕は文学を授業に、作家を教師に置き換えたい。

人格と授業

  ホッブス(1588~1679)によれば、人格とは言葉や行為の代表者や代理人を意味する。よって人格すなわち代理人は本人の権威に基づいて行為するものである。従って衆議院議員を「代議士」と呼ぶ。代議士の威厳も力も民衆の権威を反映している。
 沖縄の代議士が「嘉手納基地県外移設」の公約を反古にして政府の恫喝に屈したのは、代議士の定義そのものに反して自らの存在根拠を自ら破壊したのである。人格とはその言葉行為が、彼自身のものあるいは言葉行為が帰すべき人物などの言葉行為とみなすことができる「人」のことである。政府に屈した沖縄の代議士はもはや代表する言葉行為を持たない。
  大統領や総理大臣あるいはCEOがゴーストライターの原稿を読むとき、どこにも「人格」はない。国民がゴーストライターの人となりを熟知・信頼しているとき(例えば劉備に於ける諸葛孔明のように)人格として双方を見ることができる。耳が聞こえないことを売りにした男と作曲家の場合は、代理すべき権威が存在しない。広告代理店は何かを代理しているだろうか。
  我々が授業をするとき、去年書いたノートを読んだ場合はどうだろうか。人格を感じるのは生徒であって、授業者が一方的に主張して押し付けられる類ではない。「あー先生、自分の言葉で語ってない」と見做されたら何にもならない。その場で状況に柔軟に対応するのでなければ、授業に主権者たる生徒の権威が反映したことにはならない。

足並みの合わぬ人を咎めてはいけない

 「聞けわだつみの声」は、死と犠牲を賛美するロゴスに満ちている。高校の卒業生答辞には、部活と行事への懐古と賛辞が満ちて、日々怠ることなく勝利を目指した自己犠牲に涙する。70年を経て変わらぬ構図がある。知的閉塞性、他者への無知と無関心。
 ソローは『森の生活』で
「足並みの合わぬ人を咎めてはいけない。彼はあなたが聞いているよりもっと見事なリズムの太鼓に足並みを合わせているのかも知れない」
と言っている。
 ぎりぎりのメンバーで苦労している部活で「明日の試合に出られない」という申し出があった時、気持ちよく不戦敗を決断する、ということがない。「かけがえの無さ」が裏返っている。一人が全体の犠牲になるのがこの国の「かけがえの無さ」なのである。「お前がやってくれなければ・・・みんなが・・・」という物言いに、我々は疑問符を付けられないでいる。

いきなり賢くなった。・・・質朴な生徒・・・それがよくなってきた。3

                                                                                                          承前
4月26日
 1-5.6 憲法十条、 人魚を大きくノートに描く。下半身が男で上半身が魚の人魚の超現実主義派の絵をみせる。常識を根本的に疑い、ひっくり返して、自分自身を疑う。よくわかんないと言うから、落語の「あたま山」と社会人と学生という定義の仕方について。誰を国民とするのか。都合のいい定義を何故するのか。誰を排除したのか。植民地支配と戦争責任。犬養道子の二つのエピソード。ソシュールの「シニフィアン」と「シニフィエ」ラクロウの「分節化」。切り取ることと、繋ぐこと等講義。 
 
 休み時間、廊下に座り込んでロッカーに頭を突っ込んでいた女子が
 「先生のおかげで社会科大好きになったよ、昨日はねお母さんと有事立法について話した。ありがとう先生、大好き」

 「授業は10分と持たない」「ここの生徒、授業に関心無いですから」と教員が言っていたのは何だったのか。
 「10分と持たない」「授業に関心無い」のは、教員ではないか。授業が始まる日の朝、朝の打ち合わせで「今日から授業です、準備は宜しいでしょうか」と校長が言ったことを思い出す。
  入学早々、殆どまっ黒としか言いようのない髪の生徒まで「茶髪じゃないか」と尋問されている、こうした言動が生徒のプライドと共に学習意欲を傷つけることに思いが至らない鈍感さが溢れている。些細なことに目を奪われ、面白いことにも、素晴らしいことにも、気付かなくなる。解放された日のアウシェビッツの囚人を思う。

 「面白い授業を有り難うございます」と授業観察が終わって数日して教頭が二度も言う。僕はみんながこのクラスだけでは観察されたくないと懇願する3-4にした。「何がご専門ですか」と聞く。専門の問題なのだろうか。つまりいい授業がこの学校には少ないと白状している。だったら授業観察をやめろ。やるのなら校長・教頭 あなた達の授業を見せろ。

 現社は二人で担当しているのだが、その相棒が授業の内容をやたらそろえたがる、自作のワークシートなどを持ってきて、言葉は親切丁寧だが要するに使えと言う。生徒にノートを自由に工夫させる方が教育的であると断る。「しかし最低限揃えないと」と言う、「では、あなたが僕に揃えたらどうか」と言うと、黙ってしまった。

  放課後、1年生4人が「先生!総理大臣になって」
 「だって、政治がよく解るから」とやってくる。自分たちの手で首相を決めたいのだという。
 「現社の授業で政治に関心を持った」とニュース・ステーションにメールを打ったと。
5月1日  3-4  MAY DAYの由来について。雪印食品の解散、何故労働者は愚かな経営者を排除する権利がないのか、それが出来る制度・体制はないのか。ではどんな会社を選ぶべきか。
  校長が「感動しました」と頻りに言う。何事かと問えば先日の授業観察である。

  いつも完全に突っ伏していたI君が寝ていない。3年間いつもそうだったとは級友の証言。そう言えば視聴覚室でもわざわざ机の上に腰を下ろして質問していた。
 一週間前、I君と校庭で出っくわした。僕は名前を呼んで近付いた。
 「授業中はごめんなさい先生」
 「腰が悪いんだね、病院へ一度行ってごらん」
 「そうしょうと思ってます」とやり取りをした。
5月7日
 3-4 いつまでも、食べたり喋ったり出入りしたりで落ち着かず、「こりゃ困った」と思ったが、何人かが鉛筆を構えて「一言も聞き漏らさないわよ」と言わんばかりに、こっちを注視していた。
  「喋ってもいいかい」と言って始める。喋り止まない二人のうちけたたましい方の名前を呼ぶと、もう一人が
 「ごめんなさーい、私がいけないの」とニッコリしながら、
 「株って何って話してたの」、「景気って何」、「景気がいいってどういうこと」、と絶好の質問をする。
  長者番付、アメリカのTOP200社のCEO所得が平均で20億6000万円、Highestは1億4600万ドル。不況の中で格差が広がるのは何故なのか、株価が上がることと、賃金が上がることと、失業率が下がることと、政治のあり方について。
   1-5.6 ハイエクの「なぜ最低のものが最高の地位に就いてしまうのか」、労働者として経営者を見るとき、国民として政治家・国家権力を見るとき、消費者として企業に立ち向かうとき、・・・・・・その情報が操作偽造されていないこと、隠されていないことが肝要。そごうの水島、外交機密費と内閣官房・・・・。個人情報保護法案は政治家、経営者達の隠したい部分を護ろうとしている。エンロン。知る権利と主権。
5月13日
 生徒が、後ろの席から前の方の休んでいる生徒の席に授業中移動してくる。顔はこちらを注視したまま、中腰になって体だけを移動させる。僕はこの動物的動作を、黒澤明の『生きる』で見たことがある。5.6.時間目なのに、よく質問する。  選択 雪印食品問題と内部告発。  3-4 カイロスとクロノス  1-5.6  憲法十条  基本的人権の基本的とは。腐敗指数、小国、リーナス。
   1-6「うちでは新聞取ってないTVnewsも見ない・・・朝は漫画のビデオ」と言っていた生徒が
 「ニュース少し見るようになったよ、一日五分位」と、僕を文字通り廊下で掴まえて言う。
   1-5.6.   グローバル化とフェアートレードに関するロンドンからの報告を視る。公正・平等・人生の目的・
5月17日
 昼休み、三年生の男子がやって来て「九条があるのになぜ自衛隊があるのか、自衛と侵略は区別できるのか」などと聞く。
 「修学旅行にお金を持ってきてはいけないと決めておいて、カードは禁止していないと言ってカードを使いまくるのは正しいか」と僕は問題をずらしてみた。 そこへ女子がやってきて少し離れて突っ立っている。
 「どうしたの」と聞けば
 「何か、お話ししてよ」 このごろ昼休みはこうして過ぎる。政治・経済情勢に対する好奇心、自発的学習意欲と言うべきものが静かにせり上がりつつある。中野重治が『五勺の酒』で描いた光景ではないか。
   十四条と、春の叙勲者一覧。小泉純一郎の父は防衛庁長官の時ヒロシマ長崎に原爆を投下した米軍指揮官に勲一等旭日大受賞をやっている。
5月20日
  3-4の初めての授業で機嫌の悪そうな顔して僕を斜に睨んでいた生徒が、私にも声掛けてよと言わんばかりに
 「先生おはよう、先生」と言う。機嫌良さそうなだけでなく、厚化粧がなくなった。Nさんも。
5月27日
 テストの続きを放課後も続ける者が4人。水曜日も数人の予定。
5月29日
 生徒のノートを添削しコメントして返しているのだが、生徒の切り抜いた記事に対する意見がだんだん面白くなってくる。 その中に気になることがあって、疎外の概念について講義する。
 ハンバーガーやフリースは幾らでも安いほうが良くて高いのは要らないと言うが、金のかかる娘やお爺さんを捨てようとはしない。
 (先生、姥捨て山はと質問あり、)何故か。お金は掛けるのに料理がまずいお母さんを捨てたりクビにしたりはしない。安いのが良ければ捨てた方が良い筈なのに。何故僕たちはそう考えるのか。
 現代を『「もの」と「人間」の関係が切断された』状態と捉えることが出来る。僕たちは買い物をする時、それをどんな人が作り彼がどんな生活をしているか知らない。ものとそれを作った人の関係が見えない。経済圏が村の中に殆ど限定できた時代は、誰が何をどんな状態で作ったかみんなが知っていた。
 もっと具体的に『「もの」と「人間」の関係が切断される』状態を考えてみよう。「もの」がお母さんが作ったまずいご飯、「人間」がお母さんだとしょう。この場合君たちには、「もの」と「人間」の関係が見える。 まずいご飯だけど、君達のためなら命を捨てかねないお母さんが作ったという関係が見えるから、君達はそれを受け入れる。しかし 「もの」がMacのハンバーガーで「人間」がそれを作っている労働者だとしょう。 先ず君達は誰がそれを作ったか知らない。 『「もの」と「人間」の関係が切断され』ている。ハンバーガーが安くなって仕事はきついのに給料は下げられかわいい娘を退学させなきゃならないと言うことがあっても、君達はそれを知る事はない。だからもっと安くなれなどと平気で言える。ユニクロのおかげで首を吊った繊維工場の経営者を知らないから、どんなに安くなっても平気。
  だがここで 「もの」に労働者の労働力「人間」に経営者を入れてみよう。君が経営者で労働者が幼馴染みや兄弟だとしたら儲けのためにクビに出来るだろうか。会社が潰れるまで一緒にやるだろう。日産のゴーンはそうした柵がないから平気でクビを切れる。今度は労働者に君達を入れてみよう。中国人やインド人の方が学歴も実力もはるかに高いのに給料はやたらに安い。経営者は君達を交換可能なただの労働者だとしか考えないから、どんどん安く働く人間に置き換えている。だんだん仕事がきつくなって給料も減らされそうな時、「もっと安くして」という客に俺の生活も判ってくれと言いたくなるけど、君達がユニクロで自殺したヒトを知ろうとしなかったように、誰も君の苦しさに関心を持たない。 もし安いから当たり前じゃんと言うのなら君達は君達をクビにして安く働くヒトを雇う経営者を非難できない。論理的一貫性とはそういうことだ。この会社のものを買う人も ユニクロや Macのハンバーガーを買う時の君達と同じように、安けりゃ良いとしか考えない。君達と買う人の関係が切断されているからだ。これを「疎外」という。
  でも給料が安くて生活が苦しい、どうしても安いものしか買えない。ではどうしたらよいのか。フェアートレードやローカル・プロデュースはその答えの一つ。
  授業のやり方等について賛否を問う。即座に発言あり。日直でもない生徒がわざわざ後ろから黒板を消しに出てくる。
6月5日
   1-6 前回視聴覚室でVTRを見ている間お喋りに余念の無かった三人が、一番前に陣取って、身構えていた。授業への内なる治療系は働こうとしている。 内なる治療系を破壊してきたのは自然から乖離した管理。待ち続けることで育つものを、待ちきれず指導介入してしまう。待ち続けるのは「放任だ」と言いながら。自然治癒が十分期待できるにもかかわらず手術や実験的治療を自己の名利のために強行する医者に似ておぞましい限りだ。自然治癒が人間の恒常系を回復させるのに対して、手術や実験的治療は多くの被害を伴う。
 税制改革の議論を聞いていた生徒が、小泉首相の「努力したものが報われる・・・・」の発言に対して、「年収1800万円の人は既に報われているのではないか」と指摘。三年生は「どういう神経があれば貧しい者から更に税金を取れるのか」と質問する。WTOやGATSの役割について話す。何故今非核三原則見直しを言うのかの質問もあり。ブッシュの対テロ先制攻撃と彼のアフガンに於ける利権、国防長官の軍需産業との関係にも触れる。
6月12日
 「先生の授業逆らいたくなるの、だって筋が通っているんだもん」うるさいと言われている生徒。筋が通っているから、逆らいたくなるというラジカルな解り方。
 〃いい先生〃に引きずられての〃いい授業〃では、授業は成立していない事を、この生徒の言葉で再認識させられる。グッと睨んだ眼差しの奥で〃逆らいたくなる〃まで、自分自身の思考と僕の授業の論理を対比検討させている。その前に、自分自身の思考を授業において立ち上げていることに注目しなければならないだろう。彼らの日常的な生活レベルに於て、思考が行われている。日常的な思考の延長線上に思想がある
 一年生は、3時間とも5時間目6時間目の授業。始めるまでは絶望的に騒がしいが、いつの間にかいい姿勢。姿勢が授業を聞く態度をつくるのではない。授業が姿勢をつくる。むろん寝そべった良い姿勢だってある。机に脚をのせたいい姿勢も。
 息が合うと絶妙のタイミングで質問や同意の仕草・声などがと飛び交い、教室の空気が緊張して五十分が瞬く間に過ぎる。

 「やっぱりここの生徒は顔つきが違う」と言う教師はいる。偏差値の低さに見合って、〃やっぱり〃というわけだ。 思考の過程は表情として即座に表れてくる。思考している顔付きは、どんな学校でも同じである。習慣化した表情は顔の構造として定着するだろう。  〃逆らいたくなる〃と言った生徒は、始め机の上と右手に化粧道具が並び素顔が見えなかった。次第に座る位置が前になり、授業中に発問、いつの間にか化粧は消えた。  
6月15日
 3-4のKさん、生徒部の教員によれば彼女は「学校の教師は全て敵」と思っていて頑なである。
  「髪の毛変えたのえらいでしょう」  「公正って何」という。
6月19日
 日本のサッカーボールの9割がパキスタン製、その職人は失業した農業労働者、日給200円、〃善意〃の緑の革命が土地のない農民を飢えから救うはずが仕事そのものを奪った、日本のスポーツ用品メーカーは日本の職人をクビにしてパキスタンへ、激安の賃金のおかげでメーカーは大儲け、更に大儲けをたくらんでプロサッカーやワールドカップを煽る、煽るために高い契約金を払う、日給200円で働かせている会社にとっては安いもの、苦しい汗を流して物を造る者は飢餓すれすれの低賃金、それにたかる者達はその千倍一万倍の収入、貧富の絶望的格差がテロを生む、善意が最悪の結果をもたらす、それをさせない為に、みんなが正当に自分の利害を主張できなければならない、表現の自由はその為にある、しかし誰が自由に発言できるだろうか、表現の自由への権利はそうして生まれた。
  ある大統領が帰郷し、雑貨屋に寄る。親父は居合わせた行儀の悪い子ども達に向かって「大統領閣下がおいでになるのだから、粗相があってはならない」と叩き出した。これを見ていた大統領はこう言った。「あの子達も将来は立派な人物になるかも知れないのだから、粗末に扱ってはならない、尊厳を持って扱いなさい」 話した後要点を書かせて、感想を書いてもらった。意図にはまらない生徒がいて面白いが、大部分は良い大統領だという。これを批判した神父について話し、何故神父が大統領をそうしたか、考察させた。対偶・裏・逆の論理学的な思考を試みる。読みとる者が何人もいる。「大統領は愛してないんだ」と言う者あり、多くが頷く。愛とは何か、せがむ。緩急、質問、発言、緊張があってとてもいい。憲法13条の『個人として尊重』の意味をこうして押さえた。
  立派な人物になるはずのない者を、何故正当に遇しなければならないのか。鈴木宗男に睨まれた者は、将来はないと恫喝された、石原に睨まれた記者はとばされた。睨まれ将来を潰される人の中に正しいものがある。
 6月26日
 9.11事件とユノカル社とブッシュの関係、9.11の被害者への賠償金が平均5000万円であるのにアメリカ軍の誤爆によって殺されたアフガン人へは僅か5000円。という世界の非対称性。言論報道の自由について重ねて講義する。「アメリカって自己中ね」と生徒が言う。覇権主義という言葉を教えようとして思いとどまった。 彼女たちの言葉を僕たちが使うべきなのだ、そうすることによって、「学」を身近なものにする努力をしなければならない。
6月28日
 「戦争には経済的背景がつきまとう、それで潤うものが必ず存在し彼らの願望として戦争は実現する」 「何故アメリカ軍はアウシェビッツを爆撃しなかったのか」
  僕が教室の後ろに向かって歩きながら話を進め質問する時、生徒達が体を後ろに向け目で僕を追いながら授業に参加している事に気がついた。
  「戦争によって世界がどんどん何処も同じ世界になって行くような気がしてイヤ」と授業後話しに来る生徒がいた、オルタナチィブ・エスニック・民族主義という単語を教える。「先生それ百科事典で調べられるの」と言う。「教えて欲しい」ではない主体的な反応。                                                                                                                       つづく

「彼らは自己管理ができないので、管理されねばならない」のか

 「当時のどの思想家よりも近代の英知を集約した偉大な改革者と目されていたベンサムは、・・・いかなる金銭的な動機も望ましい結果を得る上で信頼できる手段とはいえず、あからさまな強制こそが、気まぐれで知性に欠ける貧民に対するいかなる呼びかけより有効だとする結論に達した。彼は500個所の施設を建設し、そこに「手に負えない貧民」を収容して、監督官の恒常的な監視と絶対的かつ集中的な権限の下に置くことを提案した。この計画によると、「人間のくず」、支援の手段を欠いた成人や児童物乞い、未婚の母、言うことをきかない徒弟などほ捕捉されて、そうした民間の強制労働施設に強制的に収容され、そこで「この種のくずもペニー銀貨に変換される」。ベンサムは、リベラルな批判者の反論に怒って、次のように答えた。「反論・・・自由が脅かされるのではありませんか? 回答・・・(脅かされるのは)損害を与える自由です」。貧民は、貧しい状態にとどまっているというだけで、手に負えない子供以上に、自由を受け入れる能力がないことの裏づげになると彼は信じていた。彼らは自己管理ができないので、管理されねばならないというわけである」         バウマン 『新しい貧困』 青土社p209

  「彼らは自己管理ができないので、管理されねばならない」 「名門校」から底辺校へやってきて、自らと名門校には自由を容認するが、目の前の生徒たちには決して認めない自称リベラルな教師たち。その共通した言い訳はベンサムに源があったのか。それがベンサムとは無縁の教師たちから一言違わぬ言葉となって現れる。ヘイトスピーチと同じ構造を持っている。
 「彼らは自己管理ができないので、管理されねばならない」こうした粗雑な論理で生徒たちを差別的に管理してきた。それは80年代から頻繁に職員室で流布しはじめた。管理主義に良心が咎める教員たちがこの言説で自らを納得さるように使っていた。私は本来、自由と民主主義を擁護する側にいる。それが実行できないのは自己管理できない生徒たちのせいなのだと。
  個人の廃棄を集団に委ねるという暴挙に教育集団が率先荷担していたのである。偏差値という値札が善行と逸脱、価値と塵芥を分け、後者を廃棄している。廃棄に良心の呵責を感じない、そればかりか廃棄されることに怒り抗議する言葉と感情を持たないようには確実に訓練する。

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...