承前
4月26日
1-5.6 憲法十条、 人魚を大きくノートに描く。下半身が男で上半身が魚の人魚の超現実主義派の絵をみせる。常識を根本的に疑い、ひっくり返して、自分自身を疑う。よくわかんないと言うから、落語の「あたま山」と社会人と学生という定義の仕方について。誰を国民とするのか。都合のいい定義を何故するのか。誰を排除したのか。植民地支配と戦争責任。犬養道子の二つのエピソード。ソシュールの「シニフィアン」と「シニフィエ」ラクロウの「分節化」。切り取ることと、繋ぐこと等講義。
休み時間、廊下に座り込んでロッカーに頭を突っ込んでいた女子が
「先生のおかげで社会科大好きになったよ、昨日はねお母さんと有事立法について話した。ありがとう先生、大好き」
「授業は10分と持たない」「ここの生徒、授業に関心無いですから」と教員が言っていたのは何だったのか。
「10分と持たない」「授業に関心無い」のは、教員ではないか。授業が始まる日の朝、朝の打ち合わせで「今日から授業です、準備は宜しいでしょうか」と校長が言ったことを思い出す。
入学早々、殆どまっ黒としか言いようのない髪の生徒まで「茶髪じゃないか」と尋問されている、こうした言動が生徒のプライドと共に学習意欲を傷つけることに思いが至らない鈍感さが溢れている。些細なことに目を奪われ、面白いことにも、素晴らしいことにも、気付かなくなる。解放された日のアウシェビッツの囚人を思う。
「面白い授業を有り難うございます」と授業観察が終わって数日して教頭が二度も言う。僕はみんながこのクラスだけでは観察されたくないと懇願する3-4にした。「何がご専門ですか」と聞く。専門の問題なのだろうか。つまりいい授業がこの学校には少ないと白状している。だったら授業観察をやめろ。やるのなら校長・教頭 あなた達の授業を見せろ。
現社は二人で担当しているのだが、その相棒が授業の内容をやたらそろえたがる、自作のワークシートなどを持ってきて、言葉は親切丁寧だが要するに使えと言う。生徒にノートを自由に工夫させる方が教育的であると断る。「しかし最低限揃えないと」と言う、「では、あなたが僕に揃えたらどうか」と言うと、黙ってしまった。
放課後、1年生4人が「先生!総理大臣になって」
「だって、政治がよく解るから」とやってくる。自分たちの手で首相を決めたいのだという。
「現社の授業で政治に関心を持った」とニュース・ステーションにメールを打ったと。
5月1日 3-4 MAY DAYの由来について。雪印食品の解散、何故労働者は愚かな経営者を排除する権利がないのか、それが出来る制度・体制はないのか。ではどんな会社を選ぶべきか。
校長が「感動しました」と頻りに言う。何事かと問えば先日の授業観察である。
いつも完全に突っ伏していたI君が寝ていない。3年間いつもそうだったとは級友の証言。そう言えば視聴覚室でもわざわざ机の上に腰を下ろして質問していた。
一週間前、I君と校庭で出っくわした。僕は名前を呼んで近付いた。
「授業中はごめんなさい先生」
「腰が悪いんだね、病院へ一度行ってごらん」
「そうしょうと思ってます」とやり取りをした。
5月7日
3-4 いつまでも、食べたり喋ったり出入りしたりで落ち着かず、「こりゃ困った」と思ったが、何人かが鉛筆を構えて「一言も聞き漏らさないわよ」と言わんばかりに、こっちを注視していた。
「喋ってもいいかい」と言って始める。喋り止まない二人のうちけたたましい方の名前を呼ぶと、もう一人が
「ごめんなさーい、私がいけないの」とニッコリしながら、
「株って何って話してたの」、「景気って何」、「景気がいいってどういうこと」、と絶好の質問をする。
長者番付、アメリカのTOP200社のCEO所得が平均で20億6000万円、Highestは1億4600万ドル。不況の中で格差が広がるのは何故なのか、株価が上がることと、賃金が上がることと、失業率が下がることと、政治のあり方について。
1-5.6 ハイエクの「なぜ最低のものが最高の地位に就いてしまうのか」、労働者として経営者を見るとき、国民として政治家・国家権力を見るとき、消費者として企業に立ち向かうとき、・・・・・・その情報が操作偽造されていないこと、隠されていないことが肝要。そごうの水島、外交機密費と内閣官房・・・・。個人情報保護法案は政治家、経営者達の隠したい部分を護ろうとしている。エンロン。知る権利と主権。
5月13日
生徒が、後ろの席から前の方の休んでいる生徒の席に授業中移動してくる。顔はこちらを注視したまま、中腰になって体だけを移動させる。僕はこの動物的動作を、黒澤明の『生きる』で見たことがある。5.6.時間目なのに、よく質問する。 選択 雪印食品問題と内部告発。 3-4 カイロスとクロノス 1-5.6 憲法十条 基本的人権の基本的とは。腐敗指数、小国、リーナス。
1-6「うちでは新聞取ってないTVnewsも見ない・・・朝は漫画のビデオ」と言っていた生徒が
「ニュース少し見るようになったよ、一日五分位」と、僕を文字通り廊下で掴まえて言う。
1-5.6. グローバル化とフェアートレードに関するロンドンからの報告を視る。公正・平等・人生の目的・
5月17日
昼休み、三年生の男子がやって来て「九条があるのになぜ自衛隊があるのか、自衛と侵略は区別できるのか」などと聞く。
「修学旅行にお金を持ってきてはいけないと決めておいて、カードは禁止していないと言ってカードを使いまくるのは正しいか」と僕は問題をずらしてみた。 そこへ女子がやってきて少し離れて突っ立っている。
「どうしたの」と聞けば
「何か、お話ししてよ」 このごろ昼休みはこうして過ぎる。政治・経済情勢に対する好奇心、自発的学習意欲と言うべきものが静かにせり上がりつつある。中野重治が『五勺の酒』で描いた光景ではないか。
十四条と、春の叙勲者一覧。小泉純一郎の父は防衛庁長官の時ヒロシマ長崎に原爆を投下した米軍指揮官に勲一等旭日大受賞をやっている。
5月20日
3-4の初めての授業で機嫌の悪そうな顔して僕を斜に睨んでいた生徒が、私にも声掛けてよと言わんばかりに
「先生おはよう、先生」と言う。機嫌良さそうなだけでなく、厚化粧がなくなった。Nさんも。
5月27日
テストの続きを放課後も続ける者が4人。水曜日も数人の予定。
5月29日
生徒のノートを添削しコメントして返しているのだが、生徒の切り抜いた記事に対する意見がだんだん面白くなってくる。 その中に気になることがあって、疎外の概念について講義する。
ハンバーガーやフリースは幾らでも安いほうが良くて高いのは要らないと言うが、金のかかる娘やお爺さんを捨てようとはしない。
(先生、姥捨て山はと質問あり、)何故か。お金は掛けるのに料理がまずいお母さんを捨てたりクビにしたりはしない。安いのが良ければ捨てた方が良い筈なのに。何故僕たちはそう考えるのか。
現代を『「もの」と「人間」の関係が切断された』状態と捉えることが出来る。僕たちは買い物をする時、それをどんな人が作り彼がどんな生活をしているか知らない。ものとそれを作った人の関係が見えない。経済圏が村の中に殆ど限定できた時代は、誰が何をどんな状態で作ったかみんなが知っていた。
もっと具体的に『「もの」と「人間」の関係が切断される』状態を考えてみよう。「もの」がお母さんが作ったまずいご飯、「人間」がお母さんだとしょう。この場合君たちには、「もの」と「人間」の関係が見える。 まずいご飯だけど、君達のためなら命を捨てかねないお母さんが作ったという関係が見えるから、君達はそれを受け入れる。しかし 「もの」がMacのハンバーガーで「人間」がそれを作っている労働者だとしょう。 先ず君達は誰がそれを作ったか知らない。 『「もの」と「人間」の関係が切断され』ている。ハンバーガーが安くなって仕事はきついのに給料は下げられかわいい娘を退学させなきゃならないと言うことがあっても、君達はそれを知る事はない。だからもっと安くなれなどと平気で言える。ユニクロのおかげで首を吊った繊維工場の経営者を知らないから、どんなに安くなっても平気。
だがここで 「もの」に労働者の労働力「人間」に経営者を入れてみよう。君が経営者で労働者が幼馴染みや兄弟だとしたら儲けのためにクビに出来るだろうか。会社が潰れるまで一緒にやるだろう。日産のゴーンはそうした柵がないから平気でクビを切れる。今度は労働者に君達を入れてみよう。中国人やインド人の方が学歴も実力もはるかに高いのに給料はやたらに安い。経営者は君達を交換可能なただの労働者だとしか考えないから、どんどん安く働く人間に置き換えている。だんだん仕事がきつくなって給料も減らされそうな時、「もっと安くして」という客に俺の生活も判ってくれと言いたくなるけど、君達がユニクロで自殺したヒトを知ろうとしなかったように、誰も君の苦しさに関心を持たない。 もし安いから当たり前じゃんと言うのなら君達は君達をクビにして安く働くヒトを雇う経営者を非難できない。論理的一貫性とはそういうことだ。この会社のものを買う人も ユニクロや Macのハンバーガーを買う時の君達と同じように、安けりゃ良いとしか考えない。君達と買う人の関係が切断されているからだ。これを「疎外」という。
でも給料が安くて生活が苦しい、どうしても安いものしか買えない。ではどうしたらよいのか。フェアートレードやローカル・プロデュースはその答えの一つ。
授業のやり方等について賛否を問う。即座に発言あり。日直でもない生徒がわざわざ後ろから黒板を消しに出てくる。
6月5日
1-6 前回視聴覚室でVTRを見ている間お喋りに余念の無かった三人が、一番前に陣取って、身構えていた。授業への内なる治療系は働こうとしている。 内なる治療系を破壊してきたのは自然から乖離した管理。待ち続けることで育つものを、待ちきれず指導介入してしまう。待ち続けるのは「放任だ」と言いながら。自然治癒が十分期待できるにもかかわらず手術や実験的治療を自己の名利のために強行する医者に似ておぞましい限りだ。自然治癒が人間の恒常系を回復させるのに対して、手術や実験的治療は多くの被害を伴う。
税制改革の議論を聞いていた生徒が、小泉首相の「努力したものが報われる・・・・」の発言に対して、「年収1800万円の人は既に報われているのではないか」と指摘。三年生は「どういう神経があれば貧しい者から更に税金を取れるのか」と質問する。WTOやGATSの役割について話す。何故今非核三原則見直しを言うのかの質問もあり。ブッシュの対テロ先制攻撃と彼のアフガンに於ける利権、国防長官の軍需産業との関係にも触れる。
6月12日
「先生の授業逆らいたくなるの、だって筋が通っているんだもん」うるさいと言われている生徒。筋が通っているから、逆らいたくなるというラジカルな解り方。
〃いい先生〃に引きずられての〃いい授業〃では、授業は成立していない事を、この生徒の言葉で再認識させられる。グッと睨んだ眼差しの奥で〃逆らいたくなる〃まで、自分自身の思考と僕の授業の論理を対比検討させている。その前に、自分自身の思考を授業において立ち上げていることに注目しなければならないだろう。彼らの日常的な生活レベルに於て、思考が行われている。日常的な思考の延長線上に思想がある
一年生は、3時間とも5時間目6時間目の授業。始めるまでは絶望的に騒がしいが、いつの間にかいい姿勢。姿勢が授業を聞く態度をつくるのではない。授業が姿勢をつくる。むろん寝そべった良い姿勢だってある。机に脚をのせたいい姿勢も。
息が合うと絶妙のタイミングで質問や同意の仕草・声などがと飛び交い、教室の空気が緊張して五十分が瞬く間に過ぎる。
「やっぱりここの生徒は顔つきが違う」と言う教師はいる。偏差値の低さに見合って、〃やっぱり〃というわけだ。 思考の過程は表情として即座に表れてくる。思考している顔付きは、どんな学校でも同じである。習慣化した表情は顔の構造として定着するだろう。 〃逆らいたくなる〃と言った生徒は、始め机の上と右手に化粧道具が並び素顔が見えなかった。次第に座る位置が前になり、授業中に発問、いつの間にか化粧は消えた。
6月15日
3-4のKさん、生徒部の教員によれば彼女は「学校の教師は全て敵」と思っていて頑なである。
「髪の毛変えたのえらいでしょう」 「公正って何」という。
6月19日
日本のサッカーボールの9割がパキスタン製、その職人は失業した農業労働者、日給200円、〃善意〃の緑の革命が土地のない農民を飢えから救うはずが仕事そのものを奪った、日本のスポーツ用品メーカーは日本の職人をクビにしてパキスタンへ、激安の賃金のおかげでメーカーは大儲け、更に大儲けをたくらんでプロサッカーやワールドカップを煽る、煽るために高い契約金を払う、日給200円で働かせている会社にとっては安いもの、苦しい汗を流して物を造る者は飢餓すれすれの低賃金、それにたかる者達はその千倍一万倍の収入、貧富の絶望的格差がテロを生む、善意が最悪の結果をもたらす、それをさせない為に、みんなが正当に自分の利害を主張できなければならない、表現の自由はその為にある、しかし誰が自由に発言できるだろうか、表現の自由への権利はそうして生まれた。
ある大統領が帰郷し、雑貨屋に寄る。親父は居合わせた行儀の悪い子ども達に向かって「大統領閣下がおいでになるのだから、粗相があってはならない」と叩き出した。これを見ていた大統領はこう言った。「あの子達も将来は立派な人物になるかも知れないのだから、粗末に扱ってはならない、尊厳を持って扱いなさい」 話した後要点を書かせて、感想を書いてもらった。意図にはまらない生徒がいて面白いが、大部分は良い大統領だという。これを批判した神父について話し、何故神父が大統領をそうしたか、考察させた。対偶・裏・逆の論理学的な思考を試みる。読みとる者が何人もいる。「大統領は愛してないんだ」と言う者あり、多くが頷く。愛とは何か、せがむ。緩急、質問、発言、緊張があってとてもいい。憲法13条の『個人として尊重』の意味をこうして押さえた。
立派な人物になるはずのない者を、何故正当に遇しなければならないのか。鈴木宗男に睨まれた者は、将来はないと恫喝された、石原に睨まれた記者はとばされた。睨まれ将来を潰される人の中に正しいものがある。
6月26日
9.11事件とユノカル社とブッシュの関係、9.11の被害者への賠償金が平均5000万円であるのにアメリカ軍の誤爆によって殺されたアフガン人へは僅か5000円。という世界の非対称性。言論報道の自由について重ねて講義する。「アメリカって自己中ね」と生徒が言う。覇権主義という言葉を教えようとして思いとどまった。 彼女たちの言葉を僕たちが使うべきなのだ、そうすることによって、「学」を身近なものにする努力をしなければならない。
6月28日
「戦争には経済的背景がつきまとう、それで潤うものが必ず存在し彼らの願望として戦争は実現する」 「何故アメリカ軍はアウシェビッツを爆撃しなかったのか」
僕が教室の後ろに向かって歩きながら話を進め質問する時、生徒達が体を後ろに向け目で僕を追いながら授業に参加している事に気がついた。
「戦争によって世界がどんどん何処も同じ世界になって行くような気がしてイヤ」と授業後話しに来る生徒がいた、オルタナチィブ・エスニック・民族主義という単語を教える。「先生それ百科事典で調べられるの」と言う。「教えて欲しい」ではない主体的な反応。 つづく