優しい先生が,人が変わったように恐い顔で怒鳴った |
僕が小学低学年の1950年代、熊本でも鹿児島でも体育の授業に「合同体育」や「集団体育」が週一時間割り当てられていた。号令に合わせて整列や行進ばかりを繰り返しやらされた。緊張で右手と右足が同時に上がってしまう生徒が笑いものにされ叱られ、少しも楽しくない。先生がいつもと違って厳しく大声を上げる。先生も一人のときは優しかったが、大勢になると人が変わるのもいやだった。大岡昇平が『俘虜記』で書いたこと←クリックは、こんなところにも貫徹していた。げんなりして無断で下校してしまったことが何度もある。
母や祖母に「どげんしたとね」と咎められた僕は、理由を説明した。すると祖母たちは
「そりゃ体操じゃなか、兵隊の練習じゃ。やらんでんよか」と孫の逸脱を受け容れた。祖母たちの最大の喜びは、日本はもう戦争はしない、子どもたちが戦争に取られることはもうないという確信であり、口癖になっていた。
足腰達者て弁舌爽やかな大叔母は、僕が早退する度に学校に飛んで行った。そして教師とお茶を飲みながら面白可笑しく甥の小さな逸脱を四方山話に混ぜて話していた。貧しさは極まっていたが、コミュニケーションは余程豊かであった。電話や携帯は対話を豊かにしただろうか。
全体主義的「組体操」が、平和憲法下の学校で民主主義を奉じる教師の手で流行るという二重の皮肉。学校の「組体操」は欧米では皆無。おそらく北朝鮮と日本だけだ。それが、「感動する」という主観的理由で続けられる。戦争責任の追及が余りにもあやふやであったためだ。
子どもが何気なく見せる日常の小さな「知的」成長を発見する余裕を失ってしまっているのではないか。集団と違って個別の生徒の変化は目立たない。そもそも人の成長は、ひとり一人異なっている。だからこそ、子どもひとり一人の成長に、親も教師も喜びを見出すべきなのだ。束にして判断してはならない。
多くの人は、マスゲームはある宗教団体と北朝鮮だけの十八番と斜に構えているが、そうは問屋が卸さないことを知る必要がある。こうしたことに目を瞑り無かったことにしたい心情が、歴史修正主義を加速しているのだから。
ある教育関係の会合でこんなやりとりがあったのを僕は忘れられない。1970年代後期のことだ。
「北朝鮮や創価学会のマスゲームには全体主義的抑圧を感じるのに、民主的な学校の主体的マスゲームには感動させられます、子どもたちの顔までが違うでしょう。どこが何が違うんでしょうね」
「両方とも狂ってるんじゃないの。見てくれの主体性が奴隷根性なんだ」
前者はかなり高名な年配の女教師、後者は若い教師であった。
「新左翼」の中には軍隊的規律の集団主義に中毒するセクトもあった。紛争時のキャンパスに、軍隊式規律を誇示する集団が現れギョッとしたものだ。土色木綿の上下に帽子と赤いバッジで、訓練に陶酔していた。勢力の拡大に頓挫したのか、数日で消えた。
(自ら主体的に差別構造へと従属化、フーコーの用語に倣えば「主体化=隷属化」である)
生活指導運動も、統制依存体質の文部省と規律好きの進歩的教師の意図が一致して拡大したことは疑う余地がない。『滝山コミューン』的実践はそうした事情を背景に熱、狂的に広がった。行政も現場も、生徒を政策や理論の道具と見なし統制の対象に利用していた。統制の見事さを教師の力量とみなす時代であった。
「18歳選挙権」=模擬投票教育は、自称「先進的」教員たちと政権の合作としては歴史的にありふれたことの一つにすぎない。
大学紛争時の活動家が70年代中頃から教員になり組合活動にも積極的に参加してきた 。その中からごっそり管理職が排出した時期がある、まさに集団転向の様相を呈していた。「70年代の遅くない時期の政治転換」が絶望と知った彼らは平然と立場を変え「裏切った」。(Tackle to the trends of the times という点では、「裏切った」彼らも一貫している。「裏切りではない、常に時流に乗るのが私の信念」というわけだ。しかしそれが許せず、裏切って校長に寝返ったかつての仲間を学校に訪ね、衆人環視の中で詰問殴り倒した知り合いの教師がある。大学時代は中途半端なノンポリにしか見えなかった。件の校長は詰問されて「立場が違う」と平然と嘯いた。それが彼の怒りに火を付けた。殴られた校長は、この一件を報告出来なかった。スキャンダルになるのを畏れたからだ。何処までも Tackle to the trends of the times な輩だ。惜しいことに元ノンポリの教師は後日、別の裏切り者に制裁を加えようとしたその瞬間、卒中を起こして死んだ。善人は早死にする、しかし小物を殴って死ぬのは詰まらない)
彼らは手土産抱えて石原体制に馳せ参じ、反動教育行政を支え煽った。「裏切った」彼ら抜きには、美濃部・青島都政時代に深く広く勢力を伸ばした革新官僚の力を衰退させることは出来なかった筈である。革新官僚たちは優秀かつ誠実であり粘り強かった。
組体操や生指運動が無惨な結末を招いたように、模擬投票=「18歳選挙権」教育も淋しい末路を辿り、いずれ忘れられる。
こうした「歴史」的教訓を忘れることが、歴史修正主義を生むのである。反動と反知性主義だけが問題ではない。歴史修正主義への誘惑や衝動は、我々の中にあることを常に自覚していたい。