「デンマークは欧州北部の一小邦、九州の一島に当らない国であります。人口は二百五十万でありまして、日本の二十分の一であります。 しかし富の程度にいたりましてははるかに日本以上であります。日本国の二十分の一の人口を有するデンマーク国は日本の二分の一の外国貿易をもつのであります。ある人のいいまするに、デンマーク人は世界のなかでもっとも富んだる民であるだろうとのことであります。実に驚くべきことではありませんか。
|
外に失いしものを内においてとり返すを得べし |
しからばデンマーク人はどうしてこの富を得たかと問いまするに、それは彼らが国外に多くの領地をもっているからではありません、けっして富饒の地と称すべきではないのであります。国に一鉱山あるでなく、大港湾の万国の船舶を惹くものがあるのではありません。デンマークの富は主としてその土地にあるのであります、その牧場とその家畜と、その樅と白樺との森林と、その沿海の漁業とにおいてあるのであります。ことにその誇りとするところはその乳産であります、そのバターとチーズとであります。デンマークは実に牛乳をもって立つ国であるということができます。
しかるに今を去る四十年前のデンマークはもっとも憐れなる国でありました。一八六四年にドイツ、オーストリアの二強国の圧迫するところとなり、敗れてふたたび起つ能わざるにいたりました。敗北の賠償としてドイツ、オーストリアの二国に南部最良の二州シュレスウィヒとホルスタインを割譲しました。デンマークはこれがために窮困の極に達しました。国民の精力はかかるときに試めさるるのであります。戦いは敗れ、国は削られ、国民の意気鎖沈しなにごとにも手のつかざるときに、かかるときに国民の真の価値は判明するのであります。戦勝国の戦後の経営はどんなつまらない政治家にもできます、国威宣揚にともなう事業の発展はどんなつまらない実業家にもできます、難いのは戦敗国の戦後の経営であります、国運衰退のときにおける事業の発展であります。戦いに敗れて精神に敗れない民が真に偉大なる民であります、
デンマーク人は戦いに敗れて家に還ってきました。還りきたれば国は荒れ、財は尽き、見るものとして悲憤失望の種ならざるはなしでありました。ここに彼らのなかに一人の工兵士官がありました。ダルガス、齢は今三十六歳、工兵士官として戦争に臨み、橋を架し、道路を築き、溝を掘るの際、彼は細かに彼の故国の地質を研究しました。しかして戦争いまだ終らざるに彼はすでに彼の胸中に故国恢復の策を蓄えました。すなわちデンマーク国の欧州大陸に連なる部分にして、その領土の大部分を占むるユトランド(Jutland)の荒漠を化してこれを沃饒の地となさんとの大計画を、彼はすでに彼の胸中に蓄えました。「今やデンマークにとり悪しき日なり」と彼の同僚はいいました。「まことにしかり」とダルガスは答えました。「しかしながらわれらは外に失いしところのものを内において取り返すを得べし、君らと余との生存中にわれらはユトランドの曠野を化して薔薇の花咲くところとなすを得べし」と彼は続いて答えました。
他人の失望するときに彼は失望しませんでした。彼は彼の国人が剣をもって失ったものを鋤をもって取り返さんとしました。今や敵国に対して復讐戦を計画するにあらず、鋤と鍬とをもって残る領土の曠漠と闘い、これを田園と化して敵に奪われしものを補わんとしました。まことにクリスチャンらしき計画ではありませんか。真正の平和主義者はかかる計画に出でなければなりません。 今より八百年前の昔にはそこに繁茂せる良き林がありました。しかして降って今より二百年前まではところどころに樫の林を見ることができました。しかるに文明の進むと同時に人の欲心はますます増進し、彼らは土地より取るに急にしてこれに酬ゆるに緩でありましたゆえに、地は時を追うてますます瘠せ衰え、ついに四十年前の憐むべき状態に立ちいたったのであります。 緑は希望の色であります。ダルガスの希望、デンマークの希望、その民二百五十万の希望は実際に現われました。 彼の長男をフレデリック・ダルガスといいました。彼は父の質を受けて善き植物学者でありました。 しかし植林の効果は単に木材の収穫に止まりません。その善き感化を蒙りたるものはユトランドの気候であります。
ユトランドの全州は一変しました。廃りし市邑はふたたび起りました。新たに町村は設けられました。地価は非常に騰貴しました、あるところにおいては四十年前の百五十倍に達しました。道路と鉄道とは縦横に築かれました。わが四国全島にさらに一千方マイルを加えたるユトランドは復活しました、戦争によって失いしシュレスウィヒとホルスタインとは今日すでに償われてなお余りあるとのことであります。 しかし木材よりも、野菜よりも、穀類よりも、畜類よりも、さらに貴きものは国民の精神であります。
今、ここにお話しいたしましたデンマークの話は、私どもに何を教えますか。 第一に戦敗かならずしも不幸にあらざることを教えます。国は戦争に負けても亡びません。実に戦争に勝って亡びた国は歴史上けっして尠くないのであります。国の興亡は戦争の勝敗によりません、 国にもしかかる「愚かなる智者」のみありて、ダルガスのごとき「智き愚人」がおりませんならば、不幸一歩を誤りて戦敗の非運に遭いまするならば、その国はそのときたちまちにして亡びてしまうのであります。 私が今日ここにお話しいたしましたデンマークとダルガスとにかんする事柄は大いに軽佻浮薄の経世家を警むべきであります」
内村鑑三の『デンマルク国の話』の信仰に関する記述を取り去ってみた。かえってダルガス親子の精神が前面に出て、深く共感できる。
内村はこの講演で、一言たりとも日本についてふれていない。この講演は1911年、すでに治安警察法が成立、会場には警官が臨席していた。政府を批判することは、とうに出来なかったのである。デンマークに言寄せて、日本について語らねばならなかった。
彼にはかつて「日清戦争の義」を書いた苦い経験があり、それがこの講演をなさしめている。 つづく