私がビリでもいいでしょう

 二年生「現代社会」の自習課題に「欲しいものを一つ書きなさい」と出した。
 悦ちゃんのこたえ
 「トビキリ美人のお姉ちゃんが欲しい。私にはお兄ちゃんがいるけど、威張って命令ばかりしている。だからお兄ちゃんはいらない。お下がりをくれたりする優しいお姉ちゃんが欲しい。でも私には弟がいる、よく考えれば弟から見れば私はお姉ちゃんだ。トビキリ美人というのは無理だけど、それ以外で優等お姉ちゃんになれるように頑張ろう」
 
悦ちゃんは成績会議の常連だった。
 「誰かがビリにならなきゃいけないんだったら、私がビリになってもいいでしょう」と屈託なく笑うさまは爽やかだった。頑張るという言葉が、彼女の前ではあっさりズレた響きを持つのだ。クラスの誰もが、彼女を悦ちゃんと呼んでしまうのも不思議だった。
 このこたえを、すべてのクラスで読んで一時間話した。仏教用語としての「我張る」や、無駄な動きの多いこどものナマケモノが、いかに修練して立派なナマケモノに成長するのか。お陰でナマケモノの体には、苔が生え多くの昆虫が住み着いている。一日にたった一枚の葉っぱで、生きられる。もしナマケモノが一斉に頑張り始めたら、熱帯雨林は忽ちバランスを崩してしまう・・・と。

 僕は美人とは彼女のことだと思う。素樸で何一つ付け加える必要がないが、妙な癖があった。緊張するとしゃっくりが始まるのだ。
 

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