「忖度」を退ける仕組み 1

 日大アメフト部のM選手は自分自身の弱さを認め、謝罪した。その姿勢を多くが賞賛した。
 「指示があったにしろやってしまったのは私なわけで、人のせいではなく、やってしまった事実がある以上、反省すべき点だと思う」
 「追い詰められていたので、やらないという選択肢はなかった」と断言した上で、「少し考えれば自分がやったことが間違っていると前もって判断できたと思う。そうやって意識を持つことが大事だと思った」と述べた。
  記者会見した彼は知的であり誠実さに満ち、まさに日本では死語と化した「スポーツマンシップ」を一瞬よみがえらせた。しかし事前に決意することが最も肝要なのだ。その仕組みを作らねばならぬ。
    ここには丸山眞男の『忠誠と反逆』の問題提起
 「およそ個人の社会的行為のなかで忠誠と反逆というパターンを占める比重は、生活関係の継続性と安定性に逆比例する。伝統的生活関係の動揺と激変にょって、自我がこれまで同一化していた集団ないし価値への帰属感が失われるとき、そこには当然痛切な疎外意識が発生する。この疎外意識がきっかけとなって、反逆が、または既成の忠誠対象の転移が行われる」
の指し示した課題がある。


 それにしても寒心に堪えないのは、この一連の問題が見せた構造が「モリカケ」問題を巡る政権・官僚の対応と恐ろしく相似しているにも関わらず、報道が問題を日大のある部分に限定していることだ。政権の問題を回避して番組を切り回せる事の安堵感が出演者に満ちている。
  日本オリンピック委員会副会長である日大理事長と山口組6代目が二人並んだ写真は、複数の海外メディアで広まって2020年東京オリンビックには「ヤクザ・オリンピック」の名称が与えられている。 チャンコ鍋屋の女将である理事長夫人に気に入られることが学内栄達のかなめ。理事長腹心の常任理事が、前アメフト監督であり、人事を担当している。それが反則の責任を問われると、「言っていない」を繰り返す。
 何から何まで「モリカケ」関係者と瓜二つの対応をしている。日大が責任を認めてしまえば、世の関心事は「モリカケ」責任問題に移行する。それは困る、日大の対応傲慢で拙い程、ワイドショーは小出しに日大を攻める。その間、決定的証拠が愛媛県から出たにもかかわらず、マスコミの関心は「モリカケ」からすっかり離れ、会期切れに持ち込もうとしている。政権・日大・マスコミは三位一体の関係になっている。改憲派にとって、日大は法学界には希な改憲支持学者の溜まり場でもある。

  不正行為を上司から指示されようが、忖度を期待されようが、個人で「拒否」するのはこの日本では至難の業である。例えば、中高のクラブ顧問も引率も職務ではない。にも拘わらず、多くの教師がクラブ引率を拒否出来ず過労死寸前で疲れ切っている。休暇を取る権利を、例えばイタリア並みにする必要がある。
   イタリア憲法の第36条は「労働に対し平等な報酬を受ける権利および休息権」である。
1.労働者は自己の労働の量および質に応じ、およびいかなる場合にも、自己およびその家族に対し、自由にして品位ある生存を保障するに足る報酬を受ける権利を有する。 
2.労働日の最高限は、法律によって定められる。
3.労働者は、各週の休息および有給年次休暇をとる権利を有し、これを放棄することはできない。

 特に第三項に注目したい。「各週の休息および有給年次休暇をとる権利を有し、これを放棄することはできない」これを保証するのは、使用者に対する罰則である。部下が休暇を取得しなければ、上司が罰せられるのである。
  2003年8月には、労働者が4週間以上の年次有給休暇に対する権利を有すること、そして、この最低期間は、取得されなかった年休に関する手当で代替させられないことを定める法律が成立した。さらに、この規制に従わない企業や組織に対する罰則が定められている。また、1年以内に少なくともこの4週間の休暇の一部を取得し、残りをその後数ヶ月内に取得するという規定も置かれた。
  職場や管理職の意向や生徒父母の期待を背負って、「忖度」して「任せてください、頑張ります」を言わせない制度が、働く者には欠かせない。特に教師は、生徒の期待を言われると自らを犠牲にしやすい立場にある。「もうやれません、休みます」を言う者が孤立してしまう。緊急の課題である。

  しかし、いろいろな状況で退職しなければ、自らの尊厳も命も守れない事もある。そんな時、失業の恐怖が「忖度」を強いることは少なくない。セクハラやパワハラと闘おうにも闘えないことがある。安心して失業出来る仕組みがあれば、思い切ってものを言い闘うことが出来る。

  イタリアの古都ボローニャには、「賢者の町ボローニャ憲章」がある。
 「わたしたちは、この場所で、同一の法のもとに豊かな共同生活を送ることを互いに求め合う」。ボローニャは人口50万人。ファシズムと徹底的に闘った働く者の都市である。
 ここに言う共同生活とはなにか、例えば乞食組合である。ボローニャは失業者がいないことを誇りにしている。それでも失職して住居を失なえば、乞食組合が市と共同経営する「寒さや空腹から身を守るための夜間避難所」へ行けばいい。また、麻薬中毒者も「助け合いの夜間避難所」へ、外国人も「途方に暮れた外国人のための夜間避難所」へ、それぞれ駆け込めばいい。 この元乞食たちは、オフィス管理清掃組合も組織して、心身を癒した新米乞食たちは、ビルの清掃や夜間警備の仕事につくことができる。また彼らは市営公共浴場の運営をまかされてもいるので、ここにも仕事がある。
 乞食組合は情報工学学校も経営している。新米乞食のうちで希望する者があれば、彼は最先端のコンピュータ技術を習得することもできる。こうして、また一流企業へ再就職するのである。
 つまり、この乞食組合は、市内の協同組合や地方公共団体と協力関係を保ちながら、社会の弱者層の生活を保障し、仲間としての心身を立ち直らせる。

  又イタリアでは、たとえ罪を犯しても、服役しながら大学卒業の資格が取れる。法学と政治学の課程があり、大学から教員が派遣される。監獄内の自習室ではパソコンも利用出来る。試験に合格すれば学士となり、弁護士への途も開かれる。「豊かな共同生活」は刑務所にも及んでいる。


 

金箔つきの悪党にゃ頭を下げやがる。鼠小僧と云ゃ酒も飲ます・・・

 芥川龍之介の短編『鼠小僧次郎吉』の挿話である。訳ありの男が、身延周りで西へ向かう道中、調子のいい小間物屋重吉と八王子で宿をとった。これから先はこの男の話と言う事になる。
   酒を飲んで寝たが、明け方重吉が胴巻きへ手を掛けたところを取り押さえて宿の者に引き渡した。重吉は土間の柱に縛り付けられ、店の使用人たちに取り込まれ散々になぶられる。けちな胡麻の蝿だ、野猿坊だ、案山子にしたらいいだろう、賽銭泥棒の類いだろうとからかわれているうちに啖呵を切ってしまう。
 「「やい、やい、やい、こいつらは飛んだ奴じゃねえかえ。誰だと思って嘩言をつきやがる。こう見えても、この御兄さんはな、日本中を股(また)にかけた、ちっとは面の売れている胡麻の蝿だ。不面目にもほどがあらあ。うぬが土百姓の分在で、利いた風な御託を並べやがる」 
 これにゃ皆驚いたのに違えねえ。・・・好さそうな番頭なんぞは、算盤まで持ち出したのも忘れたように、呆れてあの野郎を見つめやがった。が、気が強えのほ馬子半天での、こいつだけはまだ髭を撫でながら、どこを風が吹くと云う面で、 「何が胡麻の蝿がえらかんべい。三年前の大夕立に雷獣様を手捕りにした、横山宿の勘太とはおらが事だ。おらが身もんでえを一つすりや、うぬがような胡麻の蝿は、踏み殺されると言う事を知んねえか」と嵩にかかって嚇したが、胡麻の蝿の奴はせせら笑って、 
 「へん、・・・頭からおどかしを食ってたまるものかえ。これやい、眠む気ざましにゃもったいねえが、おれの素性を洗ってやるから、耳の穴を掻っほじって聞きゃがれ」」
 
 威勢良く、悪行の数々を並べるたびに使用人たちは引き下がり言葉も慇懃になってきた。ついに母親殺しまで聞かされたところで、もしやお前はあの鼠小僧ではないかと使用人は尋ねた。
  「「図星を指されちゃ仕方がねえ。いかにも江戸で噂の高え、鼠小僧とはおれの事だ」と横柄にせせら笑やがった。・・・三人の野郎たちは、勝角力の名乗りでも聞きゃしめえし、あの重吉の間抜野郎を煽ぎ立てねえばかりにして、 
 「おらもそうだろうと思っていた。三年前の大夕立に雷獣様を手捕りにした、横山宿の勘太と云っちゃ、泣く児も黙るおらだんべい。それをおらの前へ出て、びくともする容子が見えねえだ」 「違えねえ。そう云やどこか眼の中に、すすどい所があるようだ」 「ほんによ、だからおれは始めから、何でもこの人はいっぱしの大泥坊になると云っていたわな。ほんによ。今夜は弘法にも筆の誤り、上手の手からも水が漏るす。漏ったが、これが漏らねえで見ねえ。二階中の客は裸にされるぜ」 と縄こそ解こうとはしねえけれど、口々にちやほやしやがるのよ。するとまたあの胡麻の蝿め、大方威張る事じゃねえ。 
 「番頭さん、鼠小僧の御宿をしたのは、御前の家の旦那が運が好いのだ。そう云うおれの口を干しちゃ、旅籠屋冥利が尽きるだろうぜ。桝で好いから五合ばかり、酒をつけてくんねえな」 こう云う野郎も図々しいが、それをまた正直に聞いてやる番頭も間抜けじゃねえか。 
 おれは八間の明りの下で、薬缶頭の番頭が、あの飲んだくれの胡麻の蝿に、桝の酒を飲ませているのを見たら、何もこの山甚の奉公人ばかりとは限らねえ、世間の奴等の莫迦莫迦しさが、可笑しくって、可笑しくって、こてえられなかった。なぜと云いねえ。同じ悪党とは云いながら、押込みよりや掻払い、火つけよりや巾着切がまだしも罪は軽いじゃねえか。それなら世間もそのように、大盗っ人よりや、小盗っ人に憐みをかけてくれそうなものだ。ところが人はそうじゃねえ。三下野郎にゃむごくっても、金箔つきの悪党にゃ向うから頭を下げやがる。鼠小僧と云や酒も飲ますが、ただの胡麻の蝿と云や張り倒すのだ。思やおれも盗っ人だったら、小盗っ人にゃなりたくねえ。・・・」
 宿を出ようとした男は、偽鼠小僧に痛打を食らわす。
 「「おい、越後屋さん。いやさ、重吉さん。つまらねえ冗談は云わねえものだ。御前が鼠小僧だなどと云うと、人の好い田舎者は本当にするぜ。それじゃ割が悪かろうが」と親切ずくに云ってやりや、あの阿呆の合天井め、まだ芝居がし足りねえのか、 
「何だと。おれが鼠小僧じゃねえ? 飛んだ御前は物知りだの。こう、旦那旦那と立てていりゃー」 
 「これさ。そんな啖呵が切りたけりや、ここにいる馬子や若え衆が、ちょうど御前にゃ好い相手だ。・・・お前が何でもかんでも、鼠小僧だと剛情を張りゃ、役人始め真実御前が鼠小僧だと思うかもしれねえ。が、その時にゃ軽くて獄門、重くて礫は逃れねえぜ。それでも御前は鼠小僧か、と云われたら、どうする気だ」とこう一本突っこむと、あの意気地なしめ、見る見る内に唇の色まで変えやがって、 
 「へい、何とも申し訳ござりやせん。実は鼠小僧でも何でもねえ、ただの胡麻の蝿でござりやす」 「そうだろう。そうなくっちゃ、ならねえはずだ。だが火つけや押込みまでさんざんしたと云うからにゃ、御前も好い悪党だ。どうせ笠の台は飛ぶだろうぜ。」と框で煙管をはたきながら、大真面目におれがひやかすと、あいつは酔もさめたと見えて、また水っ洟をすすりこみの、泣かねえばかりの声を出して、 
 「何、あれもみんな嘘でござりやす。私は旦那に申し上げた通り、越後屋重吉と云う小間物渡世で、年にきっと二、一度はこの街道を上下しやすから、善かれ悪しかれいろいろな噂を知っておりやすので、ついロから出まかせに、何でもかんでもぼんぼんと」・・・」
   途端に重吉は引き摺り回され、火吹き竹や枡が飛んだ。

 嘘をつくたびに小悪党の株が上がる。ついには、酒まで飲ませ、「敬意」さえ示したのである。
 政権中枢の男たちが、政治の私物化や行政権の逸脱を咎められても、「覚えがない」「問題ない」「俺じゃない」と嘘を声高に乱発する。更に専用機で外遊して金と戦争の種をばらまくたびに「賞賛」の声が上がる。瓜二つの構図である。
 まさに「桝で好いから五合ばかり、酒をつけてくんねえな」の傲慢さだ。
 「金箔つきの悪党にゃ向うから頭を下げやがる。鼠小僧と云や酒も飲ますが、ただの胡麻の蝿と云や張り倒すのだ」はマスメディアの状況を思わせる。問題は、悪党が「引き摺り回され、火吹き竹や枡が飛」ぶタイミングだ。

 『鼠小僧次郎吉』の初出は、1920年 「中央公論」である。前年の1919年、納税額3円以上の男性に選挙権が与えられた。
 

忖度を、卑しむべき態度として嫌う言語・文化

 僕は高校で英語教師に「忖度は、英国のgentlemen が子どもを教育するときに最も嫌う卑しむべき態度として、厳しく戒められる。そのことを前提にしなければ英文学は理解出来ない」と聞いた。だから忖度を言い表す英単語もない。この教師は袴下駄履きで登校していた。僕も靴が嫌で下駄やビーチサンダルで地下鉄に乗っていたが、ハイヒールなどで他人に踏まれると悲鳴を上げてしまう程であったから不思議な先生だと思っていた。しかし「人の顔を見てものを言わない」のがgentlemenであるという言葉と共に記憶に残っている。

 仏教では煩悩の根元を三毒という。『貪瞋癡(とんじんち)』即ち、貪(むさぼり)瞋(いかり)癡(おろかさ)。
 これが元となって煩悩は次のように展開する。貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪(あくけん)見。1.貪=むさぼり 2.瞋=いかり 3.=おろかさ 4.慢=のぼせ・おもいあがり 5.疑=うたがい 6.悪見=あやまった見方
「慢」はさらに展開して
 一.高慢(自分の方が上だと思う)
 二.過慢(一.とほぼ同義)
 三.慢過慢(相手が上であっても同等だと思う)
 四.我慢(自分の考えは正しいという思いあがり)
 五.増上慢(悟った、極意を得たという思い上がり)
 六.卑下慢(劣等感に落ち込む)
 七.邪慢(徳があると思いこむ)  

 「我慢」というのは自分の思いを素直に表現できず、心を偽っている状態。だからイライラや怒りを溜め膨らませる要因になる。卑下慢(劣等感に落ち込む)も、慢(まん)=(のぼせ・おもいあがり)があるからこそ生じるわけだ。「不徳のいたすところ」という言い訳も、思い上がっているからこそ出る。

 駐米大使が、米国のアーミテージ国務副長官に「Show the flag」と言われ、日本政府は慌てて自衛隊をインド洋に送り大いに物議を醸した事がある。
 「show the flag」 と強国に言われて、言葉を正当に理解出来ず「卑下慢」になってしまった事の裏側には、A.A.LA諸国に対する高慢があった。
 「show the flag」とは立場を鮮明にする」以上の意味はない。日本にとって、この場合は「平和主義を貫く」である。それを「自衛隊の旗を掲げて戦争協力」と忖度してしまったのは、いい意味での「我慢」が出来ず「卑下慢」があったとしか言い様がない。

 簡潔な名文を書く作家として深く尊敬を集めた志賀直哉は1946年に雑誌『改造』に寄せた「国語問題」で、日本語の「不完全で不便」さを指摘、ために「文化の進展が阻害されて」いると。それを根拠に、日本語に換えてフランス語を採用する事を主張した事がある。彼を崇敬する人たちも、「あれだけは受け入れられない」茶番と言われた。しかし様々な批判を受けながら、その後も志賀直哉は意見を変えていない。
  僕はこの国語問題を彼の、学習院時代に於ける乃木批判、戦中の「終戦工作」、戦後雑誌『世界』編集に共産党の中野重治や宮本百合子を加える主張をしたことから天皇制廃止論に至るまでの遍歴の中で考えたい。


  「以前、英タイムズ紙のリチャード・ロイド・パリー記者は、イギリスの官房長官が答えに詰まるほど厳しい質問を投げ続け、「ばかやろう」と俗語でなじられたことがあった。パリー氏は「きちんとジャーナリストの仕事をしている証拠だと誇りに思った」と語っていた。 
 しかし、日本は真逆。ここ3年ほどは多くの外国人ジャーナリストが、自由にものを言おうとしてもさまざまな圧力を感じると言いますが、僕も同感です。最近、NHKの籾井勝人会長が熊本地震での原発報道について「公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」と指示していたことが発覚し、問題になりました。おそらく現場は忖度しているのでしょう。 
 僕は以前、NHKのラジオ番組から、外国人記者が見た日本についてコメントしてほしいと出演依頼を受け、個人的には、福島原発、皇室制度などについて触れるつもりでプロデューサーに提案したが、やんわりと拒否され、オリンピックについて話すことになりました。番組進行の台本が渡されましたが、話題がオリンピック期間中のテロ対策に移ったとき、僕の発言が台本からそれてしまった。ロンドンでテロ対策として集合住宅の屋上にミサイルを設置したが、住民を逆に危険にさらしている、という話の流れになり、僕が「まさに沖縄の現状と同じですね」と話したところ、スタジオが静まり返りました。番組終了後、プロデューサーが「沖縄はノータッチなんです」と。 ジャーナリズムの本来の姿は権力の監視役です。日本でも、フリーの記者にはそういう意識が強いが、大手メディアは、政府の発表ジャーナリズムに慣れてしまっているため、自分でニュースを掘り起こすことがあまりないと思う。 
 ・・・意見が対立する中で自分の考えを表明するということは、それに対し責任を取るということだが、日本の記者らはこの訓練、教育が不十分のように思えます。ぶつかり合い議論するのは民主主義が成熟する重要なプロセスですが、そう教育されておらず、自分と意見の違う人間を攻撃したり、無視したりしようとする傾向が強いように見えます」
エコノミスト誌デイビッド・マックニール 『週刊朝日』  2016年5月20日号

 デイビッド・マックニール記者の指摘、「自分の考えを表明するということは、それに対し責任を取るということ」これは、必然的に個人の判断や決意を促す。日本では、学校や組織の決まりや「掟」が、個人の「判断と決意」を代替して「忖度」を受け入れる素地をつくってしまう。
 僕は明治生まれの祖父母や大叔母たちから、「人の顔色をみてものを言ってはいかん、思った通りを言いなさい」と繰り返し諭された覚えがある。学校や地域でも「ちょっと生意気」と思われたが、咎められるようになるのは、「勤評」以降である。「勤評」は、担任に従順であることを強いたのである。生活指導運動はこの風潮に乗って広がり、教師と言い争うことも増え、68年の学園紛争で頂点に達し、一気に萎えてしまう。「個人の判断決意」という点で、日本の大学闘争は脆さを内包していたからである。

  モリカケ問題で、忖度が人間唯一の能力になりつつある。忖度は命令ではない、しかし個人として判断し決意する手続きを省いている。上に立つ者が「最終的解決」と言いさえすれば、部下が「絶滅収容所」でガス室をつくったのである。戦中の日本軍では上官が、捕虜や傷病兵を「処置せよ」と命令すれば、部下は忖度して「殺害」せねばならなかった。そうして凡庸な若者たちが凶暴なファシストと化し、犠牲となったのである。

  言葉が明晰性を失う事を、小説の神様は嫌った。それ故、文学が政治や思想の道具となる事を批判したのであった。
 忖度のたびに言葉が過激になるのは、言葉の環境が均一化して憶測が通るからである。
 多様な文化思想の人間が混じり合えば、そこでの言葉は明晰性を増さざるを得ない。だから志賀直哉は『世界』の編集に敢えて、中野重治や宮本百合子を入れる提案をした。戦争の愚劣を、言葉の明晰さが暴く事を彼は願ったと僕は思う。最も明晰な言葉が日本語でないのは確かである。
 例えばフランスの教科書には、文章だけで構成された美しさがある。対して日本教科書は、字の書体を色を太さを変え、漫画を配置、カタカナ語を乱用してまるで歌舞伎町や渋谷駅前の乱雑さである。そうすることでしか、正確に事を伝えられない構造を日本語はもっている。せめて明晰性ぐらいは、フランス語並みにと僕も思う。
 志賀直哉の国語問題を茶番とは言いたくない。忖度を嫌悪する言葉として、日本語を耕す必要がある。

基地のない独立国家沖縄は、「日本国憲法」に相応しい。

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  7月24日の日記に高見順は次のように書いている。

 「山田さんが来て、長野県へ疎開すると言う。雑談のなかで、軽井沢では卵1箇12円だという話がでた。東京では6円。そこで軽井沢の闇屋が東京まで出てきて、卵を買い集める、闇値の高い東京で買って結構儲かる、それほど軽井沢は高い。鎌倉では一箇4円。「イタリーは卵がひとつ2円50銭になったとき崩壊したとかで、その話を聞いたときは日本ではひとつ2円でしたが、これが2円50銭になると日本も危い-そんな話でしたが、12円とは・・・」と私は言った。
 夜、新田と「一体どうなるのだろう」ということについて話し合った。この話は毎日誰かと必ずしないということはない。人に会えば、話はこれになる」

  「イタリーは卵がひとつ2円50銭になったとき崩壊した」のに、日本は6円になっても崩壊しない。これは、強さなのだろうか。
 イタリア軍は連合国軍がシシリー島に上陸した時、さっさと交戦を諦めている。これは弱さであろうか。その後、ムッソリーニは失脚、ドイツがローマ占領して状況は複雑化する。しかし北部ではパルチザンが獄から共産党員らを解放して、イタリア解放のパルチザン闘争を活発化させる。アルプスを越えて逃亡を計るムッソリーニを許さなかったのもパルチザンである。

 1944年の激動するイタリア社会を描いたのがブーベの恋人』である←クリック。主人公ブーベは、貧農のパルチザン青年、ファシストに銃殺された仲間のお悔やみを言いに来て、仲間の妹と出会う。ブーベは昼は仕事夜は党とパルチザン活動に明け暮れる中で、ある日仲間を撃ち殺したファシスト署長の殺害に加わってしまう。国境を東に越えて身を隠すが、・・・14年の刑で収監される。原作の小説に沿って作られている。貧しいイタリア農村描写が美しい。 
  クラウディア・カルディナーレ演じる貧しい田舎娘は、「弱」くとも意思強く生きる国家としてのイタリアの姿勢を象徴している。

  強く見えた日本と弱く見えたイタリアの違いは、70年後になって両国の米軍基地「地位協定」に端的に表れている。   同じく大戦敗戦国である独・伊と比べて、日本の違いは余にも大きい。
 独・伊両国は、補足地位協定を米国と結び、米軍基地の管理権と制空権を全面的に回復している。訓練を含む米軍の全ての行動は、ドイツやイタリア政府の主権下に統制されて「許可制」である。通告さえしない我が国とは雲泥の差である。さらに補足地位協定で、米軍に、そういう基地のある地方政府との公的な協議を義務付けている。

 同じ敗戦国の中で、占領時代から一字一句も変わらないのは、日米地位協定しかない。政権は憲法が変わらないことを異常としているが、変わらねばならぬのは地位協定である。憲法の平和主義精神は、世界各国の賛同を得て先行しているのに、地位協定は明確に世界標準から遅れて平和な暮らしの障害になっている。
 韓国ですら地位協定を二度改定。1966年調印の韓米地位協定では、日本より裁判権において不利だったが、日本同様な事件を経て、地位協定の改定に成功している。成功の原動力は韓国の激しい国民運動である。

 日本で地位協定改定や基地撤退が国民運動として成り立たないのは、沖縄に問題が集中。日本政府が沖縄を国内植民地扱いしているからに他ならない。それは大阪から辺野古に派遣された機動隊員が、沖縄県民に向かって言った「土人」に現れている。
 沖縄の状況を見て、涙にくれ怒りに震えて基地建設の警備を拒否するのが独立国の治安当局として当然の態度である。
 だから僕は、基地建設の警備を拒否しない日本からの沖縄の独立を支持する。原発と基地も兵力もない独立した沖縄は、「日本国憲法」に最も相応しい。

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...