H高校には、中国帰国者の特別枠があった。通常の授業は一般の学級に属して受けるが、国語や社会科などは、「取り出し」授業といって、帰国生だけの小クラスを編成する。
例えば、日本で「KENRI」と発音すると、帰国生は「権力」と「権利」の両方を思い浮かべる。どちらも「ケンリー」と発音するが、中国語の中身は大きく異なる。同じ文字を使うからこそ、注意を要する。
中国では日本人として少なからず辛い思いもし、父や母を引き取り育ててくれた中国人祖父母への深い敬愛と恩義もある。日本では、中国人と呼ばれまた辛い思いに沈む。
僕は彼らと初めて出会ったとき、先ず出身地と中国名を聞いた。彼らは気を遣って日本語風に発音してくれるのだが、それを僕は中国語で発音してみた。忽ち彼らの表情が緩んで「先生、中国語出来るの」といいながら立ち上がって教卓を囲んだ。嬉しそうな表情の中に、孤立した寂しさを引き摺って暮らしてきた日々を思った。 中国全土の地図を壁に貼り、印を付けながらひとり一人話を聞いた。
教員の中には、一日も早く日本に同化させるべきだとする傾向が強い。何故なら、日本のほうが優れているという。
しかし日本人になろうと、中国人であろうと、混血の華僑であろうと、それは彼らが生活の中で主体的に選び取ることである。いずれであっても尊重して援助しなければならない。
中国からの引揚げ生徒の一人が昼休み平然と校外で食事をとっていた。
「みんな昼休みは外に出ないんだ、そういう決まりだ」と校門で立ち塞がる教師を、彼は
「僕はタバコを吸ったりパチンコをしに外に行くんじゃない。そこをどいて下さい、決まりには理由がいる」
と退けて堂々とラーメン屋に行くのだった。それを見てほかの生徒が真似をするわけではなかった。同調性は連帯へ向かうことなく、生徒ひとり一人の中で凍り付いていた。
学校という体制を後ろ盾にした教師にたった一人で向かい合う少年。僕はこの少年に彼が背負う永くて重い歴史を感じた。
どちらが「大人」でどちらが「小人(幼児)」であるか一目瞭然。掟に縛られ身動きできないのは教師。体格と賢さが逆転してしまっている。大人に成りきれない教師に少年が世の理を説かねばならない場面か日本の学校には多すぎる。
帰国生女子生徒の一人がいじめを、訴えてきた事がある。
「毎朝、昇降口で男子が数人で待ちかまえて、「お前発音変だぞ。中国に帰れよ。」なんて言うの。いじめでしょ」
「だね。周りの生徒はどうしている。」
「ニヤニヤしてる」
「他にもある?」
「ある。団地の広場で友達と話していると、必ずお巡りさんがやってきて、帰りなさいと言うのよ。必ずよ。見張られているようで気持ち悪い」
「両方とも、何とかしよう」
「待って、先生・・・話せてスッキリした。自分でやってみる。駄目だったら、助けて」そういって帰った。
・・・二日後
「うまくいったよ。昨日はね私が先に行って待ってて、言ってやったのよ。「おはよう」って」
「ほう、」
「でね、「私、○年○組の△山××、あなた名前は」って聞いたの」
「いい度胸、君らしい。それで名乗ったのかい」
「名乗った。だから私言ったの「□◇君、あんた男でしょ、男なら、私に文句あるんだったら一人で言いなさい。それから挨拶もしましょ」って。そしたら今朝、□◇君が一人で待ってて、「おはよう」って。なんだか照れてたよ」
「大人や教師抜きで解決するのが中国のやり方なのか、素晴らしい。」
「うん、大人や先生に言う前に何とかすることが多いよ」
「喧嘩にならないかい」
「小さな子なら喧嘩しちゃうこともあるけど、いつの間にか仲良くなっちゃう」
彼女の日本人男子生徒に対する姿勢は、視線を逸らさぬ清々しさがある。
日本の教師が外国の学校で教えることになると、殆ど例外なく「起立・礼」を教えて得意がる。世界に誇る日本の習慣だと。
どの民族にも「起立・礼」の掛け声はない。挨拶は号令でするものではないからだ。時と場合に応じて人間関係を作るために、個人の判断と決意で行うもの。号令でやれば、判断も決意も育たない。
自称「サムライ・ニッポン」のこの国で、全国の子どもが毎日毎時間号令と共に挨拶を繰り返している。その最中に弱少者・近隣国家への侮蔑極まりないヘイトスピーチがエスカレートしている。好戦性を煽り立てる雰囲気に飲み込まれる危うい軽薄さ。これが大幅赤字に悩むcool japan の実像だ。
幼稚園を通りがかり覗くことがある。特に中国では中が覗ける構造になっている施設が多い。非常に面白い。
私服普段着の保母さんが複数で子どもの遊びを見ている、大抵お喋りしながら。どこかで子どもの揉め事が始まる。喧嘩にもなる。泣くこともある。だが保母さんが手を出すのを見たことはない。揉めていると、先ず他の子がやって来ていろいろなことをする。それが面白い。数人が入れ替わり立ち替わりやって来る。なだめたり、モノを持ってきてあげたり、頭や背中をなでたりしている。止めに入った同士が喧嘩したりもする。珍し気に見ながら通り過ぎる子もいる。繰り返し来る子もいる。泣かされた子を連れて行く子もいる。そしていつの間にかまた遊び始める。その間、保母さんたちの目は子どもから離れないが、体は動かさない。
見ている僕は、とても長閑な気持ちになれる。
日本の保育園や公園で遊ぶ幼児を見ていると、間髪を入れず介入する大人の動きを見ることになってつまらない。統制のとれた行儀の良さはあるが、自由闊達な可愛らしさを失っている。
帰国生が僕のところにやって来たのは、何とかしてもらうためではない。自分の判断が日本の社会でも通用するか確かめるためだ。
卒業後の進路についても、帰国生たちが学校の進路部に依存する傾向はきわめて低かった。それはH高校に限らない。自分の判断・決意の範囲が日本の生徒よりはるかに広い。だから早いうちに問題を意識し、行動開始する。知り合いや関係機関を自ら訪問・相談して、いつの間にか決めている。自力で何とかしてしまう。逞しさがある。
僕は「いじめ」を克服し△山××さんとそれを受け入れた□◇君を誇る。もし僕が校長なら、全校集会や卒業式で誇りたい。しかし、授業出来ない身分に酔う管理職にそれは無い物ねだり。 いや、万に一つの可能性を追求すべきかも知れない。
「決まりには理由がいる」と言った帰国性に、教師は漫然と「特別権力関係論」を口走るのではないか。それが憲法に忠誠を誓った人間のすることか。
この少年にこそ憲法の精神が根を張っている。いじめの相手と挨拶を交わした△山××さんに九条が生きている。
日本の教師がしなければならないのは、何にも増して授業と研究だ。それが教師や学校に対する「敬意」や「信頼」を育む唯一の方法。こうした環境から生まれるのが、自由・平等に貫かれる連帯感に他ならない。民族や貧富を超える「公」が育つのは、教師が幼稚な「道徳」と号令を口走るからでは無い。