ずいずいずっころばし胡麻味噌ずい
茶壷に追われて(茶壺道中が近づけば理不尽極まる面倒が課されるから)
トッピンシャン(戸を閉め隠れて息をひそめる)
抜けたらドンドコショ(茶壺道中が過ぎてようやく賑やかな日常に戻った)
御茶壺道中は、将軍専用の茶葉を、宇治から江戸に運ぶ行列。この御茶壷道中は、たとえ参勤交代や御三家の行列であっても、駕籠や馬から降りて道を譲る仕来りに遭遇して厄介千万だった。行列の街道は、事前に入念な道普請が命じられ、見ても顔をあげてもならず、恐る恐る息を潜めて遣り過ごす。田植えは農繁期であっても禁止、子供の戸口からの出入りも、たこ揚げも、屋根の置き石も、煙の上がる煮炊も、葬式までも禁止して弾圧。
先ず空の茶壺が東海道を宇治に向かい、茶葉を茶壺に詰めたあと、一旦京都の愛宕山へ預け朝廷にも分けた。その後、中山道を通って、途中茶壺を山梨県の谷村で夏を過ごし、秋になって江戸へ運んだ。
千人もの大人が、「恐れ多い」茶壺への失態に怯えながら徒歩で運んだという。こうした横暴は必然的に腐敗を生む、茶壺役人は質が悪くなる。茶壺関係物品をわざと人馬往来ある場所に置き、粗相を誘発しては恐喝の種にした。
その道中の様子を風刺したのが、「ずいずいずっころばし」。
茶壷の数も行列の人数も年ごとに増え、道中は千人以上が百個を超える茶壷を運ぶ「絢爛豪華」な行列になった。この前代未聞の馬鹿げた慣行は、家光が1633年に制定し幕府が消滅するまで235年も続いた。
こともあろうかこの愚行を、地域の誉れ高い歴史的行事として再現する自治体が一つならずある。世界遺産はこうした愚行の集積に他ならない。
どんな迷惑も限度を顧みず徹底的に強行弾圧し続ければ、やがて民衆は諦めるばかりか自ら進んで平伏する。その封建時代の忌まわしい記憶は、日本に今なお深く刻まれている。皇室の人間は「様」付でその恋人は「さん」だ。相手が強大ならば、どんな仕打ちにも「耐え」やがて自らひれ伏し従属する。大空襲と原爆投下の指揮官ルメイに、勲一等旭日大綬章を贈る恥ずかしい国となり果てたことを忘れてはいまい。ペリー一行が琉球や日本に上陸して、まずやったのは「婦女暴行」である。この事実はむしろ米国の学生のほうが知っている。それを全く無かったかのように、開国の「偉業を讃える」像や碑を競って建てる。
弾圧は徹底的にやるほどよい、やがて弾圧にすすんで迎合する勢力が政権を握る。それを米合衆国に伝えたのは敗戦日本ではないか。ベトナムもキューバも、力で理不尽に襲い掛かるアメリカを決して許さなかった。中南米もイランもイラクもアフガニスタンもどんな苦難を舐めてもアメリカに屈せずやがて排除している。
米軍に轢殺された幼女、左の写真を撮った写真家は米軍に射殺されかねなかった |
ナチ支配はそれでも13年で解体した。しかし米軍基地による沖縄支配は既に約80年、なお終息の気配どころか拡大。こんな理不尽を地球上のどこに見つけることが出来るか。
他人の犠牲になりたがるものは、他人を犠牲にしたがる。悪徳は加害者によってより、むしろ被害者によって拡大される。 むのたけじ