自由な言論を支えるのは何か

 4月11日の衆議院予算委員会で、玉木雄一郎代議士が
 「私、残念です。日本の総理が嘘をついているかもしれないと思って質問するのは」と発言すると、総理は
 「私に対して嘘つきと明確におっしゃった。嘘つきと言う以上は明確に私が嘘をついているという証明を示していただかなくてはならない」と怒りを顕わにした。
  それに宍戸開がコメントしている。
〈嘘つきがウソつき呼ばわりするなと言っている!〉/〈内閣総理大臣を証人喚問に呼ばざるを得ない!〉/〈愛媛県の文書に対して何でコメントできないの?〉
  彼は、スピルバーグの『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』を見た後も、
〈『アベニクソン』あっ間違えた!『ペンタゴンペーパーズ』日本人が今観るべき映画!〉
 とコメントしている。 彼にこんな発言が可能なのは、俳優であると同時に世界を取材する写真家でもあるからだ。一つの仕事に縛られれば、ものの見方を狭くするだけではなく、人を弱くして雇い主に依存させてしまう。ひたすら一事に打ち込むという、「日本人の美しき特質」が従属性を涵養している。

 べトナム戦争の頃、「朝日新聞」が「アメリカ空軍は北爆を止めるべき」という社説を載せた。対して、財界のリーダーたちが、「偏向」を続けるなら「広告出稿ができなくなる」と抗議に行った。その会談の席上、辻井喬ひとりが「あの社説は偏向しているとは思いません。北爆を続けてもアメリカは国際的に孤立するだけで、勝つことはできないと思います」と発言して、完全に浮いたことがある。

  「米軍が北ベトナム・クインラップのハンセン病病院を爆撃したことは、北ベトナムの撮影した記録フィルムから見て事実だ」と大森実が、アメリカ一辺倒のベトナム戦争報道に異議を唱えたのは1965年10月3日だった。米大使館からの声高な抗議に毎日新聞が屈し、大森実は退社した。←クリック 
 自由な言論を表看板とする新聞社ですら、こうであったのだから、辻井喬への財界内での逆風は激しかったに違いない。その辻井喬を支えたのは、詩人としての矜恃であると僕は思う。しかしそれは、残念乍らそう思うのである。辻井喬が、こう言ったことがある。
 「・・・ 本当にそういう点で違いがあると思うのは、私は、このあいだ珍しくフランスにいて、パリは清掃局のストの直後で、その少し前は交通ゼネストやっていたんですね。ストによる不便さ自体については、みんなぶつぶつ不満を言うのですけれども、でも、やはりストをするというのは人権の一部で、労働者にスト権があるということは当然のことになっている。 
 少し前の話だけどパリで、消防士のストに遭遇して、びっくりして、これ火事になったらどうするのだろうと他人事ながら心配になったのですけれども、もし日本で消防士がストやったら、六大紙は袋だたき、国賊だというようなことになるんじゃないかと心配になりますね。  やはり基本的人権の理解が、ちょっと日本ではおかしいのではないか。それは直していかないといけないんじゃないでしょうかね」
 宍戸開には写真家としての、辻井喬には詩人としての矜恃が、それぞれ本業とは別にあって、それぞれの生き方を支えているのはうらやましいことではあるが、そんなもの一切なしで自由にものを言えるのでなければならない。一人ではものを言えない弱い者を守る覚悟の連帯が、表現の自由を構成するのである。それが、人権として保障されていることが大事なのだ。それを辻井喬は、「消防士」のストライキを目撃して語っているのである。
 中野重治が「中身を詰めこむべき、ぎゅうぎゅう詰めてタガをはじけさせて行くべき憲法、そこへからだごと詰めこんで行こうとて泣きたい気になったものは国じゅうにもたくさんなかつたと僕は断じる」と書かざるを得なかった状況は、依然克服できていない。
 個人の勇気に感動しているだけでは、問題は解決できない。それがありふれた日常になることが、自由の意味である。

learn and unlearn / think and unthink

  「ヘレン・ケラーは「“I learned many things, and I had to unlearn many things”と語った。ケラーが学んだラドクリフ女子大学の講義は、耳が聞こえて、本が読めて、しゃべれる人が対象で、概念の組み立てもそうなっている。彼女は、「自分の身の丈に合わせて概念をたちなおさなければならなかった。この「概念をたちなおす」、つまり“learn and unlearn”というのは、一度編んだセーターをほどく、ほどいた同じ糸を使って自分の必要にあわせて別のものを編む、そんな感覚ですね」 
 鶴見俊輔「Unthinkをめぐって-日米比較精神史」、『リベラリズムの苦悶』阿吽社、1994年

 僕が学区最底辺のKH高で感じた生徒たちの驚嘆すべき能力は、learn and unlearn の枠組みの中で漸く捉えることが出来そうだ。またMH高にいた知能偏差値70の生徒の振るわない成績、しかし傑出した知的表現と好奇心の矛盾もUnthink の過程にあったのだと思うとよく理解が出来る。それ故、彼女の学習は「納得」と「共感」の色彩を帯びていたのだ。
  なんと言う僕の愚かさだ、退職した今になって漸く生徒理解の手がかりをつかむとは。我々教員は全く学び足りないのだ。足りないどころではない、ますます「科」学的に専門化してスペシャリスト化して悦に入る教師研究者たち。生徒たちが部分に分割できない「全体」であることを平然と無視している。(例えば、進路を早く決めろ、好きなことは何かはっきりさせろ、早ければ早いほどよいと後ろから追いまくる。学ぶとは分からなくなる過程でもあるのに)
 僕はKH高の生徒たちの学力の断面が、教委に忠実な平均的学校教師が繰り出す授業の断面と食い違っているのではないか(いわば教員のジャックに、生徒の形の違うプラグを挿そうとしていた)と大会で仮説を立て理解されなかった。 learn and unlearn の枠組みは、解りやすいだけではない。学ぶ主体の有り様も示している。ひねくれたいと「倫理」だけを学び始めたS高の生徒。養護施設の中で同調するよい子であることを強いられ続け「うまく適応」した彼女にとって、解き編み直す過程は青年として個性化自立する不可欠の過程であった。
 時間無制限テストにおける熱中(文字通りの熱中、頭から汗をかいていた)、作品としてのノートへの熱中(休み時間に気付きもせず書きつづけ帰宅してもノートを続ける)、解らない難しい授業を楽しむ精神・子どものような好奇心、それらは全て“learn and unlearn”の枠組みを通して説明出来る。
 MさんやAさんが今直面している、そして嘗ての僕が見た問題は、深く普遍性を持つ第一級の課題であると思う。それを我々は数十年にわたって「厄介さ」だけに注目、使命感に溢れた善良な教師が個人的に耐えるべき「艱難辛苦」と捉え美辞麗句で対応してきた。分かりやすい授業や補習、目新しい教材も、的をはずして更なる苦痛。それらを善意で「成績不振」の生徒たちに与え続けてきた。
 厭な教師の授業がつまらなければ、それは単に厭な奴への反感を強化する過ぎない。しかし善良な教師による手慣れた授業や指導の挫折は、教育そのものへの不信絶望となる。親切はかえって仇となる。橋下らの学校教員攻撃が支持される訳である。
   ハンセン病療養所全生分教室は、この桎梏を乗り越え自由であった。ケラーもまた感覚の孤島に絶滅隔離されていたのだ。
 生徒をlearn and unlearnの枠組みに招じる為には、まず我々がunthink しなければならない、つまり不良にならねばならない、反逆者やひねくれ者にならなければならない。
 佐伯胖が「従来の教科内容の研究が、科学として確立した知識の構造化にはたいへん力を入れてきたが、それらを認識していく理解のプロセス、特に、子供がもつ既存のスキーマとのかかわりに関する研究はきわめて遅れているといえよう」と言ったのは 1982年。「真実性感覚」が欠けているのは子どもたちではない、教師の方である。付属学校や研究指定校は一体どれほどあるのだろうか。そこでどれほどのレポートが作られるのか、教育関係学会レポートは一年に何本出て学位へ繋がるのだろうか。教育に関わりある中央・地方官僚は一体何人なのか、学者は何人いて何をしていたのか。
 「辺境」の生徒たちの鬱屈・不満・不信・絶望・無関心が、これらに向かって集団的怒りとして現れる瞬間を待望する。今年の夏も何千もの教育研究集会がもたれ、己の善良性と、着目の先進性を競う。 これらの総体が教育基本法を変えさせ、教委不要論・公務員不要論や反知性主義を「辺境」の人々に広げたのだと思う。始まりは善意と使命感だからこそ、罪は大きい。                                
  「(幕末から)明治初期の人間は、ヨーロッパ渡りの学問を身につける時にも、江戸時代後期の寺子屋の教養を巧みに生かしてunthinkしながら、thinkとunthinkを並行的にくり返し考えます。・・・明治半ばになると、・・・政府が大学を作って、そこでみんな勉強することとなります。政府のお金の後押しで、欧米の学問を身につけるようになるわけです。そうすると、それまでの幕藩体制の政府に逆らって、自分の首をかけての・・・洋学とは、変わってきます。 ・・・渡辺崋山、高野長英といった人たちにとっては、unthinkということがあったんですね。Think and unthink。Thinkがいいんだけれど、thinkだけになっちゃうと困るし、thinkよりももっと機械的なlearnになると大変困るんです。小学校で成績が一番の人は、先生が何を教えようとしているのかパッとわかる人です。そうすると一番になれるんだろう思います。小学校で一番、中学校で一番、高等学校でも一番、大学でもというのは、そうとう困るんですね。learn, learn, learn and learnなんです」鶴見俊介


 鶴見俊輔自身が、始めからunlearnの少年時代を過ごし、日本からアメリカ、アメリカから日本、戦中から戦後と極めてダイナミックなThink and unthinkの体験を三度半経験している。戦後の知識人や政治家は多かれ少なかれ、右であれ左であれThink and unthinkの体験を経ている。最近のそれがモスキート級に写る訳である。

 Unlearn も unthinkも極めて個別的かつ個性的過程であり、類型化は軽率だろう。どのような授業が教師が学校がそれを可能にするのか。中野重治の『五勺の酒』に描かれた旧制中学生たちの教師を超えて「ぐんぐん賢くなる」姿はunleranの過程である。青い山脈の「古い上衣よ さようなら」が示すようにそこかしこに溢れていた。だが校長は少年たちの伸びが鈍く停滞し始めると嘆いた。leranとthink を促すものがかけていたのだ。それが今になって急激な反動を形成している。ハンセン病者の山下さんや谺さんの学びの過程は、始めからunlearnの生活として始まっている。

追記 僕はここで「底辺」校の生徒達を、「辺境」の生徒と呼んでみた。彼らは、本人の学力だけではなく、家族や親戚を含めて仕事・人間関係・身体・住居・・・一切合切が不利な片隅におかれている。そういう意味で、「辺境」と言ってみた。だが体制や価値観によって、辺境は忽ちにして交流の中心、変革の先端となるのである。
 『五勺の酒』で、旧制中学の校長が「共産党が合法になり、天皇制議論がはじまると、中学生がいきなり賢くなった。頭のわるくない質朴な生徒、それが戦争中頭がわるかった。それがよくなってきた。ちく、ちく、針がもう一度うごき出してきた。中くらいの子供が、成績があがるのとちがって賢くなった」と書いている場面もこう考えることが出来る。皇国史観の硬直した世界では、「辺境」に追いやられていた少年が世界観の大変革を受けて、先端に踊り出て「いきなり賢くなった」のだと。

続「楽園で農地を無償譲渡」と言った政府・それを信じた棄民の悪夢 

承前←クリック
アマゾンへの移民斡旋会社のポスター
 『ワイルド・ソウル』の主人公達が、外務省仮庁舎の屋上から降ろした垂れ幕には、彼らの怨念が込められていた。
この豚野郎 女衒野郎 
四十年前におまえらに騙されて死んだ人間を思い知れ 
街娼や乞食にまで落ちぶれた日本人のことを思い出せ 
犬同然に扱われた四万の民の苦しみを知れその借りは、今から返してもらう
 返すべき借りを抱えて、東京に隠れるように住んでいた男の一人が、移民斡旋会社の責任者である。
 『アマゾナス産業㈱』 ブラジル政府からその特許権を一任されていたアマゾンへの移民斡旋会社。 四十年以上前、男はブラジルに呼ばれた。・・・ 別世界だった。 燦々と降り注ぐ陽光。褐色の肌の女の陽気な笑い声。マンゴーやスターフルーツの濃厚な香り。モノトーンの日本とは違い、ベレンには極彩色の風景が広がっていた。 
 ・・・50年代末のころだ。『アマゾナス産業㈱』 の内実に驚いた。経営状態は火の車だった。 ・・・日本円・クルゼイロの為替の変動で、各入植地へ送り出す移民たちの輸送費が圧倒的に足りなくなった。また、入植予定地の整地に手をつけようとしても、外務省から下りてくる予算がまったく不足している・・・ 数年後には会社の財務状況はますます苦しくなった。 
 治安の悪いアマゾンという理由で移民たちから当座預かっていた移住費用にも、手をつけるようになった。・・・ それでも入植予定地の何割かにしか、その金を回すことはできなかった。当然、会社の職員たちの給料も滞りがち……彼はその当時、ほぼ無給に近い状態にまでなっていた。父親の借りた家に同居し、そこで食事も賄った。 預けておいた金を返してくれと、移民たちの間から訴えが起こり始めた。しかし、そんな金はどこにもない。・・・「もう少し、辛抱をしてくれ」社長である父親は、そうした移民たちに東を下げて回った。「あと数年後にはこの事業にも目処がつく。為替も変動するだろう。そのときには必ず返すから」 嘘をついたわけではない。彼も彼の父親も、会社が持ち直したあかつきには必ずその移住費用を返金するつもりでいた。 だが、結果としてついにその機会はやってこなかった。会社は傾いてゆく一方だった。 
 移民者の中には、ごくまれにその実家がある程度裕福な者もいた。業を煮やした彼らはついにブラジル移住の夢を諦め、日本の実家に帰国費用を送金してくれるよう何度も手紙を出していた。親は必死になって金を掻き集め、それをブラジルへと送金した。だが、当時のアマゾンはおそろしく郵便事情が悪く、出した手紙が着く確率は三通に一通もないといわれていた。自然、それら移民者たちの親元から送られてくる金は、この『アマゾナス産業㈱』宛の気付となった。 移民者たちに手渡す金だった。 だが、送られてきた金を前に、大野たち親子は無言で考え込んだ。これだけの金があれば、会社はもう少し息をつける。ほかの職員への未払いの給料も支払え告悪魔の囁きが聞こえた。おれたちの会社がなくなればブラジルで暮らす移民たちは途方にくれてしまうのだ、と。 内心慎恨たるものを感じながらも、そして自分たちが犯そうとしている罪に死ぬほど怯えながらも、人でなしへの第一歩を踏み出した。アマゾンの郵便事情の悪さを逆手に取った。移民たちからの問い合わせにも、そんな送金は来ていない、と突っぱねた。そう否定すれば彼ら移民たちに調査の術はなかった。 
 だが、噂は惨むように広がっていった。 あいつらは盗っ人だ。 人の金を流用している。 そんな囁きがベレン周辺の日系人の口から洩れ始めていた 60年代の後半、『アマゾナス産業㈱』はついに破綻した。 夜逃げ同然に荷物をまとめ、日本に逃げ帰った。 
・・・ それでも、過去は振り切れていなかった。80年代・・・ブラジルから日系人の出稼ぎ労働者たちが大挙してやってくるようになった。その中には、『アマゾナス産業㈱』に預貯金を踏み倒された者や日本からの送金を盗まれた者も混じっていた。どこで調べてきたのか、彼ら日系ブラジル人は家を訪ねてきて、当時の金を返すようにと迫った。彼は拒否した。 預かっていた金に関しては、あの会社が潰れて、もうすべてが済んでしまったことだ。申し訳ないが、株式会社としての責任はそこで終わっている、と。 送金の盗用に関しては確たる証拠がないこともあり、絶対に認めなかった。彼ら日系ブラジル人には、この日本では訴訟を起こすことが難しい。そこまで分かった上での拒否の姿勢だった。 
 人でなし。ペテン師。盗っ人。人非人。イカサマ野郎 - ありとあらゆる侮蔑語で罵られた。ときには胸倉を掴まれたこともあった。 それでも彼は断固として首を縦に振らなかった。柏手に同情してその一つでも認めれば、あとはなし崩し的にほかの日系人の要求にも応じざるをえなくなる。そうなればこのおれは破産だ。苦労して手に入れた家も家族も、すべて手放さなくてはいけない。 だから、拒否しっづけた。・・・」  『ワイルド・ソウル』

 『ワイルド・ソウル』の主人公達は、日本政府に騙され無念のうちに病に倒れ、自殺に追い込まれた父母、乞食や娼婦に身を落とした仲間・身内の怨恨を長い準備の末に晴らそうとする。一人の死者も出さず、移住者の胸の内を日本中に知らしめるのである。出来の悪い君主の不始末を、逆恨みで晴らす「忠臣蔵」は、大勢を血祭りに挙げて、なお日本人の涙を絞り続けている。『ワイルド・ソウル』は、事実をよく調べ、効果的に構成されて分厚いが、僕は夜を徹して読み切った。映画化されなかったのが残念だと思う。日本政府の政策の底知れぬ闇を暴いて「忠臣蔵」に数倍する感動と爽快感を、もたらしただろうことは間違いない。

 政策により辛酸を嘗めた人は、権力の傲慢自体に怒りを覚えると共に、その事実が闇に葬られてゆくのが堪らないのである。
   関東軍からも国家からも見捨てられた開拓団は、満蒙開拓団926団・242,300人、義勇隊102隊・22,800人、報国農場74場・4,900人、それに零細商人や慰安婦などがいる。
 過去の惨劇だけではない、進行中の体罰死、薬害、冤罪、奨学金破産・・・。政策の失敗を認めず詫びない姿勢は、いずれ怨念となって爆発する。


英米仏は何故焦ってシリアを爆撃したか

  シリア攻撃を議会に諮らず強行したテレサ・メイ英首相の夫、フィリップが注目されている。アメリカのカリフォルニア州を拠点とする資産運用会社キャピタル・グループの重役なのだが、その会社は戦争ビジネスに多額の資金を投入している。例えば投資先の一つ​ロッキード・マーチンの場合、発行済み株式の7.69%(70億ドル相当)を保有しているという。軍事的な緊張が高まり、戦争になれば大儲け。

 アメリカの主力産業が軍事産業であり、彼の外交は武器の売り込みである。常に軍事行動の拡大を企んでいる。しかし今回のシリア爆撃は、少しわけが違う。尻に火がついたような慌てようで攻撃に踏み切っている。
 高校生の銃規制運動が異例の拡大が、全米ライフル協会(NRA)に強い危機感を持たせ始めている。アメリカ最大規模の銃器メーカーS&WはNRAに資金提供を惜しんでいない。シリアで最も死者を出しているのは他の戦場と同じく、銃弾と砲弾である。間違えてはいけない、自動ライフルや一発100万ドルのミサイルより、何故化学兵器が「懲罰」に値するのか。まるで化学兵器に比べれば、銃は人道的と言わんばかりだ。
  wsws.orgは4月21日の、コロンバイン高校銃乱射事件19周年デモンストレーションを報じている。高校生達の銃に対する認識が深まっているのが分かる。

  
  シリアが化学兵器を作っていたかどうかについては、Voices of the Syrian Peopleの報道をblog『マスコミに載らない海外記事』が、若いシリア知識人の証言を紹介している。
「フランスもアメリカ合州国も広めるのに忙しい最大のウソの一つは、連中が化学兵器研究施設や、そうした兵器を保存するための倉庫を狙ったというものです。研究施設はダマスカス市内にあり、それが本当に化学兵器製造のための施設であれば、攻撃後、そうした化学物質漏洩のために、多数の人々が亡くなるのを目にしているはずです。ところが、漏洩で誰も亡くなっておらず、欧米がウソをついたことをはっきり示しています。 また、欧米が標的にした倉庫は、ホムス郊外の、やはり人口稠密な地域の真ん中にありますが、漏洩で亡くなった人はいません。ここでも、倉庫が欧米がそうだと主張していたものではなかったことを証明しています」

  また、シリアの化学兵器攻撃の「犠牲者」として民間防衛隊「ホワイトヘルメット」の動画で紹介されたシリア人の少年ハサン・ディアブ君が、撮影の詳細を明らかにしたことを「スプートニク日本」が報じている。
 ディアブ君はテレビ局「ロシア24」の番組で「僕たちは地下にいた。ママは僕に今日は食べるものが何もないから明日になったら食べましょうと言った。外で叫び声が聞こえた。病院に行きなさいと叫んでいた。僕たちは病院に走った。病院に入ったとたんに僕はつかまえられて水をかけられた。その後、僕たちは他の人たちと一緒にベッドに寝かされた」と語った。

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...