「私、残念です。日本の総理が嘘をついているかもしれないと思って質問するのは」と発言すると、総理は
「私に対して嘘つきと明確におっしゃった。嘘つきと言う以上は明確に私が嘘をついているという証明を示していただかなくてはならない」と怒りを顕わにした。
それに宍戸開がコメントしている。
〈嘘つきがウソつき呼ばわりするなと言っている!〉/〈内閣総理大臣を証人喚問に呼ばざるを得ない!〉/〈愛媛県の文書に対して何でコメントできないの?〉
彼は、スピルバーグの『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』を見た後も、
〈『アベニクソン』あっ間違えた!『ペンタゴンペーパーズ』日本人が今観るべき映画!〉とコメントしている。 彼にこんな発言が可能なのは、俳優であると同時に世界を取材する写真家でもあるからだ。一つの仕事に縛られれば、ものの見方を狭くするだけではなく、人を弱くして雇い主に依存させてしまう。ひたすら一事に打ち込むという、「日本人の美しき特質」が従属性を涵養している。
べトナム戦争の頃、「朝日新聞」が「アメリカ空軍は北爆を止めるべき」という社説を載せた。対して、財界のリーダーたちが、「偏向」を続けるなら「広告出稿ができなくなる」と抗議に行った。その会談の席上、辻井喬ひとりが「あの社説は偏向しているとは思いません。北爆を続けてもアメリカは国際的に孤立するだけで、勝つことはできないと思います」と発言して、完全に浮いたことがある。
「米軍が北ベトナム・クインラップのハンセン病病院を爆撃したことは、北ベトナムの撮影した記録フィルムから見て事実だ」と大森実が、アメリカ一辺倒のベトナム戦争報道に異議を唱えたのは1965年10月3日だった。米大使館からの声高な抗議に毎日新聞が屈し、大森実は退社した。←クリック
自由な言論を表看板とする新聞社ですら、こうであったのだから、辻井喬への財界内での逆風は激しかったに違いない。その辻井喬を支えたのは、詩人としての矜恃であると僕は思う。しかしそれは、残念乍らそう思うのである。辻井喬が、こう言ったことがある。
「・・・ 本当にそういう点で違いがあると思うのは、私は、このあいだ珍しくフランスにいて、パリは清掃局のストの直後で、その少し前は交通ゼネストやっていたんですね。ストによる不便さ自体については、みんなぶつぶつ不満を言うのですけれども、でも、やはりストをするというのは人権の一部で、労働者にスト権があるということは当然のことになっている。
少し前の話だけどパリで、消防士のストに遭遇して、びっくりして、これ火事になったらどうするのだろうと他人事ながら心配になったのですけれども、もし日本で消防士がストやったら、六大紙は袋だたき、国賊だというようなことになるんじゃないかと心配になりますね。 やはり基本的人権の理解が、ちょっと日本ではおかしいのではないか。それは直していかないといけないんじゃないでしょうかね」宍戸開には写真家としての、辻井喬には詩人としての矜恃が、それぞれ本業とは別にあって、それぞれの生き方を支えているのはうらやましいことではあるが、そんなもの一切なしで自由にものを言えるのでなければならない。一人ではものを言えない弱い者を守る覚悟の連帯が、表現の自由を構成するのである。それが、人権として保障されていることが大事なのだ。それを辻井喬は、「消防士」のストライキを目撃して語っているのである。
中野重治が「中身を詰めこむべき、ぎゅうぎゅう詰めてタガをはじけさせて行くべき憲法、そこへからだごと詰めこんで行こうとて泣きたい気になったものは国じゅうにもたくさんなかつたと僕は断じる」と書かざるを得なかった状況は、依然克服できていない。
個人の勇気に感動しているだけでは、問題は解決できない。それがありふれた日常になることが、自由の意味である。