続「楽園で農地を無償譲渡」と言った政府・それを信じた棄民の悪夢 

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アマゾンへの移民斡旋会社のポスター
 『ワイルド・ソウル』の主人公達が、外務省仮庁舎の屋上から降ろした垂れ幕には、彼らの怨念が込められていた。
この豚野郎 女衒野郎 
四十年前におまえらに騙されて死んだ人間を思い知れ 
街娼や乞食にまで落ちぶれた日本人のことを思い出せ 
犬同然に扱われた四万の民の苦しみを知れその借りは、今から返してもらう
 返すべき借りを抱えて、東京に隠れるように住んでいた男の一人が、移民斡旋会社の責任者である。
 『アマゾナス産業㈱』 ブラジル政府からその特許権を一任されていたアマゾンへの移民斡旋会社。 四十年以上前、男はブラジルに呼ばれた。・・・ 別世界だった。 燦々と降り注ぐ陽光。褐色の肌の女の陽気な笑い声。マンゴーやスターフルーツの濃厚な香り。モノトーンの日本とは違い、ベレンには極彩色の風景が広がっていた。 
 ・・・50年代末のころだ。『アマゾナス産業㈱』 の内実に驚いた。経営状態は火の車だった。 ・・・日本円・クルゼイロの為替の変動で、各入植地へ送り出す移民たちの輸送費が圧倒的に足りなくなった。また、入植予定地の整地に手をつけようとしても、外務省から下りてくる予算がまったく不足している・・・ 数年後には会社の財務状況はますます苦しくなった。 
 治安の悪いアマゾンという理由で移民たちから当座預かっていた移住費用にも、手をつけるようになった。・・・ それでも入植予定地の何割かにしか、その金を回すことはできなかった。当然、会社の職員たちの給料も滞りがち……彼はその当時、ほぼ無給に近い状態にまでなっていた。父親の借りた家に同居し、そこで食事も賄った。 預けておいた金を返してくれと、移民たちの間から訴えが起こり始めた。しかし、そんな金はどこにもない。・・・「もう少し、辛抱をしてくれ」社長である父親は、そうした移民たちに東を下げて回った。「あと数年後にはこの事業にも目処がつく。為替も変動するだろう。そのときには必ず返すから」 嘘をついたわけではない。彼も彼の父親も、会社が持ち直したあかつきには必ずその移住費用を返金するつもりでいた。 だが、結果としてついにその機会はやってこなかった。会社は傾いてゆく一方だった。 
 移民者の中には、ごくまれにその実家がある程度裕福な者もいた。業を煮やした彼らはついにブラジル移住の夢を諦め、日本の実家に帰国費用を送金してくれるよう何度も手紙を出していた。親は必死になって金を掻き集め、それをブラジルへと送金した。だが、当時のアマゾンはおそろしく郵便事情が悪く、出した手紙が着く確率は三通に一通もないといわれていた。自然、それら移民者たちの親元から送られてくる金は、この『アマゾナス産業㈱』宛の気付となった。 移民者たちに手渡す金だった。 だが、送られてきた金を前に、大野たち親子は無言で考え込んだ。これだけの金があれば、会社はもう少し息をつける。ほかの職員への未払いの給料も支払え告悪魔の囁きが聞こえた。おれたちの会社がなくなればブラジルで暮らす移民たちは途方にくれてしまうのだ、と。 内心慎恨たるものを感じながらも、そして自分たちが犯そうとしている罪に死ぬほど怯えながらも、人でなしへの第一歩を踏み出した。アマゾンの郵便事情の悪さを逆手に取った。移民たちからの問い合わせにも、そんな送金は来ていない、と突っぱねた。そう否定すれば彼ら移民たちに調査の術はなかった。 
 だが、噂は惨むように広がっていった。 あいつらは盗っ人だ。 人の金を流用している。 そんな囁きがベレン周辺の日系人の口から洩れ始めていた 60年代の後半、『アマゾナス産業㈱』はついに破綻した。 夜逃げ同然に荷物をまとめ、日本に逃げ帰った。 
・・・ それでも、過去は振り切れていなかった。80年代・・・ブラジルから日系人の出稼ぎ労働者たちが大挙してやってくるようになった。その中には、『アマゾナス産業㈱』に預貯金を踏み倒された者や日本からの送金を盗まれた者も混じっていた。どこで調べてきたのか、彼ら日系ブラジル人は家を訪ねてきて、当時の金を返すようにと迫った。彼は拒否した。 預かっていた金に関しては、あの会社が潰れて、もうすべてが済んでしまったことだ。申し訳ないが、株式会社としての責任はそこで終わっている、と。 送金の盗用に関しては確たる証拠がないこともあり、絶対に認めなかった。彼ら日系ブラジル人には、この日本では訴訟を起こすことが難しい。そこまで分かった上での拒否の姿勢だった。 
 人でなし。ペテン師。盗っ人。人非人。イカサマ野郎 - ありとあらゆる侮蔑語で罵られた。ときには胸倉を掴まれたこともあった。 それでも彼は断固として首を縦に振らなかった。柏手に同情してその一つでも認めれば、あとはなし崩し的にほかの日系人の要求にも応じざるをえなくなる。そうなればこのおれは破産だ。苦労して手に入れた家も家族も、すべて手放さなくてはいけない。 だから、拒否しっづけた。・・・」  『ワイルド・ソウル』

 『ワイルド・ソウル』の主人公達は、日本政府に騙され無念のうちに病に倒れ、自殺に追い込まれた父母、乞食や娼婦に身を落とした仲間・身内の怨恨を長い準備の末に晴らそうとする。一人の死者も出さず、移住者の胸の内を日本中に知らしめるのである。出来の悪い君主の不始末を、逆恨みで晴らす「忠臣蔵」は、大勢を血祭りに挙げて、なお日本人の涙を絞り続けている。『ワイルド・ソウル』は、事実をよく調べ、効果的に構成されて分厚いが、僕は夜を徹して読み切った。映画化されなかったのが残念だと思う。日本政府の政策の底知れぬ闇を暴いて「忠臣蔵」に数倍する感動と爽快感を、もたらしただろうことは間違いない。

 政策により辛酸を嘗めた人は、権力の傲慢自体に怒りを覚えると共に、その事実が闇に葬られてゆくのが堪らないのである。
   関東軍からも国家からも見捨てられた開拓団は、満蒙開拓団926団・242,300人、義勇隊102隊・22,800人、報国農場74場・4,900人、それに零細商人や慰安婦などがいる。
 過去の惨劇だけではない、進行中の体罰死、薬害、冤罪、奨学金破産・・・。政策の失敗を認めず詫びない姿勢は、いずれ怨念となって爆発する。


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