無症状の感染者を放置した結果、知らずして感染させて死に至った人の7割は70歳以上である。
僕は、(高齢者は終末期に)「さっさと死ねるようにしてもらわないと」2013年1月21日、政府・社会保障制度改革国民会議での麻生財務大臣の発言 を思わずにはおれない。コロナ感染源として放置された大部分は、比較的若い世代で現政権の支持層である。死んだ70歳台は野党の支持層であった。
検査能力があっても検査を拒否する最前線にあった保健所職員はいずれ重いトラウマに悩まされるに違いない。
インフルエンザが猛威を振るい各地で学級閉鎖が相次いだ時、熱をおし鼻声で教壇に立つ教師が少なくなかった。「生徒も我々も迷惑するから休め」といくら言っても「大丈夫です」と言う教師がいた。彼は毎年同じことを繰り返すのだった。これもDiscomunicationの典型である。こんな教師を、熱心・頼りになると評価する傾向が学校にある。教員が足りないからだ。 有給休暇の他に病気休暇が制度化される必要がある。
日本の疾病対策の原点は、 1872年の「違式註違(いしきかいい)条例」←クリックにあると『患者教師と子どもたちと絶滅隔離』地歴社 に書いた。
日本の習慣や風俗を「文明社会」にあってはならない恥ずべきものとして処罰の対象としたのであった。それは疾病対策にも現れた。
「救癩」の看護婦として今尚称賛される三上千代は「文明国民」の心得を説いてこう言った。
美はしき日本の土よ、桜咲く国よ、富士の霊峰に、大和魂に誇の多き我国、殊には、畏れ多くも、万世一系の皇統を頂く、世界に比類なき、神々しき我国に、生を受けた我々は、如何ばかりに恵まれた国民でありませう。然し乍ら、茲に我らに、唯一の恥辱がのこされてあります。それは「癩病の一等国」といふ、有難くない名称でよばれて、列国から侮辱されてをる事であります。・・・・・・・これが未開の野蛮国なら、さまで目障りにならぬでありませうが、如何にせん、文明国といふ正装の手前、実に嘆かわしい面汚しではありませんか。
「文明国といふ正装」という普段着や下着を忘れた言い回しが、救癩は隠癩に過ぎないことを自白している。病気は不運なものであっても恥ずべきものではない。
1905年だけで9万6000を超える死者を出した結核の心配をしなければならないことは明白であった。赤痢・チフス死者も万を越し、コレラや痘瘡も定期的に猛威を振るっていた。他方ハンセン病死者(その殆どは併発した病気で死亡)は既に減少傾向にありこの年、2千余。結核死亡者は増加を続け1943年には17万を超してしまうのである。
日本の恥を隠すことに、疾病対策は絞られていた。患者の治療には関心が向いていない。お陰で世界から止めるように批判され続けた『絶対隔離』政策に固執したのである。隠して見せないことに愚かな努力を続けた。
現在のコロナ禍対策も、患者の救済や感染拡大に関心は無い『専門家』や『官僚』を使って偽りを流し、真実を語るメディアや個人を監視・弾圧し続けている。