他人の財布で「おもてなし」するこの国の文化構造と学校の闇

  ノルウェーのオスロオリンピック招致委員会は、五輪を辞退。招致合戦では最有力だった。

 国民があきれ憤慨したのが、五輪開催中に必要とされた豪華接待。その内容を地元ベルデンスガング紙の記事から抜粋する。

 / IOC委員への国王面会。式後のパーティー費用はノルウェー王室かノルウェーの組織委員会が持つ。/ 公道に委員専用車線を設ける。/ 各委員のホテルの部屋に組織委員長とホテル支配人の挨拶状と、季節の果物と菓子を届ける(2月のオスロで季節の果物を見つけるのは至難の業だが)。/ ホテルのバーは営業時間を夜遅くまで延長。ミニバーにはコカ・コーラ社の飲料を置く。/ 空港でIOC会長の歓迎レセプションを行う。空港には委員専用の出入り口を設ける。/ 開閉会式には各種アルコールを準備し、競技期間中は会場のラウンジにワインとビールを。/ 委員のホテル出迎えは笑顔で。/ 会議室の温度は常時20度に。/会場のラウンジに温かい食事を用意し、メニューは定期的に入れ替える。

   笑顔まで強制する神経は狂っている。IOCは常に胡散臭さを蔑む冷たい視線を浴びるに違いない。

 呆れるのは、オスロ撤退に対するIOCの声明。「冬季競技の熱心なファンであるノルウェー国民にも、自国で記録を達成する機会を逃すノルウェー選手にも、残念な決定だ」

 カエルの顔によく似たioc会長だが、まさにカエルの面にしょんべんの厚顔無恥ぶり。


 東京大会の招致条件は、オスロと異なって一部が漏れているだけ。それでもはらわたが煮えくり返る贅沢のし放題。

  例えばバッハはじめIOCや各競技団体の幹部は5つ星ホテルでの“貴族生活”が約束されている。東京都は大会期間中最上級4ホテル全室を貸し切り、IOC関係者に提供することを保証。「The Okura Tokyo」には、国内最高額とされる1泊300万円のスイート(720平米)があるが、IOC側の負担額上限は1泊400ドル(約4万4000円)まで、差額は組織委持ち。

 さらに今年4月28日に開かれた政府と組織委、東京都の五輪コロナ対策調整会議で、感染防止のために大会関係者と選手の移動は「新幹線一両貸し切り」「航空機はチャーター」など・・・。 

 勝ち抜けばとメッキの金メダルに煽られ、相部屋の選手村に詰め

込まれコンドームを配布される選手は、何故反乱しないのか。ローマ時代のグラデュエーターと変わらない惨めさにまだ気付かないのか。対して大会関係者はローマ帝国王侯貴族の待遇だ。待遇を享受するだけ。

 どうしてこんな「不条理」が21世紀に再現され、人々は熱狂するのか。無邪気なのか、狂ったのか。

 何故、王侯貴族待遇を嬉々として差し出すのか。自分の財布は開けもせず、「おもてなし」と言う神経はどこで培養されるのか。我々は今なお、農奴なのか、奴隷か。根性は確実にドレイそのもの。

 どんな場面で、我々はドレイか。例えば修学旅行では、旅行会社と教委ののドレイ。3泊4日連続勤務で疲れ果てても、碌に代休も取れない。入学生が決まる前に修学旅行先と日程を決めてしまう。生徒の希望など聞きもしない。旅行代理店に「待ってくれ、せめて学年が始まるまで」と言うと、「この時期の京都は希望が多くて10学級で宿は確保できません」

 見え見えの嘘。旅館に電話すればすぐわかる。先の年の予約を多くすれば、担当者の手柄になるからだ。

 僕が新学年を受け持った時、こう言ってやった。「伸ばせないんだろう、いいよ。そのときは旅行を中止する」。一年伸ばした。何事もなく予約できた。一事が万事この調子だ。例えば駅弁、何年も前に数百個を注文するのに一切割引もせず、定価に一割を上乗せする。しかも弁当は車両ごとに段ボール箱で置くだけ、生徒が配る。手間を幾重にも省いて、割増とはふざけて居る。こんな事例が山ほどある。旅行社はぼったくりし放題だ。このぼったくりで旅行社は、日頃の過当競争の赤字を埋める。だから教師に少しうまい汁を吸わせて、黙らせるに限る。修学旅行の利権のメッカ修学旅行協会は、退職校長の天下り先の一つになっている。

   このことを教えてくれたのは、四谷二中の同級生だ。父兄にはヤクザも弁護士も記者もいた。

 大広間での食事の最中「おい! 知ってるか。なんで今先生たちはいないんだ。別室で旨いもの食ってんだぞ。」数人で僕らは乗り込んだ。確かに格段に豪勢だった。僕らが安っぽいハンバーグ、先生は上等のステーキ。生徒が小皿の刺身で教師は船盛。

 「きたねえよ、先生」一斉に叫んで、大広間でばらした。次の日教師も大広間だったが、訳知りの同級生が「寝る前に先生の部屋の行こうぜ」と知恵を付ける。案の定、酒とおつまみとおにぎりの山盛りがあった。

 浴衣姿の担任達は慌てて「お!お!お前たちも腹減ったろう、食え」と言った。瞬く間に中学生の手が伸びた。旅行社は自分たちの懐に手を付けることなく、不当な手数料やカルテル行為のほんの一部分をはねて教師を飼い馴らすのである。

 こんな馴れ合いの悪習がどんな職場にもある。町内会や町工場にも。病院や警察にも。

 それをさっさと一掃しない限り、政権のIOC特別待遇も無くならない、少しづつ皆どこかで似たマネして片棒担いでしまうのだ。

 僕の高校では学年修学旅行委員会を組織、旅行業者面接・選定は生徒がやった。質問項目はクラスごとにアンケート集計した。各種手数料の細目や原価も手に入れた。航空運賃は保護者の中に日航の管理職がいてかなりの割引率を引き出した。そんな場にも文部省は修学旅行協会を使って横やりを入れてきた。官僚になろうとする者がどんどん減っていった。

 O工で担任していた時、Aさんと大島遠足の下見に行ったことがある。竹芝桟橋に着いた途端、船会社から呼び出しが掛かる。特等室が準備してあると切符を呉れようとする。僕はこういう乞食扱いに滅法腹が立つ。「旅費は出ている、二等二枚」と怒りながら金を払って窓口から切符を受け取った。 大島に着くまで何回船内放送で呼ばれたことか。大島桟橋に着くとタクシーが「お迎えに上がりました」と言うが、路線バスを待った。山頂に着けば、休憩小屋の姉さんに名前を呼ばれたのでうっかり返事をすると、刺身と明日葉のてんぷらの食事とビールの用意がしてあるという。

 「下見の時はいつもこうするの」と聞けば「はい」というではないか、つくづく教師は舐められている。食欲は萎えた。無論断った。ムカムカして予定にない温泉ホテルまで歩いた、ここでは呼び出しはなかった。帰りの船でも、呼び出しは続いた。

 次の日職場新聞に、下見でひどい目に遭ったことを書いた。こともあろうに職員会議で僕は責められてしまった。「これを読めば、まるで今までの下見は、供応を受けていたと言ってるようなものだ。取り消しなさい」驚いた。あるベテラン教師が立って「そんなこと何処に書いてありますか。第一、今まで接待を受けていたのは事実じゃありませんか。取り消す必要はない」と発言して一気に収まった。


 予備校や大学の説明会でも不可解なものを呉れようとする。交通費代わりと言って何やらカードや包みを出したり、両手一杯の土産や弁当を準備する。ある説明会受付でも5000円の交通系のカードらしいものを出すので、「交通費は出ているからいらない」と言うと、急に扱いが丁寧になったことがある。帰る時も覚えていて駆け付けて挨拶をするから「いかがわしいカードより、嘘のないデーターと良い授業をお願いしたい」と言ったら恐縮していた。

 このほかにも、学校では業者との馴れ合い悪習が止まない。その最も大きな要因は、教育が何時までも「完全無償化」されず、私費に依存するからである。数百人から数万の生徒・学生から毎年、毎月集める費用は膨大。旅行代理店は、年に一度、一校の旅行をとりしきれば後は開店休業でやって行ける。そう言って笑ったのは、二中の卒業生で小さな旅行代理店を構える男だった。

 日本の最も深い闇といわれたハンセン病療所にも「業界」が存在した。不条理の極致にあって、患者の財布を文字通り盗んで、最も深い闇帝国の支配者たちが互いに「おもてなし」していた。その全貌は未だに暴かれず、誰一人刑事罰を受けたものはない。このことは怒りを込め、追って書く。

日本の医師は病気治療の専門家なのか、教師は授業の専門家ではないのか

 







 ある大きな病院での話である。ある科の医長が、この頃やかましい癌でなくなった。ところが次の医長がまた追っかけるようにして、これは科学的にはっきり原因のつかめない奇病でなくなった。病院では不吉なことだというので、神官を招いて「おはらい」をした。それだけではない、家相のせいかも知れぬとあって、壁をぶちぬいて部屋の模様がえをした、というのである。これが東大系の医師を主流とし、医者はもちろん職員にも高度の教育を受けたインテリのそろっている東京でも一流の病院の話だから、まことに困ったものである。しかし、私はここでただちに神道のはらいそのものを批判するつもりはない。家相云々にしてもその結果しろうと眼にも確かに部屋が明るくなったし、これもまたむきになって非難するほどのこともない。

 私の問題にしたいのは、今日この国の最高の教育を受けたと称する人々のもつ宗教性の、何ともやりきれない程度の低さである。平生、科学万能で、ほとんど宗教などには無関心な人々、他のことになると実に合理的に処置することのできる高度の教育を受けた人々、甚だしいのは常に宗教など迷信視している無神論者までが、ちょっと逆境に立ち、少し不吉な環境が続くと、たちまち平素の合理性はどこへやら、まったくお話にならぬ程度のひくい宗教のとりこになってしまう。  秋月龍珉『公案』ちくま文庫

  彼は、鈴木大拙を嗣ぐ禅の師家である。医大の教授でもあるから、ここに引用した文には格別の重みがある。

 僕にも医者の友人がある。小学校から大学に至る同級同期にそれぞれ医者がいる。そんな縁もあって、医局に何度か入ったことがある。成績のいい連中であったから、医局にも内外の最新の医学誌が溢れていると思い込んでいた。だから漫画や週刊誌が散らかっているのを見たときは、心底驚いた。医学は日進月歩、それを追いかけるには夜も昼もない。そんな先入観が我々にある。緊張で疲れているなら窓から中庭の緑を眺め美しい絵画や写真を掲げ、音楽でリラックスする。そんな職業だと考えていた。

 尤も教師の職員室も褒められはしない。僕が教員になりたての1970年代、古い都立高校の教科職員室は何処も天井まで届く書棚に囲まれ重々しく文献が並んでいた。本棚はおろか机の上から専門の書籍が姿を消し、会議書類のバインダーと部活や行事のHOW TOものだけになるのに大して時間は掛からなかった。

  「・・・今日この国の最高の教育を受けたと称する人々のもつ宗教性の、何ともやりきれない程度の低さ・・・。平生、科学万能で、ほとんど宗教などには無関心な人々、他のことになると実に合理的に処置することのできる高度の教育を受けた人々、甚だしいのは常に宗教など迷信視している無神論者までが、ちょっと逆境に立ち、少し不吉な環境が続くと、たちまち平素の合理性はどこへやら」と言わねばならぬ状況が日本の医者にはある。日本の医師の殆どは個人医院の経営者である。医療に専念する前に医院の経営に関心を奪われてしまう。

      公的病院       民間病院         

日本    約20%       約80%

アメリカ  約75%       約25%

イギリス  大半        一部のみ

フランス  約67%        33%

ドイツ   約66%       約34%                 「諸外国における医療提供体制について」厚生労働省

  イギリスがベヴァリッジ報告に基づいた「ゆりかごから墓場まで」の 福祉制度を可能にしたのは、医師が煩わしい経営から切り離されているからである。

 つい最近日本医師会が社会的pcr 検査にようやく前向きになったのは、彼らの大部分が病院経営者だったからである。     経営のためには、患者の健康は二の次にしている。コロナ分科会の専門家が揃いも揃って政権の愚策に振り回されるのも、彼らの業界が「医院経営」の柵から自由になれないからである。日本の医師はゆっくり患者を診る時間さえない。

 情けないではないか、病気治療の専門家が「ちょっと逆境に立ち、少し不吉な環境が続くと、たちまち平素の合理性はどこへやら、まったくお話にならぬ程度のひくい」判断に流れざるを得ない状況。

 教員も今や授業の専門家とは言い難い。個人経営の部活経営者になってしまっている。日本の知的財産がもう底を見せているのにさえ気付かないのだ。文科省は教師を授業の好きな教科の専門家にはしたくないのだ。

   日本では医者も教師も、雑務に追われて何一つ専門に専念出来ないまま朽ちてゆく。

   教師にも医師にも、重大な弱点がある。教師は受験業界や修学旅行業界との柵を断ち切れない。医師は医薬品業界との癒着を問題にさえしない。この件は追って書く。


福井地方裁判所の建築が目指したもの  なぜ生指部長は生徒が選ぶべきなのか

 

 日本占領軍の勧告にもとづいて企画され、甲府そのほかの地方裁判所の新築が着手されたが、それらのうちの福井地方

福井地裁を、新聞は映画館のような
ぜいたくと書き立てた。
裁判所が模範的に完成したとき、日本の新聞などの世論は必ずしもその意義を理解せず、映画館のような裁判所だとか、ぜいたくな設備だとかの批判もあったので、ぼくは参議院の法務委員会の委員として新築された福井地方裁判所に派遣され、その新しい民主主義的な人権尊重の裁判所の建築が期待された効果をあげているかどうかの実情を報告することとなった。

 民主主義の裁判所の人権尊重の明るい新建築の模範としての福井地方裁判所は、敗戦までの日本の威圧的な、冷酷な、暗い建築が天皇制国家権力に対する人民の服従を強制していた裁判所とはまったく対照的に、いかにも民主主義国家の個人尊重の希望を体現していた。その大法廷の床は明るい色の、やさしく人をむかえるじゅうたんでしきつめられ、被告や傍聴人の座席は高扱映画館なみ。家事審判、家事調停の部屋も、壁には絵、テーブルには花瓶、とホテルのようだ。

 これまでどんなところで家事の審判や調停をしていたか、というと、バラックのガタガタいう板の間にガラスのつい立てをおいて、向こうでも、こちらでもはなしをしていた。向こうのはなしのほうがおもしろいと、こちらのはなしはやめて、聞いている。とてもおちついて調停なんてできるものではない。それがホテルの部屋のように、油絵の額がかかり、花がかざってあり、やわらかいじゅうたんに楽ないす。これはぜいたくか、と現地で調査すると、家事調停は、これまでとちがってほとんどすべて成立するようになったという。新しい、明るい、じゅうたんをしきつめた美しい法廷になってから、一回も紛争がない、本当に模範的だ、と裁判官もうれしそうに語っている。

 最後に、被告が拘置所から裁判所に連れてこられて開廷を待つあいだの控え室を見たい、と要望したぼくが案内されたその部屋には、ベッドがあり、セントラル・ヒーティングの暖房の装置もついている。これはたしかにこれまでの国家権力主義では考えられなかった百八十度の民主主義の改革、人権の尊重だ・・・

 ぼくの恐れていたとおりに、その部屋のドアの下の地面に接するところに穴があいているのだ。これが急所である。最後のところで民主主義をうらぎるのだ。被告の食事弁当を差し入れる入れ口がドアの地面に接するところについている。これは敗戦までの日本の天皇制国家権力主義の人権無視のあらわれであり、警察でも、拘置所でも、刑務所でも、被告や収容されている人の食事をわざと泥土におく卑劣な差別の伝統だ。    羽仁五郎『教育の論理』講談社文庫


    多摩の文字通り平均的な高校にいたとき、ある担任から生徒の「指導」を頼まれたことがある。その教師が担任するクラスのの生徒に、こともあろうに僕が「説教」する。弱った、東京で最もそれに相応しくない人間が僕だ。

 暑い日だった。僕は「何処でやってもいいか、話す中身に制限は付けないか」と念を押して、冷たい飲み物を用意してもらった。

  水辺の鬱蒼とした静かな木陰まで歩いた、担任も一緒。腰を下すと、玉川上水のせせらぎと小鳥のさえずりが聞こえる。  

 「ここを知っているかい」

 「知らない、初めて来た。涼しいね」と怪訝な顔をする。 

 太宰治はここで自殺を図り、四回目で死んだ。太宰はこう書いる。

「生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。」

 「実は何を話そうか、困ってるんだ。きみには言いたいことが一杯ある筈だ。先ずそれを聞こう」

  小柄な少年だった。僕にはこの生徒の何が「指導」に値するのか見当もつかない、聞けば反抗的で教科担任達が手を焼いているらしく、クラスでは浮いている。

  「その自殺した作家の話をしてよ」と少年。担任も頷いている。小一時間やり取りしながら話すうちに飲み物は無くなった。・・・

 「指導じゃなかったな」と言いながら戻った。

 半月が過ぎた午後、件の少年がやってきた。

 「先生、また指導してください」 

 「この前のやつは指導じゃないよ、困ったな。・・・よし今度は君が話すんだ」

  こうして水辺の木陰で何度か話をせがまれる羽目になった。相変わらず彼は聞くだけ。やがて文化祭・体育祭も過ぎ、少年は来なくなった。担任の報告では、クラスに復帰した。彼は僕の説教ではなく、あの木陰が気に入ったのだ。 

福井地裁正面玄関のステンドグラス
 学校の中に緑や文化に囲まれた落ち着く場所はない、隠れる場所もない。福井地裁が目指した環境は、主権者が誰であるのかを国民の皮膚感覚を通して啓蒙するものであった。国家の主人公に仕える僕(しもべ)=servantとは、公僕=public servant であることを誰の目にも明らかにするものであった。(その明示された意図をとらえきれなかった新聞は、新聞の役割が権力の批判であることに未だ目覚めていなかった)地方裁判所に続いて刑務所、少年院、学校・・・公営住宅が続く筈であったが・・・行政はGHQの撤退・朝鮮戦争によって真逆を目指した。

 だから学校の生活指導部は、少年/少女の権利を守り啓蒙する役割から大きく外れてしまったのである。「生活指導」が、懲罰的な成績や体罰に苦しむ高校生の訴えに基づいて行動する「分掌」となり、その責任者の最終的任命権は生徒に委ねられる可能性を秘めていた。児戯にも及ばぬ「模擬」投票のごときが、主権者教育と呼ばれることの不毛性に高校生は怒りを爆発させてよい。

 埃まみれの使い古し教材が雑然と置かれた陽当たりも景色も最悪の部屋で、主権者である少年/少女が威圧的「取り調べ」を受け反省を迫られ監禁される場所が今なお学校にある。羽仁議員が福井地裁で目撃した光景とは似ても似つかぬ世界が「日本国憲法」下で70年も続いたことに僕らは血の涙を流す必要がある。 

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...