日本の医師は病気治療の専門家なのか、教師は授業の専門家ではないのか

 







 ある大きな病院での話である。ある科の医長が、この頃やかましい癌でなくなった。ところが次の医長がまた追っかけるようにして、これは科学的にはっきり原因のつかめない奇病でなくなった。病院では不吉なことだというので、神官を招いて「おはらい」をした。それだけではない、家相のせいかも知れぬとあって、壁をぶちぬいて部屋の模様がえをした、というのである。これが東大系の医師を主流とし、医者はもちろん職員にも高度の教育を受けたインテリのそろっている東京でも一流の病院の話だから、まことに困ったものである。しかし、私はここでただちに神道のはらいそのものを批判するつもりはない。家相云々にしてもその結果しろうと眼にも確かに部屋が明るくなったし、これもまたむきになって非難するほどのこともない。

 私の問題にしたいのは、今日この国の最高の教育を受けたと称する人々のもつ宗教性の、何ともやりきれない程度の低さである。平生、科学万能で、ほとんど宗教などには無関心な人々、他のことになると実に合理的に処置することのできる高度の教育を受けた人々、甚だしいのは常に宗教など迷信視している無神論者までが、ちょっと逆境に立ち、少し不吉な環境が続くと、たちまち平素の合理性はどこへやら、まったくお話にならぬ程度のひくい宗教のとりこになってしまう。  秋月龍珉『公案』ちくま文庫

  彼は、鈴木大拙を嗣ぐ禅の師家である。医大の教授でもあるから、ここに引用した文には格別の重みがある。

 僕にも医者の友人がある。小学校から大学に至る同級同期にそれぞれ医者がいる。そんな縁もあって、医局に何度か入ったことがある。成績のいい連中であったから、医局にも内外の最新の医学誌が溢れていると思い込んでいた。だから漫画や週刊誌が散らかっているのを見たときは、心底驚いた。医学は日進月歩、それを追いかけるには夜も昼もない。そんな先入観が我々にある。緊張で疲れているなら窓から中庭の緑を眺め美しい絵画や写真を掲げ、音楽でリラックスする。そんな職業だと考えていた。

 尤も教師の職員室も褒められはしない。僕が教員になりたての1970年代、古い都立高校の教科職員室は何処も天井まで届く書棚に囲まれ重々しく文献が並んでいた。本棚はおろか机の上から専門の書籍が姿を消し、会議書類のバインダーと部活や行事のHOW TOものだけになるのに大して時間は掛からなかった。

  「・・・今日この国の最高の教育を受けたと称する人々のもつ宗教性の、何ともやりきれない程度の低さ・・・。平生、科学万能で、ほとんど宗教などには無関心な人々、他のことになると実に合理的に処置することのできる高度の教育を受けた人々、甚だしいのは常に宗教など迷信視している無神論者までが、ちょっと逆境に立ち、少し不吉な環境が続くと、たちまち平素の合理性はどこへやら」と言わねばならぬ状況が日本の医者にはある。日本の医師の殆どは個人医院の経営者である。医療に専念する前に医院の経営に関心を奪われてしまう。

      公的病院       民間病院         

日本    約20%       約80%

アメリカ  約75%       約25%

イギリス  大半        一部のみ

フランス  約67%        33%

ドイツ   約66%       約34%                 「諸外国における医療提供体制について」厚生労働省

  イギリスがベヴァリッジ報告に基づいた「ゆりかごから墓場まで」の 福祉制度を可能にしたのは、医師が煩わしい経営から切り離されているからである。

 つい最近日本医師会が社会的pcr 検査にようやく前向きになったのは、彼らの大部分が病院経営者だったからである。     経営のためには、患者の健康は二の次にしている。コロナ分科会の専門家が揃いも揃って政権の愚策に振り回されるのも、彼らの業界が「医院経営」の柵から自由になれないからである。日本の医師はゆっくり患者を診る時間さえない。

 情けないではないか、病気治療の専門家が「ちょっと逆境に立ち、少し不吉な環境が続くと、たちまち平素の合理性はどこへやら、まったくお話にならぬ程度のひくい」判断に流れざるを得ない状況。

 教員も今や授業の専門家とは言い難い。個人経営の部活経営者になってしまっている。日本の知的財産がもう底を見せているのにさえ気付かないのだ。文科省は教師を授業の好きな教科の専門家にはしたくないのだ。

   日本では医者も教師も、雑務に追われて何一つ専門に専念出来ないまま朽ちてゆく。

   教師にも医師にも、重大な弱点がある。教師は受験業界や修学旅行業界との柵を断ち切れない。医師は医薬品業界との癒着を問題にさえしない。この件は追って書く。


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