「私は額縁に入るのはあまり好きではない。同じ入るなら風呂のほうが好きだ」
と物理学者・朝永振一郎は言ったと伝えられている。 朝永博士
の還暦を祝って若手の学者たちが、肖像画を贈ろうとしたときの言葉である。朝永振一郎は新しい風呂桶を喜んで使ったという。 「額縁に入る」ことは、表面的には大事に持ち上げられたようで歓迎すべきことのように思える。部活で成果を挙げると、仰々しく大きな垂れ幕に書かれて皆が見上げる。こんな名誉なことを断るとは、ひねくれていると思う人もあるだろう。だが「額縁に入る」事は、額縁の添え物や壁の装飾品になることを意味する。つまり客体化=道具化することだ。
戦前・戦中日本人は悉く、天皇制軍国主義のたった一銭五厘で調達出来る道具に過ぎなかったことを思い起こせばいい。あくまで自己の主体性に拘り、それを拒否すれば特高が待ち構えていた。
夏目漱石は、文部省が呉れるという博士号も東大が準備した教授の座も、まるで怒るように断っている。俺は何かの添え物ではない。そう言っているのだ。
志賀直哉は東大をあっさり中退。それでも漱石の講義にだけは熱心に足を運んだ。漱石が東大を辞するのは1907年。
その前年志賀直哉はノートに
「天皇とは一体なんだろう?どうして何の為に出来たのだろう?誠に妙なものだ。こんな奇妙なものがなければならないのかしら?天皇というのは恐らく人間ではあるまい、単に無形の名らしい。その名がそんなにありがたいとは実に可笑(おか)しい その無形の名の為に死し、その為に税を納めて。その名の主体たる、一つの平凡なる人間を及びその一族(交際する事以上何事も知らぬ。交際せんが為に生まれて来た人間)をゼイタクに遊ばせて加えてそれを尊敬する、何の事か少しも解らぬ、そういう人から爵位をもらって嬉しがる、嬉しがって君のためなら何時でも死す、アア、実に滑稽々々)。・・・」と書いている。
「・・・ゼイタクに遊ばせて加えてそれを尊敬する、何の事か少しも解らぬ、そういう人から爵位をもらって嬉しがる、嬉しがって君のためなら何時でも死す、アア、実に滑稽々々)。」
凡庸な口語で言うから一層過激に聞こえる。志賀直哉は乃木希典の自殺を「「馬鹿な奴だ」といふ気がした。丁度下女かなにかが無考えに何かした時感ずる心持と同じやうな感じ方で感じられた」と評した過去がある。
ここには「額縁に入りたくない」や「俺は添え物ではない」より更に、個人の主体性が前面にせり出している。学習院の授業中志賀直哉は、勝手に立ち上がり窓を開け校庭に唾を吐くなど素行は自己中心性を帯びていた、ために二回も落第した。
彼にとって自分自身であり続ける事は学習院生としての体面より遙に重大事だった。また東京大在学中に志賀家の女中と深い仲になり、結婚を希望するが父親に咎められ親子関係は徹底的に悪化し家出している。家や学校の「添え物」ではないという激しさがある。
後に特高警察の監視を少しも畏れず「終戦工作」←クリック に乗り出す大胆さや戦後の自由闊達な言論活動←クリック はこの時既に構築されている。
漱石・志賀直哉・朝永振一郎に狩野亨吉を加えたい。彼らを貫く意固地なまでの「反骨精神」を僕は良識と呼ぶ。 狩野亨吉は
「自分は危険思想をもっているので、王者の師傅に適しない」
と皇太子の教育掛を固辞し、帝大総長の地位さえ退けているのだから。
意地を張り不貞腐れる高校生に、僕たちは主体性の芽生えを見ようとしたか。特高のように集団の掟に押し込み、猫撫で声で「素直になれ」と恫喝して来なかったか。
最近日ごとに「良識」に富んだ人物が少なくなったことに、僕らはとぼけていいのか。あの頃の高校生は、もう子どもを成人させている。