青年のエネルギーが政治的に解放されることを恐れているのか、愚かなのか

 (ナチの)モスクワに向かう進軍部隊は、軍事的重要度の最も高いその進軍の途中で、わざわざ無限の迂路とも言うべき複雑なカルパチア山脈中の谷ぶかい小村・小都市を隈無く探し回ってユダヤ人狩りを行い、それを『収容』すべくアウシェビッツのごときを新設し、そこへの交通路まで考案する。何という軍事的無駄であるか。常軌を逸したこの軍事的浪費は、『卑属きわまりない』反ユダヤ主義の熱狂的な『前衛』ぶりからしか理解できない。もし、彼らがカルパチアの山中など度外視して真直ぐモスクワに向かっていれば、勝負の帰趨は逆転していたかもしれない。」          藤田省三『全体主義の時代経験』p43

  我々は、主権者たる青少年に学力をつけるという教育的重要度の最も高い目標を持っている。だが、わざわざ迂回に迂回を重ねて、頭髪・服装・僅かな遅刻の点検・行事の強要・・・深い谷間に分け入り問題生徒を摘み出し、それを『指導』すべく分掌を新設。何という時間的・肉体的・精神的・教育的無駄であるか。常軌を逸したこの浪費は、『卑俗きわまりない』父親主義的管理主義の熱狂的な『前衛』ぶりからしか理解できない。もし、瑣末な生活指導など度外視して真直ぐ授業に向かっていれば、目標はとっくに達成していた事は確実である。全ての青少年が、主権者に相応しい学力と行動力を備えて自立すること自体を恐れているとしか考えようがない。

 何故日本人は、わざわざ疲れて格好わるい自転車の乗り方をしていたのか。最近はツールドフランス中継のお陰で素敵な姿勢で自転車に乗る若者が増えてきてはいる。姿勢良く乗れば格好いいだけではない、疲れない。疲れないうえに早く目的地に着く。わざわざサドルを降ろして膝を深く曲げエネルギー効率の悪い乗り方をする。何という戦術的無駄であるか。ある時、生徒たちに自転車のサドルをあげて正しい姿勢で乗ると、快適で疲れないことを中庭で見せた。後で数学的に解析もして見せた。忽ちサドルを上げる者が続出したが、付き合っている女の子から「ダサイ」と言われて、サドルを極限まで下げ戻し、股を拡げ膝を曲げる者が出始めた。
 「疲れるだろう」と聞くと
 「だけど、こうしないともう付き合わないと言われちゃったんです。格好悪いって」

 充分な休養を取った方が、骨格にも筋肉にも技術にもいい事が生理学的に明らかになっているにも拘わらず、部活は始業前から日没後まで、日曜も土曜も正月もない。わざわざ疲れ果てて勝てなくする工夫を凝らしている。何という青春の無駄遣いであることか。
 青春のエネルギーが政治的に解放されることを恐れているのは誰か。不思議でならないのは、政治的に「革新・前衛」を自認している教師もこの例外ではないことだ。

賢くなった野郎ども。・・・質朴な生徒・・・それがよくなってきた。2

                                                                                                          承前
2002 4.15
  3-4の担任が「出席簿の転記を」と言いに来る。ついでに「煩くないですかと」心配する。心配事は他にある筈だ。 僕の授業の中身だ。校長が学期ごとにやる授業観察で、どの教師もこのクラスだけは避けて欲しいと懇願する学級である。誰もがこのクラスでの情けない姿を見られたくないのだ。
 3年4組 「先生おはよー、」教室に入った途端。みんな揃って要求もしないのに挨拶する。
 「99条の話したら担任怒っちゃてサー」
 「誰のおかげで三年になれたと思ってんだだって」
  「言い返せたかい」
 「・・・」
 「言い返せるようにもっと賢くなろう。相手が誰だろうと、対等にわたりあう事、つまり生意気になることが民主主義なんだ。就職してからが本番。色々騙して君たちから巻き上げようと待ち構えている・・・」
  全ての法令・規則・決まり・掟は上位のそれに反してはならない。そうでなければ無効-------法治主義の原則と公序良俗に反する契約は無効との民法上の規定を講義した。
  「学校で職場で自分を護る術・理屈をこれから学ぶ。学校や校長担任に、何か文句を言ったことあるかい」
 「言ったことある、『イヤなら辞めろ』だって」

4月20日
3年4組の生徒が二人放課後、
 「今、社会科に行ってノート置いてきました」ノートにその日の新聞記事から一つ切り抜いて貼り付け、意見を書くことを提案した。次回までに添削や感想を添えて返却する、強制ではない。
 「4組どうですか」
 「先生うちのクラスで抜群の人気なんですよ」おとなしくひどく真面目ないでたちの二人であった。そうか初めての授業は生徒による教師の面接であったのか。

1年6組  『子どもの権利条約』を学校は何故教えたがらないのかについて講義。一人だけ中学で習ったという男子がいたが中身は全く覚えていなかった。九八・九九・一条。『なめんじゃない』について。依怙贔屓される権利について講義。

4月22日
  職員室前の廊下で、1-6の二人
 「先生うちでは新聞取ってないの、・・・・・・えーTVnewsも見ない・・・朝は漫画のビデオ 先生の授業難しい、でもおもしろい」
  「この前の九九条の授業だったつけ、難しいね、でも私判るよ国民でしょ」
 隣で友達が笑っている。
 「違うよね先生、国民は入らないんでしょ」
 「そう」
 「だって国民でしょ、法律守んなきゃいけないの」
 このまま延々と続いた。少し疲れた。しかし「だって国民でしょ」という無邪気な意識のこわばりが、この問題の「解る」ポイントであることを知る。

  三年の選択現社、二時間続けてみていた元教頭(ある学校で教頭をしていた日本史の教師、降格を願い出て受け入れられた。同様の例が相次いでいる)が、「この学校で一番生徒が熱心に取り組む授業ですね」と言う。
 新聞を一部ずつ配って、二時間かけて紙面を探検した。まずは正しい折り方から。
 ゆっくり自分のスタイルでメモさせながら、一人一人と、数人と、全員と話しながら、質問を受けながら、しながら。教師の指示に従って綺麗なノートを取ってはいけない、自分の脳の居心地がいい、自分らしいノートをつくろう。

 1年5、6組 減税には金持ちの減税と貧乏人のそれがある、大臣や政治家が何を言っているのか正確によく見極めよ、同じ減税でも大違い。平和という誰もが口にする言葉も、よく聞けば、戦争と言っているのが増えてきた。簡単で判りやすいのは、疑うべき第一の条件。見極めるその為の賢さを身につけるのが社会科。憲法と社会の構造について講義

 政治によって最も過酷な運命を余儀なくされるアンダークラスが最も政治に無関心であり、政治的情報を得るメディアから疎外されていることについて、危機感を深くしなければならない。そして、学校を恰も無矛盾の共同体であるかのように構成することは、更にアンダークラスを欺く犯罪なのだ。

  この時僕は、生徒の中で起きていることの本質にまだ気が付いていない。ただ『五勺の酒』の
 「・・・天皇制議論がはじまると、中学生がいきなり賢くなった。頭のわるくない質朴な生徒、それが戦争中頭がわるかった。それがよくなってきた。ちく、ちく、針がもう一度うごき出してきた。中くらいの子供が、成績があがるのとちがって賢くなった。ある日クラス自治会をつくることで教師、生徒議論になったことがあった。そして衝突した。生徒は自治会は自治的につくらねばならぬ、先生は入れぬ形にせねばならぬと言いはった。教師は、それはいかぬ、監督の責任上入れてもらわねばならぬと言いはった。生徒は、それは教師が各クラス自治会の常任議長になることだ、教師聯合が自治会を指導しょぅというのだという。教師は、自治会を圧迫する気は毛頭ない、しかし指導・監督の責任はどこまでも負わねばならぬという。とど教師側でおこってしまった。それは責任を負うことの拒香だ。責任を放棄するのがどこが民主主義だといわれて生徒側がへこんだ。教師側に圧迫する気がなかったことは事実だ。ただ判断は僕にできなかった。僕に気づいたのは、腹を立てたのが教師側だったこと、腹を立てなかったのが生徒側だった新しい事実だ。教師側は立腹して、生徒を言いまくり、やりつけた。この点になると教師側は一致していた。生徒側はばらばらだった。ただ彼らは、腹を立てずに、監督の責任が別の形で負えることを教師たちに説明した。特に非秀才型の生徒が、どうしたら教師側にうまくのみこませられるか手さぐりで話して行ったのが目立った。教師側が大声になるほど、彼らが、それはそうじゃない、先生が圧迫しょうとしているとは取っていない、そうじゃない、そうじゃなくてと、子供は頭をふりふり、全体として受け身で攻撃を受けとめていたのが目立った。敦師団が駄々っ子になって、教師・生徒がすっかり位置を顛倒してしまっていた。僕はヌエ的司会者として、もっぱら教師たちのために生徒側をなだめた。教師側をなだめたというのがいっそう正しいだろう。教師もはいれる折衷案が出来てけりはついた」の部分をぼんやりと想い浮かべていた。
 特に「頭のわるくない質朴な生徒、それが戦争中頭がわるかった」の部分。ただ、どやし付けられるだけの儀式と起立・礼の疲れ切った表情と異様に徹底した清掃に、僕は戦中の内務班の息苦しさを感じていた。                                                                 つづく

賢くなった野郎ども。・・・質朴な生徒・・・それがよくなってきた。1

  だいぶ前のメモが古いHDから出てきた。2002 4.12から始まっている。

 「3年4組   23人のクラス。落書きもなくゴミ一つ落ちていない。上唇にピアスを3つ付けた生徒が一番前に陣取って後ろの生徒と喋っている。デンと飲み物とお菓子をおいて前後ろ横と喋っている。ここは3-4かいと言うが反応がない。やがて間延びした声で「キリーツ」の声が掛かる。なかなか立たない。胡散臭いものを見るような目つきで僕を見ながら、ダラーッと力無く立ち上がり始める。全員が立つまで長い時間が流れたような気がする。
 「立たなくてもよろしい。耳だけをこっちに」
 「君たちを初めて見たのは4日前の始業式だ。なかなかいいセンスだと思いながら見ていた。ナガーイ校長の話、何の話だったっけ?」
  「もう忘れた?・・・・聴いてなかった。ざわざわしてたからね」
 その後ある先生がたって、
 『オメェーラ何度言えばわかんだよ、だからオメーたちには自由がないんだよ、自由・自由がないと言うんだったらやることやってからにしろ』と言われて、シーンとした。ガッカリしたよ。
 いいか、君たちは口汚く怒鳴られて静かにしてしまうことで、教員にあることを学習させているんだ。『こいつらは怒鳴らなきゃ駄目なんだ』と『話の中身じゃない、そもそも聞く態度がなっていないのだ』と。君たちがわざわざ教えているんだ」
 叱られれば中身に関係なく静まうこと。自由と集会の態度をバーターすることのナンセンスとそこに含まれる論理の違法性。怒りが籠もって僕の話は少しも易しくはなかったと思う。
  僕は王子工高での体験を話した。
 (王工の生徒たちもうるさかった。スピーカーが役立たないほどやかましかった。怖そうな教師が怒鳴っても静まらない。職員会議で議論した結果、聞きたくなる話をしよう、それもなるべく短くという事になった。その最初の話し手がたまたま交通事故の怪我で包帯と松葉杖姿で登壇したため、静まりかえった)
 その後、憲法99条の2箇所を空欄にして板書した。
 「ここに何という言葉が入るか考えてもらおう。」
 「ハイハイ、国会議員」教員でさえ間違えてしまう問題を、正しく答えて、僕は一瞬驚いた。こうした〃予想外〃はよくある。
 「それでいいかな」と念を押す。
 「えーじゃーナニナニ」と周りに相談し始める。
 「他には・・・&#¢さん」指名して行くと
 「国民?」
 「国民」と次から次に言う。最初の生徒まで
 「私もそれをほんとは言いたかったの」と言う始末。
 「憲法九九条を教科書の後ろの条文で確かめてみようか」
   「だよね、だよね」国会議員と言った生徒が叫ぶ。あらためて九九条を音読すると
 「セッショウって殺すことだよね」とニッコリする生徒がいて、みんな笑った。その他の公務員には公立学校の教員はもちろん含まれている。
 なぜ国民ととはどこにも、書いてないのかについて講義を始めた。学校でいえば、校則には教師の義務と生徒の権利が書いてあるのが憲法なんだと。例えば教師は良い授業をしなければならない、生徒を侮辱してはならないと。
  終わって教室を出ると
 「せんせー名前はなんて言うの」と追っかけて来た」

 この高校に転勤が決まって、3月打ち合わせのために何人かの教師に会ったが、「授業は十分と保ちません」と誰もが念を押す。教室を廊下から覗いて、僕は辛くなった。職員室の風景も気に掛かる。見本の教科書資料集が十数年分、古い使いようのないパソコン・・・。HOW TOもの以外の本が教員の机上に殆ど無い。知的退廃。逃亡。
 授業して生徒から返ってくる反応が少なければ教師はつらい。教室の様子も職員室の雰囲気も、「辛いぞ」と予め釘を刺すようであった。
 教育は本来的に教師の思惑を超えて授業したことが教師本人に返ってくる仕事である。つまり二倍三倍時には十倍にもなって返ってくるのが常態である。一割しか返ってこなければ発狂するだろうとは、佐藤学の言である。一割以下で発狂しないためには、様々に現場から逃亡を図らねばならない。その逃亡の姿が職員室の光景であった。僕は初めての授業までに一年分の疲れを溜めていた。                                             つづく

追記 タイトルに「賢くなった野郎ども」と入れたのは、ポール・ウィリス 『ハマータウンの野郎ども』への届かぬ共感からである。

日本の大学院生ができない発言をウクライナでは高校生がする

 ウクライナ原発を視察に行った友人(東北大学医学部臨床教授 岡山博)のblog
 「(ウクライナの)義務教育は6歳から16歳まで11年間。教育は幼稚園から大学、大学院まで無料。さらに奨学金がある。(※北風:旧ソ連圏各国はほとんどが同様。)教育程度は高い。日本の大学院生ができないようなしっかりした発言を高校生がする。「アメリカの一流大学から、優秀な学生を探しにウクライナに来る。そのようにしてアメリカに渡ったウクライナの科学者がすでに5人ノーベル賞をとっている。その時国籍はウクライナではなくアメリカになっている」と、今回訪問のリーダーであるプシュパラール先生が言っていた。今回高校生を含む多くの人と会話して、なるほどそうだろうと了解した

とある。「ここでは高校生が日本の大学院生並みの会話をする」。この一言に打ちのめされる。人類史的重さを感じるからである。ウクライナが特殊なのではない。日本の青年の状況が特殊なのだ。日本の高校生も、ウクライナの高校生と同じ賢明さを持った時期がある。それは敗戦直後の高校生から容易に推測出来る。聡明さと引き替えに日本の青少年が手に入れたのは、何なのか。
 石神井高校の卒業生からのmailが興味ぶかい。いま彼は私立女子校で国語を受け持っている。

                                            部活は生徒の労働か
  「(大学の)授業のつまらなさについては先生のおっしゃる通りで(一分間の)深い話的な側面が強いと思います。それは言い換えれば、現実問題に対する意識と結び付かない、酷く奇を衒ったようなものになりがちです。これは自分への戒めでもあるのですが、やはり体験にむすびついたり、行動に移せないような授業ではいけないと思います。  部活の弊害は強く、部活が学生の免罪符になってしまっている面があります。それはどこか労働にも似ています。部活という労働を行うことで、学内や家庭で社会的な承認を得る。本当は学生に社会的な承認など必要なく、現行の組織の批判者であることが学生のアイデンティティーなはずです。しかし、若いうちから、社会的な承認を得るように仕組まれている学校や組織ではそのような余裕が与えられていない。ある者は塾に、ある者は部活に、それぞれ教員や親が歓迎するような労働を通して自尊心を養ってきてしまった。だから、どこかで現在の社会に対しては批判的でありにくい面がある。本当は現在の社会を変えていくべき世代が、早いうちからその現行の社会に取り込まれているため批判的でありにくい。その傾向から脱するためには、自分の育ってきた社会をもう一度見直す必要がある。そして、それには部活やバイト、塾などの時間に追われることがないことが大切。ふとした、疑問や不満を時間をかけて醸成していく必要があるから。・・・ 現在の学生(自分のような大学生も含めて)は本質的な社会的人間であることを構造的に避けられているような気がします。学校を初めとした、社会組織の構成員は一部の特権的な大人だけとなり、学生はその方針の体現者となる。・・・大人と学生には寛容さが欠けてしまっていると思うのです。今、百年後の国を憂うような人間はごく少数になってしまっている気がします。高度情報化、高度資本主義が進み、多くの人がそれに取り込まれてしまっている。視野がすごく狭く、現在しか見ていない。こうありたいという国の姿や社会のあり方を想像しにくい。だから、しょうがないと言うのではなく、僕も自分自身に対する批判者でなくてはならないと思います」 勝見

 部活を「学生生徒の労働」と捉えた分析は面白くも悲しい。子どもを労働する小さな大人とみていた「子どもの発見」以前に我々を引き戻すからだ。子どもが存在自体として尊重されるのではなく、学歴を稼ぎ、大会入賞歴を稼ぐ者としてのみ承認されるのだ。
 会社員の労働環境や人間関係を部活と同一視する雰囲気は、若い業界に著しい。過労死からの救出を求める女性に「あまい」と放言する大学教員が出る背景でもある。
 「働かざる者喰うべからず」は教師好みの標語であり、掃除の強制もこれで完璧だと思っている。しかも労働であれば神聖なものであり、神聖ならば義務である。このとんちんかんな感覚は、思想の左右を問わない。権利であるという意識がこの国では希薄なわけである、違法な働かせ方も罰せられない。働かない人間は評価の埒外、認めて貰うための最低条件が労働としての部活である。過労は仕事熱心と賞賛される始末。無報酬で働けば更に讃えられる。

 労働としての部活なら、大会入賞は義務であり、教師は生徒に負けろ怠けろなどとも言えない。日本の教師と学生生徒は、奇妙な迷宮に自ら求めて嵌り込んでいる。その先には、賃金や労働条件に拘ることをよしとせず、過労死に自らを導く世界観が待ちかまえている。
 今勝見君が持つ批判的洞察力が、学生生徒である間は一見自由で自主的部活に圧迫凍結される、今は我慢やりたいことは卒業してからというわけである。やがてそのまま枯れて「社会人」となる。「社会人」をそう定義すると、我が社会の不可思議に合点がゆく。クラブ活動をClub Activities と訳すことがあるが、検索しても日本絡みのことしか出てこない。 

 「部活という労働を行うことで、学内や家庭で社会的な承認を得る。本当は学生に社会的な承認など必要なく、現行の組織の批判者であることが学生のアイデンティティーなはずです」
 学生は既に社会人なのだ、従って改めて承認を求められるいわれはない。承認の要求は、身分差強制であることを知らねばならぬ。既定の観念への全面降伏を迫っているのだ。「嫌なら、受験しなければよいのだ、他に学校はいくらでもある」という知能ある者とは思えない教員お得意の言葉がそれを示している。「社会」に都合に合わせて意のままに操作される対象としての、子ども・青年。操作される訓練として部活は使われている。だから面接では部活歴は、有利な得点源となる。
 「承認の要求」それは婚活・就活・終活・・・という造語の気持ち悪さも同時に説明する。

追記 パラリンピック競技が異様に注目を浴びている。人は誰であろうと存在自体が尊重されねばならぬのに、メダル稼ぎに縁のある障害者、活躍する女性、働き続ける老人だけに目を向け、それ以外の障害者・女性・老人は綺麗に忘れられる。閣僚が「早く死んで頂きたい」と公言する始末、世も末。

授業はわかったらおもしろくない

 「私は素人ですが、あなた方におたずねしたい。学校でやる授業というのは、わかったらおもしろくないものじゃないですか。わからないから楽しい。それが授業の本質じゃないですか。つまり教師だけが答えを知っている、そこへ向かって子どもの能力をできるだけ早く順応させるというなら、これ授業じゃないでしょう」
 楽しい授業、わかる授業と教師ならだれでも言いもするし、あこがれもする。はたしてそんな授業は可能なのかどうか。むのたけじは林竹二と知り合いだった。林竹二が横手で授業するのを見ている。
 「林さんが小学校四、五年生を相手に、動物を題材としながら、『人間とは何ぞや』という哲学の根源の問題を問いかけていくわけです。私はそばで見ていた。相手が子どもだからといって学問の水準を一ミリも下げてはいませんよ。 言葉はわかるように工夫していますが最高の水準です。子どもたちは初めて聞く話です。はじめはとまどいがあります。ところが四〇分たって授業が終わると、子どもたちはこれまでもたなかったようなキラッキラした目の輝きを示しました。つまりそれは、わからないことと闘った、わからないということがわかった、努力すればもっとわかることができるだろうという感動です。これを、全く準備なしの初対面の四〇分の授業の中で実現できる。それは林さんが偉いからだとは私は思わない。それが普通の授業だ。100人の教師がいれば、そのだれもがやれる授業の本質だと私は思う」                                   むのたけじ語るⅡ』評論社・97年8月

四谷二中 8  ある日英語を見るのも嫌になった

   中学一年の一学期末、英語女教師が「初めての英語はどうでしたか、何かわからないことがありましたか」と聞いた。僕は4月、アルファベットも知らずに『JACK AND BETTY』を開いた。初めて触れた外国語は新鮮だった。 誰も質問しないので、先生が気の毒に思えて敢て質問した。
 「I go homeをhouseを使えばI go back to my houseになります。houseの時はtoを付けなければいけないのに、homeの場合はtoはいらない。何故ですか」
  なかなか気の利いた質問だと僕は思っていた。
 しかし彼女は突然怒りを露わにした。僕の質問が、彼女の意図や期待から逸脱したからだろうか。
 「教えたことを、覚えていればいいんです。余計なことを考える必要はない」と怒鳴った。質問をさせておいて怒る、僕はがっかりした。副詞と名詞を教えられない英語教師がいるものだろうか。僕は答えも準備していた。
 「houseが物体に過ぎないのに対して、homeは住む人や生活を含んでいて自然に足が向かう場所。houseは何か動機がなければいつの間にか行くという感じではありません。だから方向を表すtoを付けねばならない」
  この時僕は、副詞を知らなかった。色々考えた結果がこれだった。もし彼女にそのことを少し詳しく教える知性があれば、僕は英語から語学へ興味を広げていたはずである。断言してもいい。

 二年後妹が同じ中学に入学し、英語担任は彼女であった。妹は帰宅するなり
 「お兄ちゃん、英語の先生に何したの。出席を取っているときに「あなた三年の樋渡の妹?」って聞かれて「そうです」答えたら、いきなり怒られちゃったの」
 おかげでその日から、僕の教室に一年生が何人もやってきて、こっそり僕を確認して、逃げるようにして戻って行ったのである。
 妹のクラスで、件の女教師は口を極めて僕を罵った後
 「私の夫も東大で英語を教えています」と胸を張ったという。こうして僕は、英語がすっかり嫌いになり『JACK AND BETTY』を開くのも、憂鬱であった。もし英語が中学になければ、少なくとも僕は英語嫌いにはならずに済んだ。僕の語学教師への偏見は永く続いた。

 質問はわからないからするだけではない。わかりかけている途中の楽しい瞬間の呟きの場合もある。わからないということが認識出来て質問する場合もある。勿論教師の世界観や認識への反論としての解らないもある。学習したことを更に深めるためのわからないもある。何もかもわからない時もある。「わからない」は多様である。このことは、教師が自分の授業の出来具合を分析確認するとき、忘れてはならない。従って、教室に様々な理解の質や程度の生徒たちがいてこそ、生徒の「わからない」は多様になりうるのであって、自らの研究のこの上ない材料ともなる。

四谷二中 7 頑張らない自由

  四谷二中には日直について、おかしな決まりがあった。帰りのHRで、その日の日直を勤務評定するのである。挙手による評定が不可と出たら、翌日も日直をやらされる。ある日の日直二人が、不可となり翌日も不可となった。こんな事は滅多ににない、いや前代未聞の事だった。しかし二人は反省などしなかった。批判が相次ぐ。黒板を嫌々消している、日直なのに遅刻している、日誌を真面目につけていない・・・終いには何もしなくなった。帰りのHRは紛糾、しかし日直をさぼることへの共感も表明され始めたのだ。もう一回という罰が続くなら俺もやりたくない、日直なんているのか、遂に一週間不可が続いた。生徒による生徒の勤務評定に抗して、意地を張ったのか。平然としている。
「もうこんなこと止めようぜ、友達に成績をつけるの嫌だ」「もう一回という罰が続くなら俺もやりたくない」「日直なんているのか」誰かが言った。
「まじめに頑張った人が馬鹿をみることになるじゃないの」
「それはまじめとは別だよ」
 女子の多くが、馬鹿を見るから評定を続けるべきだと主張し、男たちはそれで頑張るなんて馬鹿げていると揉めた。遂にとどめの発言がでた。
「日直をやめよう」
「黒板は誰が消すの」
「使った人が消せばいい、先生が使ったら先生も自分で消す」
「自分のことは自分でが先生たちの口癖じゃないか」
「そうだ、昼のお茶も飲みたい者が自分で取りに行こう」
「日直日誌はどうするの」
「何のために日誌がいるんだ、遅刻や欠席した生徒の記録なんか要らない」遅刻の覧には、名前と共に教室に入った時間まで記録していた。
「あれは先生たちには、必要なことなんだろう。なら先生が自分でやればいい」
 ・・・
 日直の勤務評定はなくなり、日誌も曖昧になった。
 黒板は、徹底的にやる趣味人数人とそれに付き合う善人たちが現れて以前より綺麗になった。
 「頑張る」人間は自然に出てくる。蟻や蜂の世界でさえそうである。もし頑張る者が誰も出て来なければ、その仕事は必要ないのである。
 こうして、二中のある学級に、頑張らない自由がうまれたのである。アナーキーな香りある革命だった。

 全国民が学校で掃除当番や日直当番を12年間も続けて、日本人はどんな結構な習慣を身につけるのだろうか。
 大学紛争の最中、僕らはビル清掃のアルバイトを請け負ったことがある。紙やインクなど闘争資材の費用を調達するためである。「実践倫理○○」という組織のビルであった。自分たちの職場の清掃もカネで外注して、何の実践倫理かと思わずにいられなかった。
 文部官僚や教育委員たちは、子どもに清掃を押しつけて世界に胸を張る。であれば、彼らも、すすんで自分たちの職場は勿論、駅や通勤路の清掃に自主的に励んでいる、などということはない。そんな神経だから、ボランティアを一律に義務づけるという自らの奇っ怪さに気付きもしない。
  義務教育が施行されてしばらくの間、学校の清掃はこどもにやらせなかった。子どもの健康を慮ってのことであった。それが儒教的御託に彩られ、箒と雑巾で頑張ることが子どもの美徳になったのは、教育予算を戦費に回したからである。

追記 軍事費を削減して、教育予算を増額した国もあることは、知っておこう。Cubaである。Cuba憲法がそれを政府に命じているのである。

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...