「(ナチの)モスクワに向かう進軍部隊は、軍事的重要度の最も高いその進軍の途中で、わざわざ無限の迂路とも言うべき複雑なカルパチア山脈中の谷ぶかい小村・小都市を隈無く探し回ってユダヤ人狩りを行い、それを『収容』すべくアウシェビッツのごときを新設し、そこへの交通路まで考案する。何という軍事的無駄であるか。常軌を逸したこの軍事的浪費は、『卑属きわまりない』反ユダヤ主義の熱狂的な『前衛』ぶりからしか理解できない。もし、彼らがカルパチアの山中など度外視して真直ぐモスクワに向かっていれば、勝負の帰趨は逆転していたかもしれない。」 藤田省三『全体主義の時代経験』p43
我々は、主権者たる青少年に学力をつけるという教育的重要度の最も高い目標を持っている。だが、わざわざ迂回に迂回を重ねて、頭髪・服装・僅かな遅刻の点検・行事の強要・・・深い谷間に分け入り問題生徒を摘み出し、それを『指導』すべく分掌を新設。何という時間的・肉体的・精神的・教育的無駄であるか。常軌を逸したこの浪費は、『卑俗きわまりない』父親主義的管理主義の熱狂的な『前衛』ぶりからしか理解できない。もし、瑣末な生活指導など度外視して真直ぐ授業に向かっていれば、目標はとっくに達成していた事は確実である。全ての青少年が、主権者に相応しい学力と行動力を備えて自立すること自体を恐れているとしか考えようがない。
何故日本人は、わざわざ疲れて格好わるい自転車の乗り方をしていたのか。最近はツールドフランス中継のお陰で素敵な姿勢で自転車に乗る若者が増えてきてはいる。姿勢良く乗れば格好いいだけではない、疲れない。疲れないうえに早く目的地に着く。わざわざサドルを降ろして膝を深く曲げエネルギー効率の悪い乗り方をする。何という戦術的無駄であるか。ある時、生徒たちに自転車のサドルをあげて正しい姿勢で乗ると、快適で疲れないことを中庭で見せた。後で数学的に解析もして見せた。忽ちサドルを上げる者が続出したが、付き合っている女の子から「ダサイ」と言われて、サドルを極限まで下げ戻し、股を拡げ膝を曲げる者が出始めた。
「疲れるだろう」と聞くと
「だけど、こうしないともう付き合わないと言われちゃったんです。格好悪いって」
充分な休養を取った方が、骨格にも筋肉にも技術にもいい事が生理学的に明らかになっているにも拘わらず、部活は始業前から日没後まで、日曜も土曜も正月もない。わざわざ疲れ果てて勝てなくする工夫を凝らしている。何という青春の無駄遣いであることか。
青春のエネルギーが政治的に解放されることを恐れているのは誰か。不思議でならないのは、政治的に「革新・前衛」を自認している教師もこの例外ではないことだ。