賢くなった野郎ども。・・・質朴な生徒・・・それがよくなってきた。2

                                                                                                          承前
2002 4.15
  3-4の担任が「出席簿の転記を」と言いに来る。ついでに「煩くないですかと」心配する。心配事は他にある筈だ。 僕の授業の中身だ。校長が学期ごとにやる授業観察で、どの教師もこのクラスだけは避けて欲しいと懇願する学級である。誰もがこのクラスでの情けない姿を見られたくないのだ。
 3年4組 「先生おはよー、」教室に入った途端。みんな揃って要求もしないのに挨拶する。
 「99条の話したら担任怒っちゃてサー」
 「誰のおかげで三年になれたと思ってんだだって」
  「言い返せたかい」
 「・・・」
 「言い返せるようにもっと賢くなろう。相手が誰だろうと、対等にわたりあう事、つまり生意気になることが民主主義なんだ。就職してからが本番。色々騙して君たちから巻き上げようと待ち構えている・・・」
  全ての法令・規則・決まり・掟は上位のそれに反してはならない。そうでなければ無効-------法治主義の原則と公序良俗に反する契約は無効との民法上の規定を講義した。
  「学校で職場で自分を護る術・理屈をこれから学ぶ。学校や校長担任に、何か文句を言ったことあるかい」
 「言ったことある、『イヤなら辞めろ』だって」

4月20日
3年4組の生徒が二人放課後、
 「今、社会科に行ってノート置いてきました」ノートにその日の新聞記事から一つ切り抜いて貼り付け、意見を書くことを提案した。次回までに添削や感想を添えて返却する、強制ではない。
 「4組どうですか」
 「先生うちのクラスで抜群の人気なんですよ」おとなしくひどく真面目ないでたちの二人であった。そうか初めての授業は生徒による教師の面接であったのか。

1年6組  『子どもの権利条約』を学校は何故教えたがらないのかについて講義。一人だけ中学で習ったという男子がいたが中身は全く覚えていなかった。九八・九九・一条。『なめんじゃない』について。依怙贔屓される権利について講義。

4月22日
  職員室前の廊下で、1-6の二人
 「先生うちでは新聞取ってないの、・・・・・・えーTVnewsも見ない・・・朝は漫画のビデオ 先生の授業難しい、でもおもしろい」
  「この前の九九条の授業だったつけ、難しいね、でも私判るよ国民でしょ」
 隣で友達が笑っている。
 「違うよね先生、国民は入らないんでしょ」
 「そう」
 「だって国民でしょ、法律守んなきゃいけないの」
 このまま延々と続いた。少し疲れた。しかし「だって国民でしょ」という無邪気な意識のこわばりが、この問題の「解る」ポイントであることを知る。

  三年の選択現社、二時間続けてみていた元教頭(ある学校で教頭をしていた日本史の教師、降格を願い出て受け入れられた。同様の例が相次いでいる)が、「この学校で一番生徒が熱心に取り組む授業ですね」と言う。
 新聞を一部ずつ配って、二時間かけて紙面を探検した。まずは正しい折り方から。
 ゆっくり自分のスタイルでメモさせながら、一人一人と、数人と、全員と話しながら、質問を受けながら、しながら。教師の指示に従って綺麗なノートを取ってはいけない、自分の脳の居心地がいい、自分らしいノートをつくろう。

 1年5、6組 減税には金持ちの減税と貧乏人のそれがある、大臣や政治家が何を言っているのか正確によく見極めよ、同じ減税でも大違い。平和という誰もが口にする言葉も、よく聞けば、戦争と言っているのが増えてきた。簡単で判りやすいのは、疑うべき第一の条件。見極めるその為の賢さを身につけるのが社会科。憲法と社会の構造について講義

 政治によって最も過酷な運命を余儀なくされるアンダークラスが最も政治に無関心であり、政治的情報を得るメディアから疎外されていることについて、危機感を深くしなければならない。そして、学校を恰も無矛盾の共同体であるかのように構成することは、更にアンダークラスを欺く犯罪なのだ。

  この時僕は、生徒の中で起きていることの本質にまだ気が付いていない。ただ『五勺の酒』の
 「・・・天皇制議論がはじまると、中学生がいきなり賢くなった。頭のわるくない質朴な生徒、それが戦争中頭がわるかった。それがよくなってきた。ちく、ちく、針がもう一度うごき出してきた。中くらいの子供が、成績があがるのとちがって賢くなった。ある日クラス自治会をつくることで教師、生徒議論になったことがあった。そして衝突した。生徒は自治会は自治的につくらねばならぬ、先生は入れぬ形にせねばならぬと言いはった。教師は、それはいかぬ、監督の責任上入れてもらわねばならぬと言いはった。生徒は、それは教師が各クラス自治会の常任議長になることだ、教師聯合が自治会を指導しょぅというのだという。教師は、自治会を圧迫する気は毛頭ない、しかし指導・監督の責任はどこまでも負わねばならぬという。とど教師側でおこってしまった。それは責任を負うことの拒香だ。責任を放棄するのがどこが民主主義だといわれて生徒側がへこんだ。教師側に圧迫する気がなかったことは事実だ。ただ判断は僕にできなかった。僕に気づいたのは、腹を立てたのが教師側だったこと、腹を立てなかったのが生徒側だった新しい事実だ。教師側は立腹して、生徒を言いまくり、やりつけた。この点になると教師側は一致していた。生徒側はばらばらだった。ただ彼らは、腹を立てずに、監督の責任が別の形で負えることを教師たちに説明した。特に非秀才型の生徒が、どうしたら教師側にうまくのみこませられるか手さぐりで話して行ったのが目立った。教師側が大声になるほど、彼らが、それはそうじゃない、先生が圧迫しょうとしているとは取っていない、そうじゃない、そうじゃなくてと、子供は頭をふりふり、全体として受け身で攻撃を受けとめていたのが目立った。敦師団が駄々っ子になって、教師・生徒がすっかり位置を顛倒してしまっていた。僕はヌエ的司会者として、もっぱら教師たちのために生徒側をなだめた。教師側をなだめたというのがいっそう正しいだろう。教師もはいれる折衷案が出来てけりはついた」の部分をぼんやりと想い浮かべていた。
 特に「頭のわるくない質朴な生徒、それが戦争中頭がわるかった」の部分。ただ、どやし付けられるだけの儀式と起立・礼の疲れ切った表情と異様に徹底した清掃に、僕は戦中の内務班の息苦しさを感じていた。                                                                 つづく

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