マルクスは私たちの思考に「キックを入れる」 |
歴史主義は私たちに「ここより他の場所」「今とは違う時間」「私たちのものとは違う社会」についての想像のドアを「開放」にしておくことを要請する。
だが歴史主義には欠点もある。つい「歴史を貫く鉄の法則性」を探して、「だから来るべき社会はこのようなものである」というような遂行的予言を行い、その予言を実現させるためにあれこれ余計なことをしてしまう。 社会は変化し、それはそれなりの必然性があるのは後になるとわかるが、どういうふうに変化するのか予見することはきわめて困難である・・・という身の程をわきまえた、消えゆく「歴史主義」があれば、ずいぶんと気分のよい思想であろうと思うが、残念ながら、人類はそのようなものをこれまで所有したことがない。
「世の中、確実なものは何もありません」という涼しい達観に手が届きそうなものだが、全然そうならない
レヴィ=ストロースは論文を書き始める前には『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』に目を通すという。マルクスを数頁読むと、がぜん頭の回転がよろしくなり、筆が走り出す。マルクスは私たちの思考に「キックを入れる」と彼は言うのだ。
僕が高校に入って、初めて最期まで読み通した文庫本だ。
取り壊し寸前の木造校舎に集まって、卒業生をチューターに数ヶ月かけて読み議論した。疲れると卒業生は、たばこ代わりにチョコレートを配り、僕らは破れた天井から星空を見ていた。中学までの僕には、歴史は偶然の連続でしかなかったが、その偶然の中に繋がりと発展を見出すのが歴史だと知った。思考に「キックを入れる」とはそのことだ。
高校生は80年代頃までは、偏差値選別体制を嫌悪し高校三原則を強く支持していた。それは過去の教育政策と現在の情勢の繋がりを掴んでいたからだ。誰が三原則を潰したかを知れば、自ずと選別体制の本質は分かってくる。
だがいつの間にか、体制への憎しみが偏差値の低い学校に対する「ヘイトスピーチ」に変わるようになった。高体連の各競技大会では偏見に満ちたヤジがとぶ。例えば「落ちこぼれ!転べ!」・・・。これは僕が、高体連スキー部東京大会で聞いた言葉だ。偏差値が接近すればするほどつまらないことで蔑みあう。
彼等がすでに40歳台である。「自由・平等・友愛」を生きた思想の地位から、穴埋め問題用の暗記単語に引きずり落ちたのである。 考える「授業」、あるいは「考えさせない」授業はそのようにして、授業外の生活の中でで実行される。
ある夜明け前、僕は妻に叩き起こされた。東北東の空が「浮世絵のように美しい」と。漆黒の森影を前に地平に広がる透き通った茜色の空、その上に輝く天色、吸い込まれるような紺、絶妙の階調。夕べの強風がもたらした束の間の景色。やがて太陽が昇り全てが単調な色合い飲み込まれてしまった。値千金の数分。
五月の明るい空の眩しさと照り映える新緑に感嘆していたのが、退屈な明るさに思える。
高校の教室、廊下、通学路・・・にはこうした値千金の一瞬が散りばめられている。明るさと暗さ、幸福と悲劇、希望と絶望、信頼と嫌悪、未完成の美しさと大胆な明晰性・・・それらの狭間に潜む束の間の青春。アランが大学に赴任することを拒んだのは、それが大学生になると色あせてくるからだった。高校教師には、地位や収入には無縁のこうした「特権」がある。しかし多くは、愚かにもそれに気付かず見逃し続けている。
ある日体育教師が「登校中の数人が数学の定理を巡って言い合いをしていた」と、輪番制で発行する日刊職場新聞に書いた。僕はそういう教師が現れたことが嬉しかった。生徒たちは、いつも誰かがそういう話をしているのだ。それに気付くことが、教える資格である。行政は教師のこういう資質を憎み破壊している。なぜなら、互いの尊厳の発見は、双方の権利の自覚に繋がるからだ。
ヨーロッパの教師達には様々な休暇の権利がある、経験に応じて一ヶ月、三ヶ月、半年、一年だったり、無給なら無期限の休暇を保証している国もある。僕は都高教青年部合宿で「もう賃金はいい、研究と長期休暇の権利に取り組め」と主張したことがある。対立する双方の派閥から猛攻撃をくらった。お陰で僕は、どの党派からもうろんな敵と指弾されるようになった。