彼は特赦も拒否した |
北原は検査官の指示にはしたがわず、簡単な筆記試験にも白紙の答案を提出した。北原の入隊式には、水平社の同志が荊冠旗、赤旗、黒旗をかついでぞろぞろと見送った・・・ 北原は営門に到着するまで、道々、反軍演説をぶちまくった。群衆は集るし、憲兵は警戒に出動するし、たいへんな入営風景となった。
・・・北原は、最初から徹底的な反抗姿勢をとった。
入隊式に岐阜県知事・・・が来場して祝辞を述べたことがある。整列した新兵はおとなしくその話を聞いていたのだが、北原は、突然、列中から外に出て班内に帰ろうとした。 班長の小森軍曹があわてて、
「北原、身体の調子でも悪いのか?」と、とりなすようにいった。・・・
「悪い」北原は班長に白い眼をむけると一言いい残して、すたすたと兵舎に帰り、班内のストーブの前に椅子をもってきて、どっかとすわった。
入隊式といえば、兵隊の中では、北原だけが髪をのばしたままだった。・・・軍隊内務書には、「常二服装ヲ整へ、頭髪ヲ通常短グ葬り、身体、被服ノ清潔二勉ムベシ」とあるが、北原はこれに反抗した。
入隊式の翌日は宣誓式だ。軍隊の規律をことごとく厳守し、忠実に実行することを誓わされる式である北原は、その宣誓も拒んだ。
「北原は、なぜ、宣誓しないのだ?」まず小森班長がきいた。
「上官ノ命令ハ事ノ如何ヲ問ハズ、とありますが、もし、その命令が誤ってなされた場合にも、服従しなければならないのですか?」北原は反問した。
「そういうことはない。上官の命令は・・・気をつけ。畏くも大元帥陛下の御命令であるから、誤った命令などが出されるはずはない」
「しかし、人間の出す命令であるから、絶対に過ちがないとはいいきれますまい。たとえば、大正十二年の震災のとき甘粕憲兵大尉の命令に盲従した鴨志田上等兵は、大杉栄夫妻を惨殺してしまったではありませんか。それが誤った命令だったことは、甘粕大尉は陸軍刑法にふれて刑罰を受けたことでも分ります。自分は上官の命令でも無批判に従うというわけにはゆきませぬ。そういう宣誓をやることはできません」
・・・
北原は、こうしてずっとその宣誓を拒絶しっづけた。班長では手に負えないので、武藤中尉が北原を中隊長室によび出した。
「北原、おまえにはいろいろ理屈もあろうが、軍隊に来てしまえば、ここはこれまでの社会とちがって共同生活だ。
何ごともみんなと協力してゆかなければ、軍隊という戦闘単位の道場は成りたたない。綱領にも、兵営は軍の本義にもとづき死生苦楽をともにする軍人の家庭であると規定されてある。ここで軍人精神を涵養して鞏固な団結を完成するのだ。そのためには、一人でも軍の団結を乱す者があってはならない。北原、宣誓をしてくれ」武藤中尉はたのんだ。
「自分にはできません」
「中隊長がこれほどたのんでもできないか?」
「できません」
「たのむから、やってくれ」
「いやです」
「考えなおさないか」
「そういう気持になれません」、同じ押問答が一週間以上もつづいた。中隊長は大隊長にうったえた。大隊長は北原を隊長室によび出した。
「なあ、北原、おまえのことで中隊長も大ぶん心配している。宣誓をしたらどうか?」北原の答は同じだった。
三、四日たって、北原は班内で昼飯を食べていると、誰かが「敬礼」と叫んだ。班内の兵は、飯を噛むのをやめていっせいに起ち上がり、不動の姿勢をとった。週番士官が班の入口に立っていた。
「北原二等卒はいるか?」
「自分であります」と、北原はゆっくりと身体をまわした。
「おまえか」と、週番士官は彼をじろりと見ていった。
「連隊長殿が面会だ。連隊本部にこい」班長も古兵も顔色を変えた。
「自分はいま昼飯を食べています。これを食べ終るまで待ってもらいたい」北原は答えて腰をおろした。
週番士官は顔を真青にしたが、北原の食べ終るのを辛抱強く待った。北原が週番士官といっしょに中隊の廊下を出たあとの班内は大騒ぎになった。
「北原二等卒の直訴」 松本清張『昭和史発掘』
北原泰作の反抗は徹底していた。陸軍特別大演習閲兵式で軍隊内部の部落差別の存在と待遇改善を天皇に直訴したため、一年間陸軍刑務所にぶち込まれている。天皇即位による恩赦の機会があったが、「自分のしたことを悪いと思っていない、従って改悛の必要はない」と自ら放棄している。
戦後は、朝田テーゼとも対決した。理不尽には最期まで妥協しなかった。
北原泰作を思い出したのは、全てにマニュアルを要求する教師がまたぞろ出て来ているように聞いたからだ。自分で判断せず、「マニュアルに添って全員で動」きたがる。「マニュアル」がなければ何も出来ない。
学校の主人公は生徒であって、組織としての学校ではない。その少年たちをマニュアル通りに動かして、利益を得るのは組織であって、生きた少年ではない。多様な生徒の様々なケースに即応出来ると考えているのだろうか。如何に完璧なマニュアルも、過去の事例を帰納するのであるから、出来上がったときには既に「手遅れ」になる。絶対に。機械にしてそうなのであるから、日々変化する「ひと」の場合はマニュアル化を目指してデーターを集めている最中に遅れや齟齬は生じる。にもかかわらず「マニュアルに添って全員で動」きたがり、マニュアルがなければ動けないのであれば、マニュアルを確定した時点に人間と事態を固定する羽目に陥る。
北原泰作が直面した問題はこれである。明治維新は「四民平等」を掲げたが、その上に特権を持つ選民=華族を設けたから、底辺部に一切の権利を剥奪した賎民=新平民を置かざるを得ない。そうしなければ社会は均衡を失い崩壊する。特権は必然的に差別を構造化する。そうして出来た身分制に軍隊が依拠する限り、軍隊のマニュアル=軍人勅諭は初めから時代錯誤であり機能するわけがない。機能しないものを無理矢理動かせば横車である。
「上官の命令は・・・畏くも大元帥陛下の御命令であるから、誤った命令などが出されるはずはない」という論理が横車だ。横車が回るわけがない。横車を止す為には、天皇制と華族制を廃止すれば済む。横車を無理に動かせば、さらに横車を重ねることになる。兵営の私的制裁はその一つである。 こうして横車は各方面に増殖し、「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓に及んだ。
こうした横車の惰性は今に続いて、簡単に消えそうもない。9条があるのに、米軍基地があり自衛隊という名の戦力がある。東電が判断を誤って、取り返し不能の原子力発電事故を起こしても、誰も罪に問われない。・・・
北原泰作は横車を徹底的に拒否した。だが驚くべきことに、「君が代」を強制されてはいない、坊主頭を無理強いされてはいない。僕は、優しい顔して徹底的に反抗する北原泰作を、教材にしたい。演劇部があれば、台本にまとめ上げたい。北原泰作の不服従こそが「公」を形成するのである。そして教師も少年も北原泰作に倣い、誇り高く生きたい。
僕の果てしない夢、それはありふれた生徒たちに教師が詰め寄られることだ。「憲法を守ることを誓い、憲法を我々に教えているあなたが、憲法に違反する「校則」の作成に携わり、その実行を我々に強制する根拠は何か」と不機嫌に。
大学紛争直前の高校で、僕らは同じような言葉を教師に投げつけた。それが若者の目を足を政治に導いた。
北原泰作に比べれば「生き神」も、勲章と肩書きだらけの「国軍の父」山県有朋も、人間としては取るに足りない。なぜなら彼らは、横車で辛うじて生きていたのである。そこに自立した個人の矜持はない。