天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神であらせられる。 「国体の本義」
「嘘も100回言えば真実になる」は、博士号を持つナチ宣伝相ゲッベルスの言葉と言われるが確証を見つけられない。そもそも嘘は真実にはならない、嘘は何処までも嘘のまま。あり得るのは、何遍も繰り返して聞くうちに、聞き手が嘘であってもその内容に「親近感」を抱くようになることだ。名付けて「単純接触効果」。
これは、音楽や図形や文字、服装や習慣、味、匂い、CM、広い範囲に見られる。娘が父親に似た男に惹かれてしまうのも、しつこいTVショッピングにウンザリしながらつい手を出すのも、臭い食べ物にも何時しか愛着してしまうのも、単純接触効果の類いである。
前内閣官房長官が記者会見で、「全く問題ない」、「批判は当たらない」、「指摘は当たらない」と念仏のように繰り返して、良識ある者の強い反感を刺激し続けた。国民主権下の主権は何処にあるかを理解しない。だから木で鼻をくくったような定型句を繰り出して、コミュニケーションを遮断した。それを7年以上も繰り返され、主権者としての堪忍袋の緒が切れる前に単純接触効果が現れる人々が続出したのだ。それが「人柄がよさそう」だけで、支持率7割と言う仰天を生んでいる。
嘘を100回聞かされても、「単純接触効果」に支配されずに疑うのが、健全な批判精神である。内閣官房長官の記者会見会場の記者たちは、「問題あるか、ないかを判断するのは公僕たるあなたではない、我々国民である。」と先ず釘を刺して質問・追求すべきだった。にも関わらず「「特権的」接触効果」が事前に存在していたわけだ。記者クラブ制度や首相との会食が「「特権的」接触効果」としての奴隷的忖度を生んでいる。
「ウソをつかない奴は人間じゃねえよ」(橋下徹『まっとう勝負』小学館p181)
と述べたのは、元大阪府知事。
「私は、交渉の過程で“うそ”も含めた言い訳が必要になる場合もあると考えている。正直に自分の過ちを認めたところで、何のプラスにもならない」・・・「絶対に自分の意見を通したいときに、ありえない比喩を使うことがある」「たとえ話で論理をすり替え相手を錯覚させる!」(『図説 心理戦で絶対負けない交渉術』日本文芸社)「どんなに不当なことでも、矛盾していることでも、自分に不利益になることは知らないふりを決め込むことだ」(『最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術』日本文芸社)
彼の狙いは彼自身の信念を実現することではない。自分が「強者」であることを府民に知らしめる、つまり独裁者になりたいのだ。
筋金入りのナチ党員ゲッベルスが言ったのは、信念を実現させる手段としての宣伝である。
『嘘で塗り固められたプロパガンダというのは、それがニセの大義であることの証である。長期的には必ず失敗するものなのだ』
『優れたプロパガンダは嘘をつく必要がない。むしろ嘘をついてはいけない。真実を恐れる必要はないのだ。大衆は真実を受け入れることが出来ないというのは誤りだ。彼らにはできる。大事なことは大衆が理解しやすいようにプレゼンテーションしてやることだ』
天皇が生き神ではないことがバレた時 、「絶対に自分の意見を通したいときに、ありえない比喩を使うことがある」「たとえ話で論理をすり替え相手を錯覚さ」せただけなのだ、と天皇を担ぎ上げた連中は嘯いたことだろう。そうしなければ、戦争指導犯罪者として処罰される。だから「・・交渉の過程で“うそ”も含めた言い訳が必要になる場合もあると考えている。正直に自分の過ちを認めたところで、何のプラスにもならない」と言い逃れことにしたのだ。そうでなければ、天皇メッセージで沖縄を占領軍基地に提供して、帽子を振りつつ全国を行脚することなど出来はしない筈だ。「どんなに不当なことでも、矛盾していることでも、自分に不利益になることは知らないふりを決め込」んだのである。
二度とこんな嘘を通用させない為にこそ、沖縄独立と日本の独立が欠かせないのだ。
ゲッペルスさえ嘘を排して自殺を選んだのに対し、日本の支配者達は嘘の上塗り自体を「信念」にして増殖し続けている。