作り方では、日本国憲法は「土人」に遠く及ばない

吹き抜けの開放的小屋が制憲議場
 ギルバート諸島が1978年に独立(いろいろあって独立後は、英連邦のキリバス共和国となった)するとき、憲法制定議会が組織された。
 第一次世界大戦で独国が敗れて日本は易々と戦勝国となり、独国支配下の島々の一部を国際連盟委任統治の名目で占領した。名目にすぎなかった事は、国際連盟脱退後も居座ったことで分かる。ヨーロッパ人が来る前に人は住んでいた。島に生まれた人たちにとって、英国であれ、ドイツであれ、日本であれ、米国であれ「みんな、こちらには断りなしにやって来ましたよ。勝手に自分の国の旗を立てた」闖入者である。日本人は島民をこき使って道や滑走路を作り戦闘機を置きムラをつくりサトウキビ畑を造り、泡盛を作り輸出して儲けた。島始まって以来の「繁栄」を実現したと日本人は胸をはる。挙げ句の果てに米軍と滑走路を巡って殺し合って、玉砕した。島民も数千人が殺された。しかし、島民は、そんなこと頼みはしなかった。
 「あんまり働くと病気になる」という生き方を貫くキリバス人。遠くから高い費用を払って飛んでくるほどの美しい自然の中に、伊勢エビも貝も魚も主食のパンの実もジュースも新鮮なまま溢れている。何時も愉快に歌い、飲み、食べる。
  しかし日本企業の現地社員たちは、彼らを怠け者とは言わない。よく働き優秀だからだ。
 
 たくさんの特徴がある島国だが、何より素晴らしいのは制憲過程である。ギルバート諸島は植民地だったが、自治権を認められ政府を持ち大臣もいた。

 「「憲法制定会議」というからにはいかめしく守衛がとりまいているのかと思ったら、そんなことはまるっきりなかった。シャツに半ズボン、ゾウリバキのスタイルで私もそこに行って、はしっこのゴザに腰を下ろした。誰かがもの静かに話をしていた。残念ながらギルバート語なのでかいもく判らなかったが、なかなか雄弁のように見受けられた。若いのはあまり見えなかったが、年よりもいれば女性の姿も見えて、なかなか多彩な感じがしたが、多彩といえば、ときどき私のようにのぞきに来る野次馬のほうも多彩だった。ゾウリバキも来れば、ハダシも来る。上半身まるはだかのものぞきに来たし、犬もやって来た。そのときには気がつかなかったが、あとで記録用にとっておいたテープをきいてみると、ニワトリの声も演説の声にまじって入っていた。
 三百人はもう一月もそこでそんなふうにニワトリの声の伴奏入りで会議をして来ていたのだが、中部太平洋に大きくひろがって点在するいろんな孤島からやって来ているのだった。いちばん遠いところはタラワ島から三千キロはなれたクリスマス島からやって来ている参加者もいて、そういうのは何日.もかかってはるばるとやって来ているのである。各孤島から五人あて来ていて、 内わけは島のお役所の人ひとり、協同組合からひとり、.あとは老人代表、女性代表というぐあいに、いかにも島の住民代表という感じが強い。
 たしかに見ていると、その「憲法制定会議」は住民大会といった印象がした。ひとにぎりのえらいさんたちがどこかの密室に集まって勝手に方針をきめるというのではなく、住民が集まって、その開けっぴろげのかくしようのない場所で、みんなでチエを出し合って自分たちの未来をきめる。-こういうことは、今ようやく日本でもあちこちで人びとが始めていることだが(小田実がこれを書いたのは1970年代の終わり頃である。1971年美濃部知事が選挙で圧勝、各地に革新自治体が出来、4500万人が革新首長の下で生活していると言われた。遙か昔のような思いに囚われる)、それを国家の規模で、国家の基本をさだめることについてやってのけようとしている。
 「憲法制定会議」を見ているうちに思い出されて来たことがらは二つあって、ひとつは日本のあちこちで見たそうした住民大会の光景だが、もうひとつは、日本国の憲法をつくるにあたって、私たちがこういう住民大会を一度でももったことがあるかということであった。昔の「明治憲法」が、伊藤博文やら何やらが勝手につくり出した憲法であることは言うまでもないことだろうし(第一、国民は憲法発布の日まで、その中身について一言半句も知らされていなかった、当時日本にいた西洋人が、あわれにもこのヤバン国の国民、中身の何んたるかを知らずして発布を祝うと日記に書いていた)、今の「新憲法」だって、中身はわるくないにしろ、でき上るまでの過程は同じようなものだ。とすると、ギルバート諸島と日本、どちらが進んでいて、どちらがおくれていることになるか」小田実『世界が語りかける』

 小さな国の幸福を感じる。

 だが出来上がるまでの過程という事で言えば、高校と言う小さな世界の決まり=校則でさえ、職員会議が勝手に作るものであり続けている。今や管理職が教員の意向さえ無視して一握りの取り巻きだけで作る。守る従順性だけを押しつけ、守らない者を罰する矮小な事が教員の仕事になってしまった。とても先進国や文明国の草の根インテリの仕事ではない。
 我々は小さいことの利点さえ生かせないのか。坂本龍馬や吉田松陰など「偉人」を有り難がっている限り、ひとり一人が自立した思想を持つ用になるのは至難だろう。
 
 キリバス共和国に軍隊はない。

20年後を見通す政策を立案する賢明さはどこから来るか

妊娠中絶合法化で20年後の若者の犯罪率が低下した
 栃木県の認定こども園で、保育教諭らが、2歳児たちに「死んでしまいなさい」と罵り、食事やトイレの際にも「廊下に出ろ」「邪魔」「うるさい」などと暴言を吐き、園児を明かりのついていない教材室に入れたこともあったという。
 こども園は保護者に謝罪、当該園児宅を個別訪問し謝罪した。件の保育教諭2人は退職。園長は「園児や保護者に不快な思いやつらい思いをさせ、申し訳ない。今後は職員間の風通しを良くし、保護者に安心してもらうためのカメラを設置するなどして、再発を防止していく」と話したと新聞などは報じた。   2019年7月31日

 日本では子どもの虐待死が年間50件を超え、2017年度の虐待死は65人。(厚労省社会保障審議会の児童虐待に関する専門委員会)  死亡した子供の年齢は0歳児が28人と最も多い。加害者は実母が25人、実父が14人。また16ケースは「予期しない妊娠・計画しない妊娠」だった。
  2018年度、児童相談所での虐待相談対応件数は全国で前年度比2万6072件増の15万9850件と過去最悪、統計を取り始めた1990年度から28年連続の増加。

 児童虐待によって生じる社会的な経費や損失は、日本国内で少なくとも年間1兆6000億円にのぼるという試算がある(2012年度)

  栃木のこども園では「死んでしまいなさい」と子どもが叱られていたのに園長は数ヶ月も気付いていない。この園長は普段は園のどこにいたのか。子どもや保育の現場が、好きではない事が分かる。風通しや監視カメラの設置で済むわけがない。
 子どもや現場が好きである事と、教育行政が乖離したのが事の発端である。かつて校長や教育委員会の教育長、教育委員会事務局の指導主事にも教育免許状が必要であった。 教育委員の公選制廃止以降も、日本の教師はよく闘って公教育制度の民営化や権力の介入を防いできた。一方ベトナム反戦闘争でも大きな力を発揮して、学生たちを鼓舞して「頭は白いが胴体は真っ赤」と言わしめた。だが、教員組合の組織率の低下は如何ともし難く、教研活動(80年代半ばには、教研集会報告に生活指導が目立ちはじめると共に、教科実践報告が少なくなっていた)も低迷、組合の白くなった頭は教育行政と一体化してしまった。日教組が主任制反対闘争から降りたのは95年、職員会議での採決禁止が98年であった。こども園だけではない、あらゆる公教育機関が、権力と利殖の低次元な舞台と化した事の表れが栃木の事件である。直ちにやるべきは、監視体制の強化ではない、監視体制の行き着いた先が、神戸の小学校教師のいじめ事件である事を知らねばならない。

 教育行政がその姿勢を、教育と子どもに向きを変えなければ、事態は解決に向かわない。教育行政当局が、教育愛に燃える、こんなに絶望的なことがあるだろうか。
 厚労省の報告にあるように、児童虐待の最大の要因は「予期しない妊娠・計画しない妊娠」である。望まない・望まれない妊娠と犯罪率の関係には、スティーヴン・レヴィットの研究(邦訳『やばい経済学 東洋経済』)が既にある。
 
 妊娠中絶が合法のニューヨーク州、カリフォルニア州、ワシントン州、アラスカ州、ハワイ州では、他の州よりも早く犯罪が減り始めていた。凶悪犯罪で13%、殺人事件では23%減少していた
(1994~1997年)
   1973年テキサス州の「ロー対ウェイド」裁判以降、妊娠中絶合法化が全米へと広がり、一年間で75万人の女性が中絶を受け、さらに1980年には160万件まで中絶件数が増えた。その結果、子殺しの件数が劇的に減り、できちゃった結婚も減り、養子に出される子どもも減少。
 そして「ロー対ウェイド」裁判から20年ほど後の1990年代初め、犯罪発生件数自体が劇的に減少したのである。恵まれない環境で、幼少期、少年期を送った子どもたちが、犯罪へ走りがちな若者の犯罪が明らかに減った。

 幼児虐待が効果的に減少するには、「予期しない妊娠・計画しない妊娠」による親の犯罪を直接止めると共に、「予期しない妊娠・計画しない妊娠」によって生まれ十分な愛情の元で育てられなかった世代がなくなるのを待たねばならない。それは少なくとも20年はかかる。
 気の短い議員がマスコミ受けを狙って、行政当局に求める性急な対策は一見効果がありそうだが、当該議員の短期的人気を高める以外の効果はない。20 年以上たって漸く効果が見えてくる政策、それが社会政策である。

便利さは、人間や組織の能力だけでなく倫理も破壊する

分析を外部に依存する政府の元で成長は絶望
 危険な金融商品売買を支えているのは信用格付け会社であると、米上院ウォーレン上院議員が連邦政府の証券取引委員会=SECに警告を発している。ゴールドマンサックス社が引き起こした金融メルトダウンの犯人は,、信用格付け会社である事は米議会が既に指摘していた。その犯人信用格付け会社を監督するのが、連邦政府証券取引委員会。それが規制をサボっているのである。

 その信用格付け会社の格付けが高いというだけで怪しげな金融商品を買い漁る日本の金融機関を日本の行政は放置している。銀行に行けば定期預金の金利は余りに低く、例えば中国の銀行の普通預金口座金利をも遙かに下回っている。
 政策的に金利を下げておいて金利が低いことを根拠に、窓口は投資を勧める。その安全性の根拠にしているのも、米信用格付け会社の格付けである。自社で自分で分析するのではなく、海外の営利機関のランキングを誇らしげに見せつける。そして損益が出れば、自己責任を言う。「説明したでしょう」と言うわけだ。銀行は信用格付け会社の格付けを利用したことの「自己責任」には決して触れない。銀行にとって信用格付け会社の格付けは、顧客を欺すには便利だ。もっと大きな責任は、米国に脅迫されて金融「自由化」に踏み切った政府にある。
 子どもの貧困率は、抜きん出て高い。(前回調査(2012年調査)よりわずかに低くなったことを根拠に、「アベノミクスで貧困が改善した」といい包めた。しかし、相対的貧困率は、全国民の所得の真ん中(中間値)を基準に、その半分の層を「貧困層」と定義し、全体に占める割合を示したもの。2012年から2015年の間に数値が変動したのは、中間層の所得が落ち込んだため、「貧困層」の割合も減ったように見えたためで、困窮の実態は変わっていない。むしろ、中間層が所得を減らし、貧困層は放置されたと言ってよい)。  働くものの賃金はOECD諸国中、日本だけが下がりっぱなし。大学の世界ランキングもアジア諸国にに水を空けられ続けている。

 便利な道具は、企業だけではなく政府の能力や責任感まで奪い去っている。 

 「都教委悉皆」研修、「大学入学共通テスト」の準備のための「思考力・判断力・表現力育成のための定期考査作成」講座は、巨大塾資本ベネッセに丸投げの講座だったという。参加者は都教委の劣化を感じさせる研修だったと言っている。さもありなん、しかし思考力や判断力を狙いとする講習が丸投げとは、冗談としては出来すぎている。(しかもこの「悉皆」研修に、「共通テスト」の受験者がいない高校などは呼ばれていないらしい。受験しない高校生らに思考力や判断力は要らないと教委自身が白状している。指示された事を従順に実行する事だけを期待されているわけだ。「限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいい」と言った三浦朱門の言い草は忠実に守られている。)
 文部科学行政自体が、塾資本に乗っ取られているのだからこれは教育の劣化ではなく意図的解体なのだ。塾資本本体が利潤を確保できるなら、公教育の解体崩壊は痛くも痒くもないに違いない。水道民営化を担う資本が利用者の健康や安全に関心はなく、水道料金値上げと経営陣の高額所得や再民営化時の莫大な違約金に意欲を示すように、塾資本は公教育を解体する過程で膨大な利益を狙っている。崩壊や格差が激しいほど短期的利益は大きくなる。第196回国会で成立した改正PFI法は、水道民営化だけを画策したものではない。

 部活指導の激務に疲れ果てる教師を救うふりをして、公教育本体を民営化し平教師を派遣労働者化することを狙っている。

   高機能を売りにする音声翻訳機が勢いを増している。カーナビの出現で我々の地理感覚が低下したように、
高機能声翻訳機の便利さで言語感覚は鈍くなり、母国語の劣化も誘う。
 幕末の蘭学塾の学習環境は極めて粗末であったが、多くの逸材を産んでいる。空気は適度に薄い方が、運動機能を高める。

 アマゾンの手軽さは画期的で、成長も著しい。2017年度の売上高が日本だけで1兆3335億円(前年比14.4%増)となった。そのうち出版物の売上げは5400億円を超している。しかしその裏側では「小田原の物流センターだけでも開設以来4年で、少なくとも5人が作業中に死亡している。

   外部の手軽で便利な機能に頼れば、我々は自らに備わる能力を放棄し、共同体に対する倫理意識も失う。
 戦争指導選良たちの幼稚で狂信的な現実感覚を産んだ「戦争紙芝居」も、手軽で便利な機能であった。←クリック
 

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...