将に六尺、昼間はここでずっと本の背表紙ばかりを見ている。情報がここまで制限されると洞察だけが楽しみになる。
しかし、許された唯一の薬(リリカ)による「妄想」から逃げられない。妄想の影響の残るときに文章は酷い。重要な単語を抜かし、関係の無いことを割り込ませ,論理が一環しなくなる。支離滅裂なのだ。自分で読んでも意味が通らない。
ヒトラーやスターリンや裕仁の「妄想」は彼らの抑圧された生活が作り出し、側近が強化し形あるある実体にまで仕立て上げたものだ。
それ故、支離滅裂な言動には「妄想」を疑う必要がある。妄想は、作り上げた者自身がそれを妄想と見抜き「闘」わねば消えずエスカレートする。五輪やコロナウイルス対策を巡る首相やJOC会長らの言動に、それを見ることが出来る。(布製のマスクがウイルス対策になると考えるのは、b29を竹槍で落とせる、防空頭巾で空襲や艦砲射撃を防げると考えるのと同様の「妄想」である。)もっとも、彼らの妄想振りは、その登場の始まりからだ。最初に忖度してその気にさせた取り巻きの責任は大きい。
だが妄想も詩にとっては、益することがある。宇宙論にさえ。
桜が美しいね。
SNSで人と人の繫がりは密になったのだろうか。戦中の文化人の日記を読めば、誰もが実にまめに友を訪ね、訪ねた先で半日でも待ち更に出先に赴いている。便利さは、人の人らしさを少しも補っていしない。net上の繫がりが長く絶えても、数が多ければ放置してしまう。気が付いたら死んでいる。
父が60年代、寝る暇もなく仕事に追われていた頃、父の朝鮮総督府時代の友人が、手紙を出してもらちがあかないので、わざわざ四国から四谷まで訪ねて来たことがある。敗戦で半島を徒歩縦断中、友人は吐血し、父は荷物を手放して看病しながら歩き、釜山に着いたときには手持ちの金はすっかり底をついていた。父は友を四国の今治まで背負いとどけた。この話をこの人は、僕を側に呼んで、父が静止するのを聞かず話し続けた。この人は鹿児島にも熊本にも僕ら一家を訪ねてきていた。
便利は人の繫がりを補強しはしない。システムに繫がりを任せてしまう。昔、「友達100人出来るかな」という童謡があったが、親友は一生に一人、友達は数人と言われていた。「友達100人」は子どもの夢想にすぎなかった。しかし今や、SNSのおかげで友達は500人にも1000人にも及ぶ。
システムだけが栄えて、生身の人は滅びつつある。
過去から学ぶとは何か。持続可能性とは何か。何も学んでいない。データーも事実も偽造してその場を取り繕うことばかりを繰り返している。
志賀直哉に「流行感冒」という短編がある←クリック、1919年の作。流行感冒とは、世界的に流行したスペイン風邪をさす。世界で5億人が感染、死者5,000万から1億人を出した。日本での死者は最新の研究では48万人、当時の日本人口の1%が死んでいる。今で言えば、100万人の死者である。
このとき、死体はどうしたのか。記録はある。『患者教師・・・』地歴社刊 の中に書いた。
「コロナ」以前でさえ、火葬場は「待たねば」ならない有様であった。コロナウイルスによる死体や火葬をどうするのか、副総理は葬儀社の株をいち早く買い漁ったという。
m先生からのmailに
実にすてきな光景が、これを読めばmailは深く記憶に止まる筈。しかし「忘れ」ていた。考えられないことだが、意識に止まらなかった。m先生にも失礼してしまった。これも神経剤リリカのよる「妄想」のなせる作用と笑って下さい。重要な言葉や論理構造を飛ばすかと思えば、肝腎な情報が目に入らない始末。全く政権中枢と変わらない。
「前から、犬とDOGは違うと思っていて、もやもやしていた」とすれば、その逆のもやもやもあったはず。それが知りたい。
以下はm先生からのmail
しかし、許された唯一の薬(リリカ)による「妄想」から逃げられない。妄想の影響の残るときに文章は酷い。重要な単語を抜かし、関係の無いことを割り込ませ,論理が一環しなくなる。支離滅裂なのだ。自分で読んでも意味が通らない。
ヒトラーやスターリンや裕仁の「妄想」は彼らの抑圧された生活が作り出し、側近が強化し形あるある実体にまで仕立て上げたものだ。
それ故、支離滅裂な言動には「妄想」を疑う必要がある。妄想は、作り上げた者自身がそれを妄想と見抜き「闘」わねば消えずエスカレートする。五輪やコロナウイルス対策を巡る首相やJOC会長らの言動に、それを見ることが出来る。(布製のマスクがウイルス対策になると考えるのは、b29を竹槍で落とせる、防空頭巾で空襲や艦砲射撃を防げると考えるのと同様の「妄想」である。)もっとも、彼らの妄想振りは、その登場の始まりからだ。最初に忖度してその気にさせた取り巻きの責任は大きい。
だが妄想も詩にとっては、益することがある。宇宙論にさえ。
桜が美しいね。
SNSで人と人の繫がりは密になったのだろうか。戦中の文化人の日記を読めば、誰もが実にまめに友を訪ね、訪ねた先で半日でも待ち更に出先に赴いている。便利さは、人の人らしさを少しも補っていしない。net上の繫がりが長く絶えても、数が多ければ放置してしまう。気が付いたら死んでいる。
父が60年代、寝る暇もなく仕事に追われていた頃、父の朝鮮総督府時代の友人が、手紙を出してもらちがあかないので、わざわざ四国から四谷まで訪ねて来たことがある。敗戦で半島を徒歩縦断中、友人は吐血し、父は荷物を手放して看病しながら歩き、釜山に着いたときには手持ちの金はすっかり底をついていた。父は友を四国の今治まで背負いとどけた。この話をこの人は、僕を側に呼んで、父が静止するのを聞かず話し続けた。この人は鹿児島にも熊本にも僕ら一家を訪ねてきていた。
便利は人の繫がりを補強しはしない。システムに繫がりを任せてしまう。昔、「友達100人出来るかな」という童謡があったが、親友は一生に一人、友達は数人と言われていた。「友達100人」は子どもの夢想にすぎなかった。しかし今や、SNSのおかげで友達は500人にも1000人にも及ぶ。
システムだけが栄えて、生身の人は滅びつつある。
過去から学ぶとは何か。持続可能性とは何か。何も学んでいない。データーも事実も偽造してその場を取り繕うことばかりを繰り返している。
志賀直哉に「流行感冒」という短編がある←クリック、1919年の作。流行感冒とは、世界的に流行したスペイン風邪をさす。世界で5億人が感染、死者5,000万から1億人を出した。日本での死者は最新の研究では48万人、当時の日本人口の1%が死んでいる。今で言えば、100万人の死者である。
このとき、死体はどうしたのか。記録はある。『患者教師・・・』地歴社刊 の中に書いた。
「コロナ」以前でさえ、火葬場は「待たねば」ならない有様であった。コロナウイルスによる死体や火葬をどうするのか、副総理は葬儀社の株をいち早く買い漁ったという。
m先生からのmailに
「・・・話変わって。他の生徒です。私に廊下で会ったときに、笑顔で、「私、ソシュールかも」と言ってきました。「前から、犬とDOGは違うと思っていて、もやもやしていたんだ」と。・・・いい加減な内容の授業が反映しています。が、生徒にとって(もちろん私にも)、授業の内容も雰囲気も、こういうのもありかな、と改めて思った出来事でした。」
実にすてきな光景が、これを読めばmailは深く記憶に止まる筈。しかし「忘れ」ていた。考えられないことだが、意識に止まらなかった。m先生にも失礼してしまった。これも神経剤リリカのよる「妄想」のなせる作用と笑って下さい。重要な言葉や論理構造を飛ばすかと思えば、肝腎な情報が目に入らない始末。全く政権中枢と変わらない。
「前から、犬とDOGは違うと思っていて、もやもやしていた」とすれば、その逆のもやもやもあったはず。それが知りたい。
以下はm先生からのmail
生徒がなぜ「私はソシュールかも」と言ったのか。2つ考えられます。
1)ソシュールの考え方が知的な刺激を与えた
2)そういうことが言えてしまう授業のゆるやかな雰囲気
教研や研究会はこうした生徒との遣り取りを中心にしない限り、生きたものにならない。