「社畜」という言い回しがある。経営者や首長の驕奢を甲斐性と見做す性癖は根強い。
働く者は薬物も犯罪もやらず、難民や移民でもない、まして犯罪者やその家族ですらない。教育水準も職務技能も決して低くない。勤勉で、長時間労働に耐える。にも拘らず、日本の貧困は世界で際立っている。「これは完全な「政策の過ち」である」と外国の研究者は驚いている。日本でだって心ある人々は絶望で立ち竦んでいる。
厚労省作成の「国民生活基礎調査」(2019年)によれば、平均所得(約552万円)を下回る世帯は61.1%、貯蓄がない世帯は13.4%。「生活が苦しい」と答えた世帯は54.4%に上る。
「防衛費」をGNP2%=10兆円に爆発させ、その殆どは米国製武器購入に充てられる。国内の工場や企業が生産で潤う筈もないのにそれをGNPに繰り入れる詐欺手法に、隣国が協調しないから「先制攻撃」も当然と拍手する。そして「変えて悪くなるよりは現状維持」と冷たい笑いを浮かべる。 その隙に日本独自のRNAワクチン開発資金が、怪しさ極まる加計学園に消えたことに怒る気配もない。
日本の極右政権は、これを世界に類例を見ない日本国民の「美徳」であり、政治的「成功」と見做して、我が世の春を謳歌している。
「完全な「政策の過ち」」が、何故日本国民の「美徳」に容易く転換するのか。大いなる幻魔術。
まさに天皇制国家体制の「幻魔術」の成果は手っ取り早く手堅い。(嘗ては筆頭戦犯を被害者に見せた幻魔術)日本の君主制の際立った特色は、天皇家の対極として民衆の身近に被差別者を配置したこと。被差別部落、ヘイト言説に曝される朝鮮、技能実習生・・・、これらが君主制への憤怒を反らす役割を担ってしまう。それ故、国民の意識は君主=天皇一族への距離で自発的に階層化されるのである。
北欧などの王政国家には、対極が存在しない。「被差別」者は、イギリスにとってのインドや南ア、ベルギーにとってのコンゴのように遠い国外に設定される。それ故、国民の中に社会的差別は生まれにくい。何故なら不平等は直ちに君主制への不信と怒りに結びつき、王制消滅を意味するからだ。それ故王家も政権も、国民全体の平等実現に努めざるをえない。
天皇制がある限り、日本社会の社会的差別は永遠に続く。天皇制廃止なしに、この列島に平等は決して実現しない。従ってこの体制下の日本に人文主義は定着しない。
16世紀フランスの人文主義者Étienne de La Boétieは『自発的隷従論』で、
「悪い政治が成り立つのは、国民が進んでそれを受け入れているからだ」・・・「圧制は支配される側の自発的な隷従によって永続する」と述べている。
同時に彼は、高等法院法官でもあった。人文主義者=humanisteは、古典や聖典の探求に基づいて人間と神の本質を考察したので、教会側は危険思想としてたびたび弾圧した。
ナチへの不服従も人文主義は呼びかけている。
体罰による生指や部活の横行がかくも長く続いたのも「支配される側の自発的な従属」があったからではないのか。
自発的な従属=「民主化抜きの近代化」は驚異的な成長と軍事化を進めはしたが、人文主義者=humanisteの抵抗は稀だった。
追記 ドイツ語で忖度を表わす言葉は、vorauseilender Gehorsam =先回りした服従 だという。ナチスの暴虐に対してドイツ人が執った行為の本質をよく表している。新自由主義の政権に対する日本メディアの行動は、もはや忖度では言い表せない。