いじめられて自棄になる君に・貧しく小さな国の矜持

 くる年もくる年も、級友にも担任にも虐められ、両親からも叱られて切れそうになって、死んでやる、暴れてやると自棄を起こしているキミにある小さな国のことを知らせようと思う。
Cubaの学び方の特色は、助け合いにある

   
 Cubaは、人口1130万人、国土は日本の本州の約半分、しかも貧しい国だ、個人所得は日本の5%程度。しかし治安は良く人種差別も男女差別もなく、国民は陽気で明るく元気。キミがキューバの街角を歩けば、ケーキ屋の職人がケーキを肩に急ぐ姿を目にするはずだ。これは、国から誕生日の子どもに対するプレゼント。
 教育と医療は無料。大学院までの教育が保証されている。識字率は96%でラテンアメリカのトップレベル、義務教育学級定員は20人。外国人でも無料で医学教育を受けることができる。人口に対する医者の数は世界トップレベル、各国に派遣している医者の数は2万1千人。さらに125か国3万2千人の学生を医療留学生として受け入れた。
 
 キューバの平均寿命は77.5歳と先進国並み。他のラテンアメリカではグアテマラ57歳、メキシコ47歳、アルゼンチン36歳、チリ32歳。100歳以上の長寿者も2,800人以上。長生きの秘訣、それは国の医療・福祉政策にある
 キューバの、弱者に対するやさしさは徹底的。国の予算配分が違う。他のラテンアメリカ諸国に比べ4倍もの予算を医療・社会保障につぎ込む。1990年と1997年の比では、医療費134%増、社会保障費140%増。
 注意してもらいたいが、140%増とは2.4倍ということだ。それを補うために、減らしたのは軍事費。また2004年から2005年にかけて、年金は7%増、社会保障費は5.7%増、2007年には、無料の教育と医療の予算はGDPの22.6%相当。
 教育・医療で国家予算の16%を占めている。この積極的な国の医療・福祉政策こそが長寿の源。国が年寄りの長生きを望んでいるんだ。
  乳幼児死亡率も、1000人あたり6.4人。第三世界の平均値は90人であり、アメリカやイギリスでも11人であり、世界最高水準。
  総合病院には、超音波診断、放射線CATスキャン、ハイテクモニターといった他の第三世界諸国では考えられないほどの高度な医療機器を完備。脳外科や心臓移植、骨髄移植の治療体制も整っている。とりわけ1985年から96年までに90もの心臓移植がなされているが、先進国を除いては例をみない。加えて先進諸国すら持っていない脳髄膜炎ワクチンや皮膚炎ワクチン等の開発も独自に進められている。
 他の国では30万ドルはかかるとされる心臓移植もキューバ国民はタダで受けられる。

 この国で、最も給料が高いのは、医者でも政治家や官僚ではない。街の掃除のおじさん・おばさんや教授たち。

  この国の指導者カストロ議長は、世界最大の国家米国から約50年間で638回もの暗殺を仕掛けられている。その一部は「米上院調査特別委員会レポート」で公にされている。(「朝日ジャーナル」1975年12月25日号『臨時増刊 CIAの外国指導者暗殺計画 全訳 米上院調査特別委員会レポート』)
 「世界で最も暗殺計画の対象になりながら生き延びた人物」として、ギネスブックにも掲載されている。米中央情報局(CIA)などの記録をもとに計算した総数が638回ということだ。

 僕が君に知らせたいことの一つは、カストロ議長はそれでもちっともキレなかったことだ。猛烈に忙しいが、冷静に、上にあげた政策の実現に努力して、自国民だけではなくはなく、周辺諸国の支持も得てきた。だからカストロ議長は、キューバではみんなから親愛の情を込めて、フィデルと呼ばれている。
  2016年の国連総会では、ついに米国自らが1962年から続けてきた経済制裁政策の過ちを認めた。米国連大使は
米国は経済制裁によってキューバの孤立化を目指したが、逆に米国が国連などで孤立してしまった
と述べたのである。米国は、自国が経済制裁をするだけではなく、他国にも米国に同調することを求め、同調しない国には経済的圧力を加えたのである。
                                
  こんな国の子どもたちの学力が高くなるのは当たり前で、ユネスコの報告書 Los aprendizajes de los estudiantes de América Latina y el Caribe  を読めばよくわかる。
 その105ページの表は、中南米諸国の小学校三年生算数の学力分布 である。この表はスペイン語が解らなくても、一目瞭然。右が得点が高い。濃淡で五段階に分けられている。
 特徴は、まずCubaの最も得点の低いグループが、ドミニカの最も得点の高いグルーブの上に位置して、しかもその規模が小さいことだ。
 二つ目はCubaでは中位の得点のグループが、他の諸国ではトップクラスに位置していること。
  僕はこの表を眺めていて、低学力はつくられているとつくづく思った。だから低学力は無くすことが出来る。

 Cubaの学び方の特色は、助け合いにある。競争ではない。キューバの子どもたちの合言葉は「チェのように」だ。チェはフィデルと共に戦ったアルゼンチン生まれの医者チェ・ゲバラ、キューバの医療は彼の精神を受け継いでいる。

  僕はかなり昔、工業高校で教えていた時のO君を思い出す。このことは、すでにこのblog「O君と不良少年たちの仲間付合い」に書いた。家計が維持できず、電気も水道も止められ、たった一人アパートに残された時のO君の誇り高い振る舞いを、最も困難な時期のCubaになぞらえてもいいと思う。勉強して順位を上げてみんなを見返すんじゃない。ただ困っている友達を助けるんだ、何も望まずに。こういう人間になったとき、キミはいじめっ子たちを問題にしなくなっている。


追記   ハバナ近郊の保養地にはチェルノブイリの核被災児童を受け入れるタララ小児病院がある。1990年から2万人以上が無償で治療を受けている。広い敷地に病棟、学校、スポーツ施設や居住区が点在する自然環境に恵まれたところだ。 施設の規模や治療にあたる医師と看護師の数、教師その他の職員、そして経済的負担を考慮すれば毎年600名もの児童を受け入れることは容易ではない。それでもキューバは周辺諸国で災害があれば、直ちに救援活動に急行する用意をしている。ハイチで大震災があったとき真っ先に駆けつけたのはキューバ医師団だった。

「僕はボクじゃない」 他人から自己を定義されることの不快

タノイ族アトゥエイは、
生きたまま焼き殺された
 吉祥寺の某銀行駐輪場で銀行職員が、客に向かって「そこのお母さん」と若い婦人に呼びかけたところ、彼女は「私はお母さんではありません」と怒った。ところが行員は、「こんな事ぐらいで怒ることはないじゃありませんか」とへらへらして何を言っても取り合わない。たまりかねた夫らしい男性が「本人が嫌がっていることをなぜする」と激しく抗議して、漸くへらへらは納まったという。
 他人から自己を定義されることの不快である。彼女の主観が、銀行職員の無神経な見た目による客観に抗議しているのだ。客観とは、正しさではない。通りすがりの眼差しに過ぎない。

  介護施設の若い職員が、歩行困難な年寄りを迎えに来た。「大きな一歩、最初の一歩」と幼児向けの歌をうたって励ましているつもりらしいが、お年寄りは、不快そうに下を向いて少しも笑っていない。若い職員だけが、無神経な笑顔で歌い続けた。何十年も人生の苦難を潜り抜けてきた、いわば先達を幼児扱いする。こうした礼を欠いた対応、尊厳の気持ちのない軽薄さへの批判は、一時盛んに取り上げられ関係諸機関すでに周知と思っていた。優しさを、幼児扱いでしか表現できないのは、日本が幼児以外に優しくできない社会である証拠なのか。

 タノイ族が奴隷としての労働を拒否して、死ぬまで動かなかったのは、この「他人から自己を定義されることの不快」がいかに根源的であるかを物語っている。キューバ島の隣、イスパニオラ島の先住民がタノイ族だった。コロンブス達が彼らを初めて見たとき、ここはエデンかと思ったという。その勝手な思い込みが植民者たちの欲望を凶暴にして、タノイ族はわずか100年で絶滅してしまう。

 刑務所が人を番号で呼ぶのは、人としてのプライドを打ち砕くためであり、まともな道理を禁じるためである。自己を定義付けることが出来るのは、まず本人である。囚人であっても、尊厳は守られなければならない、自分自身の中の尊厳に気付くことが、他者の尊厳を知る基礎なのである。国々による戦犯者の取り扱いに、それは見事反映されている。

 子どもを、ボクと呼んだ時期がある。それを上流階層風と思い込んだらしい。デパートで見知らぬおばさんに「ボク」と呼びかけられ、子どもが「僕はボクじゃない」と憤然として反乱する光景をよく見た。ちゃんと名前があるんだぞという怒りである。人から名前を憶えてもらえた嬉しさは、自分が、ただの赤ちゃんではなくなった証でもある。先輩という呼称も「ボク」と同じなのに、呼ばれたほうもへらへらする。「おい、後輩」と言われれば不快だろう。

 集団ひとまとめに「底辺校」と指さされ、それを証明する外見を強制的に与えられる不快は、学ぶ者の実存を犯していると知るべきである。子どもにとってさえ自己確認は、表現の自由以前の問題である。それを「僕はボクじゃない」が教えていたのに、大人は笑うだけだ。一見微笑ましいが、根の深い問題である。

追記 キューバ革命の指導思想であるマルティ主義の深層には、奴隷としての労働を拒否して絶滅したタノイの誇りが流れている。
 2002年に修正されたキューバ憲法は、前文で
われわれ、 キューバ市民は―われわれの祖先:服従より絶滅を何度も選んだ先住民、主人に対し反乱を起こした奴隷;国民的自覚並びに祖国及び自由へのキューバ人の切望を覚醒させた人、1868年にスペイ ンの植民地主義に対し独立戦争を開始した愛国者、・・・」たちの抵抗の伝統を引き継ぐことを決意している。「自由か、死か」は単なる念仏ではない。
   

マサイ族のなぞなぞは哲学的

問い
「なぜ、なぞなぞするの」 

応え

「わたしとあなたの言葉だから」

  言葉の共通性を、遊びの中で相互に確認する。それは一方的な試験によって言葉を決めつけるやり方とは異なっている。日本に多い駄洒落のなぞなぞとは本質的に違う。哲学が潜んでいる。

 ジャンプと視力が知られているマサイだが、遊牧民族の彼らは、英・独植民地主義に追われ土地を奪われ、現在は定住政策を進めるケニア政府やタンザニア政府に抵抗を続けている。遊牧地は動物保護区や国立公園などに指定され、生活は圧迫され続けている。人口約20万人。生活環境の困難さが言語感覚を研ぎ澄ましてきた。
 しかし観光化の波が押し寄せて、マサイも携帯を持ち都会に住み始めている。
  金田一京助は、世界的な文化も「文字に託すと安心して、口々に相伝える世界を失い、心を伝えられなくなってしまった」と言い残している。アイヌ民族が言葉を文字にするようになってから、ユーカラを口伝えで感情豊かに表現する力が次第に失われていったのである。

  ある能力を獲得することは、別の能力を諦めることでもある。と同時に既に獲得した能力を衰えさせることでもある。それゆえ我々は、自分が持てない能力を分かち持つ人間関係をつくり、それを広く豊かに保つのである。人間が持つ優れた能力を一人で独占することはできない。仲間の力を借りて、ようやく我々は文化を維持発展させることが出来る。ここで仲間とは、他国籍者や異民族を勿論含んでいる、遠い仲間こそ、我々を広く深い創造世界に誘い、新たな視点を提供してくれるのだ。「我々だけが優秀で世界が注目している」と幻覚に酔うのは愚かだし、自ら文化を削減する。愚かの極みである。

追記 なぞなぞの遊び方も大切だ。かつては、年寄りと子ども、少し年長の子どもと小さな子ども、遠い親戚や親の知り合いの子どもどうし。少し異質な人間同士が、それぞれの生活を背景に、考えて疲れる。互いに相手を知りながら、いつくしみながら、いつまでも楽しんむ。次に会うまで答えを言わないでも、意地悪とは思わず、また会う楽しみになる。文化と言える。
 今、インターネット上で検索すれば、雑誌の特集でページをめくれば、こたえはすぐ出てくる。一人遊び、文化を育めない。消費してその場で消える。

壁があるから脱走する

  民主主義にはフィードバックの過程が欠かせない。投票だけでは反映できない問題が残るからだ。デモやストライキ、
屋上も出入り自由。ここでは子どもの一日の導線が長い。
批判的言論が機能している国では、模擬投票にも僅かな意味はある。デモもストライキも他者への信頼を前提にしている。訴えを聞く個人や組織があるから、街に出てデモ
してストライキもする。
 だが日本では、生徒会にも職員会議にもフィードバック機能は内包されていない。職員会議は生徒の傍聴さえ許さない。上からの決定には従う部分のみを、民主主義とこの国では言う。
 組織内組織さえ例外ではない。従わない者の自由、抵抗する権利それが自明のこととして習慣の一部でなければならない。フィードバック出来る答案、反論するノート。逆らいたくなる授業。教員が独断多数決する「いい授業」「民主的教室に対する異議申し立て。

 壁のない、何時寝てもいい幼稚園がある。壁があるから子どもは脱走するんだというのが園長の主張である。
 高校生は自習を喜ぶ、もし高校生が本当に自習が好きならそもそも学校に来ない、入学しない。ホントの自習は辛いものである。我々は講義がなくなった状態を、自習とよんでいる。
 講義が無くなったのなら、校門を出て公園に行こうが食事をしようが勝手の時間。教室にいなければならないと思いこむ、教員も生徒も。日本では年齢が上がるにつれて、自由の領域が狭くなる。おかしなことだと思う。昼休みぐらいは、自由に外に出たい筈だ。
 大学紛争以前、早稲田正門に扉はなかった。24時間出入り自由で、買い物かごの主婦が下駄履きで通り抜けていた。 偏差値やスポーツ実績で名を売るのはよして、壁も塀もない高校や中学があるべきだと思う。近所の人が教室をのぞいて、教師や生徒と言葉を交わす。そういう自然なフィードバックの日常化が、学校を民主化する筈だ。
 
  欧州では街角や公園で、語り合い教え合う高校生を見かける。「学校に行く気分じゃないんだ、こうして勉強したほうがわかるよ」と言う。教師や級友とトラブルを抱えているいる時、こうして冷却期間を置くのは賢い知恵である。詰まらない掟のためにわざわざ登校するから、いじめに発展する。
 一度入ったら容易には抜けられない「部活」にも、自主練などという理不尽がある。縛り縛られることを常態として是認して、暴力で障害や死者が出ても、縛られることが保護だと双方が思い込んでいる。それが学校の、独断多数決的世界観を構成する。

遅刻・無断欠席が自立を促すこともある

 『賃金・価格および利潤』でMarxは
時間は人間の発達の場である。思うままに処分できる自由な時間を持たない人間、睡眠や食事などによる単なる生理的な中断を除けば、その全生涯を資本家のための労働によって奪われる人間は、牛馬にも劣るものである
と警告している。  携帯、リモコン、ロボット、高速鉄道網、fast food、・・・で人間は「思うままに処分できる自由な時間を」少しは多く手にしたのか。遅刻指導は「自由な時間」拡大に利したのか。
 逆ではないか。これらの便利な道具こそが、過労死を常態化するばかりか、ある種の企業文化をつくっている。人が社畜化して、優秀な牛馬として誉められ頭を撫でられたがる始末。
  
   ある晴れた朝、Aさんは教室に行かず屋上に上がり一時間目をサボった。
 「屋上で寝そべって、ずーっと空を見ていたの。雲が流れるのを見ているうちに、地球の方が動いているような気がして、不思議だった。関東の山が全部見えたよ、広いのがよくわかる、本当なんだね、先生。そして授業中のクラスを遠くから眺めた。いつもはあそこに私もいると思うと、やっぱり不思議な気がした。教室に戻りたくなったよ」休み時間に教室を覗くと、Aさんの周りに人垣が出来て、たった一時間の冒険談を聞いていた。見慣れた日常が、いつもと違って見える経験は、少年少女の自己と自己を取り巻く世界の相対化を通して、自立を促すのである。その時間の教師は、事情を知ってお冠だった。

 Aさんはその夏休み、一人でイギリスとドイツを一か月かけて旅した。お母さんが、往復の航空券と数十万円分の小切手と旅行案内を渡して「行ってらっしゃい」と言ったのだ。夕闇迫るロンドン空港に降り立った時は、そのまま回れ右して帰りたくなった。勇気を絞り出すようにして、市内行の地下鉄に乗った。向かい側の席におばあさんがいて「How old are you」と聞く。16で高校生だと言うが信じてくれない。小学生だと思われ、「今晩は、うちに泊まりなさい」と言われ、結局一週間居候した。その間、ひとり暮らしのおばあさんは世話を焼いてくれた。行きたい所は決めていたので、おばあさんが買ってくれた交通カードを使って一人で歩いた。長居したので暇を請うと「今度はどこに行くの」と聞く。ピーターラビット好きの生徒だったので、Lakelandと応えると「あそこには、友達がいるの、そこに行くといいわ」と言ってその場で電話して話をつけてしまった。少しお礼をしようとすると、叱られて「今度はあなたが、私がしたように別の誰かにして頂戴」と言われてしまった。これは湖水地方でも、その次に行ったドイツでも同じで、結局ほとんどお金は使わないまま帰ってきたのである。湖水地方を立つ時には、このままずるずると芋づる式に世話になってはいけないと、次はドイツに行くとこたえた。まさかそんな遠くには友達はいないだろうと思ったのである。しかし、又友達を紹介してくれて、航空券の手配購入までしてもらったのである。Aさんは、すっかり精神的に逞しくなって帰ってきた。彼女の家庭には知的な空気が漂っていたが、思い切った決断をしたものだ。夏休み全部・丸ごと「思うままに処分できる自由な時間を持」つことになったのである。「可愛い子には旅をさせろ」を絵に描いたような出来事だった。彼女を担任したのは一年間だったが、彼女は学校内で誰何されて担任を聞かれると、最後まで僕の名を言っていた。社会事業大学に進学したが、どうしているだろうか。

  承認という厄介がある。組織や「世間」の承認は、自立した人間にとってはこの上もなく鬱陶しい。文化勲章やノーベル賞でさえ。しかし自立性が希薄であれば、組織の承認・賞賛こそは自分自身の存在価値に思われてくる。それ故官僚は、勲章制度を止められない。それを辞退するものを許さない。愛国心の強制はそこからも生まれる。
 クラスに、オール五で皆勤の女生徒がいて、小中では皆勤賞。高校でも皆勤していたが、ある日突然恥ずかしさに耐えられなくなる。遅刻しなければならないと焦るのだが、体が惰性で動いて間に合ってしまう。一計を案じた彼女は、校門の外でチャイムが鳴るのを待って入った。しかし僕が記録を忘れ、彼女のせっかくの努力も水の泡、苦情を言いに来たことがある。成績もわざと下げてしまった。好きでもない教科のテストで努力もしないで「五」になることに疑問を持ったのだ。それまでそれを嬉しがって、得意になっていたことも恥ずかしくて気持ちが落ち着かない。
 与えられたら全てこなすのと、自ら気に入って取り組むのは大いに違う。教科に対して、時間に対して、主体的選択を決意する、少年少女が青年になるとは、そういうことである。自立するとはこうしたことである。学校や世間が承認する価値から自己を救出することである。人間は制度や仕組みの奴隷ではない。

 良い子も良い教師も、組織の承認を自らねだる。忖度迎合して、密着一体化する。だが、それが学校の秩序や学級の序列評価を高めることはあっても、個人の成長につながりはしない。

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...