遅刻・無断欠席が自立を促すこともある

 『賃金・価格および利潤』でMarxは
時間は人間の発達の場である。思うままに処分できる自由な時間を持たない人間、睡眠や食事などによる単なる生理的な中断を除けば、その全生涯を資本家のための労働によって奪われる人間は、牛馬にも劣るものである
と警告している。  携帯、リモコン、ロボット、高速鉄道網、fast food、・・・で人間は「思うままに処分できる自由な時間を」少しは多く手にしたのか。遅刻指導は「自由な時間」拡大に利したのか。
 逆ではないか。これらの便利な道具こそが、過労死を常態化するばかりか、ある種の企業文化をつくっている。人が社畜化して、優秀な牛馬として誉められ頭を撫でられたがる始末。
  
   ある晴れた朝、Aさんは教室に行かず屋上に上がり一時間目をサボった。
 「屋上で寝そべって、ずーっと空を見ていたの。雲が流れるのを見ているうちに、地球の方が動いているような気がして、不思議だった。関東の山が全部見えたよ、広いのがよくわかる、本当なんだね、先生。そして授業中のクラスを遠くから眺めた。いつもはあそこに私もいると思うと、やっぱり不思議な気がした。教室に戻りたくなったよ」休み時間に教室を覗くと、Aさんの周りに人垣が出来て、たった一時間の冒険談を聞いていた。見慣れた日常が、いつもと違って見える経験は、少年少女の自己と自己を取り巻く世界の相対化を通して、自立を促すのである。その時間の教師は、事情を知ってお冠だった。

 Aさんはその夏休み、一人でイギリスとドイツを一か月かけて旅した。お母さんが、往復の航空券と数十万円分の小切手と旅行案内を渡して「行ってらっしゃい」と言ったのだ。夕闇迫るロンドン空港に降り立った時は、そのまま回れ右して帰りたくなった。勇気を絞り出すようにして、市内行の地下鉄に乗った。向かい側の席におばあさんがいて「How old are you」と聞く。16で高校生だと言うが信じてくれない。小学生だと思われ、「今晩は、うちに泊まりなさい」と言われ、結局一週間居候した。その間、ひとり暮らしのおばあさんは世話を焼いてくれた。行きたい所は決めていたので、おばあさんが買ってくれた交通カードを使って一人で歩いた。長居したので暇を請うと「今度はどこに行くの」と聞く。ピーターラビット好きの生徒だったので、Lakelandと応えると「あそこには、友達がいるの、そこに行くといいわ」と言ってその場で電話して話をつけてしまった。少しお礼をしようとすると、叱られて「今度はあなたが、私がしたように別の誰かにして頂戴」と言われてしまった。これは湖水地方でも、その次に行ったドイツでも同じで、結局ほとんどお金は使わないまま帰ってきたのである。湖水地方を立つ時には、このままずるずると芋づる式に世話になってはいけないと、次はドイツに行くとこたえた。まさかそんな遠くには友達はいないだろうと思ったのである。しかし、又友達を紹介してくれて、航空券の手配購入までしてもらったのである。Aさんは、すっかり精神的に逞しくなって帰ってきた。彼女の家庭には知的な空気が漂っていたが、思い切った決断をしたものだ。夏休み全部・丸ごと「思うままに処分できる自由な時間を持」つことになったのである。「可愛い子には旅をさせろ」を絵に描いたような出来事だった。彼女を担任したのは一年間だったが、彼女は学校内で誰何されて担任を聞かれると、最後まで僕の名を言っていた。社会事業大学に進学したが、どうしているだろうか。

  承認という厄介がある。組織や「世間」の承認は、自立した人間にとってはこの上もなく鬱陶しい。文化勲章やノーベル賞でさえ。しかし自立性が希薄であれば、組織の承認・賞賛こそは自分自身の存在価値に思われてくる。それ故官僚は、勲章制度を止められない。それを辞退するものを許さない。愛国心の強制はそこからも生まれる。
 クラスに、オール五で皆勤の女生徒がいて、小中では皆勤賞。高校でも皆勤していたが、ある日突然恥ずかしさに耐えられなくなる。遅刻しなければならないと焦るのだが、体が惰性で動いて間に合ってしまう。一計を案じた彼女は、校門の外でチャイムが鳴るのを待って入った。しかし僕が記録を忘れ、彼女のせっかくの努力も水の泡、苦情を言いに来たことがある。成績もわざと下げてしまった。好きでもない教科のテストで努力もしないで「五」になることに疑問を持ったのだ。それまでそれを嬉しがって、得意になっていたことも恥ずかしくて気持ちが落ち着かない。
 与えられたら全てこなすのと、自ら気に入って取り組むのは大いに違う。教科に対して、時間に対して、主体的選択を決意する、少年少女が青年になるとは、そういうことである。自立するとはこうしたことである。学校や世間が承認する価値から自己を救出することである。人間は制度や仕組みの奴隷ではない。

 良い子も良い教師も、組織の承認を自らねだる。忖度迎合して、密着一体化する。だが、それが学校の秩序や学級の序列評価を高めることはあっても、個人の成長につながりはしない。

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