弱さという美徳と強さの傲慢

 「どんな強い人間にも弱いところがある。その弱いところが垣間見れた時、その人はより魅力的に見える。どんな人でも、不安がきれいに消えるということはないと思うの。・・・」                                        オードリー・ヘプバーン

 「ゲリラが耐えてきたもので、あの過酷なB52爆撃テロに匹敵するものはない。1.5キロ先 でも爆撃の轟音で鼓膜が破れ、これでジャングルの住人の多くが永久に耳が聞こえなくなった。1キロ先でも衝撃波を受けたものは気絶した。500メートル以内に一発でも落ちれば、補強されていない防空壕の壁は崩れ落ち、中でうずくまっていた人たちは生き埋めになった。その恐ろしさは徹底していた。頭が、逃げ出せという、分けも判らぬ叫び声をあげるのだが、体の機能は統制不能に陥るのだ」                                           解放戦線幹部チュオン・ニュー・タン

誇り高い貧しさに込められた不屈の愛国心

   僕たちベトコンは米軍より弱く、北ベトナム軍兵士ほど武器を持っていなかったから、頭を使う必要があった。罠を仕掛け、待ち伏せし、米軍兵士を1人でも負傷させるか殺すかして、また1日戦えるなら、それが勝利だった。水滴が石に穴を穿つようにアメリカの軍隊を摩耗させるつもりだった」

                    「ベトナム戦争を過ぎて」大石芳野

 1億円の募金を目指して「ベトナム人民支援日本委員会」が結成されたのは、65年5月だった。我々を駆り立てたのは、圧倒的な戦力と情報操作にものを言わせて民族絶滅に狂奔する米軍への憎しみと、弱さを糊塗しないベトナムの美しい生き方に魅了されていた。募金は75年までに5億662万円に達した。


   椿三十郎が、家老の奥方に「あなたはギラギラとして、まるで抜き身の刀のようね。でも、本当にいい刀はきちんと鞘に入っているものですよ」とたしなめられて、頭をかく場面がある。無類の剣豪が、冷酷な殺人鬼になりかねない瀬戸際を、自ら救出するのはこうして頭を掻くという「弱さ」である。


   「弱さという美徳」の対は「強さの傲慢」だろう。


   チャーチルがヒトラーやムッソリーニに対して抱いていた共感の一つに「優等文明は劣等文明を支配・指導する」という理論があった。チャーチルは常々インド人やインド文明を劣等視し、イギリスによって支配されることが必要不可欠と確信していた。インド人に選挙制度を与えるべきか否か聞かれた際にチャーチルは「彼らはあまりにも無知なので誰に投票したらいいか分かるはずもない。彼らは人口45万人の村で4、5人が集まって村の共通の問題を討論するような簡単な組織さえ作ることができない身分の卑しい原始的人種なのだ」と答えている


  「挫折した子どもに愛の手を差し伸べる必要がどこにあるの」                井村雅代(女子シンクロナイズド日本代表ヘッドコーチ 大阪府教育委員)


 米空母乗組員が強盗殺人容疑で逮捕された事件で、ジョナサン・グリナート第7艦隊司令官とジェームズ・ケリー在日米海軍司令官が日本国民と横須賀市民あての公開書簡を発表した。「日本には『雨降って地固まる』ということわざがあるが、この事件が触媒の役割を果たし、日米同盟がより強くなる結果をもたらしてくれるといいと思う」などと述べている。


 シャラフ・パキスタン大統領はCBSテレビとのインタビューで、2001年の9.11事件後、米政府から対テロ戦で米国に協力しなければパキスタンを爆撃すると脅しを受けたと暴露した。それによると、ムシャラフ大統領はパキスタンの情報長官が当時のアーミテージ米国務副長官から「爆撃される準備をしておけ。石器時代に戻る準備をしておけ」と言われたと説明。副長官はパキスタンがアフガニスタン国境付近に持つ基地を米軍に引き渡し、国内の反米感情を抑えることなどを要求したという。


 「女性を強姦するのは、紳士として恥ずべきことだが、女性を強姦する体力がないのは、男として恥ずべきことである」「レイプ犯人が犠牲者として貞操についてルーズな思想の持主を襲ってくれればよいのです」「これも自分が魅力的だからこんなことになったのだと、かえってお得意になってくれるかもしれないのです」文化庁長官、教育課程審議会会長・三浦朱門



追記 思いつく中に、美徳は指をおるほど少なく、傲慢はやりきれないほど多い。

基地は「沖縄経済発展の最大の阻害要因になっている」

 「基地がなければ経済が成り立たない」、沖縄は「基地で喰っている」。 本気でそう考えているなら、日米両政府はトヨタを脅かして米国内に工場を作らせるのではなく、自衛隊基地を大々的に誘致したらいい。日米地位協定の日本とアメリカを入れ替えただけの米日地位協定を結んだらいい。とりあえずハワイとカリフォルニア州に。

  2018.2.2 東京新聞の「日々論々」に友知政樹沖縄国際大教授の『基地〈不〉経済の現実』と題した論考がある。一部省略して引用する。
 「・・・沖縄県のホームページに「・・・「基地経済への依存度は、昭和47(1972)年の復帰直後の15・5%から平成26(2014)年度には5・7%と大幅に低下しています。米軍基地の返還が進展すれば、効果的な跡地利用による経済発展により、基地経済への依存度はさらに低下するものと考えています」と明記されている。 翁長雄志知事も、基地は「沖縄経済発展の最大の阻害要因になっている」と折に触れて強調している。沖縄はもはや基地経済ではなく、基地(不)経済なのである。 同サイトには、過去に返還が実現した「米軍基地返還跡地の開発による経済波及効果」に関する説明もあり、年間の経済活動による直接経済効果の実績として 
▽那覇市の新都心地区1634億円(返還前の32倍)▽北谷町の桑江・北前地区336億円(同108倍) 
-などのデータが紹介されている。 さらに、20年以上前に返還が約束された嘉手納基地より南の米軍基地が返還された場合の予測値として 
 ▽那覇港湾施設1076億円(返還前の36倍)▽浦添市の牧港補給地区2564億円(同13倍) 
-などの数値も記載されている。 ちなみにこれらの基地はいまだに返還が実現していないが、この他にも沖縄には実に多くの基地が存在する。そこで、筆者は沖縄から全ての米軍及び自衛隊基地を撤去した際の経済効果に関する予測を2012年のデータをもとに行い、論文にまとめた。このとき、山間部などの基地は返還されても経済効果はゼロと仮定してある。 沖縄県が公表する推計方法に基づき計算したところ、 
 全基地撤去後、跡地利用が進展すれば3兆8426億円の直接経済効果がもたらされるとの結果になった。沖縄に米軍及び自衛隊基地があることによる関連収入(用地料や雇用者所得、日本政府からの周辺整備補助金など)2623億円の約15倍だ。 売り上げベースの3兆8426億円から、事実上の利益ともいうべき付加価値(この場合は減価償却費を含む粗付加価値)を求めると2兆1634億円となる。この金額は、見方を変えれば、米軍及び自衛隊基地があるせいで沖縄がこうむる経済的損失ということもできる。 
 これを取り戻すことができれば、基地は無論、日本政府からの補助金なしでも沖縄は経済的に十分自立可能となる」               (ともち・まさき=沖縄国際大教授)2018・2・2

  僕ならアジア人権裁判所を設立・誘致する。今、欧州、米州、アフリカにそれぞれ人権裁判所がある。それぞれの国で審理を尽くしてなお救済されない人権を、国際的な視点から捉え直す事が出来る。我々は言い争うのではなく、真理と理想のための共働をすることで平和を維持しなければならない。揉め事が多く、しかもそれぞれが長く深い歴史を持つ地域の真ん中にあって、絶対非武装の沖縄が果たす役割は、豊かな筈だ。ベトナム戦争で双方の負傷者の手当に奮闘した病院船ヘルゴラント号に倣って、病院船や緊急援助船を複数建造する。母港には、病院船乗り組みの医療関係者を養成する大学を置き、貧しい国からの学生を受け入れる。
 中村哲医師がアフガンで、実践した農業土木技術と思想を伝える学校を、A・A・LAの紛争各地に作る拠点になる。海を持たない国の漁業権を含めた、国境が複雑な海域での漁業の枠組みに向けた構想を作るのに、沖縄は向いている。全域を周辺諸国から自由に入れる領域にして、文化と産業の交流も図れるに違いない

 スイスのバーゼルは、かって戦力を持たない小さな都市国家だった。スイス・フランス・ドイツが接する地点にあって交通の要衝であることと、巧みな外交努力によって平和を維持、諸国の仲裁も担った。そのことが文学者・芸術家・学者を集め、国家を繁栄させたのである。

指導者は自己否定的であることによってその目的を達し得る

皆がプロミンを注射してもらえるまではと、
注射の希望を申し出ることはしなかった
 ハンセン病特効薬・プロミン獲得の功労者は、土田義雄をおいてない。しかし彼は表に出ることをよしとしなかった。
 土田は1914年東京市生まれ。慶応大学中退。1935年徴兵、翌年3月軽度癩を発病したが軽快退所して1939年はじめ連隊に復帰、戦闘中八路軍の捕虜になった。そのとき、八路軍が階級の別なく寝食をともにし、厳しい軍律のもとでそれぞれの能力に応じて役割を果す姿に驚嘆したという。野坂参三にも出会ったらしい。
 どういう経路で全生園に戻ったかはわからないが、土田の元に園内の若い理論家たちが集い「博友会」を結成して、百家争鳴の時代風潮を形成した。1947年には多磨全生会会長の渡辺城山を訪ね、入園者の困窮救済を話し合い「生活擁護同盟」を結成している。
  「あたかも革命のようだった」と言われる10日間は、←クリック この「生活擁護同盟」による自治と民主化を求めた大会の事である。

 1948年2月、土田は最初の患者自治会会長に選出されたが、執行部の揉め事から、3ヶ月足らずで総辞職。1948年10月、鈴木寅雄を委員長にプロミン獲得促進委員会が発足したとき、湯川を副委員長にと鈴木に推薦したのは土田だった。この頃の土田は、かなり病状を悪化させていたが、皆がプロミンを注射してもらえるまではと、注射の希望を申し出ることはしなかった。当時はヤミでプロミンを売っており、湯川もそれを注射をしてもらった。土田が金には困っていないのを知って湯川は、ついでに買ってこようと待ちかけたが断られた。
 土田のこのような高潔な人柄は、誰からも好感を持たれ、共産党を心底嫌っていた園長の林芳信までが誉めていた。湯川は西田哲学に心酔していたが、土田との交流を深めるうちに共産主義に魅力を感じ、共産党に入党している。後年土田の人柄について尋ねられた時「泰山の安きに置く」の譬えを持ち出し、どこかにいてもらえれば安心だったと言っている。
 プロミン獲得闘争のあと、多磨全生園患者自治会は全国組織の結成を提案し、1950年5月には「全国癩療養所患者協議会」の結成を、それはさらに1953年の「らい予防法闘争」における全患協の活動へとつながった。このように、プロミン獲得促進委員会の活動は、全患協の闘う組織としての自信になっている。
 1950年5月29日、土田は急逝した。死亡診断書には、直接死因肺結核、継続期間三カ年とある。享年35。短い間に、良いしきたりをいくつも残し、反対派にも惜しまれた。
 「指導者はそのリーダーシップを安定させるために、それを制度化することを求める。それが制度化されると共に組織の自動性が生じ、かくして"指導者"というものは影を没するようになる。指導者は自己否定的であることによってその目的を達し得るのである」 三木清
 絶対隔雅の、管理統制に逆らって患者の真の自治を求め先駆けた土田義雄は、自己否定的という点でも希有の指導者であった。

  「皆がプロミンを注射してもらえるまではと、注射の希望を申し出ることはしなかった」土田の姿勢が、人権感覚であり、金や地位を利用して自己の有利をはかるのが、特権意識である。白木屋秘書であった慶応ボーイのクラシック音楽愛好者に、八路軍が与えた精神的衝撃の深さを思う。

9条が、「律儀で真面目な」蛮行を抑止している

25年もの間、決して屈しなかった民族解放闘争勝利の瞬間の言葉は
怒りや憎悪が抑制されているが故にカ強く美しく荘厳とさえ言える。
座って顔を上げているのが、ズオン・バン・ミン。

 「私たちはあなた方を待っていました。われわれの全ての権力を譲り渡すために。」 
 「あなた方はわれわれ解放軍に委譲すべき権力は何も持っていません。すでに南ベトナム全土におけるすべての権力はわれわれの手にあるのです。」
  前者はかつての南ベトナム大統領ズオン・バン・ミン、後者は解放軍司令官である。
  1975年4月30日、南ベトナム解放軍が、サイゴンに入城した時、新旧勢力の間で取り交わされた会話である。このセリフは、アジア人の誇りと自恃を回復して世界史に残る名言となるだろう。1973年3月29日、米軍が敗退して2年。1950年8月20日、米国がサイゴンに軍事顧問団を送りこんでから25年もの間、この民族は決して屈しなかったのである。
 民族解放勝利の瞬間の言葉は、怒りや憎悪が抑制されているが故にカ強く美しく荘厳とさえ言える。
  B-52が爆弾を満載して嘉手納から往復するのを許してしまった我々、分けても沖縄の民衆の喜びと感動は、筆舌に尽くせない。

  しかし、苦い思い出と重い障害や傷跡に苦しまねばならぬ国もある。先ず米国、この超大国が爆撃、殺戮したのはベトナムだけではない。 そして韓国は南ベトナムに64年から73年までベトナム中部を中心に延べ32万5517人を派兵。医療部隊から始まったが、猛虎、白馬、青竜と、勇ましい名前の部隊が次々と送られ、アメリカに次ぐ規模。全斗煥、盧泰愚の両元大統領はかつて猛虎師団、白馬師団の指揮官であった。兵士以外にも、軍関係の仕事で出稼ぎした人も少なくないという。
  韓国軍は「朝鮮戦争の際に『自由諸国』が韓国に援助してくれた『恩返し』のため」という公的名目を掲げ、米国の「傭兵」として「まじめに」働いた。「「まじめ」に戦い、「まじめ」に殺した韓国軍戦闘部隊は、ベトナムに上陸後、数々の過ちを生んだ。

  1966年1月2日小さな村で悲劇は起きた。韓国軍は朝7時頃、フーイエン省ドンホア県ホアヒエップナム社ブンタウ村に奇襲攻撃を仕掛けた。
 グエン・ティ・マンさん(68)の証言である。
   「あのころ、ブンタウ村の住民は50人余でした。そのうち37人が、あっという間に殺されたのです。男たちは捕まれば殺されると思い、真っ先に村から逃げました。まさか婦女や子供には手を出さないと思っていたら、韓国兵は残っている村人を一カ所に集めて、ひとりずつ撃ち殺していったのです」
  ブンタウ村の虐殺は韓国軍が駐留を始めて十日も経っていなかった。
 さらに66年5月14日、ブンタウ村西のソムソイ村でも韓国軍による虐殺事件が起きた。当時9歳だったファム・ディン・タオさんは集落から百㍍ほど離れた場所で牛の放牧をしていたときに、虐殺の様子を目の当たりにした。
  「午前10時頃のことでした。韓国兵は不意を突いたかのように、あらゆる場所から村に突入しました。陸からはもちろん、ヘリからも。おそらく兵隊は300人以上いたと思います。そのとき、私と父以外のすべての村民42人が殺されました。私の家族や親戚17人も含まれています」
目に大粒の涙を浮かべたタオさん。
 「私は突然の出来事に驚いて、畦道を走って逃げました。逃げている時に、畦道で破裂した擲弾銃の破片を顔や足に被弾しました。そのショックで意識を失ったのです。気が付くと、村の近くの病院で韓国軍に拘束されていました」
    意識が戻ったタオさんに対して韓国軍の通訳が「共産党の基地を教えろ」と何度も尋問する。しかし、タオさんは「子供だから知らない」と言い張ったという。
 「当時、子供ながらに韓国軍がソムソイ村でしたことを許せませんでした。釈放された数年後、私は韓国兵を皆殺しにしてやろうと思い、南ベトナム解放民族戦線の少年遊撃兵になりました。でも、その後しばらくして米軍に捕まりました。この顔の傷は韓国兵が発射した擲弾銃の破片の傷と、米軍に捕らわれたときの拷問でできた傷。つまり、生涯背負わなければならない『恨み』の傷です」 
  フーイエン省では韓国軍による虐殺地域が省内のあちこちに点在している。2年にわたる聞き取り調査で「フーイエン省の歴史書」を編纂したフーイエン新聞のファン・タン・ビン編集長の証言
「韓国軍は66年から68年にかけて、北はビンディン省境にあるクーモン峠から南のカー峠の海側全域に駐留し、フーイエン省の至るところで1563人を虐殺しました。そのほとんどが婦女や子供、老人などの罪もない民間人です」
   「虐殺をした村での韓国軍の行動は、とても正気の沙汰とは思えません。婦女を輪姦し、乳房をナイフで切ったあと、女性器を銃剣でかき回し、殺害した。乳児の足を持ち、カエルの股裂きのように裂いた。一人の韓国兵が持つ銃剣に、輪投げのように子供を投げ落として殺害したなど、耳を疑うような証言をいくつも聞きました」
  「百人のベトコンを逃がしても一人の民間人を保護せよ」。ベトナム戦争中、初代駐越韓国軍最高司令官は「至上命令」を出し、看板もあちこちに立てられたが、命令に従った韓国兵は、ごくわずかだった。

  韓国軍はフーイエン省の北に接するビンディン省でも虐殺を行った。66年2月から3月にかけて起きた、ビンディン省タイソン県の韓国軍によるベトナム最大の虐殺事件。村全体で1925戸の住宅が破壊され、1004人の命が奪われた。中でも3月17日の「ゴザイの虐殺」は凄まじい。わずか2時間足らずで集落の住民380人を虐殺した。
 現在、ビンアン社にある韓国軍による虐殺慰霊廟の片隅に、「ゴザイの虐殺」慰霊碑がある。
   ゴザイ集落で、腕や足に銃弾や手榴弾の破片の傷を負いながらも奇跡的に命を取り留めたグエン・タン・ランさんが、当時の様子を語っている。

 「百人以上の韓国兵が村に押し入ってきたのは、朝食を取ろうとしている時だったと記憶しています。各家から引きずり出された村人は一カ所に集められました。そして、村人の中から年ごろの娘を見つけた韓国兵が、娘の長い髪を引っ張って集団から引き離し、皆の目の前で輪姦を始めたのです。数人の兵士が順に事を済ませると、娘は容赦なく撃ち殺されました。その惨劇を見て発狂した村人らが韓国兵に襲い掛かろうとすると、次々に撃ち殺されていきました」

   韓国軍による無差別殺戮はこれらにとどまらない。クアンガイ省のソンティン県などや、クアンナム省フォンニャット村・フォンニ村、ハミ村など、さらにカインホア省やダクラク省、ニントゥアン省でも無抵抗の民間人虐殺があった。韓国軍による大量虐殺は1万人から3万人にも及ぶ。

 亀山 旭「ベトナム戦争―サイゴン・ソウル・東京―」 岩波新書
 村山康文 『韓国はベトナムで何を為したのか』 別冊正論23号
   北岡俊明・北岡正敏『韓国の大量虐殺事件を告発する ベトナム戦争「参戦韓国軍」の真実』展転社  などから引用・参照した。


  軍隊による直接の虐殺・虐待ばかりではない。
   「ライダイハンのための正義」という団体が 英国にある。「Lai」はベトナム語で「混血」、「Đại Hàn」は大韓。 韓国軍兵士が、13~14歳の少女を含む現地のベトナム女性数千人に性的暴行を加え生まれた混血児を指し、5000~3万人に上る。韓国軍兵士の性的暴行に遭った女性たちの過酷な人生を、訴え告発している。2001年には当時の金大中大統領がベトナムを訪れ、謝罪し、補償を約束したが、賠償はほとんど行われていない。

 「『恩返し』のため」「まじめに」働いた結果が、こうであることに学ばねばならない。
 「アジア解放のため」「まじめに」闘っていたつもりの大日本帝国「皇」軍には、パタナリズムという驕りがあった。アジアの「兄」として遅れた国々を指導する「天命」を背負ったつもりになった。結果2000万人にも及ぶ虐殺・略奪・強姦・破壊を繰り返したのである。

 日本がベトナムに派兵しなかったのは、西ドイツのように理性的判断に基づいて米国の要請を病院船の派遣に読み替えたからではない。←クリック 憲法が戦争を禁じていたからである。
  もし、日本がベトナムに戦力介入していたら、トヨタもホンダもパナソニックも今のようには売れないだろう。特にアジア・アフリカ・中南米には。



江戸以来の都市と農村を共生する理想的方式を、何で簡単にやめてしまったのか

 イリイチは、メキシコ地震があった直後、日本に立ち寄っている。1985年9月19日、M8.0 震源から300km離れたメキシコシティでの被害が大きかった。死者1万人。
 慌ただしい滞在で、質疑に僅か45分くらいしか時間がなかった。彼はどうしても一つだけ意見が聞きたいと言う。その時のことを、宮本憲一が「現代思想」2015年3月臨時増刊号で対談している。
 「都留さんや宇沢さん、私も会場にいました。それで、イリイチが何を言ったかというと、日本はなぜ溜め込みの便所をやめたのか、何で下水道にしてしまったのか・・・ 
 イリイチが言うには、メキシコの地震のときに一番困ったのは、地震で下水道がやられてしまって伝染病が大変流行ったことだそうです。むしろ、郊外にあった貧困者の住宅は屎尿溜め込み便所で、その地域は無事であった、と。完全循環方式から言うと、溜め込んだ屎尿を肥料にするという日本の江戸期以来の都市と農村を共生する方式が理想的で、その理想を何で簡単にやめてしまったのか聞きたいと言われました。それで困ってしまってね。 
・・・ これは確かに考えさせられる質問でした。 下水道をつくると公共事業の補助金が出る。生活基盤の社食資本では最も大きな補助金です。それを獲得すれば政治家には大きな功績になる。そうすると、全然必要のない農村部で下水道がつくられるようになる。しかし、農村部などの広い土地で、点々と住宅があるところに下水道をつくるにはものすごくお金がかかり、・・・ 
 もっと簡単な簡易浄化槽もあるわけです。 農村部地方財政の赤字の大きな原因は下水道会計なのです。例えば、沖縄の離島なんかでも赤字になっている最大の原因は下水道をつくってしまったことです。そういう意味では、確かに完全循環方式に合うような、もっと別な方式を近代化のなかで編み出さなければいけない。 
 イリイチの言う通り、画一的になぜ国土の隅々まで下水道をつくる必要があったのかということです。確かにこれまでの溜め込み式便所は臭くて非衛生的だったという問題はあるのですが、それは今ではかなり簡単に技術的に解決できるのです。 
 私は長野県の山荘をつくったときに溜め込み方式でやってみたのですが、全然臭くなく、水をほとんど使わない衛生的方式ができています。屎尿を二年くらい溜め込んだら処理に来てくれるのです。それで結構うまくいく。それなのに、農村部で彪大な投資と、毎日大量の水とエネルギーを使って、長いパイプと下水処理場をつくるのは、イリイチの言う通り近代の技術と画一的な補助金制度が持っている欠陥であるというところがあると思います」

 適切かつ安価な、イリイチが理想的とまで言う、伝統技術があるにも拘わらす、それを捨てたのである。(捨てた経過については、当blog「違式註違(いしきかいい)条例」参照)←クリック 捨てておいて費用のかさむ、危険な技術を取り入れたのだ。ダムも高速道路も、わざわざ費用の嵩む方を選ぶ。赤字は増税や利用料の値上げで埋め合わせる。国民の財布に無断で手を突っ込む無神経さがある。

  僕は、大規模な学校建築、体育館、プールも同じ問題を抱えていると思う。メキシコ革命のビリャ将軍が、街中に空き地や空き家を見かけるたびに小さな学校を作ったのは、先見の明があったと言うべき。市民が窓から教室の子どもや授業をのぞけることは、教育の主体がどこにあるかにも対応している。全ての学校にプールと体育館があるのは、日本だけだと思う。共同利用なら、浮いた予算は他に回すことが出来る。日本に不足している地域スポーツクラブの拠点を、公的に整備出来るし、中高のクラブ顧問の時間外労働地獄にも対応の可能性が出てくる。

「前へならへ」「気をつけ」「礼」は明らかに悪い

 バターン死の行進について、こう言う見解がある。
 「自分たちでさえろくに食べられないでいた日本軍に、いきなりその統制下に入った8万の捕虜に十分な食糧を与えられる余裕があるはずはないし、ましてこれだけの人数を運ぶトラックやガソリンも持っていなかった。食うや食わずでひたすら歩くのが日本軍の常であったため、これを虐待だとは思わなかった」   若槻泰雄 『日本の戦争責任』
 僕はそうは思わない。勝てば投降した捕虜を国際法に基づいて扱わねばならない。それが出来ないのなら、勝つ方策なしに兵隊を送り出していたことになる。その見通しなしに作戦を指揮したのであれば、その罪万死に値するのだ。戦争を指導する資格はないのである。投降した捕虜に頭を下げて、釈放しなければならない。
 経営者が「オレだって借金だらけでろくに喰ってないんだ、みんなやっている」と言いながら、違法な低賃金や残業でこき使うのと同じだ。それを会社が潰れても良いのかと居直る者も増殖している。
 「前へならへ」が恐ろしいのは、こういう事態を量産するからである。学校で、学徒出陣式で「前へならへ」をしたまま戦場に。前の兵隊の背中ばかりを見て、食料強奪や強姦が日常になり、気がついたら、捕虜を刺し殺し、気がついたら「白骨街道」に横たわっていた。
  
  ヌーやカモシカの蹄の間には、粘性の匂いを分泌する蹄間腺がある。縄張りの確認にもなる。歩けば地面に匂いを残すから、ヌーのように遠い距離を集団で移動するときには、頭を地面近くに垂れて先行するものの匂いを頼りに歩くのである。先頭以外は判断する必要はない。先頭も習慣や惰性から自由にはなれない。行く手を遮る川に橋が架けられても、川に飛び込んで溺れる。  
 「前へならへ」「気をつけ」「礼」に続く学校生活で我々は、社会的「蹄間腺」を刷り込む。それを「社会性」と強弁する。 
 「前へならへ」が好きなら、食堂や駅で並んでいるときに勝手に大声を張り上げてやれ。「気をつけ」「礼」が必要と思うなら、順番が来たとき毅然と一人でやったら良いだろう。止めない、だが他人に強制するな。

   大雪、雪掻きをする。小学生も中学生も出てこない、高校生や大学生はもちろん出てこない。去年も一昨年もそうだった。評価に結びつかぬことには見向きもしない。強制的ボランティア教育の見事な成果である。震災のようにマスコミが騒げば動く、政府が指図すれば動く、動員されれば動く。自分で判断せずに指図にだけ反応する。
   翌日雪が止んで、僅かに人が出てくる。校庭やグランドで野球やサッカーをやっていた連中は、雪の日に何をしているのだろうか。ほうぼうの雪掻きをして歩かないのか。スポーツする若者が年寄りやは親に雪をかかせて、本人は炬燵でゲームに興じる。そして「健全な魂は健全な肉体に・・・」を座右の銘にする。  

 僕はあと30年位は待とうと思う。大雪が降って街が困っているとき、「自分の判断で」遅刻や欠席して、お年寄りの雪かきや屋根の雪下ろしを手伝う中学生や高校生が続出するのを。夏の暑い朝、草むしりする人を見かけて思わず助けているうちに遅刻してしまう少年がでるのを。そう期待して検索するが、出てくるのは、部活で、生徒会で、クラスで教師に言われて皆で「奉仕」したというものだけ。それもえらく少ない。誰にも言われず「自分の決意」で、欠席して皆勤賞を逃したり推薦入学も取り消されたりするから気持ちもいい、それを「ボランティア」と言うんだ。上から命じられたり、行事になっているからやるものではない。
  皆がやるから、上が言うからなら家畜や昔の兵隊と変わらない。「一人でも」「不利は覚悟で」かってでる。そうでなければ、市民的不服従も革命もない。公民権運動も、アパルトヘイト反対運動もない。先ず「たった一人の小さな決意」が大切なんだ。皆が不正や犯罪行為を、誰かの指示で、時にはそれが国家の意向であることも少なくない、やろうとしているとき、自分一人の意思で、先ず「僕はやらない」と決意することが大切なんだ。皆が疑問を持たずにやる強姦や処刑や略奪に「そんなことはやめよう」と言う、集団自決や玉砕に水を差す。袋叩きになるだろうがいつかは止む。
 そんな若者がすこし多くなれば、きっと素敵な社会になる。教室がゴミだらけになって、長い間誰も掃除しなくなったとき「ゴミをさらってゆく風になりたいなー」と歌いながら、箒を握った高校生を思い出す

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...