慌ただしい滞在で、質疑に僅か45分くらいしか時間がなかった。彼はどうしても一つだけ意見が聞きたいと言う。その時のことを、宮本憲一が「現代思想」2015年3月臨時増刊号で対談している。
「都留さんや宇沢さん、私も会場にいました。それで、イリイチが何を言ったかというと、日本はなぜ溜め込みの便所をやめたのか、何で下水道にしてしまったのか・・・
イリイチが言うには、メキシコの地震のときに一番困ったのは、地震で下水道がやられてしまって伝染病が大変流行ったことだそうです。むしろ、郊外にあった貧困者の住宅は屎尿溜め込み便所で、その地域は無事であった、と。完全循環方式から言うと、溜め込んだ屎尿を肥料にするという日本の江戸期以来の都市と農村を共生する方式が理想的で、その理想を何で簡単にやめてしまったのか聞きたいと言われました。それで困ってしまってね。
・・・ これは確かに考えさせられる質問でした。 下水道をつくると公共事業の補助金が出る。生活基盤の社食資本では最も大きな補助金です。それを獲得すれば政治家には大きな功績になる。そうすると、全然必要のない農村部で下水道がつくられるようになる。しかし、農村部などの広い土地で、点々と住宅があるところに下水道をつくるにはものすごくお金がかかり、・・・
もっと簡単な簡易浄化槽もあるわけです。 農村部地方財政の赤字の大きな原因は下水道会計なのです。例えば、沖縄の離島なんかでも赤字になっている最大の原因は下水道をつくってしまったことです。そういう意味では、確かに完全循環方式に合うような、もっと別な方式を近代化のなかで編み出さなければいけない。
イリイチの言う通り、画一的になぜ国土の隅々まで下水道をつくる必要があったのかということです。確かにこれまでの溜め込み式便所は臭くて非衛生的だったという問題はあるのですが、それは今ではかなり簡単に技術的に解決できるのです。
私は長野県の山荘をつくったときに溜め込み方式でやってみたのですが、全然臭くなく、水をほとんど使わない衛生的方式ができています。屎尿を二年くらい溜め込んだら処理に来てくれるのです。それで結構うまくいく。それなのに、農村部で彪大な投資と、毎日大量の水とエネルギーを使って、長いパイプと下水処理場をつくるのは、イリイチの言う通り近代の技術と画一的な補助金制度が持っている欠陥であるというところがあると思います」
適切かつ安価な、イリイチが理想的とまで言う、伝統技術があるにも拘わらす、それを捨てたのである。(捨てた経過については、当blog「違式註違(いしきかいい)条例」参照)←クリック 捨てておいて費用のかさむ、危険な技術を取り入れたのだ。ダムも高速道路も、わざわざ費用の嵩む方を選ぶ。赤字は増税や利用料の値上げで埋め合わせる。国民の財布に無断で手を突っ込む無神経さがある。
僕は、大規模な学校建築、体育館、プールも同じ問題を抱えていると思う。メキシコ革命のビリャ将軍が、街中に空き地や空き家を見かけるたびに小さな学校を作ったのは、先見の明があったと言うべき。市民が窓から教室の子どもや授業をのぞけることは、教育の主体がどこにあるかにも対応している。全ての学校にプールと体育館があるのは、日本だけだと思う。共同利用なら、浮いた予算は他に回すことが出来る。日本に不足している地域スポーツクラブの拠点を、公的に整備出来るし、中高のクラブ顧問の時間外労働地獄にも対応の可能性が出てくる。
0 件のコメント:
コメントを投稿