ニューディール政策の旗手にして反ファシストのF・ルーズベルト米大統領が急死したのは1945年4月。その翌月ナチスドイツは降伏する。個人的に共産主義を非文明と敵視していた英首相チャーチルは、独ソ戦でソ連が勝利する展開を信じられず放置できない。あろう事かソビエトに対する奇襲攻撃を目論み、5月22日にJPS(合同作戦本部)に作戦立案を命令。
チャーチルの計画によれば、ソビエトへの攻撃開始は1945年7月1日。米軍64師団、英連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そして独軍10師団の参加で「第3次世界大戦」を始める想定であった。
作戦報告を読んだ英国陸軍参謀総長は、作戦成功は全く不可能だと判断。5月31日の参謀長会議でも作戦実行は「考えられない (Unthinkable)」と発言。作戦は発動しなかった。
それでもチャーチルは米軍がヨーロッパから全面的に撤退してフランスやオランダまでソビエト軍が進軍した場合の英本土防衛作戦の立案を6月10日に命じる。統合本部は再び『Operation Unthinkable』という名称で7月11日に報告書を完成させるが、この報告書でもソビエトによって本土の安全が脅かされることはないと結論づけている。
7月16日には米国が人類初の核実験の成功。7月18日の米大統領トルーマンとの会談で終戦後も連合参謀本部存続に前向きな回答を得て、チャーチルは原爆によるソビエト工業地帯の一掃を含む全面戦争を目論む。同月の総選挙で保守党は惨敗。英国民には戦争の専門家となったチャーチルはもはや必要なかった。戦争で経済的に疲弊していたにも拘わらず、「揺りかごから墓場まで」の福祉国家を掲げた労働党を選んだのである。(「揺りかごから墓場まで」の基になったビバレッジ報告そのものは、チャーチル率いる保守党によるものであった)。為にチャーチルは歴史から不思議な消え方をする。
米軍、英軍、ポーランド軍、独軍はnatoを構成して、今尚ロシアと対抗。その造られた危機を「第三次大戦」と煽り、武器要求・武器援助の人道支援にのめり込む奇っ怪な動きがある。
チャーチルの開始した執拗な敵視と攻撃に、スターリンもソビエトもロシアも笑ってはいられない。
冷戦時代・・・ソ連は、(例えば)ガスの(輸出)契約は必ず守っていた。・・・。ロシアは・・・遵法精神があり、ルールに縛られる感覚があります。感情を出さないということではなく、ルールが決まればそれに従うということです。冷戦時代、ソ連は貿易と政治を結びつけて考えることはなかった https://www.contrapunto.com.sv/militar-suizo-experto-de-la-onu-analiza-con-bisturi-la-guerra-en-ucrania/
彼等にとって第二次大戦は終わらないまま、第三次大戦に引きずり込まれてしまったのだ。
同じ事は2発の原爆と水爆を浴びせられ、国連の敵国条項に縛られ日米合同委員会の議事録非公開を甘受するnipponにこそ言える。独立国家とは到底言えない。サムライ日本、クールjapanと浮かれている場合か。
参照 https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaiseiji1957/2006/144/2006_144_69/_article/-char/ja/