OlympicとYakuza 1

 オリンピック憲章は「スポーツを実践することを通じて若者を教育し、平和でよりよい世界の建設に貢献する」/「オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での競技者間の競争であり、国家間の競争ではない」等と宣言している。しかし第一回アテネ大会(1896年)で早くも民族意識を掻き立て、ギリシャ国王はオスマントルコに宣戦して敗北。
 「近代オリンピックの父」クーベルタンは、普仏戦争に破れた祖国フランスの青年をスポーツで鍛え直したいという意図を持っていた
 更にIOCの独裁者サマランチは、スペイン人民戦線を弾圧したフランコ独裁に忠誠を誓ったファランヘ党幹部であった。1977年にスペインのファシスト体制が崩壊した時、サマランチはカタロニアで労働者の反独裁闘争弾圧の責任者になっていた。当時すでにサマランチはIOC副会長、デモ隊への発砲を命じたその口から「オリンピックの理想」が語られたのである。

 近代オリンピックは国家主義、愛国主義と切り離すことができない形で出発、戦争と深く切り結んで来た。
 ナチス・ドイツによるベルリン・オリンピック(1936年8月)の年、3月にはドイツ軍がラインラントに侵攻、5月にはイタリアがエチオピアを併合し、7月にはヒトラーとムソリーニに支援されてフランコ将軍が反乱を起こし、スペイン内戦が始まっていた。
 「アーリア人種の優越性」を掲げたヒトラーは、ドイツが「強大国」に復帰したことを宣伝する為にオリンピックを徹底的に演出した。「聖火リレー」をはじめ、運営方法、演出方法も含めて、このベルリンオリンピックが今日まで続く現代オリンピックの原型となった。ヒトラーは連日、オリンピックスタジアムに顔を出し、観客から熱烈な歓迎を受ける様子を世界のマスコミに示し、「国民に愛されている指導者」として世界に登場することに成功した。
 メダル獲得数でヒトラードイツはアメリカに勝ち、ムソリーニのイタリアはフランスに勝ち、天皇の日本はイギリスに勝った。それは、ファシズム体制のもとで戦争に突き進む民衆の意識に、自分たちの体制の「優越性」を強く刻印するものだった。ベルリンオリンピックから3ヵ月後、日独伊防共協定が調印された。現に戦争が始まっているなかで、このようなオリンピックでの勝利が作り出した愛国主義的興奮は、侵略戦争を拡大しそのもとへ民衆を動員する基盤を強化したのである。

 オリンピックのこのような性格は今も変わらない。東京オリンピック(1964年)は、日本が敗戦後の破滅的混乱を抜け出し、念願の「先進国」入りを実感させる役割を果たした。またソウルオリンピック(88年)は、光州蜂起弾圧で血塗られたイメージのノテウ軍事独裁政権が、世界に向けて「民主化」を華々しく演出するとともに、爆発的に燃え広がっていた反独裁民主化闘争を鎮圧しつつ、対立と抗争の続く韓国社会を国家主義的に統合しようするものであった。長野冬季オリンピック(98年)では、日本の呼び方を「ニッポン」に揃えて「がんばれニッポン」を絶叫させ「日の丸」小旗を振らせる演出がされた。

 こうした国家主義的スポーツイベントが、長い間粘り強く続けられてきた「日の丸」「君が代」の強制に反対する闘いを一瞬のうちに無力化して、青少年にそれを受容する意識を植えつけたのである、サッカーワールドカップも同じ役割を果たしている。
 オリンピックは、ルールの変更でスリルと興奮と感動を演出、集団的・民族的心情を操作して国家主義的国民統合を形成・強化する。同時に国家主義は、異端排除や排外主義と一体化する。2000年JOC八木祐四郎会長が、長野オリンピック記念マラソンで二年連続してケニアのエリック・ワイナイナ選手が優勝したことについて、「黒いのばかりに(メダルを)取られちゃかなわない」という人種主義丸出しの暴言を吐いたが、これこそ「オリンピック精神」の本音である。

   99年一月、冬季五輪招致をめぐるIOC買収スキャンダルが明るみに出て、国際的スキャンダルに発展している。暴露されたのは、IOC委員一人当たり十万ドルにも相当する金品の贈与、買春の斡旋、IOC委員が出身国で立候補した自治体首長選挙の選挙資金提供、土地転がしの利権供与、IOC委員家族の留学斡旋・就職斡旋、三流「芸術家」である委員の娘を出演させるコンサートの開催、家族・親族からその友人まで含めた豪華な招待旅行、IOC委員出身国スポーツ団体への資金やスポーツ用品提供と選手の国外研修斡旋など、ありとあらゆる買収工作だった。個々の委員に直接提供されるワイロから、各委員が国内のスポーツ団体に大して持つ支配力を強めるためのワイロまで、まさに考えつく限りのワイロで、オリンピックという巨大スポーツショーは売買されていたのであり、IOCが腐敗しきったスポーツマフィア集団にほかならないことが、全面的に暴露されたのである。

 「The Yakuza Olympics」。米国大手老舗ニュースサイト「thedailybeast」の記事クリック は、2020東京五輪に於ける要人と暴力団のつながりを報じて、世界に衝撃を与えている。         
 JOC副会長田中英寿日大理事長と指定暴力団住吉会の福田晴瞭会長の関係にも触れ、Tokyo olympic組織委員会会長森喜朗元首相についても、
In addition, to Mr. Tanaka, Yoshiro Mori, a former Prime Minister of Japan, who is also reported to have had yakuza ties in the past by the Japanese press (by Mainichi Newspaper and Weekly Bunshun, among others), is the head of The Tokyo Organizing Committee of the Olympic and Paralympic Games. He took the position January 24th. Police sources have stated that they are investigating the extent to which both men were involved with the yakuza in the past and whether they have current ties to criminal organizations. The Tokyo Organized Crime Exclusionary 
と書いている。
  JOC副会長やTokyo olympic組織委員会会長とヤクザの繋がりを指摘しているのである。
 2020年東京オリンピック主会場建設費用が2520億円と桁外れに高い(過去5 回のオリンピックで最も高額だったのは2012年ロンドン大会の580億円)のは、形を変えた巧妙な「しのぎ」の仕組みが東京オリンピックに構造化されているからだろう。Tokyo olympic組織委員会会長が、「施設に掛けるお金は都が3000億円。組織委が五輪に掛けるお金はその比ではない。国がたった2500億円も出せなかったのかね、という不満はある」と語ったのは、まさしくヤクザの強請(ゆすり)である。

 The Sydney Morning Heraldは、「Sure winners in 2020 Tokyo Olympics? Gangsters」クリック という記事を掲げている。
 日本の報道機関でこの事を取り上げたのは、ただ一つ「日刊ゲンダイ」だけである。日大のあらゆるスキャンダルが取り上げられるが、日大理事長=JOC副会長とヤクザの関係には触れようともしない。日大は危機管理学部を通して各県の県警察本部長、内閣情報調査室内閣参事官、元内閣官房、公安調査庁など警察エリートとの繋がりも深いのである。そこまで切り込めば現政権への飛び火は避けられない。       つづく
                  

皇帝和大臣有“愚民政策”,百姓们也自有其“愚君政策”

 皇帝と大臣は「愚民政策」をとるし、人民にはまた「愚君政策」がある。          魯迅『談皇帝
   英国の学者らが、TVの娯楽ショー番組は知能に否定的影響を及ぼしていると警鐘を鳴らしている。
  Queen Mary University of Londonは過去30年のイタリアの娯楽番組の拡大を調査。就学前から娯楽番組を視聴してきたイタリアの成人に認知機能テストを行ったところ、こうした番組を見なかったイタリア人に比べて5%悪い結果が出た。また年齢別ではより強い悪影響が出るのは55歳以上の人であることもわかった。(The Daily Mail紙
 丁度この時期にイタリアでは、ベルルスコーニの大手メディアグループ「Mediaset S.p.A.」が人気を博している。

 同じく英国通信社Reutersの「Digital News Report」も面白い報告をしている。2016のReportクリック に依れば、政治や経済など硬派なニュースに関心を寄せる人の割合では日本が49%と最低。ところが、芸能やスポーツなどの軟派ニュースでは逆に日本が突出。Reutersは「極めて特異な現象だ」と言う。 
 硬派ニュースとは、政治や国際、経済などのニュース。軟派とは、エンターテイメントをはじめとした芸能、スポーツといった分野を指す。
 
 硬派ニュースに関心を寄せる人の割合はギリシャが81%、スペイン77%、ドイツ76%、米国74%と高いのに対し、日本は49%と調査26か国中、最低。 
 ギリシャが硬派ニュースに関心を寄せるのは、ギリシャが金融危機、失業、難民など切羽詰まった問題を抱えていて当然と言える。だが日本も、政権腐敗、高齢化、財政破綻、格差社会など多くの問題が山積して関心を持たないわけにはいかないはず。なのに、日本では軟派ニュースに関心を持つ人の割合が34%と、26か国の中で最も高い。さらに注目すべきは、軟派ニュースに関心を持つ若者の割合が日本で極端に高いことだ。 
 18~24歳の若者で軟派ニュース寄りの割合を国別で比較すると、英国が17%、スペイン18%、ドイツも18%、米国23%、イタリア29%に対し、日本は58%と飛び抜けた数値を示している。
 Digital News Reportは、「パブリッシャーでないポータルが、日本市場を完全制覇してきた」ことの特異性を指摘している。日本では、海外のような伝統パブリッシャーの優れたニュースサイトが生まれてこなかったし、人材も十分に育ってこなかった。これは取り返しのつかない痛手である。
 
 日本人の、分けても若者の関心の有り様が異様なまでに目立つのはこのためだ。その結果、政治や社会の問題に無関心であるばかりか、見もせずそこから逃げている。
 まさに「逃げるから怖」くなるのである。逃げ腰の恐怖に駆られの態度が「忖度」である。正対する暇も勇気も持てず、見えぬ対象を過大に評価して、降伏する前に自ら擦り寄るのである。ナチ絶滅収容所に於ける「カポ(囚人を監視する囚人)」同様の存在にさえ成る。マスコミや労組に内部から「自己規制」を働きかけるのはこうした連中である。気がつけば、政治的、社会的権利をはぎ取られ、ただ生きているだけの『むき出しの生』と化して、自立・抵抗する者を罵るようになる。
 3S政策(Screen(スクリーン=映画)、Sport(スポーツ=プロスポーツの観戦)、Sex(セックス=性産業)を用いて大衆の関心を政治から逸らす愚民政策 )は、70年をかけて根深く定着したばかりか進化発展したわけだ。その先頭に立ったのが、読売の正力松太郎である。
 TV産業とインターネットは、3SにShoppingを加えていよいよ醜悪化して国民を「受け身」にしている。
 街の景観が広告で際立って汚く・煩く、乱雑になった。ここまで酷い国があろうか。考える事と世界に向き合う事から隔離されそれでも居直って「クール」とふんぞり返っていられるのは、自由主義的規制緩和政策のなせる技である。
 
  学校も3S政策に抵抗したとは言いがたい。何故なら繁華街への立ち入り禁止、有害図書禁止といった対策はかえって3Sへの好奇心を煽ったからである。政治活動や社会的活動に繋がる「恐れのある」クラブや自治活動を抑圧すれば、好奇心溢れる少年たちは「いけない」ことに向かうのである。むしろ3S政策とは何か、青少年の健全育成とは何か、真正面から捉える授業が必要だったのた。
 「ファシズムとは・・独裁者の言葉に突き動かされるのではなく、そんたくや自己規制、自粛といった日本人の『得意』な振る舞いによって静かに広がっていくということだ。」  辺見庸

 



「シエスタ(昼寝)の時間にはオスプレイが飛べない」

昼過ぎから15時過ぎくらいまでシエスタ、街には人通りがない
 イタリアでは「シエスタ(昼寝)の時間にはオスプレイが飛べない」。イタリア国内の米軍基地はイタリア軍司令官の管轄下にあり、昼寝時の飛行禁止が盛り込まれている。日本の米軍基地周辺では、夜さえ眠りを妨げられる。不平等な「日米地位協定」、その第3条「排他的管理権」は、アメリカ軍が他を寄せ付けない形で基地を管理する権限を認めている。
 日本の外務省は「どの国でも同じ」と説明しているが、自国の基地をアメリカ軍が“神”のように運用できるのは日本だけだ。「働き方」の問題と合わせ考えると、日本は「奴隷的従属」国家である。

 だが我々は、基地問題で加害的立場にもなったことを胆に銘じなければならない。ソマリア沖の「海賊」を口実に成立させた「海賊対処法」(2009年)で、自衛隊が駐留するジブチである。
 ジブチ基地には陸上、海上自衛隊員170人が常駐。日ジブチ地位協定では、「公務内」「公務外」の両方で、日本は第一次裁判権を獲得している。これを、日本外交の勝利だ、最大限の国益達成だ、と当時の閣僚は誇ったのである。  2011年には237件を数えた「海賊」事件は、4年前は0件、3年前は2件と激減。しかもその実体は、海賊と言うには余に非力な漁師たち。高性能のヨーロッパ漁船による乱獲、違法操業から生活を守ろうとしているにすぎない。非力な漁師を守って、ヨーロッパ漁船の違法行為を禁ずることこそが「平和」活動であった。
 それでも邦人保護を口実に基地を3ヘクタール拡張する算段を進めている。

   2016年、自衛隊の営繕や調理など業務委託企業が、下請け業者を予告なしに契約解除。新規に業務委託を受けたF企業(本社・横浜市)は、前下請け企業のジブチ人労働者全員の雇用を拒否した。ジブチ人労働者でつくる日本基地労働者組合によれば、全労働者がこれに抗議、ストライキで抵抗。解雇撤回を求めて基地に入ろうとした際、自衛隊は装甲車2台と銃を構えた自衛隊員約30人で威嚇し排除した。
 組合の広報担当者は、「自衛隊は私たちが基地に入るのを装甲車で阻み、隊員は全員が銃をもち、マスクを着けて無言で迫ってくる姿は恐ろしかった」と証言。 同じく現場で抗議した組合議長は「自衛隊とF企業は労組員の基地入場を厳しく禁じた。基地ゲートには積極的な労組員の“ブラックリスト”を張り出すなど、自分と家族の生活を守ろうとしただけの労働者をテロリストのように扱われ悔しい」と述べたという。日本に対する感情は、アフガニスタンで医療支援や用水路建設、農業再興に取り組む「ペシャワール会」の中村哲医師の言うように、自衛隊の派遣で確実に悪化している。

 強国に従属の限りを尽くせば、どこかに傲慢さが滲み出すのである。

 「殉職者」が2名出ているが、護衛艦内の屎尿処理タンクの硫化水素による中毒死と、護衛艦乗員海水浴中の溺死である。基地を持たなければ、死なずに済んだのである。

「忖度」を退ける仕組み 2

 富山県の公立中学教師が長時間労働で病死していた事が分かり、労災認定されていた。それが2018年の今になって公表される。労災認定されない死、申請自体されない死、死亡には至らないが病臥したり、長時間労働が理解されずやむを得ず退職した場合などが隠されてある。

 我々は、不安なのである。  諸外国の年金制度の受給資格期間を見ると

 アメリカ 10年相当
 イギリス なし 2007年法改正で給資格期間撤廃。
 ドイツ 5年
 フランス なし
 ベルギー なし
 オランダ なし
 カナダ Canada Pension  Plan: なし
 韓国         10年
 スペイン 15年
 イタリア 5年
 アイルランド 2012年より10年相当
 ハンガリー 15年
 スウェーデン なし  
 ルクセンブルク 10年
 日本   永く25年であったが2017年から増税と引き換えに10年に。遺族年金は依然として25年。
  OECD諸国では最低であり続けてきた。年金を受け取るまでが楽でなかった、しかも年金を受け取ってからも生活は楽ではない。失業保険制度も後退を重ねている。社会的弱者に対する眼差しの冷徹さは、国際的に群を抜いている。

   Pew Global Attitudes Report によれば、貧しい人を国が救うべきか」という設問に反対と答えた人数比率がイタリアや中国で9%だったのに対して、日本では38%だった。
「救うべきだと思わない」と答えた人の割合は
 イギリス:8%
 ドイツ:7%
 イタリア:9%
 中国:9%
 アメリカ:28%
 日本:38%
  セクハラにもパワハラにも耐え、更に「忖度」で自らの誇りを捨て去ることの背景に、我々の社会的不安がある。

  ベネズエラの「大学法」
 2010年12月24日、ベネズエラ国会は、大学の意思決定に教授・学生・雇用者・地域住民代表が平等に参加する法案を可決。この法律は、ベネズエラ憲法の第103条「政府は小学校から大学学部教育にいたる無償で質の高い一般教育を供給する義務がある」という原則に基づいて制定された。
 大学生は大学管理者選挙の投票権を持ち、教授の評価に加わり、意見発表の自由が約束され、大学の運営記録にアクセスすることが出来、住居、通学費、食費、医療施設、学費についてのサービスを受ける権利が保障される。
 大学法について、現政府に反対する野党、富裕層の学生団体は、これは社会主義的政策の強行だとして、チャベス大統領を非難するデモを盛んに行なった。これは大衆が愚民に留まり貧困の不安にさらされ続ける事が、富裕層にとっては歓迎すべきなのだと自白したようなものである。勿論労働者大衆は新しい大学法を歓迎した。様々な不安から解放されるだけではない。自治を手に入れることが出来る。支配され、忖度を強いられる関係が一転するのだ。

 若者の大学進学を全面的に保証することは、豊かな国でなくと政府の決意次第で可能であることが分かる。    
  チャベス政権下のベネズエラでは、キューバの「ジョ・シ・プエド」(私ならできる)プログラムを利用して、2003年数万人が教育を受けた。その結果、2005年までにUNESCOは、この国を非識字なしと宣言している。このプログラムは、子供の時に読み書きを習う機会のなかった貧しい大人たちに、無償の教育を提供している。

 日本では、生徒・学生が教師の授業を評価する仕組みはある。しかし大学や高校の意思決定に参加する仕組みを欠いているために、当局が教員を管理統制するのに奉仕して逆向きに機能している。
  日本の高校生は、学校の運営に参加でないだけでは無く、校長・生活指導部長・進路指導部長・クラブ顧問を選ぶことさえ出来ない。顧問や監督が良い人間である偶然に賭けるしかないのである。
  例えば、日大が、山口組と懇意にしている理事長とその取り巻きからなる理事会の支配下にあるのではなく、ベネズエラやフランスのように大学構成員全ての平等な参加の下に運営されていれば、と考えないわけにはゆかない。これは日大だけの問題ではない。一体日本のどこに、ベネズエラの大学法の一部でも真似た大学があるというのだ。

 関西学院大学の負傷した学生が、試合復帰後会見したが、気になる。記者から、日大の前監督、前コーチについて効かれて「すいません、答えることは出来ないんです」と言っていることだ。どこからか圧力があったことを窺わせる言い回しである。こうした関係が、体育会、大学、スポーツ界、企業、政界、学会、マスメディアに広く沈殿していることが問題なのだ。普段は水面に現れないが、少し荒れれば忽ちに巻き上げられ透明性を失わせる。
 それを克服するのは、諸関係を逆転させる「自治」を学園や職場にもたらす以外にない。
 それは、投票するだけの「お任せ民主主義意識」を変えるだろう。




若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...