富山県の公立中学教師が長時間労働で病死していた事が分かり、労災認定されていた。それが2018年の今になって公表される。労災認定されない死、申請自体されない死、死亡には至らないが病臥したり、長時間労働が理解されずやむを得ず退職した場合などが隠されてある。
我々は、不安なのである。 諸外国の年金制度の受給資格期間を見ると
アメリカ 10年相当
イギリス なし 2007年法改正で給資格期間撤廃。
ドイツ 5年
フランス なし
ベルギー なし
オランダ なし
カナダ Canada Pension Plan: なし
韓国 10年
スペイン 15年
イタリア 5年
アイルランド 2012年より10年相当
ハンガリー 15年
スウェーデン なし
ルクセンブルク 10年
日本 永く25年であったが2017年から増税と引き換えに10年に。遺族年金は依然として25年。
OECD諸国では最低であり続けてきた。年金を受け取るまでが楽でなかった、しかも年金を受け取ってからも生活は楽ではない。失業保険制度も後退を重ねている。社会的弱者に対する眼差しの冷徹さは、国際的に群を抜いている。
Pew Global Attitudes Report によれば、貧しい人を国が救うべきか」という設問に反対と答えた人数比率がイタリアや中国で9%だったのに対して、日本では38%だった。
「救うべきだと思わない」と答えた人の割合は
イギリス:8%
ドイツ:7%
イタリア:9%
中国:9%
アメリカ:28%
日本:38%
セクハラにもパワハラにも耐え、更に「忖度」で自らの誇りを捨て去ることの背景に、我々の社会的不安がある。
ベネズエラの「大学法」
2010年12月24日、ベネズエラ国会は、大学の意思決定に教授・学生・雇用者・地域住民代表が平等に参加する法案を可決。この法律は、ベネズエラ憲法の第103条「政府は小学校から大学学部教育にいたる無償で質の高い一般教育を供給する義務がある」という原則に基づいて制定された。
大学生は大学管理者選挙の投票権を持ち、教授の評価に加わり、意見発表の自由が約束され、大学の運営記録にアクセスすることが出来、住居、通学費、食費、医療施設、学費についてのサービスを受ける権利が保障される。
大学法について、現政府に反対する野党、富裕層の学生団体は、これは社会主義的政策の強行だとして、チャベス大統領を非難するデモを盛んに行なった。これは大衆が愚民に留まり貧困の不安にさらされ続ける事が、富裕層にとっては歓迎すべきなのだと自白したようなものである。勿論労働者大衆は新しい大学法を歓迎した。様々な不安から解放されるだけではない。自治を手に入れることが出来る。支配され、忖度を強いられる関係が一転するのだ。
若者の大学進学を全面的に保証することは、豊かな国でなくと政府の決意次第で可能であることが分かる。
チャベス政権下のベネズエラでは、キューバの「ジョ・シ・プエド」(私ならできる)プログラムを利用して、2003年数万人が教育を受けた。その結果、2005年までにUNESCOは、この国を非識字なしと宣言している。このプログラムは、子供の時に読み書きを習う機会のなかった貧しい大人たちに、無償の教育を提供している。
日本では、生徒・学生が教師の授業を評価する仕組みはある。しかし大学や高校の意思決定に参加する仕組みを欠いているために、当局が教員を管理統制するのに奉仕して逆向きに機能している。
日本の高校生は、学校の運営に参加でないだけでは無く、校長・生活指導部長・進路指導部長・クラブ顧問を選ぶことさえ出来ない。顧問や監督が良い人間である偶然に賭けるしかないのである。
例えば、日大が、山口組と懇意にしている理事長とその取り巻きからなる理事会の支配下にあるのではなく、ベネズエラやフランスのように大学構成員全ての平等な参加の下に運営されていれば、と考えないわけにはゆかない。これは日大だけの問題ではない。一体日本のどこに、ベネズエラの大学法の一部でも真似た大学があるというのだ。
関西学院大学の負傷した学生が、試合復帰後会見したが、気になる。記者から、日大の前監督、前コーチについて効かれて「すいません、答えることは出来ないんです」と言っていることだ。どこからか圧力があったことを窺わせる言い回しである。こうした関係が、体育会、大学、スポーツ界、企業、政界、学会、マスメディアに広く沈殿していることが問題なのだ。普段は水面に現れないが、少し荒れれば忽ちに巻き上げられ透明性を失わせる。
それを克服するのは、諸関係を逆転させる「自治」を学園や職場にもたらす以外にない。
それは、投票するだけの「お任せ民主主義意識」を変えるだろう。
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