「忖度」を退ける仕組み 1

 日大アメフト部のM選手は自分自身の弱さを認め、謝罪した。その姿勢を多くが賞賛した。
 「指示があったにしろやってしまったのは私なわけで、人のせいではなく、やってしまった事実がある以上、反省すべき点だと思う」
 「追い詰められていたので、やらないという選択肢はなかった」と断言した上で、「少し考えれば自分がやったことが間違っていると前もって判断できたと思う。そうやって意識を持つことが大事だと思った」と述べた。
  記者会見した彼は知的であり誠実さに満ち、まさに日本では死語と化した「スポーツマンシップ」を一瞬よみがえらせた。しかし事前に決意することが最も肝要なのだ。その仕組みを作らねばならぬ。
    ここには丸山眞男の『忠誠と反逆』の問題提起
 「およそ個人の社会的行為のなかで忠誠と反逆というパターンを占める比重は、生活関係の継続性と安定性に逆比例する。伝統的生活関係の動揺と激変にょって、自我がこれまで同一化していた集団ないし価値への帰属感が失われるとき、そこには当然痛切な疎外意識が発生する。この疎外意識がきっかけとなって、反逆が、または既成の忠誠対象の転移が行われる」
の指し示した課題がある。


 それにしても寒心に堪えないのは、この一連の問題が見せた構造が「モリカケ」問題を巡る政権・官僚の対応と恐ろしく相似しているにも関わらず、報道が問題を日大のある部分に限定していることだ。政権の問題を回避して番組を切り回せる事の安堵感が出演者に満ちている。
  日本オリンピック委員会副会長である日大理事長と山口組6代目が二人並んだ写真は、複数の海外メディアで広まって2020年東京オリンビックには「ヤクザ・オリンピック」の名称が与えられている。 チャンコ鍋屋の女将である理事長夫人に気に入られることが学内栄達のかなめ。理事長腹心の常任理事が、前アメフト監督であり、人事を担当している。それが反則の責任を問われると、「言っていない」を繰り返す。
 何から何まで「モリカケ」関係者と瓜二つの対応をしている。日大が責任を認めてしまえば、世の関心事は「モリカケ」責任問題に移行する。それは困る、日大の対応傲慢で拙い程、ワイドショーは小出しに日大を攻める。その間、決定的証拠が愛媛県から出たにもかかわらず、マスコミの関心は「モリカケ」からすっかり離れ、会期切れに持ち込もうとしている。政権・日大・マスコミは三位一体の関係になっている。改憲派にとって、日大は法学界には希な改憲支持学者の溜まり場でもある。

  不正行為を上司から指示されようが、忖度を期待されようが、個人で「拒否」するのはこの日本では至難の業である。例えば、中高のクラブ顧問も引率も職務ではない。にも拘わらず、多くの教師がクラブ引率を拒否出来ず過労死寸前で疲れ切っている。休暇を取る権利を、例えばイタリア並みにする必要がある。
   イタリア憲法の第36条は「労働に対し平等な報酬を受ける権利および休息権」である。
1.労働者は自己の労働の量および質に応じ、およびいかなる場合にも、自己およびその家族に対し、自由にして品位ある生存を保障するに足る報酬を受ける権利を有する。 
2.労働日の最高限は、法律によって定められる。
3.労働者は、各週の休息および有給年次休暇をとる権利を有し、これを放棄することはできない。

 特に第三項に注目したい。「各週の休息および有給年次休暇をとる権利を有し、これを放棄することはできない」これを保証するのは、使用者に対する罰則である。部下が休暇を取得しなければ、上司が罰せられるのである。
  2003年8月には、労働者が4週間以上の年次有給休暇に対する権利を有すること、そして、この最低期間は、取得されなかった年休に関する手当で代替させられないことを定める法律が成立した。さらに、この規制に従わない企業や組織に対する罰則が定められている。また、1年以内に少なくともこの4週間の休暇の一部を取得し、残りをその後数ヶ月内に取得するという規定も置かれた。
  職場や管理職の意向や生徒父母の期待を背負って、「忖度」して「任せてください、頑張ります」を言わせない制度が、働く者には欠かせない。特に教師は、生徒の期待を言われると自らを犠牲にしやすい立場にある。「もうやれません、休みます」を言う者が孤立してしまう。緊急の課題である。

  しかし、いろいろな状況で退職しなければ、自らの尊厳も命も守れない事もある。そんな時、失業の恐怖が「忖度」を強いることは少なくない。セクハラやパワハラと闘おうにも闘えないことがある。安心して失業出来る仕組みがあれば、思い切ってものを言い闘うことが出来る。

  イタリアの古都ボローニャには、「賢者の町ボローニャ憲章」がある。
 「わたしたちは、この場所で、同一の法のもとに豊かな共同生活を送ることを互いに求め合う」。ボローニャは人口50万人。ファシズムと徹底的に闘った働く者の都市である。
 ここに言う共同生活とはなにか、例えば乞食組合である。ボローニャは失業者がいないことを誇りにしている。それでも失職して住居を失なえば、乞食組合が市と共同経営する「寒さや空腹から身を守るための夜間避難所」へ行けばいい。また、麻薬中毒者も「助け合いの夜間避難所」へ、外国人も「途方に暮れた外国人のための夜間避難所」へ、それぞれ駆け込めばいい。 この元乞食たちは、オフィス管理清掃組合も組織して、心身を癒した新米乞食たちは、ビルの清掃や夜間警備の仕事につくことができる。また彼らは市営公共浴場の運営をまかされてもいるので、ここにも仕事がある。
 乞食組合は情報工学学校も経営している。新米乞食のうちで希望する者があれば、彼は最先端のコンピュータ技術を習得することもできる。こうして、また一流企業へ再就職するのである。
 つまり、この乞食組合は、市内の協同組合や地方公共団体と協力関係を保ちながら、社会の弱者層の生活を保障し、仲間としての心身を立ち直らせる。

  又イタリアでは、たとえ罪を犯しても、服役しながら大学卒業の資格が取れる。法学と政治学の課程があり、大学から教員が派遣される。監獄内の自習室ではパソコンも利用出来る。試験に合格すれば学士となり、弁護士への途も開かれる。「豊かな共同生活」は刑務所にも及んでいる。


 

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