金箔つきの悪党にゃ頭を下げやがる。鼠小僧と云ゃ酒も飲ます・・・

 芥川龍之介の短編『鼠小僧次郎吉』の挿話である。訳ありの男が、身延周りで西へ向かう道中、調子のいい小間物屋重吉と八王子で宿をとった。これから先はこの男の話と言う事になる。
   酒を飲んで寝たが、明け方重吉が胴巻きへ手を掛けたところを取り押さえて宿の者に引き渡した。重吉は土間の柱に縛り付けられ、店の使用人たちに取り込まれ散々になぶられる。けちな胡麻の蝿だ、野猿坊だ、案山子にしたらいいだろう、賽銭泥棒の類いだろうとからかわれているうちに啖呵を切ってしまう。
 「「やい、やい、やい、こいつらは飛んだ奴じゃねえかえ。誰だと思って嘩言をつきやがる。こう見えても、この御兄さんはな、日本中を股(また)にかけた、ちっとは面の売れている胡麻の蝿だ。不面目にもほどがあらあ。うぬが土百姓の分在で、利いた風な御託を並べやがる」 
 これにゃ皆驚いたのに違えねえ。・・・好さそうな番頭なんぞは、算盤まで持ち出したのも忘れたように、呆れてあの野郎を見つめやがった。が、気が強えのほ馬子半天での、こいつだけはまだ髭を撫でながら、どこを風が吹くと云う面で、 「何が胡麻の蝿がえらかんべい。三年前の大夕立に雷獣様を手捕りにした、横山宿の勘太とはおらが事だ。おらが身もんでえを一つすりや、うぬがような胡麻の蝿は、踏み殺されると言う事を知んねえか」と嵩にかかって嚇したが、胡麻の蝿の奴はせせら笑って、 
 「へん、・・・頭からおどかしを食ってたまるものかえ。これやい、眠む気ざましにゃもったいねえが、おれの素性を洗ってやるから、耳の穴を掻っほじって聞きゃがれ」」
 
 威勢良く、悪行の数々を並べるたびに使用人たちは引き下がり言葉も慇懃になってきた。ついに母親殺しまで聞かされたところで、もしやお前はあの鼠小僧ではないかと使用人は尋ねた。
  「「図星を指されちゃ仕方がねえ。いかにも江戸で噂の高え、鼠小僧とはおれの事だ」と横柄にせせら笑やがった。・・・三人の野郎たちは、勝角力の名乗りでも聞きゃしめえし、あの重吉の間抜野郎を煽ぎ立てねえばかりにして、 
 「おらもそうだろうと思っていた。三年前の大夕立に雷獣様を手捕りにした、横山宿の勘太と云っちゃ、泣く児も黙るおらだんべい。それをおらの前へ出て、びくともする容子が見えねえだ」 「違えねえ。そう云やどこか眼の中に、すすどい所があるようだ」 「ほんによ、だからおれは始めから、何でもこの人はいっぱしの大泥坊になると云っていたわな。ほんによ。今夜は弘法にも筆の誤り、上手の手からも水が漏るす。漏ったが、これが漏らねえで見ねえ。二階中の客は裸にされるぜ」 と縄こそ解こうとはしねえけれど、口々にちやほやしやがるのよ。するとまたあの胡麻の蝿め、大方威張る事じゃねえ。 
 「番頭さん、鼠小僧の御宿をしたのは、御前の家の旦那が運が好いのだ。そう云うおれの口を干しちゃ、旅籠屋冥利が尽きるだろうぜ。桝で好いから五合ばかり、酒をつけてくんねえな」 こう云う野郎も図々しいが、それをまた正直に聞いてやる番頭も間抜けじゃねえか。 
 おれは八間の明りの下で、薬缶頭の番頭が、あの飲んだくれの胡麻の蝿に、桝の酒を飲ませているのを見たら、何もこの山甚の奉公人ばかりとは限らねえ、世間の奴等の莫迦莫迦しさが、可笑しくって、可笑しくって、こてえられなかった。なぜと云いねえ。同じ悪党とは云いながら、押込みよりや掻払い、火つけよりや巾着切がまだしも罪は軽いじゃねえか。それなら世間もそのように、大盗っ人よりや、小盗っ人に憐みをかけてくれそうなものだ。ところが人はそうじゃねえ。三下野郎にゃむごくっても、金箔つきの悪党にゃ向うから頭を下げやがる。鼠小僧と云や酒も飲ますが、ただの胡麻の蝿と云や張り倒すのだ。思やおれも盗っ人だったら、小盗っ人にゃなりたくねえ。・・・」
 宿を出ようとした男は、偽鼠小僧に痛打を食らわす。
 「「おい、越後屋さん。いやさ、重吉さん。つまらねえ冗談は云わねえものだ。御前が鼠小僧だなどと云うと、人の好い田舎者は本当にするぜ。それじゃ割が悪かろうが」と親切ずくに云ってやりや、あの阿呆の合天井め、まだ芝居がし足りねえのか、 
「何だと。おれが鼠小僧じゃねえ? 飛んだ御前は物知りだの。こう、旦那旦那と立てていりゃー」 
 「これさ。そんな啖呵が切りたけりや、ここにいる馬子や若え衆が、ちょうど御前にゃ好い相手だ。・・・お前が何でもかんでも、鼠小僧だと剛情を張りゃ、役人始め真実御前が鼠小僧だと思うかもしれねえ。が、その時にゃ軽くて獄門、重くて礫は逃れねえぜ。それでも御前は鼠小僧か、と云われたら、どうする気だ」とこう一本突っこむと、あの意気地なしめ、見る見る内に唇の色まで変えやがって、 
 「へい、何とも申し訳ござりやせん。実は鼠小僧でも何でもねえ、ただの胡麻の蝿でござりやす」 「そうだろう。そうなくっちゃ、ならねえはずだ。だが火つけや押込みまでさんざんしたと云うからにゃ、御前も好い悪党だ。どうせ笠の台は飛ぶだろうぜ。」と框で煙管をはたきながら、大真面目におれがひやかすと、あいつは酔もさめたと見えて、また水っ洟をすすりこみの、泣かねえばかりの声を出して、 
 「何、あれもみんな嘘でござりやす。私は旦那に申し上げた通り、越後屋重吉と云う小間物渡世で、年にきっと二、一度はこの街道を上下しやすから、善かれ悪しかれいろいろな噂を知っておりやすので、ついロから出まかせに、何でもかんでもぼんぼんと」・・・」
   途端に重吉は引き摺り回され、火吹き竹や枡が飛んだ。

 嘘をつくたびに小悪党の株が上がる。ついには、酒まで飲ませ、「敬意」さえ示したのである。
 政権中枢の男たちが、政治の私物化や行政権の逸脱を咎められても、「覚えがない」「問題ない」「俺じゃない」と嘘を声高に乱発する。更に専用機で外遊して金と戦争の種をばらまくたびに「賞賛」の声が上がる。瓜二つの構図である。
 まさに「桝で好いから五合ばかり、酒をつけてくんねえな」の傲慢さだ。
 「金箔つきの悪党にゃ向うから頭を下げやがる。鼠小僧と云や酒も飲ますが、ただの胡麻の蝿と云や張り倒すのだ」はマスメディアの状況を思わせる。問題は、悪党が「引き摺り回され、火吹き竹や枡が飛」ぶタイミングだ。

 『鼠小僧次郎吉』の初出は、1920年 「中央公論」である。前年の1919年、納税額3円以上の男性に選挙権が与えられた。
 

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