依存症は「意志をつぶす病気」 |
依存症は、1 物質に対する依存症 アルコール依存症、など / 2 行為に対する依存症 買い物依存症、ギャンブル依存症、など / 3 人間関係に対する依存症(共依存)恋愛依存、などの三類型がある。
部活中毒を、集団的依存および共依存と見為してみる。まず、コントロール出来ないということ、進行すること。暴力を伴うようになること。本人たちに依存であることの自覚がないこと。異なるのは、社会的に非難されず賞賛されてしまうこと。仕事依存も仕事熱心と誤認される。
「真面目にやって何が悪い」と特に教員はいいたがる、それこそ依存。部活動に中毒した親や生徒に、部活を「たかが遊び」と言うと血相を変える。スポーツはplayするものではなく、神聖な仕事になっている。
依存症の特徴は6つ。
「1、ある物質や行動への渇望。2、渇望する物質の摂取や行動の制御困難。3、離脱症状。4、耐性(物質の摂取量が増加する、行動が頻繁になる)。5、渇望する物質の摂取や行動以外に対する関心の低下。6、渇望する物質や行動に起因する障害があるにもかかわらず、摂取や行動を継続する」部活に読み替えても全部当てはまる。
依存症総数は推計値で、アルコール依存症約230万人、ギャンブル依存症560万人、など、3000万人。日本では依存と熱心が区別出来ず、依存症に陥り蔓延しやすい。
依存性の強いものは、制約するのが国際的な合意。にもかかわらず、東京や大阪にカジノをという。ギャンブル依存症患者と家族の屍の山を、ファンドのために築いて恥じないのだ。
マスコミや自治体・企業・政府までもが依存症ビジネスに依存する有様。非正規労働化による低所得は消費を押さえ、しかし依存症患者のお陰で、莫大な消費が家族を犠牲にして確保される。パチンコ1人当たりの消費額は年間160万円。日本のネット企業では、客を依存症状態にすることが成功モデルの特徴だという(海外の場合は、広告収入が主流)
依存で儲ける(依存に依存する)ビジネスモデルでは、1人を嵌めれば年間100万円は売り上げが立つという、カモを釣るために広告を打つ。おかげで日本の町並みは、異常に乱雑で汚い、くさい。街頭も売り込み宣伝で喧しい。
健全な消費に支えられる会社は、売り上げが減り広告も減る。メディアの広告は、依存症誘発型になり、それがさらに依存症消費を増やすという悪循環。依存症社会が形成される。
予備校教師までか「いつやる、今しかないでしょう」と悪乗りするから電通に引き出されTVに出る。「じっくり考えよう」では電通のお気に入りにはなれない。
更に厄介は、我が社会は依存症を意志の問題だと思い、意志さえ強ければ覚せい剤もやめられると夢想、覚せい剤タレントを「意志の弱い人間」として断罪排除する。煙草も意志だけではやめられない。禁煙外来のお陰で禁煙の成功者が増える。
依存症は「意志をつぶす病気」、「自然治癒しない進行性の病気」という医者もいる。
アルコール依存症の場合は、以下7項目中三つ当てはまれば依存症との診断を受ける。
(1)前よりたくさん飲まないと酔えない(2)やめると不快感がある(3)前より酒量が増えた(4)やめようと思ってもやめられないことがある(5)飲む時間や酒を得る時間が長い(6)酒で仕事やつき合いの時間が減る(7)問題が起こってもやめられない。
これを部活に読み替えれば、すべて該当する。大いに危険だと思う。休肝日は、アルコール依存症の予防にも必要だと言う。クラブも週三日で十分、それで弱くなるという根拠はないにも係わらず、減らせないのは依存症にかかった証拠だろう。定期試験でクラブ活動禁止になると、落ち着かなくなり用もないのに集まる。それを見て顧問は結束が高いと喜ぶのだ。禁断症状である。
際限ない格差拡大で消費は絶対的に低下する、それを暴力的に貧者から再収奪して補うのがカジノ構想であり、パチンコ等のギャンブル依存放置政策である。部活にも資本の魔手が延びている。今は学校が代行して教師と教育を殺しているが、既においしい部分は企業が効率的に剥ぎ取っている。高校野球もオリンピックもその粗暴な手口である。
政治的思想的に「アカ」くなるより、依存が望ましいとの倒錯した立場もある。しかしそれが「公」的学校の価値観であってはならない。