パリをゆるがした30万人の高校生・ブラック校則と闘うために 4

 承前                        拙著『法律をつくった高校生』国土社刊から抜粋・加筆再構成


フランスのデモは、350万人を結集させることがある。
これは高校生である、大学生ではない。
 「校舎の改善、警備員、教師の増員などを求め、フランス各地でデモを続けた高校生たちは12日午後、パリに集まり、約30万人が市内をデモ行進した。全国高校生調整委員会や、反民族差別組織などが呼びかけたもので、学生の代表が、ミッテラン大統領、ジヨスパン教育相らに会う予定だ。デモがスタートするバスチーユ広場には、この日の正午過ぎから続々と高校生が集まった。国鉄は地方の参加者に特別列車や最大7割の割引切符を出した。教師の組合や父母会をはじめ、警察官の組合も支持を表明した。警察は過激派鎮圧部隊をふくむ5000人を動員した。
 学生たちの要求は、プレハブ校舎廃止、図書室、自習室、保健室などの設置、安全基準の確保と設備改善、1クラス25人学級を守るための警備員、職員、教師の採用を1年以内実施や、集会や表現の自由、ストライキ権、学生集会室の確保など」(1990年11月13日付の朝日新聞)

  勉強させろ
 フランスではEC統合に向け企業競争力優先政策がとられ、青年の失業が増大していた。1990年度の教育予算は1983年度比で25%もの減少、にもかかわらず、1960年には40万人だった高校生は1990年に128万人に増加、移民の子どもなど条件に恵まれない学生も増え、教育条件は急速に悪化した。そのため、3年生まで進級できる高校生は6割にすぎず、バカロレアに現役合格できるのは3年生の半数、卒業までに学校を去る中退者は入学者の三分の一にも達していた。
 パリ郊外では定員1600人の校舎に2300人が詰めこまれ、学級に37~40人がひしめき、暖房はきかず、天井からは水が漏れるありさまだったという。
 
 発端
 こうした状況に最初の抗議を、デモとストライキの形であらわしたのは、パリの南西、サルト県、ル・マン市の高校生たちである。1990年9月、市内の高校生は、市・県・文部省に、教員増、クラス定員減、学校設備改善の要求をまとめ提出し、動きはたちまちサルト県全体に拡大、10月末にはフランス各地で連日、高校生はストに入りデモで街にくり出した。この運動の中で高校生たちは、教員組合や父母、労組、政党の支持をうけただけでなく、高校生の全国的組織をもつくりあげ、共同行動を積み上げていった。
 政府は事態を重視、文部大臣・首相が高校生代表と会見したが決裂、11月12日予定されていた国会での教育予算討議に向けて、高校生組織は、さらに大きな共闘を組み「教育のための全国大行進」を12日実現させた。冒頭の記事は、この12日の集会を報じたものである。この日、パリの大集会と同時に、地方でも高校生20万人が行動に参加した。高校生たちは、横断幕に「ジョスパン、僕らに試験をうけさせろ」「軍事費より教育予算」などのスローガンを書いて整然とデモ行進した。

  大統領と会見
 高校生たちは代表20人を、首相府に送りこみ、首相府は代表を正式に警察の車で大統領府に送り、ミッテラン大統領との会見が実現した。報道によれば、この日のデモ参加者の一部が、車に放火、商店のショーウインドを破り略奪にはしったという。日本でもこの場面だけは、派手にテレビニュースが扱った。ミッテラン大統領のこの件に対する姿勢はきわめて明噺なものであった。暴動や略奪はきわめて遺憾であるが、そのことと、高校生の要求の正当性は別というものであった。
 大統領はこの日、高校生代表に対し、要求を受けいれ、必要な措置を政府に命ずると明言したが、政府と高校生の交渉は、具体策をめぐりさらに数日を要した。この間も、高校生たちの座りこみなどのデモンストレーションは、継続された。
 高校生たちの要求は、3点あった。第一は、プレハブ校舎の解消、図書室・医務室など諸設備の設置・更新、教職員の増員などの緊急計画と、学級定員25名、4万人の教員増、高校入学定員15%増実現のための財政計画。
 第二は、表現、結社、集会、ストライキの権利の承認、高校生自治の強化、高校生の自治・文化活動のための教育会館設置。
 第三は、カリキュラム負担の軽減および教育課程全国評議会への参加であった。
 このための財源は、湾岸戦争のための100億フラン、核軍拡のための500億フランがあることも高校生代表は指摘している。

  要求をかちとる
 たった3ヶ月で、国家行政の最高責任者との交渉を実現させて、文部大臣との数回にわたる交渉の結果・獲得した成果は以下のとおりである。
 第一の要求に対しては、高校生との連絡のもとに行動する緊急計画責任者を任命し、40億フランを投入し、プレハブ校舎解消等を実現する。職業高校のクラス定員25名、その他の高校で30名を実現する。
 第二の要求については、政令により、高校生の表現・集会の権利等を承認し、高校生が管理する高校生の家をつくる。
 第三の要求に対しては、日本の中央教育審議会にあたる教育高等評議会に、高校生3名の参加が認められた。

 中教審にも臨教審にも、代表としての教員の参加さえ認めない国日本から見ると、フランスの高校生の得たものは、まさにはかり知れないものがある。ここでは高校生は、教育権の客体ではなく、主体である。
日本では大学生すら、大学という施設の単なる利用者にすぎない。
 いくら当局が学生のためにと言いながら立派な校舎、設備を準備しても、そこには学生の決定権は存在しない。
 フランスにおいては、高校生は高校の最高議決機関である管理評議会に代表を送り、教育高等評議会に代表を送るだけではなく、緊急計画においては、その執行に欠かせない存在とまでなっている。
 フランスの高校の動きは、ただちにイタリアにも伝わっている。
 パリで30万人がデモをくりひろげた日の翌日13日には、ミラノで約1万人が、15日にはローマで約1万5千人が、フランスの高校生運動代表の参加のもと、われわれもパリのようにと中学生・高校生がデモに参加、その後もジェノバ、ナポリと動きは広がっていった。

  この一連の授業が終わって、数人の二年生に呼び止められ教室で話した。   

S1 どうして、そうなんだろうね。
S2 だって、日本の学校はフランスに比べれば恵まれてるよ。だから日本の高校生がフランスの高校生のようにはならない。
S1 そういうことじゃないと思うよ。うらやましいよね、自分たちの問題を自分たちの手で解決するってさ、政府まで引っ張り出すんだもん。
S3 人まかせにしたり、人のせいにしてあばれたりしないで今おこってることは何かって考えて、解決へ動いて、学校や政府の責任も追求する。解決に必要なものは何か、考えて要求をまとめる。教育権の主体ってそういうことでしょ先生。
T そうだ、何が必要か、問題か、自ら判断し、決定し、行動する。つまり、政策をつくり実施する能力、これは主権者には欠くことができない。フランスの高校生はそれをした。誰かが、いいものをくれたり、解決したりを待つのは、客体としてしか存在していないことになる。
S2 誰かがやってくれる方が楽でいい。
S1 その誰かが間違ったり、失敗したらどうするの。
S2 人のせいにできる。
S3 だからさ、日本の受験地獄がなくならないのじゃない。
S1 そうだよ。誰かがやってくれるっていったって、その人はもう受験で苦しんでないでしょ、受験競争のおかげで出世している人かもしれない。そんな人がまじめに受験地獄をなくそうって思う?
S3 日本の学校はフランスに比べれば恵まれてるって言ってたけど、フランスでは高校入試も大学入試もないし、学費はかからない。そういうこと ←クリック を新聞は書かないんだよ。

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