信仰と無縁の風は、倦むことを知らない |
開店はるか前のパチンコ屋に早朝からの整然たる行列して一日呆けて遊ぶ、彼らは怠け者なのか勤勉なのか。日本中に一体どれだけの人間がパチンコ屋の前に寒風をついて並ぶのか。
元旦に天皇一家を見ようと集まった15万人は、天皇を敬愛しているのか、珍奇なものを見たい一心だったのか。もし敬愛しているのなら、天皇が沖縄の戦跡に足を運び頭を垂れたとき、彼らは何故大挙して行動を共にしょうとしなかったのか。
共通していることがある。皆がやっているからと、自力で思考判断しないで済むことだ、判断は恐怖を伴う。世間や掟に従って目を瞑る。世間や掟とは多数派である、安心だ。安逸を貪ることが出来る。方向さえ見定めず、流され、長いものには巻かれろ。それを日本の政権は建国以来いつも推奨してきた。挙げ句の果てが、原野や雨林で飢え死にして原爆二発。
どこであれ何であれ行列があれば生真面目に並び、メダルやタイトルを獲得した選手を見るために押し寄せる。彼らは何をしているのか。押し寄せ並ぶ自分自身を確認しているのではないか。多数派であることの心地よい安心感と興奮に浸る。激して涙し絶叫することもある。安逸とはそういうことである。
多数など実在しない。多数に属することが、何故快感なのか疑った方がいい。フジTVに「どっちでしょう」というゲーム番組があった。「朝食はパン派?ご飯派?」など他愛無い問いに応じて分かれる。分かれて多数派になった側だけが残り、少数派は失格する。初めは60人対40人程度に分かれていたのが、最終的には2対1に絞り込まれる。多数派を選び続けるといつの間にか少数になるという逆説がある。誰も何かがどこかが少数派なのだ。個々の事案では少数者である者の束が多数であるに過ぎない。
「『発端に抵抗せよ』と『終末を考慮せよ』というあの一対の有名な格言を私は何度も考えてきました。でも、発端に抵抗するためには、それが発端だとわかるためには、終末が見越せなければならないのです。…ニーメラー牧師は、(御自分についてはあまりにも謙虚に)何千何万という私たちのような人間を代弁して、こう語られました。ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた、と」『彼らは自由だと思っていた』(ミルトン・マイヤー 未来社) ニーメラー牧師は第一次大戦ではUボート艦長であった。ヒトラーが教会を攻撃すると牧師緊急同盟をつくり抵抗。逮捕され強制収容所に終戦まで収容された
「発端に抵抗せよ」とは、tvゲーム「どっちでしょう」程度の軽い乗りのふざけであっても、排他的意図を見極めて疑い抗うことである。
戦後の説教でニーメラー牧師はこう発言している。
「私には罪がある。なぜなら私は1933年になっても、ヒトラーに投票したし、また正式な裁判なしに多くの共産党員が逮捕され投獄された時にも、沈黙を守っていました。そうです。私は強制収容所においても罪を犯しました。なぜなら、多くの人が火葬場にひきずられて行った時、私は抗議の声をあげませんでした」
制服導入への抵抗をためらう教員は少なくない。反対するのは臍曲がりの万年少数派だけだし、生徒の利益にもなると自分に言い聞かせてしまう。導入した以上毅然と検査もしたくなる。服装を揃えても偏差値が上がらずかえって下がれば、髪型や茶髪にも目が行く。生徒の手前今更反対は言えない。職場の和を乱す少数派に転落するのは怖い。少数派には様々な不利益があり、それが多数派への傾斜を強化する。気が付いた時、理不尽な暴力を振るう教師の側で何も出来ない自分に気が付く。ついに傷害事件が起こりマスコミ沙汰になり箝口令が敷かれる。体罰も同じ経過を辿る。どんどん深みにはまる。自己を偽り多数派に近づき支払ったものは余りに多い、多くを支払ったことを考えれば現状を擁護する羽目になる。だつて臍曲がりどもは、いつの間にか職場から消えている。 『終末を考慮せよ』