Best teacher of the year

投獄された教師を返せと押しかけた児童や父母があった
 Best teacher of the yearを選ぶ習慣が欧米の大学や高校にある。小学校や中学校にさえある。その年の卒業生が、最も「優れた教師」をたたえる。学校に於ける主権者は誰なのかを象徴する光景である。
 いくら主権者教育と力んでも、式では皆勤賞や優等賞など学校や行政側の視点だけで生徒を褒める場面が続く日本だ。主権者や主人公に相応しい場面は絶無に近い。
 

 自治体の中にも教育委員会が「best teacher of the year」賞を設けているところがある。教委が選ぶこと自身が不快であるが、その選定の基準の中にいい教師を育てた教師という項目があって暗い気持ちになる。つまり子どもや授業が好きであるとという条件を外して管理職も対象にしている。それがどうしてbest 「teacher」たり得るのか。
   新聞社が主催するものもある。先ず教師が自己推薦して、その中から校長会が審査選定する。自分の授業を自分で褒める神経は戴けない。仮令そう思っていても胸にしまうのがいい。式などでことある毎に古典の引用をしたがる管理職だ、「剛毅木訥仁に近し」を知らぬか。業も生徒も苦手な教師の逃げ場としての管理職に救いを求め、「行政の末端」自認し胸を張る者がいい教師を選ぶとは噴飯ものである。新聞社も詰まらぬことを続けるものだ。こんなことで取材情報源を確保するから碌な記事が書けない。
 

 藤野厳九郎は、仙台医専が帝大医学部に昇格すると辞任、故郷で開業した。魯迅は革命成就に立ち会えなかったが、革命後北京医大が藤野先生を教授として招こうとしたことがある。断っている、それでよかったのだと思う。お陰で魯迅も藤野先生も双方の国で敬愛され続けている。教師の消え方には美学がある。

 あるとき、生徒が廊下で僕を捕まえて「先生の授業、逆らって噛み付きたくなる、イライラするの」とえらい剣幕だ。

 「でも逆らえないのよね。言い出す言葉が見つからない。もう腹が立つ」という。
 「楽しそうに言うね」
 「そう、そうなの、このイライラが楽しいの、アハハ」と手を振りながら廊下を駆けて行った。

 敗戦直後の旧制中学生も、このような「腹の立つ噛み付きたくなる」ような気分の中で既成概念を解体したのではないだろうか。

 ある生徒は「先生の授業はいつもチャイムで突然終わる、中途半端で落ち着かない」と答案用紙の裏に書いていた。聞けば
 「普通、話には起承転結があるでしょう。先生の話は起の次にいきなり転が続いて結なしに突然終わったり、突然転から始まってそのまま切れたりする、落ち着かないんだ。どうなるんだどうなるんだって。イライラしたりモヤモヤしたりする」
  「困ったな、起承転結付けた方がいいかな」
 「駄目、駄目、中途半端なモヤモヤのお陰で次が待ち遠しくなる。授業が始まるとホッとするんだから」
  「まるで紙芝居だな」・・・紙芝居作家はそれを営業上やむを得ず意図したのだが、僕の場合はいつの間にかそうなってしまう。美的でない、腹が立って当たり前だ。

  つくづく、面白く難しいものだと思う。
高校生らしさを感じる瞬間である。中学生や大学生ではこうはならない。高校生には僕の授業の欠陥を、自力で埋めようとする意地がある。説明のつかない不安を楽しむ大胆な逞しさがみえる。中学生は、その逞しさが未だ芽ばえず、大学生のそれは枯れかかっている。
 我々の高校生はどんな教師をbest teacher of the yearに選ぶだろうか。教育のために献身し追放された先生を選び讃える覚悟が芽生えるだろうか。

 時代の空気も土壌も、少年たちに覚悟の芽が出るのを許さない。
   1933年の二・四事件では長野県だけで600名余りが検挙された、容疑は治安維持法違反。うち教師が230名、「教員赤化事件」とも呼ばれた。その多くが自由主義教育を掲げる優れた教師で、子どもや保護者たちかの信頼は厚かった。先生をを慕う生徒たちは「同盟休校」し、警察に先生の解放を要求する動きもあった。長野でも東北でも沖縄でも、Best teacherは真っ先に暗い時代の抵抗者となった。

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