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 承前 「奇妙な写真」←クリック

 「給料はあたいが手に触れんうちに爺さんが直接受け取っせな、そんまま直さんに送いやったが・・・」笑いながらそう話したのは、父の妹にあたる叔母である、彼女は女学校卒業と同時に勤めた銀行の給料全額を、数年にわたって父に送金した。爺さんとは父の父である。


 叔母が恨みがましいことは何一つ言わず、まるで懐かしい思い出を語るようであったのは、父に対する「畏れ」であったのだろうか。「トメ婆さんは生きとった、直さんが一人で付き添っせーなぁ」と言葉が喉元まで出ていたのではないだろうか。叔母は父を「兄」とは決して呼ばずいつも「直さん」と呼んだ。不思議な距離をおいている。僕を実の子である従兄弟たちと区別なしに可愛がってくれた叔母である。


 トメ婆さんは頑固にハンセン病療養所送りを拒んだ。「どげんしてと言やいやるなら、こん子ば連れていく」と中学生になったばかりの父を抱きしめて離さなかったのではないか。それほど祖母は長男の父を可愛がり、父は「母さんっ子」であった。

 漢文と数学が滅法得意で自宅にも同級生を呼んで教え、自他ともに大学進学を目指していた。しかし生家は士族とはいえ所詮芋侍の末、子沢山で子どもを全て県立中学や女学校に通わせ、家計は楽ではなかった。だから父は授業料の掛らない高等師範学校から文理大学に進学する積りであった。しかし高等師範は広島と東京にしかない。療養所のある熊本には第五高等学校と熊本高等工業学校。しかも高等工業からハンセン病療養所菊池恵楓園までは熊本電鉄で僅かである。父はトメ婆さんと家のために人生を半分捨てたのだと思う。祖父は出来のいい長男を捨て養子に出し、家督を相続したのはトメ婆さんの血筋とは縁のない叔父になった。


 父が熊本を去る決断をしたころ、僕を連れてある映画を見に行った。見終わって繁華街のアーケードを歩きながら僕にこう問いかけたのだ。「今の映画の題名の意味はわかったか」このころ父はたびたび洋画に僕を連れ出した。「無防備都市」や「自転車泥棒」が印象に残っている。「無防備都市って何ね」と僕は聞いた。父の説明は丁寧だった。

 父が問いかけた映画は「4/7」だった。その日僕は映画館の闇の中でこの不思議なタイトルの意味を考え続けていたから、咄嗟に「半分よりちょっといい」と答えた。父は「うん」と頷いて僕の手を曳いた。

 人生の「3/7」を彼はここに埋めた。それは引き返せない青春である。だが、それは「2/7」や「1/7」で終わる可能性もあった。ハンセン病はたやすく回復したり長生きするものではなかった。


 東京行き急行高千穂が、海底トンネルを抜けて暫く夕闇の中を走ると、後ろに門司進行右手に海が開ける。 窓側に僕と妹を呼んで父はこう言った。「あれが九州、見納めだ」                              

 洞海湾を跨ぐ若戸大橋着工の1958年夏てあった。戸畑側の事務所で当時東洋一と呼ばれた橋の測量と設計に明け暮れた父は、着工とともに事務所を東京に移した。この57年~58年は誰にとっても文字通り疾風怒濤の一年であった。 続く

ひとりとみんな

  学校は「君たちは選ばれた特別な存在だ」と若者を扱うべきだろうか。  名門大学受験特別コースが売りのある大規模高校では、特別コースクラスには、冷房完備絨毯敷き詰めの校舎と特別待遇のベテラン教師が割り当てられた。

 それとも「彼らに与えられるものは君たちにも保証する」と言うべきなのか。後者の場合は、闘いを伴うことになる。「彼らにないものを、我々はどう考えるべきか」と問うだけでも相当に顰蹙をかう。

 不都合な現実を曖昧にしたままとぼけて、厄介事から身を隠しているのではないか。「公」教育がそれでいいのか。

 多分彼らは卒業どこかで交じり合う、違いは滲み出る。その時「奴らは特別なんだ」と、行儀よく諦めたり優越感に浸ったりする。それが世の中さと問題を先送りにする・・・それは程度の差はあるが、ユダヤ人・朝鮮中国アジア人差別に繋がっていないか。「ダーバン宣言」から日本全体が逃げている。嫌なものは見なかった知らなかったことにする歴史的習性を培っている。


  「一人はみんなのために、みんなは一人のために」は掛け声に過ぎないのか。 ラグビー精神や人間ピラミッドの理念として語られるが、その中ではチーム以外の個人が視野にありはしない。

枠外にある者を敵視さえする。「「一人はみんなのため」は「一つの目的」のため」になっている。一つの目的とは達成や勝利である。ナチスは「一つの目的」の代わりに「一人の総統」を、大日本帝国は「現人神ヒロヒト」を据えて酔い痴れた。左の画像は「みんな」の実態を捉えている。この時現人神は防空壕に身を隠していた。


 北朝鮮の憲法第63条は「朝鮮民主主義人民共和国において公民の権利と義務は、『一人はみんなのために、みんなは一人のために』という集団主義の原則に基づく」と規定している。みんなとは誰なのか、一人とは誰なのかをよく示している。酔い痴れる材料としての「みんな」と「ひとり」。

 部活でも「一人はみんなのために、みんなは一人のために」はよく聞く言葉だ。その無内容さは、「北」憲法規定といい勝負である。


   前出の大規模高校の大部分は、一般コースであった。授業料は同じなのに待遇は雲泥の差、それでも生徒たちは「彼らは特別、彼らのおかげで学校全体が有名になれる」と満足していた。学校内だけを見れば、全てがwin-winの関係だと見紛う。


 「部分=ひとり」の利益を「全体=みんな」の利益に、限りなく近づけることは不可能ではない。例えばコロナワクチン製造を私企業から切り離して国際管理の下に置くことによって、最貧国でもワクチン接種が可能になる。その一歩として製薬を国営化した国も既にある。

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...