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「小さな町」の「なべて貧しい人々」の「矜持」

 

「二時間後にタンタを去るとき、私の心は快く温まっていた。タンタでの二時間は、エジプトでのもっとも充実した時間であった。

 まず、帰りの切符を買おうと、例の紙片を持って窓口を探す。外国人の訪れない駅だからローマ字表記など一切なく、すべてアラビア文字ばかりである。うろうろしていると、そのあたりにたむろしていた一人が案内してくれる。13時13分発の指定券は満席で、15時47分発のしかなかったが、無事に帰りの切符が買えたので、チップを渡そうとすると、手を振って受けとらない。

 駅前の露店をプラプラしていると、私に全然わからない言葉で話しかけ、タバコをすすめる男に出会う。自分について来いという身振りをするので、不安を覚えながら後に従うと、モスクがあって、彼は自慢げに説明する。もちろん何を言ってるのかわからないが、それでおしまいで、駅へ戻ってくる。案内料をくれといった素振りはまったくない。

 駅のホームに布を敷いて母子らしい二人がパンや菓子を売っている。一EP紙幣を出してパンを買う。・・・釣銭は硬貨や小さな皺くちゃの紙幣が一握りほどもある。数えるのも面倒なので財布に押しこみ、ベンチで固いパンをかじっていると、さっきの店の男の子が走ってきて、何やら言うと、私の掌に小さな硬貨を三つ押しっけていった。釣銭の計算をまちがえたので、追加分を届けに来たのである。」 宮脇俊三 1981年『週刊文春』


 旅行作家はエジプトの汽車に乗る企画でカイロを訪れた。

小さな町には共同体が残っている
だが、外国人向け現地旅行社の横柄且つ官僚的な対応のおかげで、アレキサンドリアに行く機会を失ってしまった。不快な気持ちで時間つぶしに歩いたのは、小さな町「タンタ」であった。古くて小さな町タンタには連帯する共同体=コミュニティが成立している。日本の自治体は無闇に合併を繰り返し巨大化して、共同体=コミュニティとしての機能は無いに等しい。

 この作家を訪れた偶然の経験は、本編の鉄道乗車記より面白い。文化人としての作家が「旅行記」を書くのに、その舞台設定を他人に任せる。現地旅行社には雑誌社を通して日本大手旅行社経由で話をしている。そこに生まれる大名旅行が面白い筈がない。ガイドと運転手付きの『旅行』に安心する悪癖は、一切他人任せの修学旅行と遠足に起源がある。自分で決断しない・させない行動は、個人の倫理感を惹起させない。「旅の恥は掻き捨て」意識はそこから生まれる。

 小さな町の物売りや少年たちのさり気ない行為が、自立した個人に見えて頼もしい。

 しかし我々の日本の自治体は、決断と連帯を産まない構造になっているからだ。身分や上下関係で動く社会に横に拡がる連帯は生じない。命令と忖度と賄賂が幅を効かせる。面白い訳がない。教師と親に依存した「部活と生指と偏差値」の少年時代を過ごす人間に、他者に共感し連帯する世界観は生まれる筈がない。格差が一切を破壊する。  

 小さな自治体には共同体=コミュニティが成立しやすい。貧しい人々に判断する市民としての矜持が満ちているのなら、「豊か」になるのも大きくなって競争に勝ち抜くのも考え物だ。

「異議申し立て」の方法や思想を新たに

  アガサ・クリスティの作品や「シャーロック・ホームズ」を読めば、作品中に貧しい労働者が主人公として描かれることはない。貴族や名士と植民地での怪しげな略奪で財をなした者たちの相続を巡る殺人事件が描かれる。

 物語の遺産の殆どすべては、帝国植民地からの暴力的略奪による。貴族や名士たちの身分は、その略奪の巧みさによっている。「略奪」された植民地側の抗議=異議申し立てには、ポアロの灰色の脳細胞やワトソンのpenも弱々しくほぼ無関心。


    事件解明の主題は「植民地での帝国の怪しげで暴力的略奪」ではない。略奪され側の怒りや涙も描かれない、英国市民の誰がもっともらしい相続人なのかだけが問われる。豪華な列車や客船もホテルも登場人物の華麗な生活を飾る舞台装置でしかない。それらの費用の源泉や労働の担い手が考察されはしない。古代遺跡発掘を巡る利権争い殺人でも、埋蔵文化財の所有権関心が向くことはない。正当な所有権を持つ植民地政府は宗主国家の傀儡でしかなく、所有者たる民衆は怪しい言葉の発掘労働者や偽物を略奪国家英国人に売りつける無頼な輩としてしか設定されない。

 アガサ・クリスティの作品や「シャーロック・ホームズ」が絶大な人気を保ち続けるのは、大英帝国への「異議申し立て」そのものが存在しないかのような世界観で成り立っているからだ。

 我々が日本や米英のマスコミ報道を手放しで肯定するのは、我々の世界観が歪んでいるからでは無いか。異議申し立て不要の同調圧力に屈しているからではないか。人も組織も己のやましさを隠そうと正義面して、殊更他者の悪をあげつらう傾向がある。


 第三世界の地下資源は誰のものか、水は誰のものか、森林は誰のもの現地現地国民共有であり不可侵ではないのか。ところが国有化を宣言した国は悉く米や英や仏に国家転覆の攻撃をかけられている。キューバ・ベネズエラ・チリ・シリア・イラン・パナマ・ベトナム・・・枚挙に暇がない。対してこれらを専有する「法人」の所有権は、その株主の特権とともに幾重にも守られているのだ。


 ウクライナ攻撃のロシアに対する経済制裁を正式に「拒否」した国は・インド ・中国 ・メキシコ ・サウジアラビア・アラブ首長国連邦 ・ベネズエラ ・トルコ・エジプト・イラン・ドイツ・ハンガリー・セルビア・アルゼンチン・ボリビア・エルサルバドル・ウルグアイ・・・

 ウォールストリート・ジャーナルによれば、サウジアラビアは、「アメリカ大統領からの電話を受けるのさえ拒否した」と伝えている。

 アラビア半島の国々は、パレスチナに限らず英国の「三枚舌外交」で煮え湯を飲まされている。対ロシア経済制裁を懇願する米大統領の電話さえ断った気持ちはよくわかる。

 対して対ロシア制裁に加わっている国は・アメリカ・欧州連合・スイス・イギリス・カナダ・チェコ共和国・オーストラリア・ニュージーランド・日本・韓国・台湾

  米英仏+NATOとウクライナが孤立しているのだ。

 ベトナムが北爆と枯れ葉剤で攻撃されているとき、チリのアジェンデ政権がciaとピノチェト将軍の大量虐殺と専制支配に泣いている時、パナマ運河の国有化を阻止するために米軍がこの小さな国を爆撃した時、辺野古の埋め立て地に新たな基地建設が詐欺的手法でされている強行されている今、一体どの国のTVや新聞が連日数時間おきに報道したか、しているか。

 かつて米国支配下の米州機構で、キューバは徹底的に孤立していた。しかし今、米州機構内では米国が完全に孤立している。


   ロシアに対する「異議申し立て」には、莫大な資金と国家・国際機関が動員される。ベトナムやチリなどが米国の攻撃を受けているとき、国際機関は機能しなかった。抗議は弾圧下の絶望的環境の中で行わざるを得なかった。我々が知るべきは、報道から隠された部分である。よってたかって繰り返しTVに登場する事柄こそ疑わねばならぬ。

  「異議申し立て」を禁じられた部分の再現こそ、世界の総体的理解に欠かせない。

 イラク・マアルーマ通信は「アサイブ・アフロルハック(正義の連合)」の政治局員Saad Al-Saadi氏が、演説の中でウクライナ戦争をめぐる国際社会、中でも国連や安保理の態度について言及し、「ウクライナに対する国際社会の態度は、イラクが米国により占領されてインフラや安全保障システム、あらゆる経済活動を崩壊させられた時にとられた態度とは、完全に異なっている」・・・「この態度の違いは、国連や安保理が国際社会の一員たる諸国に対し、同一の基準で対応していないことを証明するものである」・・・「安保理は、イラクの旧バアス党政権が1991年にクウェートに侵攻した後、イラクに対して、520億ドル以上の賠償金を国民の糧食となるべき国の資産から支払うことを強いた。国際社会はこのことから、イラクのインフラを荒廃・崩壊させた理由で米国に制裁を課し、全ての者に同一の基準で対応を取るべきである」と述べたと伝えている。

  イラクにはいかなる大量破壊兵器もなかった。従って米英のイラク侵攻は恐る大量大量殺人・国土破壊・文明破壊であり、殺人罪と賠償と経済制裁の対象である。彼らは自らの犯罪を、まず総括しなければならない。そんな国に他国を非難し、異議申し立てする資格は無い。


  さてここからが本題。少し前僕は荒れる高校生を擁護して、「荒れ」は授業を忘れた学校管理体制への「異議申し立て」であると書いた。誇り高い高校生たちは、ガミガミ叱られるだけの些末な取り締まりに反発する。負けたくないからツッパル。高校生が突っぱれば突っほど、教師の取り締まりはエスカレートして、授業は忘れられた。

 今ツッパル高校生は殆ど姿を消した。しかし学校は授業に回帰しない。新たな取り締まりを頭髪や下着の色に見いだしたからだ。それも無くなれば授業に専心するだろうか。ことをことを許すような管理体制では無い。学校の偏差値を上げる企てを管理職や教委に上申するのに鎬を削らされる。部活と受験対策と行事に忙殺されて過労死に向かっている、相も変わらず学校は授業に回帰しない。「異議申し立て」はかくも無力なのか。秩序への従順さを受け入れさせる管理技術だけが高度化し続ける。

  「異議申し立て」の方法や思想を新たにしなければならない。いつまでも学校は授業に回帰しない。教師は忙殺され続けるのだ。

 教師自身が、授業を求めて「異議申し立て」に向けて自己組織しなければ教育が死ぬ。学校は既に死んでいる。

高校生たちの「荒れ」は「授業から逃亡する教師」への異議申し立てだった。

  承前 「校則強化肯定に潜む「因果関係」捏造」

  「・・・校則の厳格化や教諭らの指導が進む中、数年で生徒たちの行動も落ち着き始めた」「毎日新聞」(2022.02.16夕刊)と強弁して 、厳しい校則の効果を強調する論調は悲しいほど強い。

 しかし必要なのは、生徒管理に都合のいい現象を自らの取り組みに無理矢理結びつけることではない。表現の術を悉く奪われた荒れる少年たちの立場に立つことではないか。

 彼らの「荒れ」は校則で落ち着いたのではない。生徒たちの「荒れ」は、授業を忘れた学校への「異議申し立て」だった。異議申し立てを正面から受け止めた例は極めて希だ。いくら申し立てても、教師たちは聞く耳を持たなかった。

 疲弊した少年たちに広がったのは、「厳しい校則への依存」だった。

 アルジェリア独立革命を思想的に支え続けた精神科医ファノンの言葉がここでも有効だ。

  「植民地の民衆とは、その進化が停止し、理性を受け入れず、白身の事柄を処理できず、指導者の永遠的存在を求めている民衆である」 フランツ・ファノン『なぜ我々は暴力を行使するのか』1960年


 「因果関係」を「荒れ」と「秩序の欠如」の間に見い出す安逸な惰性が、如何に学校を堕落・停滞させたかを考えねばならない。「厳しい校則への依存」=指導者の永遠的存在への依存は、生徒だけの問題ではない。親にも教師にも行政にも広がったのだ。ファノンはこの屈辱的状況をこそ植民地的と呼び、独立への戦いを組織した。  

  

 90年代半ば、山手線に近い都立B高校定時制課程が荒れていた。生徒たちは校舎や校庭にバイクを乗り入れ、教室や廊下で花火、校庭にもたばこの吸い殻や菓子袋が散らばった。切っ掛けは校舎改築だった。教師たちは建物を可愛がった、壁にテープを貼るな、落書きをするな。建物が新しいから少しのゴミでも目立つ。口うるさくなる。生徒と校舎どっちが大事なんだと荒れる。近所からの苦情は絶えず、対策に追われて職員会議は週二回が定例。教員は疲れ果てるが為す術がない。

 ところが思い掛けない事で事態は一変する。夜間中学を卒業したお婆ちゃん数名が、勉強を続けるために入学したのである。

 彼女たちは、荒れる高校生に一瞬たじろぐが「なにしてるの、学校は勉強するところでしょう」と言いながら、教室に入り教科書とノートを広げた。数日の間に花火は姿を消し、静寂が訪れた。荒れ狂ったツッパリ達がおとなしく鉛筆を握ったのである。教師達が束になって説得し脅しても駄目だったことが、あっさり解決した。何が違うのだろうか。

 教師は、~するなと言う。命令である。お婆ちゃんたちは、~すると宣言し実行した。荒れるツッパリとその同調者だけで構成された均一の空間に、異質のお年寄りが加わることで突然起きる根底的変化、それが革命である。

 B高校定時制課程には、花火とバイクの日常があったのではない。学校の日常としての学習が無かったのである。式や行事と口やかましい清掃はやたらにあるが、日常としての学習は続かない。テストやオリエンテーションで芸術鑑賞など行事で呆れるほど中断される。退屈しないように、生活にメリハリを付けるとの御託であったが、退屈するほど淡々としているのが日常である。長閑で欠伸が出るのが極楽ではないのか。お釈迦様が欠伸をするほど長閑で退屈だから、蜘蛛の糸を地獄に垂らしてみたのである。それが日常である。それが無ければ、脅しても説得しても甲斐はない、彼らは何をすればいいのか分からない、しかし校舎が生徒より大切という教師たちには我慢がならないのだ。教師たちは、勉強しろと説教するのは得意だが、自ら勉強するのは何より嫌いなのだ。

 花火やバイクは少年たち自前の行事なのかも知れない。であれば、自前の手本で示すに限る。


 高度成長期、企業は気前よく泊まりがけの社員旅行を奮発した。海外も珍しくない。中でも人気はタイと韓国への買春ツアーであった。日頃国内では世間の目・世間体や社則に縛られ礼儀正しい筈の日本社員達は、飛行機のただ酒で酔い、ホテルロビーに着くや大声で「おんなはどこだ、女」と叫ぶ。彼らは日常を切り離して会社に置いてきた、その程度の世間であり常識であった。安手の日常が無ければ When in Rome do as the Romans do である筈だが、そこはローマでもロンドンでもない。アジアへの上から目線で、ここではカネが全て、日常も常識も要らない無いと決めてかかる。情事の後、ホテルのロビーに寝間着で繰り出し喚き歌い倒れる。一人ではやれない。成田に帰り着いた途端、常識や社則に復帰、「やっぱりみそ汁だね」と一等国意識に浸る。取り外しの出来る消費財としての日常・常識。男達だけではない、遅れて若い女性や主婦達が「男、オトコ」と海外リゾートで嬌声を挙げたのである。

 カントもこれが20世紀も後半の大人のことと知れば仰天するに違いない。中学生までは規律や道徳の規準は仲間集団にある。それが青年・高校生に成長するに伴い、道徳律は個人の内面に移り自立する。「たとえみんなが~しても僕は~しない」と。他者の異質性を容認擁護する覚悟はこうして芽生える。しかし我々の日本社会では、内なる道徳律は依然として確立困難。藩の掟、村の掟、家の掟、内務班の掟・・・が内なる道徳律の成立を妨げた。今、校則と部の掟そして会社の掟が青年の倫理的道徳的自律を妨げる。日常とは多様な個人が、コモンセンスによって合意する領域である。 違うことが、選別や憎しみの根拠となるのではなく、平等の前提となる。


 偏差値が異なることが選別の理由であり差別の根拠であると見せつけられた高校生が、「底辺」とは造られた体制と感じ、それを理不尽と捉えるのは知的成長の証である。荒れる怒りは、選別の体制仕組みに向けられねばならない。怒りが学校や教師に向けられるのは、選別体制の最前線と見なされたからであり、まさに文科省・教委の教員管理はそのように仕組まれている。善意で熱心であるほど生徒は荒れる。荒れる生徒を根拠に、行政は組織実態の無いに等しい教員組合を攻撃、教員教員の管理を強めるというわけだ。その点でも「底辺校」は選別体制に欠かせないものとなっている。

     

 B高校定時制に突然現れた「学ぶ」おばあちゃん達は、見かけも年齢も価値観も生活歴も全くの異質であった。中には民族や言葉の異なる場合もある。ツッパリから見れば他者。仲間内の掟が闊歩する言葉を要しない均質社会に、コモンセンスが浮かび上がらざるを得ない。冷静に見れば、おばあちゃんの存在は、あんこの中の僅かの塩にも似ている。教師は生徒が毛嫌いする饅頭を、旨いぞ旨いぞと手を変え品をかえ砂糖を増やすばかりであった。飽きるように怒りが込み上げるように工夫を凝らして無駄に消耗する。

 思いがけない展開で、B高校定時制は職員会議を減らし、やがて二週間に一度に変えた。こうして高校定時制の生徒も教師も学校の日常を発見したのである。

 

 学校は生徒の中にも教員の中にも、異質な他者を具体的に含む事で、普遍的健全性を実現するのだと思う。困難校の厄介で気の滅入る困難も、異質の他者性を回復することで容易く消える筈である。


 スーパーサイエンスハイスクール如きを賞賛すれば、その対極にB高校定時制同様に荒れる学校が必ず出現する。さもなくば社会全体が、厳しい校則への依存症に感染する。「総合学科」、単位制高校、特色ある学科、公立中高一貫教育校など高等学校の多様化・特色化が一気に進んだのがB高校定時制課程が荒れ始める少し前、90年代である。

 学校の日常は平凡に長閑に学ぶことを核に構成されねばならない。そのためには選別を排して、雑多な社会を教室に職員室に再生する必要がある。スーパーサイエンスハイスクールや底辺校の日常が個別に存在するのではない。それは教育の非日常なのだ。


  もう一度言う。「厳しい校則への依存は、生徒だけではない。親にも教師にも行政にも広がってしまったのだ・・・国会にも。

  「なにしてるの、学校は勉強するところでしょう」は教師にも向けられている。

校則強化肯定に潜む「因果関係」捏造

 かつて東海地方の中学校管理職がシャープペンシルを禁じた。「シャープペンシルは重いから頭が悪くなる」と言うのが彼の理屈であった。

 東京のある女子校で、遅刻三回で退学という校則を作った。見事「遅刻」する生徒はいなくなった。これをこの学校は、生活指導の成果と説明した。

 学校管理に潜む都合のいい「因果関係」捏造は絶えることがない。


 「因果関係」捏造は霞ヶ関の十八番だった。厚生行政は、「絶対隔離のおかげで日本のハンセン病は消滅に向かった」と言い続けた。それが業界の利益を守るからだ。

 その醜悪な政策を支え続けて来た「日本らい学会」のあまりにも遅い自己批判が有る。引用する。  

 ・・・最も確かな統計とされる徴兵検査の際に発見されたらい患者、・・・の年次推移は、1897年から1937年にいたるまでに、急速な減少・・・を示している。・・・疫学的に見たわが国のらいは、隔離とは関係なく終焉に向かっていたと言える。つまり、このような減少の実態は、社会の生活水準の向上に負うところが大きく、伝染源の隔離を目的に制定された「旧法」も、推計学的な結果論とはいえ、敢えて立法化する必要はなかった。・・・

 ハンセン病治療は、当初から外来治療が可能であり、・・・特別の感染症として扱うべき根拠はまったく存在しない。・・・

 「現行法(らい予防法)」はその立法根拠をまったく失っているから、医学的には当然廃止されなくてはならない。・・・

 隔離の強制を容認する世論の高まりを意図して、らいの恐怖心をあおるのを先行してしまったのは、まさに取り返しのつかない重大な誤りであった。この誤りは、日本らい学会はもちろんのこと、日本医学会全体も再認識しなくてはならない  1995年4月22日 「らい予防法」についての日本らい学会の見解 第68回会長 中嶋 弘

 全生園園長を務めた国立ハンセン病資料館長成田医師は、更に言う。                                  

 「はっきりといってわが国の癩対策は、予防的効果において自然減を越えたとは考えられず、癩による災いを本質的に取り除いたわけでもないから救癩でもなく、それに産業系列から生涯隔離したのでは救貧にもならない・・・療養所の医療は・・・はっきりいえば、、多くの患者はまさに見殺しにされていた・・・」 


 ・・・ハンセン病を「ペスト並みの恐ろしい伝染病」と脅威を捏造宣伝し、実体のない恐怖を煽り立てただけでも大罪である。事もあろうか、捏造した恐怖を根拠に、有無を言わさず患者を収容、全患者絶滅に向けて強制労働を課し、劣悪な衣食住環境に放置、治療を回避、尊厳も命も奪った。償いようのない未曾有の犯罪であった。世界の非難を浴び続け、世界に遅れること数十年、漸くにして隔離の無効性と間違いを、その専門医が「自己批判」した。1995年4月22日、余りにも遅いのである。彼らが謝罪すべき人びとの多くは、すでに惨めな死を強制されていたのだから。

 日本のハンセン病行政に、国際的な医療技術・理論・思想に謙虚に学ぶ姿勢さえあれば、日本のハンセン病者にはまったく異なった人生があったことは疑いない。らい学会自己批判がそれを明確に語っている。

 奪われた数万に及ぶそれぞれの、強いられた人生とあり得た人生を、想像しなければならない。

 隔離は死亡率の高い急性感染症だけに適用される。ハンセン病は急性ではなく、感染力も死亡率も極めて低いのである。感染症の隔離には、相対隔離と絶対隔離がある。相対とは条件付き、絶対とは条件なしということである。前者が例えば、自宅隔離を認めたり、治癒後は退院を認めるとか、家族生活や家族による看病を認めたりするのに対して、後者は本人の意志に係わりなく例外なく終生隔離するのである。日本では始め「浮浪癩」を対象にしたが、政策考案者光田健輔は当初よりすべての患者隔離を目論み、やがて実現させてしまう。                        拙著 『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』地歴社刊


 絶滅隔離とハンセン病消滅の間に因果関係はない。栄養状態や住環境など生活環境向上がハンセン病を絶滅に向かわせた。結核とツベルクリンの関係も同様、業界に都合のいい辻褄合わせに過ぎない。


 画像の毎日新聞記事は、「・・・校則の厳格化や教諭らの

「毎日新聞」(2022.02.16夕刊
から切り取り
指導が進む中、数年で生徒たちの行動も落ち着き始めた」ことで 、厳しい校則の効果を強調している。

 我々に必要なのは、都合のいい現象を自らの取り組みに無理矢理結びつけることではない。生徒たちの「荒れ」は校則で落ち着いたのではない。生徒たちの「荒れ」は、授業を忘れた学校への「異議申し立て」なのだ。ここでは「因果関係」を「荒れ」と「秩序の欠如」の間に見いだすことが、如何に学校を堕落・停滞させたかを考えねばならない。

 厳しい校則への依存が、生徒にも親にも教師にも行政にも広がっていることに気づく必要が有る。我々は少しも歴史に学んでない。  

  「植民地の民衆とは、その進化が停止し、理性を受け入れず、白身の事柄を処理できず、指導者の永遠的存在を求めている民衆である」 フランツ・ファノン『なぜ我々は暴力を行使するのか』1960年

 90年代半ば、山手線に近い都立B高校定時制課程で起きたことを次回例示する。

追記 ハンセン病を「ペスト並みの恐ろしい伝染病」と光田健輔とともに宣伝し恐怖を煽り立てた渋沢栄一が新しい一万円の顔になる。日本の過去から都合のいい側面だけを抜き取る風潮は危険だと思う。

誰が「候補者」の質を見極め、鍛えるのか

 「市民たちはいま、候補者の質を見きわめようとしているんです。同時に候補者を鍛えようともしているんですね。このような市民集会は、市長選までに何十回となく持たれるでしょう。そのたびに候補者は市長にふさわしくなっていくわけです。なによりも、現市長批判派は右から左までいろいろですから、こういう集会の討論を通して連合していくわけです。そうして集会で一致するところを見つけては、それを公約にしていく・・・」    井上ひさし『ボローニャ紀行』

 これは立候補予定者を市民が作り上げる過程を見学中の井上ひさしに、ボローニャの通訳が語った「解説」。この「候補者の質を見きわめる」過程に数年かかる事もある。その粘り強さが、ファシズムとナチズム二つの敵と闘ったパルチザン闘争を産んだ。

 井上ひさしはこの時、「イタリアは国貧しけれども民豊なり、日本は国豊かなれども民貧しけりですね・・・」と呟いたとこの旅行の同行者は伝えている。今、日本のほうが遙に貧しい。


 ボローニャは靴も有名。靴屋では二か月掛かると告げられる。了承すれば足の木型を作る。それに合わせてまず片方を縫い上げ一週間歩き回らせる。そして微調整を加えながらもう片方も作るという。ワイシャツだってそうだ、出来合いを袋に入ったまま買うなんて考えられない。家だって何世代も住むのだ、建築家や大工や近隣との対話は欠かせない。それが自治的共同体をつくる。

 「討論する」とは何か。靴やシャツを討論する。住宅と討論する。だから街づくりや制度作りだって、じっくり討論する、それが自治における主権者の在り方だ。民主主義は「面倒」に決まっている。選挙に勝利する為には、元来は互いに矛盾するかのような要求を討議する中で、一致点を見出す必要がある。多様性を損なわないのでなければ「団結」とは言えない。

 日本財団の調査によれば、投票しない理由に「面倒」をあげる18歳は51%もいる。

 政党が、圧力団体が、宗教団体が、利権団体が「候補」を身内で決めていることに問題がある。

 ボローニャのように「候補」を育て鍛える集会が、地域ごとに日常化する共同体を先ず作り上げる。そんな共同体からは、無免許運転を繰り返す者や挨拶文や議会質問文を官僚に作文させる者は、候補になる前に淘汰されるだろう。どの党派との連合がその共同体で最も相応しいかを見極めるのも「討論」の積み上げでなければならない。

 何処か自分たちと無縁の組織が決めた組み合わせを押し付けられるのは、主体ある市民には心地よくはない。ある地域が特定の党派にとって「空白」であったとしても、その共同体は決して空洞ではない。必要なのは当該共同体による自己組織化であって、他地域からの移植であってはならない。

 自然の生態系は地域ごとに多様であって、画一的景観も画一的食事も根付かない。各共同体ごとの地域の多様な自治体が、先ず少数者たちの討論を積み上げ、共同体の未来像とともに候補が鍛えられるべきなのだ。立憲・共産・社民・れいわの合意は、こうした地域ごとの討論を基盤にしてこそ更に広がる可能性を秘めている。それは最も過酷な試練と闘い続けている沖縄か典型を見せている。 

20ヵ月に及んだパルチザン闘争には 25万人が参加。死者は3万 5000人以上、
虐殺された市民は1万5千人に達し、その多くが婦人と子どもであった。
ユダヤ人部隊も勇敢に闘った(右画像)


これは差別ではないのか

  「・・・特別支援学校」や「・・・中等教育学校」と、学校の種別を表示する理由は何か。何故他の学校と同じように ○✕市立第八中学校  などと書かないのか。地域名と番号で十分ではないか。例えば市立二中が所謂「普通」で、市立五中が所謂「障害児学校」であって何の差支えがあるのか。いずれの学校も憲法に基づく国民の権利としての教育を任務として、平等でなければならない。本来同じであるべきものを違うと言う、これが差別である。

 「偏差値」で上位にある学校は、何かにつけて都合のよくない生徒を排除して「賢く健康な」生徒を囲い続けてきた。「偏差値」で上位にある学校の対極には、都合のよくない生徒たちが集積されそれ以外の行き場はない。

 差別がないのならまだしも様々な偏見に取り巻かれて、障害のあるなしを学校の壁に大書するのは、生徒の服や鞄に「・・・特別支援学校」と書くのと変わらない。


ナチスが「ダビデの星」を服にも店にも強制したことを思い出させる。もし学校の偏差値を色別のバッチにしたら、どうだ君は付けるか。

 特別支援学校生が、自宅近くの小中学校にも籍を置き、地域の一員として学び合う制度がある。

 普通の小中学校生にとっても、障害や多様性への理解が深まると教委は自画自賛している。嘗てのように公選制教育委員会を置き、どのような学校形態が名称が相応しいか地域全体で議論すべきである。その為には自治体を欧州並みに小さくする必要がある。日本のように合併を繰り返した数十万の自治体では地域性は消え、効率だけが追及される。管理統制する側からは、学校種別名称は細かいほど便利に違いない。

  老人ホームの名称も、一目瞭然いかにもそれと分かる名称が付けられている。例えば  // 介護老人保健施設 ほほえみの里 // 特別養護老人ホーム ふれあい荘 // すこやかホームゆうゆう //  有料老人ホームシルバー  // ケアハウスかがやきの郷//・・・それだけではない、外見も巨大な墓石のようで画一的。

   ある「高い」有料老人ホームの名称が、「・・・倶楽部」と地域名だけになっているのを見かけたことがある。気持ちが和んだ。何故地域名だけではいけないのか。地域の歴史や文化を生かした独自の建物を建てないのか。緑地公園や河川を周りに配したものがないのか。国の責任で運営する国々の施設の方が余程個性的で環境豊か。 

 国も自治体も責任を放棄、民間の有料施設に依存している日本が画一的なのは皮肉なことだ。民営とは「自由」や「多様性」を意味しない。立地も建設費も極限にまで切り詰めれば却って画一化する。『姥捨て山』の方が立派に思える。


 旅行中「芸術家の家」とだけ小さく書かれた施設を見たことがある。興味を惹かれて中に入ると、老人たちの演奏が玄関や廊下に響いて年寄りが楽しく談笑していた。絵を書く人もあった。退職者のホームだった。豊かな国ではないのに重厚な外観、立派な中庭は威厳に満ちていた。


   英国人労働者は退職後の貯蓄に関心を示さないと言われる。45歳以上で預金額が9000ポンド(約140万円)未満の割合は2014年度末で全体の40%。日本では65歳で定年して「平均貯蓄額2080万円」それでも不安。

 英国では誰であろうと国民が老人ホームに入居する場合、住宅、貯蓄、年金などの資産併せて500万円以下なら全てその費用を国が負担する制度になっている。ビバリッジ報告の精神「揺り籠から墓場まで」は、今尚守られている。長いナチスドイツとの闘いを経た戦後の苦しい生活の中で英国人が獲得した制度だ。ちっとやそっとでは揺るぐはずもない。労働者や福祉嫌いのサッチャーが腕まくりして戦争で国民を騙しても、これは残っている。

 だから英国の労働者は、140万円以下の貯蓄でも悠々と生活できる。出世競争で過労死することはない。中学生や高校生は、日本のように将来に備えた受験競争で鬱になることも、推薦入学を狙って部活での体罰や虐めに耐える必要も無い。

 英国の少年は、政治や環境もに関心を持ち自由に行動できる。演劇や音楽にも夢中になれる。祖父や祖母たちの生活が保証され安定していることが、少年たちを若者らしい正義に導く。だからhate言説にも引っ掛からない。


 日本では、大名や豪商の屋敷が庭ごと老人ホームになることは想像すら出来ない。ウサギ小屋程度でも順番待ちで、待っている間にあえなく死んでしまう。それが嫌なら億近い入居一時金と月数十万円を私費負担せねばならぬ。

参照  https://zheibon.blogspot.com/2019/09/blog-post_26.html                                                  

教育は不当な支配に屈することなく、国民全体に直接責任を負って行われる。旧教育基本法第十条

  多摩の大規模校にいた時生徒から、ある教師によるセクハラの訴えを聞いた。周りの生徒にもその教師の様子を聞いた。管理職に話を回しはしなかった、管理職ほどあてにならないものはないからだ。生指もあてにできない。しかし訴えは深刻だった。ひとけのない時間に、彼を訪ねて直接話した。彼は狼狽したが否定、数日して数人の教師を伴った彼に呼び出され。「とんでもない言いがかりだ、生徒が教えて欲しいて言うから近寄って手を取り指導した。何故あなたは生徒の訴えばかりを聞くんだ。管理職に訴える」と息まいた。つまり僕が件の教師の仕草に寛容になり、「生徒の思い過ごし」を指導すべきと言うわけであった。

 瞬く間にこのことは学校中に知られ、僕は「浮いた」。「嫌がる生徒が間違っている」と勘違いしているのは教師の側ではないか。嫌が生徒の気持ちになってみる「寛容性」を教師が持つべきとの主張は受け入れられなかった。反対に僕の生徒に対する「毅然たる姿勢」のなさが問題視されてしまった。1990年代に入ったばかりだった。

 立場の弱い生徒が、あらゆる点で「力」を誇示する教師に忖度する事が常識になりつつあった。神戸高塚高校校門圧殺事件の起こった年だ。


 被害者が、寛容や我慢を強いられる。虐めにも同じ構造がある。「いじめられる側にも問題がある」と問題がすり替えられるのだ。職場や地域の「ハラスメント」は江戸の昔からそう扱われ続けてきた。セクハラを嫌がれば「可愛くない」と罵る。暴力沙汰を繰り返すチンピラは、若さ故の「やんちゃ」だったと笑う。 人の後ろに回って「カンチョー」を連発する「大物」芸人は怯えた眼差しで隠れるのだった。それが「お笑い」だとマスメディアも囃し立て、真似る者が続出する始末


 ありったけの理不尽に苦しめられてきたハンセン病者に何の咎があったか。ありはしない、神や仏までもが「業(前世の悪行の報い)」病と突き放したのだから。「ペスト並みの恐い病気」と全国を遊説して回り絶対隔離を画策した渋沢栄一が男爵になり相棒の光田健輔は文化勲章をぶら下げる構図の狂気に我々は未だに「寛容」だ。

 だから首相は金メダルチーム『東洋の魔女』監督“鬼の大松”を持ち上げる。鬼の得意は『シゴキ』=壮絶なパワハラだった。しかし世間は「金メダル」に目が眩んだ。『ド根性』が流行語となり、体罰やサービス残業など日本型組織体質が戦中の地獄から甦った。『極限状態に立たされることで、人間は真の力を発揮できるようになる』と強調した大松は帝国陸軍の生き残り。その悍ましい風潮克服の半ばというのに、『シゴキ』を賛美する首相の無知無神経。そういう男を引きずり下ろす怒りを我々は持てないでいる。怒りが組織化されないからだ。

怒りは組織されねばならぬ

 我々に必要なのは、弱く虐げられる側に立ち、虐げる側への怒りを挙げること
 「神の愛」や「仏の慈悲」は、虐げる者に限りなく「妥協」して力なき者の不信仰を咎めてきた。教委や生指も、組織を可愛がり一介の力なき生徒個人に我慢を強いて止まない。「国民全体に直接責任を負」うとは、組織に忖度することではない。弱き者は、どうしても、どうしてか、教団や業界に組織されたがる。

 弱き者が弱き者同士組織をつくらねばならぬ、それは弱きものが自らの「弱さ」の根源を知る事から始まる。それ故若者には、哲学・歴史・経済学が不可欠なのだ。わが国で全ての若者に、「哲学・歴史・経済学」が普通教育として行き渡ったことはない。ただ戦後混乱の1947年、新制高校のカリキュラムがあっただけ、瞬く間に幻のごとく消えた。新制高校への進学率が50%を越えるは1954年のことである。

Oxfordの大学院生自治会、 Queen Elizabeth II肖像を植民地支配の象徴として撤去








 

Students at an Oxford College voted to remove Queen Elizabeth II portrait.

The MCR committee voted for the portrait to be taken down, claiming it represented an unwelcoming symbol of "recent colonial history”

Queen becomes latest victim of cancel culture as portrait is removed from Oxford college

Students at Magdalen College vote to remove the picture after claiming it represented an unwelcome symbol of 'recent colonial history' 

    Daily Telegraph.co.uk


 しかし何より興味深いのは、学生の行動に対する大学および政府の対応である。

  マグダレン・カレッジのダイナ・ローズ学長は院生「自治会は確か2013年に、女王の肖像写真を購入し、談話室に飾った」が、「最近になって外すことにした。飾ると決めたのも自治会なら、外したのも自治会だ」と指摘。「マグダレン・カレッジは言論と政治的な議論の自由及び学生たちの自治権を断固として支持する」と強調している。

  イギリスでは今、学問の場における言論の自由を保障する政策が推進されている。教授陣や学生、外部の講演者が大学当局に忖度して自由闊達な議論ができなくなることがないよう、英政府は大学当局の言論規制を禁じる法整備を進めている。

 翻って日本では今、植民地支配の責任を明らかにし天皇や政府を追及する動きは死んだかのようだ。加えて学問の場における言論の自由を窒素させる、青バッヂの極右議員が人気を博している。

 過去の罪を直視し学ぶのと、過去を否定し偽造することの差は計り知れない。


学道の人は最も貧なるべし

 

 「学道の人は最も貧なるべし。世人を見るに財ある人はまづ瞋恚(しんい・逆らう者への嫌悪)恥辱の二つの難定めて来るなり。宝らあれば人是を奪ひ取らんと思ふ、我は取られじとする時、瞋恚たちまちに起る。或は是を論じて問答対決に及びつゐには闘諍合戦をいたす。かくの如くのあひだに瞋恚も起り恥辱も来るなり」 『正法眼蔵随聞記』四ノ四   

   『正法眼蔵』を論ずる禅僧も、この問題だけは避けて通りたいと言う。キリスト教に於ける「駱駝と針の穴」の喩えと同じように、都合の良い解釈が次から次へと生まれる。

 学僧までがこう言う。「最も貧なるべし」とは物欲を捨てよということではなく、ただ単に「物欲に囚われる」ことを戒めているのだと。なら、僧は要らない。

 悩み多い凡人に、そう説いて一時の安心を与えるのは方便とも言える、しかし禅僧が自身の生き方について堂々とそう言うのは逃走である。少なくとも最大限の羞恥に身を捩りながら言う必要がある。ただ単に「貧なるべし」と言っているのではなく、「最も貧なるべし」と言う。

 であれば「最も貧」を強いられ、しかも敢えてそれを再び選び取ったハンセン病療養所の「学道の人」からしか我々は学べない。

 全生園初代自治会委員長土田良雄は見事に「最貧」を選び取っている。そのために死期を早めさえしている。彼は日中戦争で八路軍の捕虜になり、その政策処遇に感銘を受け共産党員に。多くの若い患者たちが、その穏やかで理知的な人柄に惹

かれて集った。画期的治療薬プロミン予算獲得闘争では行動や交渉の先頭に立ち、誰もが第一の功労者と認めたが、土屋委員長はそう見られることを頑なに拒んだ。ために病状は急激に悪化し、命を落とした。望みさえすれば、私費による優先接種も可能だった。今なお毎年、見事な花を付ける桜並木などの植栽整備も彼の仕事の一つ。公正で控え目な人柄は良い仕来りと共に残った。 

 どうして我々は旧体制下で苦難の限りを味わった人々を、新憲法下の政権中心に置かなかったのか。政権が変わるとは如何なることなのか、我々は想像すらできないのか。

 患者のための予算で御殿のような園長官舎を建て続けた行政、それを放置し続けた我々。

公選制とは何か 2   公選制教育委員会の記憶

  公安委員会公選制が維持されていたら、冤罪事件は続いただろうか。少なくとも冤罪をでっち上げた警官は、厳しい批判に曝され免職処分は間違いないだろう。

    

警察の筋書きでは爆弾は駐在所外から投げ込まれたことに
なっていたが、ガラスは外側に飛び散っていた。

1952年の菅生事件(大分県菅生村)は、国家地方警察大分県本部が仕組んだ共産党弾圧のための自作自演駐在所爆破事件。

 犯人として逮捕・起訴された5人の共産党関係者全員の無罪判決が確定した冤罪事件である。当時巡査部長として捜査した警察官(市木春秋)は冤罪確定後も昇進を続け、警察大学校教授を経て警視長まで昇任している。こんなことは公選制自治体警察では在りえない。

 菅生事件も松川事件も三鷹事件も袴田事件も志布志事件も・・・実に杜撰な工作で事件をでっちあげている。常識さえあれば、冤罪であることはすぐばれる。冤罪が絶えないのは、市民による直接の捜査関係者監視と処分がないからである。

 

 公選制独立行政委員会の代わりに、政府が多用するのが「審議会」である。選挙で選ばれたと自称する政府が任命する「国民」の意志による機関ということになっているが幾重にも「間接」的で、国民の意志が直接に関与する事からは絶望的に遠い。当たり障りのない「学識経験者」が選ばれ、普通の労働者が選ばれることはない。

 しかも「審議会」は自主的調査の機能がないから、権力の与える資料に基づいて話し合うに過ぎない。ここに民主的で自由な議論は成立しない。

 こんな腑抜けたシステムの国家になってもう70年が経ったことに僕らは驚く必要がある。

 議員の多くは、胸に細長い青いバッチを付けた「日本会議」の構成員。「審議会」構成員は「学識経験者」とはいうものの、その大半は大企業経営者。どう捻っても「公正」な議論は期待できない。1977年度の中教審では、有吉佐和子・久保田きみ・遠藤周作の三氏が官製議論に失望、辞任している。


 公選制教育委員会の日常を窺わせる記述はないか。なかなか見つからない。

   (青山教諭はハンセン病療養所多磨全生園初の派遣教師である。地元東村山町教育委員会から依頼を受けている。)

  「青山信先生の前任地は、鹿児島県鹿屋。星塚敬愛園がある。受け持ちの家族にもハンセン病患者がいて、度々訪問していた。生徒を引率して慰問活動もしている。 

 東村山町の教育委員から話があった時は、親戚の反対と自身の子どもへの配慮から一旦は断る。だが、自ら医局を訪ね 詳しい説明を求めた後、改めて分教室を希望している。分教室着任の挨拶にその気持ちが書かれている。

 「こちらへ来ることをはっきり決めました。・・・何も特別に悲壮な決心をして殉教的な気持ちで来たわけではありません。又日頃から子供たちの幸福を守る仕事をしたいと思っていましたから、自分の希望も叶えられたわけです。」   

                                   『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』地歴社刊

 青山先生が多磨全生園文教室に赴任したのは 1953年。公選

制教委が活動していた時期である。

 教育委員自身が小学校を訪問し、青山先生を探し当て話をしている。任命制の今なら教委が官僚的に校長に命じても候補が見つからず、採用試験不合格者にあたるところである。

   公選制であれば、教委委員の殆どが現場の職員会議や教室、地域の保護者の話を直接聞いて歩いた筈。

 そうであれば、高校の屋上からの垂れ幕には「○×大会優勝」や「△◇オリンピック金メダル獲得」などの見苦しいものは姿を消す。 何故なら高校生はもはや学校宣伝の客体ではなく、自由な主体となるからである。

 敗戦後の教育条件は、劣悪を極め尽した。それでも子供たちが明るく元気だったのは、公選制教委の下での教育の自由があったからだと思えてならない。 

団体交渉権ある組織を持つ意義

 何故欧米では、個人が自立して権力や組織に対して堂々と発言出来るのか? 父が子に躾けるべきは、忖度が最も卑しい行為と諭すことと言われるのか。

 忖度は日本の新聞とtv番組の名物となった。何故報道を装ったバラエティ番組では、芸を失いそうな人物が広告代理店や政権にすり寄るのか。tvショッピングで恥ずかしく惨めなコメントと姿を曝すのか・・・。

 例えば合州国には、SAG-AFTRA(Screen Actors Guild - American Federation of Television and Radio Artists)「テレビ・ラジオ芸能人と映画俳優労組」がある。組合員16万人、劇場やテレビはSAG-AFTRAと労働協約を結ばなければならない。それゆえ、強大な映画会社やTV局とも対等に交渉できるから、俳優らの生活・権利が向上し自由な政権批判も可能となる。

 そればかりではない、吉本のような芸能事務所が巨大な支配力を持たないよう、その機能は法的に分離制限されている。「マネージャー」業務(タレントのスケジュール管理や世話)、「エージェント」業務(仕事斡旋や契約)、「プロダクション」業務(企画・制作)は一つの組織で独占出来ない。

 俳優労働組合がないのは、主要国では日本だけ。海外各国には複数の俳優労組がある。 日本には「日俳連」約2,600名が加入する組織があるが、労組とは言い難い。日本の俳優は個人事業主と見做されTV局や制作者と対等に出演契約を結ぶことは難しいからだ。最低賃金さえないに等しい。契約書もないまま撮影が進んでしまう。団交も争議もできないからだ。  

    9万5千人の芸能人が所属した日本唯一の芸能人向け年金制度業界団体が潰れたのは2009年、36年間運営して解散した。これも自由化政策がもたらした改悪によるもの。

 

  しかし労災保険法改正が実現、 2021年4月から芸能人にも労災保険が適用される。言葉の正しい意味での法律の「改正」は長い間なかった。自由化や国際化問う名目で公然と「改悪」「後退」が画策・強行されてきた。去年の労働者協同組合法成立とともに明るい出来事と言える。


 いわゆる芸能人は、番組や作品で酷い労働環境に曝され続けてきた。性格の弱い芸人を虐め笑いものにする番組さえ作られたのだから、日本の俳優たちの労働環境は狂っている。その劣悪な環境でのし上がった「芸能人」をTVは多用して、政権に忖度している。政権党から立候補する芸人もいる。

 彼らが欧米の俳優たちように、報道機関のように誇り高く立ち上がるのはいつの日か。


   今我々が危惧しなれればならないのは、日本の教師も労働組合のない状況に置かれている事だ。まともな国で教員にスト権も断交権もないのも日本だけ。おかげで教員は権利や生活のために権力に忖度する事を考え、人間らしい感覚を失っている。

 良心に基づいた授業や指導が「孤立」し勝ち。生徒や父母に背を向け、主幹教諭や主任教諭に逃げる始末だ。

 演劇も教養も忘れた電通御用吉本芸人やtvショッピングタレント並みになってはいないか。誇りを取り戻さねば、早晩教育者とは呼ばれなくなるだろう。

 日本のTV局や新聞社が政権や広告代理店に忖度して取材しないスキャンダルも、欧米メディアは警察の制止を振り切って堂々と取材する。彼らの取材もその国の労働組合が守るのだ。

 

自治と「他」治 / 「指導」の実態は「妨害」に過ぎない

  承前

 件の高校生が、答案の裏に書きっ放しでは収まらないとわざわざ謝りに来たと言う。口先の語句だけでは責任は示せない、彼も国会中継を見ていたのだろうか。 

 やはり彼は、少年から青年へ成長したのだと思う。政治家も官僚も社長も、党籍離脱や口先や入院で当面の風当たりりをしのごうとする醜さは、少年たちの反面教育に大いに役立っている。

 国会中継を見て幼児が「母ちゃん、あれはバカだね」と言う光景が広がるに違いない。


 しかし好事魔多しという。M先生は生徒会を背負って立つているかに見える高校生に「期待しているよ」と声をかけた。

 「期待しないでください。私はそんな力がないです」と言われて、先生は「しまった」と後悔した。若い教員の過剰な自信と生徒の自信のなさとのギャップの大きさに日頃から驚いていた先生らしい。件の高校生は重荷に喘いでいたのだ。

 医者は肉親が患者になると誤診をする。重荷になるからだ。

 「しまった」は興味深い。

 先生がそのあと続けて「・・・実は僕も力不足でね、教室に入るとき胃が痛くて困ってるんだ」と返せばどうだっただろうか。二人の間に「共感」が生まれたかも知れない。

 評価すれば嬉しくてますます張り切る者もある。評価が重荷になる者もある。評価されるたびに傲慢さを増す者もある。正当に評価することは難しい。すぐさま「しまった」と気付いたことが、さすがと思う。


 日本の学校では、自治が「他」治でしかない。上から目線の指導が好きなんだ。サッカー好きの大人は自らチームを組んでゲームに汗すればいいと思うが、なんと多くの大人が少年サッカー「指導」に押し寄せる。子どもより指導する大人のほうが多いことすらある。

 しかし彼らが指導や自治を知っているとは思えない。第一、学生時代に自治会を経験したことがない、地域の自治活動もない。組合の役員にも学生運動経験者は、吃驚するほど少ない。そのことが、先生の言う「若い教員の過剰な自信と生徒の自信のなさとのギャップの大きさ」に繋がる。つまり自治も指導も、知識だととらえているから妙な自信に満ちる。 

 自治は多かれ少なかれ「独立」への志向を含んでいるから、安定と秩序を求める「当局」の妨害や弾圧に曝されやすい。それゆえ自治意識に磨きがかかるとも言える。進路に有利なんてことは在りえない。

 再就職するサラリーマンが面接で「何がやれますか」と聞かれて、「管理職なら」と口走る話は昔から有名。上に立ち、指示を出す快感が好きなんだ。


 やるもやらぬも決定権は我にあり。それが自治の根底になければならない。文化祭も体育祭も学校行事なら生徒自治会がやってはいけない。毎年その行事ごとに、有志の独立実行委員会を作らねばならない。独立とは決定権を持つという事。集まらなかったら流す。生徒会の目的は自治、学校との交渉が任務。下請けじゃない。


  学生運動や労働運動・社会運動が盛んなヨーロッパにもAALA諸国にも、教師による生徒「指導」はない。    「罰」する機能は管理職にはあるが、教員は係わりを持たない。

 処分する分掌が同時に自治指導する体制は常軌を逸している。そんな関係の下で教師の待遇改善要求に生徒が、生徒の権利獲得に教師が夫々連帯することが出来ようか。

 ここから我々が認識すべきは、我々が「指導」と思い込んでいるのは、実は「妨害」に過ぎないという実態だ。

 そうでなければどうして、大学は生徒会経験者を推薦入試で優遇するのか。生徒会役員経験者は、企業や大学など組織への奉仕を期待されているのさ。舐められるな高校生、反乱しろ。


人格陶冶 / 「みんなで」から「たとえ一人でも」へ

  埼玉のM先生からmailがあった。要点だけを引用させてもらう。

 今日、テストがあり、その解答用紙の裏に、次の文を書いてくれた生徒がいました。

<<たくさん勉強しても点が取れないけど、がんばりを認めてくれたのは先生が初めてです。うれしかったです。・・・。どんなにボロクソな点をとっても勉強をがんばったって認めてくれて本当に本当にうれしかったです。・・・。>>

 <<1学期の件 素直に認められずすみませんでした。自分の非を認められなかった幼稚な考えを改めます。本当にすみませんでした。>>

 同じことを繰り返して書いてあって、そんなにうれしかったのか・・・  (後半の部分は)授業で彼の行動を私が注意したことです。書かなくても、謝らなくてもすむのに。

  M先生はmailで高校の状況をこう書いている。

  <<今、教員は、生徒との「共感」が、授業でも授業以外でも少ない感じました。>>


   教室に授業に共感の空気が流れていれば、褒められても叱られても嬉しいに違いない。そこで生徒も教師も、自己を再発見するからである。自分の本当の姿になかなか人は気付かない、それが欠点であればなおさらのことだ。

 M先生は来年教壇を降りる。彼は日々の授業を、生徒たちとの対話を中心に構成してきた。だからいつも笑いやお喋りに満ちている。ところが去年、何時までもお喋りが止まない。堪りかねた知り合いは、苦言を呈した。

 すると、以外にも「叱ってくれた」ことに嬉しさの感情を見せたのである。ただ甘っちょろくで生徒に迎合するだけの教師ではないときづいたのだ。

 更にこの生徒の場合は、集団として𠮟責されたことを、個人の問題としてとらえ直している。   

 ここにみられるのは、少年から青年への成長である。
 中学生的「みんな」意識に心身ともに拘束される段階から、「みんな」や他人がどうであれ「僕個人」は・・・と自立した価値観を形成する段階への移行という重要な成長の課題がここにはある。高校の前半がこの時期に当たる。静かで深い思索を伴う、しかも個別的で一斉ではない。

 この時期を、日本の少年は軍国主義や集団主義的思考と行動で明治以来奪われてきた。だから官僚も経営者も軍人も「みんな」がしている式の「無責任」が標準となる。国家自体までが歴代の侵略行為に対して「無責任」を貫いてしまっている。


   M先生は、少年の倫理的成長という課題に的確に対応しておられる。高校と中学が互いに独立している意味を教師は深く静かに考えねばならない。受験や部活の便宜のために、人格の陶冶を軽んじてはならない。

 今学校には共感の居所はない、競争による傲慢と絶望が蔓延して学園物のドラマも消えた。tvドラマで描かれるのは犯罪と警察だけになった。

 画像は白バラ抵抗団の一人、医学生だったがナチによって二人の友とともに処刑。彼らはナチス少年団という巨大な「みんな」から知的に自立し、命を賭して闘った。最後に彼らの一人・ゾフィは、命だけは助けようというナチスに向かってこう言った。 

「私は自分が何をしたかを理解しています。機会があるならばもう一度同じことをします。私は間違ったことをしていません。間違ったことをしているのは、あなたたちです」

  この時もなお人々は、ヒトラーの言葉に酔い痴れていた。経済が回っていたからである。


 


クラブは教育の一環ではない

 「スポーツ体罰死を克服できない日本に、olympic開催の資格はない」

   宝塚市立中学柔道部顧問教師が、「部活動」で生徒2人に重軽傷を負わせ、「指導の範疇をはるかに超えた。体罰とすら呼べない」として懲戒免職になった。暴行傍観の副顧問も減給処分。

 驚くべきは、体罰や傷害で教職員が免職となるのは異例であることだ。この男は生徒がアイスキャンディーを食べたことに立腹。投げ技や寝技で背骨を折る重傷を負わせた。過去にも体罰を3度繰り返し、減給などの懲戒処分を受けていた。男は「最初は厳しめの指導と思っていたが、大変なことをやってしまった」と反省しているという。だが、免職処分がなければ「指導の一貫」と居直っていた可能性を否定できない。県教委は指導監督が不十分だったとして、校長も戒告処分。宝塚市長は「一歩間違えば生徒を死に至らしめた事件。厳しい結果は当然」と語っている。

   同じ兵庫県の神戸高塚高校校門圧死事件から30年経って、も体罰依存の「部活」構造は硬い。

 そんな国が、オリンピックに浮かれる資格はない。iocも「中高生のスポーツの体罰死を克服できない日本に、olympic開催の資格はない」と言う資格がない。利権太りの「スポーツ貴族」体制自体が、スポーツマンシップに程遠いからだ。 そもそも一体彼らはどのように選ばれているのか、そんな組織が一国の財政に平然と手を突っ込む事が許されるのは何故か。世界中が問うこともない、怪しさ漂う「聖域」である。

 校門圧死事件当時の兵庫県高校生徒指導協議会は、「校門」立番を高く評価していた。文科省の学校安全「研究指定校」でもあった。だからだろう、現場に付着した被害生徒の血痕は、警察到着以前に学校が流し去っていた。教育行政の「安全」意識が生徒の日常に向けられることはない。

 あれから30年も経って、ようやく「体罰による免職」という現実が示しているのは、30年もの間体罰死は「熱心さのあまり」の「指導の一貫」として処置してきたことに尽きる。  殺人を「処置(弾薬も食料も尽きた戦場で、動けなくなった兵を殺す命令をそう呼んだ)」と呼ぶ習わしは、旧帝国陸軍が蔓延させたものである。

  殺人教諭は懲戒免職、校長を戒告、教頭と教育長を訓告、教育次長2名を厳重注意、校門を閉めようと言い出した教員や生活指導部長に対しては処分は無かった。
 殺人元教諭は、有罪確定直後「警察的な校門指導を正義」と自著に書いた。皇軍から連綿と続く「犯罪を言葉で言い逃れる」「日本の麗しい」この伝統は、前首相の言行にも引き継がれている。

 そもそもクラブは学校教育の一環ではない。明治の日本人は倶楽部と書いた。教員も少年も対等の立場で「play」を楽しむ余暇活動である。中学生も街の叔父さんも校長もスポーツ愛好家として対等だから、体罰やパワハラがあれば告発も退会勧告もできる。加入も退会も自由である。
  
教育行政はこの自由と平等が嫌いだ。年代を貫く自由と平等は、地域活動を通して連帯と民主主義の精神と行動を養わずにはおれないのだ。

旧制弘前中生のストライキ

 旧制中学生や旧制高校生が、社会問題に関心を持ちストライキを組織した自治の「伝統」から少年/少女を隔離する手立てとしては「部活」ほど手軽で硬い物はない。1973~2001まで続いた高校の必修クラブ制度は、高校生から自治の精神打ち砕いた。上級学校への推薦制度につられて、自ら進んで体罰・パワハラ地獄に365日朝から晩まで熱中するのだから。


 満州事変の1931年、『東奥日報』は「弘前中学四五年生徒 全ストライキ」と三段抜きで報じている。生徒300人が、教師の体罰に抗して嶽温泉に籠城したのである。

 この嶽のストライキ「決議」は「弘前中学校当局の教育方針を見るに只欺瞞と矛盾と暴力である故に我等はその非なることを和平的態度を以て再三それとなく指摘して三省あらんことを求めた然し三省は愚か我等に対する当局の態度はますます激しくなるのみにして一つとして教育の根本的精神即ち人格を養成する教育は行はずここに於て我等は・・・時代錯誤的な教育精神を打破し弘中百年の禍根を断つべく」と続き、最後に葛原校長と長谷川、立石教諭の二人の辞職を要求している。教師の暴力が発端であることがわかる。

  奈良県では女子小学生までが教師の教授不熱心に抗議、同盟休校している。  

 選挙権を持つ高校生が体罰で殺される事件が絶えないのに、ストライキやデモも無い事に大人は危機感を持たねばならない。 

王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...